第365話 神界の外側
カナリーは人間となるその際に、ハルとその精神を融合している。そのため、ハルを対象とした精神の牢獄、この場所に自身も対象として侵入することが出来た。
「カナリー、ありがとう。よく来てくれたね」
「ただ、アイリちゃんは来れなさそうですねー。こっちで自分の形を保つのに慣れていないのでー」
ハルの居るここは、ネット上のどこか。ゲームのように、キャラクターとして肉体が定義されていない環境だ。
必ずしも肉体をイメージする必要は無いが、元が人間である以上、己の形があやふやでは、思うように行動できない。最悪、精神に異常をきたしてしまう。
ハルのようにこの電脳空間を熟知した者か、カナリーのように元AIとして勝手を知っている者くらいしか、活動は困難なのは仕方がない。
「……驚いたわ、カナリー。ええ、とっても。ここへ入ってくるなんて。でも、今の貴女に何が出来るの?」
「まーそうですねー。今の私は、ただの人間ですもんねー。あ、分類上は人間じゃないんでした。管理者様なんですよー? 傅きなさいー、一般AIのひとー」
「残念だけど、新たな管理者が設定されたと認定はされていないの。カナリーの下には付けないわ?」
「付かれても困りますけどねー。冗談ですよー」
今のカナリーは、神の力を振るえない。ヒトの身へと変換された際に、元の力は全て捨ててしまった。
そんな彼女がここへ来て何をするというのか、虜囚が一人増えただけではないのか、そう、マリーゴールドは指摘した。
「確かに。今の私では何も出来ません。ハルさんを、ひっぱり上げるのにも力不足でしょうー」
「あわよくばと、それを期待したんだけどね」
「それは安心したの。このまま連れて帰られちゃうんじゃないかと、内心ひやひやしたわ?」
「安心するのは早いですよーマリゴールド」
そう、何もハルは無策でカナリーをここへ呼んだ訳ではない。このまま、彼女との縁を辿って元のお屋敷に帰還できるのが理想だったが、それは適わないだろうとは最初から思っていた。
ではどうするのか。決まっている、ここから“徒歩で”外へと出るのだ。
エーテルネットも神界ネットも、データ処理に物理的空間を必要とすることには共通している。
エーテルネットなら、空を満たすナノマシン群のいずこかに。神界ネットなら、これまた空へと溜められた魔力のいずこかに。
古いネットで言うなら、端末の所在地、サーバーの設置位置などにあたる。
「幸い、白銀ちゃんが確保してくれた領域支配は健在です。その、暫定的な領地ごと意識を移動させて、安全地帯まで脱出しますー」
「させると思う?」
「またまたー、強がっちゃってー。マリーには戦闘能力はほとんどありません。それは、この中でも同じですよー。今も、ハルさんの意識を繋ぎとめるだけで一杯一杯なのが見え見えですー」
「くぅー……」
「そんな中で、浸食力一位の私と、それを打ち破ったハルさんに、情報戦で勝てる訳ないんですよねー」
「捕まっちゃってるから、偉そうには出来ないんだけどね」
魔力の中での未知のデータ形式だが、それでもハルの専門分野だ。直接対決で負けはしない。
そして、今はカナリーという道案内が存在する。
「ここは知りませんが、“土地勘”はありますからー。まあ、大丈夫でしょー」
「どうするのカナリーちゃん」
「神界にも端っこはありますー。そこまで体を移動させて行って、物理的な位置を外延部に出しちゃいます」
「うわ強引。まあ、外に出てしまえば、そこから物理的に接触可能になるからね。それで、神界って結局どこにあるの? 詳しく聞いたこと無かったけど」
「さー? 私も詳しく知らないんですよねー」
「むむ?」
これは意外な事実だった。今まで、平和にかまけてきちんと確認を取っていなかった己を恥じるハルだ。
ただ、カナリーが知らないとなると理由はひとつだ。かつては知ることを禁じられていたに違いなかった。でなければ、己の身を預ける空間について把握していないというのは有り得ない。
「じゃあつまり、神界ってのは外部の誰か、『邪神』から提供されたものなんだ?」
「はいー、そうなりますー。エーテルの奴が用意してくれたものですねー。あ、これも以前なら口にできなかったことですよー」
「……またエーテルさんか、本当、ネットワーク技術に関しては万能みたいだね」
「物理的な位置を探ることは、禁止されてましたー。そこがあいつのアドバンテージなんでしょうねー」
「ふむ……?」
その情報は、使えるかも知れない。今の状況において。
なぜならば、ハルの精神を拘束しているマリーゴールドは、今もその誓約の内にいるからだ。
「ねえ、ねえ。危ないわ? やめましょう? 行った先が、もし危険なところだったら、どうするの?」
「そうだね。神界は宇宙かもって、思ったことはある」
「おや。マリー、どうしましたー? ハルさんの身を案じるならば、拘束を解けばいいのではー?」
「もう! そうしたら、私の負けじゃない!」
この話が出てからというもの、あからさまに慌てた様子を見せる彼女だ。そんなマリーに向けて悪い笑みを浮かべながら、ハルとカナリーはこの空間を脱出すべく、ネットの海を横断するために泳ぎ出るのだった。
*
「危ないわ? 危ないの。戻りましょう? 私と、おしゃべりして過ごしましょうよ。今なら、勝負の条件を緩和もするから」
「……なんだか、いじめてるみたいで可哀そうになってきた」
「問題があるなら付いて来なけりゃいいじゃないですかー」
「もう! 出来るならそうしてるわよ! ……でも、私が近くにいないと、ハル様の拘束が出来ないの」
「なんだか随所でやること裏目っちゃってるね、マリーちゃんは」
神界ネット、その内部を、自身の精神が接続している“位置”をまるごと移動させ、泳いで渡るハル。
その移動に、マリゴールドも変わらず隣にぴったりとくっ付いて来ていた。そうしなければ、ハルが自由になってしまうようだ。
離れれば、ハルは意識拡張を再開し、マリーを浸食するために活動を始めるだろう。
しかし付いていけば、それはマリー自身もこの神界の『外』まで一緒に移動してしまうことになる。それは、誓約を破ることだ。
人間となってあらゆる神としての枷から逃れたカナリーと違い、マリーは未だ神として、運営としての誓約に縛られる身だ。
その、進退窮まる状況に、お姉さん的な余裕の態度は霧散して、おろおろ、とうろたえるばかりだった。
「そ、そうだ! ハル様、外延部に到達したからといって、そこでどうするのかしら! データ的に外と接触していても、視界が外に通じている訳ではないのよ!」
「うん、そこは何とかなると思うよ」
「なんで!?」
「あの妖精郷でさ、根源的な魔法行使についてはずいぶん観察したから。視界を、目玉を形成するくらいなら出来る」
「ハルさん、日本でもやってますもんねー。ナノマシンを使って、頭上にレンズを作り出すのー」
「人間じゃないわね!」
「だね。だからこそ、君がこうして僕を罠にはめることが出来たんでしょ」
「そ、そうだけれど……」
なんだか、非常に可愛くなってしまっている。威厳も余裕もかなぐり捨てて、『戻りましょう? 戻りましょう?』、と懇願する様は、一回り幼くなったようだ。彼女のファンには見せられない。
二律背反の宿命でも背負ってしまっているのか、マリーが有利になるため企てた計画は、必ず自分の不利となる側面も孕んでしまっていた。
「カナリーちゃん。任せちゃってるけど、方向は分かるの?」
「ええ、そこのマリーが怖がってるように、『データ移動を禁止するエリア』が設定されてました。その感覚の憶えはなんとなくありますよー」
「こ、怖がってないの! ハル様たちのために、善意の提案なの!」
「……やっぱ可愛い」
「浮気ですかー? 神様相手だと、一言ありますよー」
そうしてデータを再配置するように、神界の内部に白銀が用意した『領土』を移動させて行く。
どこも同じ内容、同じ魔力であるはずだが、疑似的に再現された景色は歩を進めるごとに目まぐるしく変化して面白い。当然、現実的な風景ではないのだが。
夢の中で見る景色というのは、こんな感じだろうか。ぐにゃりとねじれる自然や、前触れなく唐突に表れた回廊を進みながら、夢を見ることの無いハルはそんなことを考える。
そんな幻想の風景の中を進んでゆくと、いつしか景色はだんだんと荒廃し、おどろおどろしくなっていた。
「鉄柵に、防壁。ものものしいね。これが侵入禁止エリア?」
「ですねー。このイメージは、ハルさんの認識に引きずられて出来たものですがー」
「普段は、特にこうした風景は存在しないのよ?」
「そっか」
無意識にか、マリー自身もここがそうだと認めてしまっている。律儀な性格であった。
「で、僕らはこの先に進むんだけれど、マリーちゃんはどうする?」
「仕方ないじゃない。私も行くの。自分の選択した結果、最後まで全うするわ?」
「ほんと律儀ですねー」
理屈の上だけで語るならば、論理的にこの先にマリーが付いて行く選択は無い。通常のAIならば絶対に取らない選択だろう。
ハルに脱出されてしまうとしても、その後にハルが成功しない可能性に賭けて、ここは身を隠すのが最善だ。
だが、彼女の誇りがそれを許さないようだった。そこに、神様たちが人間的であるところの一端を垣間見た気がする。
「じゃ、先に進むよ?」
「ハル様、カナリー……、手を握ってくださる?」
「いいよ」
「仕方ないですねー」
ふたりでマリーの手をとり、彼女の手を引いて禁止エリアへと進む。
踏み入れた瞬間、びくり、とその手から震えが伝わってきた。何らかの、ペナルティを受けているのだろう。
そのまま、体調の悪そうな様子となったマリーを伴って進んでゆく。
風景もおどろおどろしさを増し、気が重くなる。今は敵対関係とはいえ、同じ仲間だった相手だ、苦しむ姿を見たくはない。
だが、戻るわけにはいかない。彼女も半端な温情は拒否するだろう。
そんな己を律してハルが進んで行くと、ほどなく視界が開け、いや、視界が消失した。
この世界の、最果てだ。
*
「……目を開いても何も見えず、404」
「なーに言ってんですかー。まあ、つまりそこですねー。この先ですー。とっとと済ませちゃいましょー」
「だね。マリーちゃんの具合も気になるし」
「お、お気になさらず……」
「まったくー、そんなになるなら、ハルさんの拘束を解いちゃえばいいんですよー。頑固なんですからー」
ハルの精神幽閉を続けつつ、ネット上のペナルティも受けて、とマリーの処理も限界そうだ。彼女のためにも、手早く決着をつけることにする。
「……とりあえず目玉を簡単に作って、と。カナリーちゃん、見える?」
ハルは視覚を構成する機能を、『この先』へと浮かび上がらせ、この神界ネットが物理的に存在する『外の世界』をその目におさめる。
カナリーと、融合した精神を通じて共有するそこは、ほとんど日の入らない、どこかの洞窟の中であるようだった。
「見えますー、良好ですー。でも、ここ、ゲーム内じゃないですねー。知ってましたけどー」
「ああ、やっぱり。内部なら、そりゃあ把握してるよね」
「そうなのよ。だからハル様が出ても、手の打ちようが無いの」
「まだ言うか、このぽんこつちゃんが。大丈夫、手はあるよ」
ハルも、ここから外に体を作成するのは骨が折れる。<物質化>や<魔力化>を行うには、まず肉体か、ゲームキャラの体が必要だ。正確にはコアが。
先ほど行ったのは、魔法の式を介さない、ごくごく単純極まりない構成。まだそれで出来ることは多くなかった。
「実際、どうするんですー? 宇宙じゃなかったのは朗報ですが、お屋敷の仲間が呼べる位置かは分かりませんよー」
「そうだね。呼べたとしても、ゲーム内外を隔てるバリアの突破が一苦労だ」
「では、どうするというの?」
「もともと外にいる人に頼めばいい」
ハルは、目玉を出した位置から、もう一つのごく単純な魔法を行使する。
単純ながら、効果的で効率的な方式。しかし、日本では現在、忌避されあまり使われなくなった存在。
電波を、特定の波長でハルは放出し続けた。
「こうして、SOSを発しつづけて救援を待とう」
「前時代的なの! ……これで救援って、私たちの時代の、かつての日本でも来てくれるか怪しいわよハル様」
「まあね」
「でも、居るんですよねー、最適なのが」
「そうだったわねぇ……」
そうして待つことしばらく、期待通りに、その存在はハルの目の前へと表れた。
「にゃうにゃう♪」
「メタちゃん。素晴らしい仕事だ。おやつを追加してあげよう」
「ここからじゃ聞こえないですよー?」
そう、信号を飛ばした相手は機械の神、黒猫のメタ。
各地にロボットの分身を作り出し、地に満ち偵察をするこの神様ならば、世界中に存在するだろうとハルは踏んだ。
そして期待通りに、猫は降臨した。
「ちょっと待ってね、今、おやつの交渉をするから。あ、電波の受信機作るのめんどくさいな。メタちゃん、モールス信号で鳴いてよ」
「なうーん……」
「もういいわよ、私の負けなの。降参するわ?」
そうして、お屋敷にも居るメタからハルの本体を<転移>してもらい、直接精神を回収する。
その後にペナルティを受け動けなくなったマリーゴールドを、という算段であったのだが、その完全なる詰み状態を悟った彼女は、その段階で白旗を挙げた。
そんな風に、新たに気になる部分を生み出しつつも、マリーゴールドの陰謀は何とか退け、彼女を支配下に置くことに成功したハルであった。
今年は一年間、本当にありがとうございました。皆様のおかげで、一年の間、頑張って続けてくることが出来ました。
来年も変わらず、応援いただければ幸いです。
明日からは、新年の番外編を挟み、ハルたちは神界の外側へと挑むことになります。
では、よいお年を。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2023/5/10)




