第355話 迷いの森
以前にも何度か話題に出たように、フルダイブゲームにおいて、ユーザーが任意のタイミングで、いつでもログアウトできる機能の組み込みは必須である。
これはどんなゲームで、どんな状況であってもだ。
場合によっては、イベントの公平性を期したり、没入感の演出のために、入れたくないという運営も居るだろう。
だが、そういった主張が通った例は一切ない。安全性が、何より優先されていた。
《閉じ込められちゃったんですかー? それが、あいつの狙いだったと?》
──いや、そこは安心して良いと思うよカナリーちゃん。マリーちゃんは、『出入り自由』みたいなことを言ってた。
《直接ログアウトが出来ないってことですかー》
──なんにせよ、明らかに違法だ。他の神様にさっそくバラしちゃって。
《はーい。メタちゃんに言えばいいですかねー》
カナリーはもう神ではないため、以前のように直接連絡が取れなくなっている。
彼女が、天空城に常駐している黒猫のメタに、『大事件ですよー?』、と緊張感のない様子で知らせているのを眺めつつ、ハルは現地の状況把握に全力で努める。
この空間の、“位置”は何処なのだろうか。データ的な所在地指定のみで済む普通のゲームと違い、このゲームは現実の空間を必要とする。
よって、この妖精郷もこの星のいずこかに存在するはずだ。
「ハルさん? いかがなさいまして? 妖精が案内を始めるようですの。進みますわよ」
「ああ、悪いねミレイユ」
「ボサってしてるんじゃないわよ! 寝首かかれるわよ!」
「それはない」
「セリんぬ、その程度でハル君が倒せたら、私も苦労しない」
「誰よ、セリーヌ……」
状況把握をしている間に、他のメンバーは妖精に導かれてもう先に進んで行っている。
ミレイユとセリスに声をかけられてハルは我に返ると、その後を早足で追った。
色々と試そうとしたが、水着イベントの時と同じく、この体には制限が多いようだ。ご丁寧にスキルの殆どが使えなくなっている。
体の駆動方式も通常とは異なるようで、魔力の操作も思ったようにいかなかった。
「……深刻な顔だぜハル君。珍しいね。なんか気づいた?」
そのハルが上の空でいる様子が気になったのか、ユキが小声で気にしてくる。心配させてしまったようだ。今はユキとも精神が繋がっているため、分かりやすいのだろう。
マリーゴールドの思惑について、全力で思考を巡らせていたので、少々他が疎かになっていた。
「ああ、ログアウトが無い。現状だけで語れば、閉じ込められてる」
「うへえ、そりゃまた。ド違法じゃんそれ」
「そうだね。『櫃2』があれだけ頑張っても実現しなかった念願のログアウト不可機能だ」
とあるホラーゲームにおいて、緊張感を維持する目的で、いつでもログアウトが適ったら恐怖の演出など出来ないと、この規則に真っ向から抗議したゲームが存在した。
肯定、否定の意見が入り混じり、ホラーファン以外にも有名となった論争だ。
結局、その主張が通ることは無く、任意ログアウトは通常どおり実装される流れとなった。
その意趣返しであろうか、同シリーズの三作目では、ログアウトをゲーム性に取り入れ、ログアウト地点や状況、ログアウト時間による変化なども加えてきた意欲作となった。
むしろ、『ログアウトして現実に戻っても安心できない』、という恐怖を演出することに成功したようである。
なお、そのシリーズは四作目で打ち切りとなった。
ゲーム性が評価された三作目も、メーカーにとっては不服であったようで、次作ではホラー表現の強化に全力となった。『いつでもログアウトで逃げられるんだから、どんなに怖くてもいいだろ?』、といった開き直りである。
当然、怖すぎると抗議が殺到。フルダイブの恐怖表現に対する規制が設けられるに至った。
余談であった。もしその製作者がこの状況を見たら、ログアウトし次第、通報が飛ぶことに違いない。
「どうなるんだと思う、ハル君は?」
「たぶんどっかに、帰還ポイントみたいのがあるんだと思う」
ユキと話していると、すぐに森は開け、小さな妖精たちの飛び交う集落のような場所が見えてきた。ここが、このイベントの拠点となるのだろう。
「あー! 人間さんだ!」「いらっしゃーい」「人間さん、お話しよう?」「アイテム買って」「やしなって」「大きいね、人間さん」「どこから来たの?」「どこへ行くの?」「何を求めるの?」「にんげんさんあそぼー」「みんなー、人間さん困ってるよー」
「困ってない困ってない。むしろ感動してるぞお兄さんは」
「カオスさん、こういうの好きなんだ?」
「そりゃ好きさ。ソフィーちゃんは好きじゃないのかな?」
「うーん。小さいのは斬りにくいから……」
ソフィーの物騒な発言に。『ひえ~』、と散り散りになる。とはいえ、そんな時でも楽しそうな顔は崩さない。
喜怒哀楽の感情が、楽で固定されているかのようだ。やはり、下界のNPCと比べて人間味は薄く、普通のゲームのNPCに近いという印象を受けた。
「それでよ、妖精さんたち。ここには何で呼ばれたんだ? そこをまず、教えてくれんかね?」
「そうですね。これはマリー様に与えられたイベントな訳ですし、目的が知りたいです」
「えー? ぼくらは呼んでないけどなー」
妖精の群れに浮かれるものが多いなか、飛燕とシグムントが冷静に質問する。
そこは確かに気になるところだ。イベントをクリアしたら、という条件は与えられたが、何をどうしたらクリアという説明は受けていない。
だが妖精も、そこは知らないようだった。あくまで、ハル達は勝手に入ってきたということのようである。
「……じゃあ、どうやったらここから出られるかは教えてもらえる? どうもログアウトが、見当たらないようなんだけど」
「あ、本当だ。これ大丈夫なのかなハルさん? 色々なゲーム見てきたけど、ボク初めてだよこれ」
「あー俺もだ。なんだっけ? なんかダメなんだよな、無くちゃ」
「戻るのは簡単だよー人間さん」
動揺が広がりそうになったところを、妖精の軽い調子の声が遮り、彼女(彼?)に皆の視線が集まる。
今のは、少し恣意的なものを感じたハルだ。こちらの不安を察し、解決策を提案してきた。
やはりこの妖精は、こうした魔法的な生物なのではなく、ゲーム用のAIであると、その反応でハルは確信に至る。
優先的な質問事項、つまりは『イベントフラグ』を含んだ言葉に反応したのだ。
「この集落の周りの森は、迷いの森になってるんだ! そこに入れば、一瞬で人間さん世界に帰れるよ」
「そうなんだ。ありがとう」
「でも、ここに戻って来れるかは保障できないな~。迷いの森を抜けてくる人間さんなんて、今まで殆どいなかったからね!」
「これは、ヘタに戻れない、ということですの?」
「だいじょうぶだよミレイユさん。ぽてと、しっかり聞いてたから! 『途中で抜けても、中に入りなおすことが可能』なんだ!」
マリーが語っていた内容を、ぽてとが復唱する。それを聞いて、広がりつつあった不安の波が収束してゆく気配がハルにも伝わってきた。
集落を取り囲む森はすぐそこだ。妖精サイズの町、人間が少し足を伸ばせば、すぐに森へと到達する。不意のアラートが出たとしても、これなら困ることは無いだろう。
「どのみち、俺は強制切断が入るまで上がることしないし、特に変わらないわな」
「カオスさぁ……」
「凄いね、廃人。真似できないなぁ」
「マツバきゅん? 常識人ぶってるけど、チミも徹夜上等なのお兄さん知ってるからね?」
そんな廃人自慢も相まって、ひとまずログアウトボタンが存在しないことについては、不安も解消されたようだ。
あとは、実際に出入りができるかの確認が必要だろう。
「僕は、一度戻ってみようと思うけど、どうする?」
「俺はいい。元々、長期戦の構えで準備してきたからな」
「じゃあ、飛燕はこっちで情報収集しておいて」
「ああ、任された」
「私も、一度戻って準備してこようと思いますの」
「長期戦かんがえて無かったもんねお姉ちゃん」
ハルと、ルナユキのお屋敷組。そしてミレイユセリス姉妹が天空城へ戻り、マリーの使徒シグムントは先ほどの公園へ戻れるか試してみるそうだ。
残りのメンバーはこの妖精郷で情報収集をすることに決まり、ハルは迷いの森と呼ばれるその薄暗い木々のカーテンの中へと、身を投じるのだった。
*
森の中へと入ると、どこからともなく周囲に霧がかかり、同時に眼前にメニューが表示される。
内容は、『ゲーム本編に戻りますか?』、という確認と、戻る場所の選択だ。前回の場所、本拠地、ログインスペース、といった場所の選択が可能なようだ。
ただ、やはり直接ログアウトが選べない。これが何を意味しているのか、そこまではまだ判断ができなかった。
ハルたちは本拠地を選択すると、天空城へと一時帰還する。
「あ、来ました! おかえりなさいませ!」
「アイリちゃんただいまー」
「ただいま、アイリちゃん。どんな様子だったかしら?」
「見た感じ、いつもの<転移>と同じ様子でした。特に、変なところはありません」
「そう? ありがとう」
皆でただいまを告げ、ひとまず無事に戻れたことを安堵する。
ミレイユ姉妹はここへは直接飛べなかったため、休憩後に合流するとメッセージが来た。
「ひとまず、この体は前と同じみたいだ。……どこかに保管していた? いや、それなら意識が継続してるはず」
「それよりもハル? 今はあの空間について考えたほうが良いのではなくって? カナリーは何と言っているのかしら」
「カナリーが言うには、『神界ではない』、しかし、『神界に類する場所だろう』、ってことみたいだね」
今のカナリーは神界ネットに接続する力を失っているので、彼女の知識を生かすならばハルによる探索が必要となる。
今は、正確なことはまだ分からないようだった。
「じゃあさじゃあさ、ログアウトできないのは?」
「そっちは予想できるみたい。あの場所を、『前回の位置』として登録させたくないんだろう、って」
「位置を探られたら困るわけだ!」
「そういうことだね」
これにより、マリーゴールドが何か企んでいることは確定となった。その企みに、何も知らない普通のプレイヤーたちを巻き込んでしまったのは申し訳なく思う。
そんなあの地のことを語りながら、当のカナリーが待つ談話室へと足を運ぶ。
そこにはハルの本体も待機しているので、到着と同時に分身は消去した。
「私たちも、この体を一回消した方がいいのかしら?」
「おかえりなさいー。大丈夫だとは思いますよー? プレイヤーの体は、システム全体に監視されているので、悪さはできないはすですー」
「そうなのね? まあ、念のためよ」
「用心は重要ですねー」
「カナちゃんカナちゃん。あの妖精なーに? あ、カナちゃんは見てないか」
「ハルさんを通じてみましたよー。あれはきっと、マリーの奴が用意してたゲームキャラでしょうねー」
「ゲームキャラ? 見たことないけどな」
カナリーが語るところによれば、このゲームを、日本人にサービス提供するにあたって色々な案があったという。
今のハルたちがよく知る仕様以外にも、下界のNPCを一切からませない、本当に一般的なゲームと見分けがつかない仕組みでの提供も考えていたようだ。
その、没案ともいえる仕様の推進者があのマリーゴールド。妖精は、そのために準備した下地であるようだった。
「カナリー様、なんで、やめてしまったのですか?」
「アイリちゃん達のような現地の人への相乗効果を期待したのとー、それと……、私たち、一から全てを生み出して準備するの、苦手なのでー……」
「そうだったね。名前ひとつ付けるのも、一苦労だったもんね」
「ですよー……、ぶっちゃけると、現地を流用するのが楽でした」
カナリーの顔からは切実なものがにじみ出ている。その様子は、手抜きをしたというよりも、そうせざるを得なかったという事情がありありと感じられた。
一から世界を作り上げるのは、労力的にも非現実的だったようだ。
そんな、マリーゴールドという人物の背景が新たに明らかになった。
その、提案していたという当時のゲーム、それが忘れられないのだろうか? ハルたちを利用して、その計画を再始動させたがっている?
いまいちしっくりと来ないハルだ。なんにせよ、早合点は危険だろう。まだ情報が少なすぎる。
休憩と情報交換は手早く済ませ、再び、あの妖精郷へとハルたちは赴くことに意を決するのだった。
※更新停止中のお知らせをする前書きを削除しました。




