第348話 元神さまと亜神さまの、小冒険
マリーやジェードと会ってから数日後、カナリーが街に出たいと言い出した。
日本の街のことではない。この天空城の、眼下の王都に遊びに行きたいということだ。
カナリーが民の前で、神の座を辞することを宣言して空へと昇ったのが秋のこと。あれから季節はひとつ移って、今はすっかり冬になっている。
あのときカナリーは、『たまに遊びに来る』、とも宣言していた。その約束を果たそうというのか、はたまた、本当に遊びに行きたいだけか。
「でもいいの? シャルトには、ついでにシンシュ王子にも、来るときは事前に知らせてくれって言われてるけど」
「いいんですー。私が遊びに行きたいんですー。それに、あいつらの言う事前って、一ヶ月以上前とかじゃないですかー」
「まあ、遊びに行く感は薄いよね」
「ですよー? それだと、表敬訪問ですよー」
万が一にも尊いその身に害が及ばないように、事前に民に周知し、当日は騎士団ががっちりと護衛するだろう。
カナリーの言うとおり、遊びに行く感はゼロだ。
「護衛なんて、ハルさんさえ居れば世界さいきょーなんですから」
「まあ、君は今かつての力を全て失っているんだし、警戒が必要なのは事実だけどね。僕の傍からは離れないでね」
「はーい」
ついでに、ハルはせっせとお仕事中のメイドさん達にも声をかける。カナリーが地上へと降りれば、現地は混乱が予想される。
王子の胃をあまり痛めないように、周辺の様々な事情への対処はメイドさんにお願いしようということだ。
敬愛するカナリーのため、お仕事の途中なれど快く引き受けてくれた。せめて、仕事は分身が引き継ぐとしよう。
そうして、メイドさんを事前に<転移>させ街へと送り出すと、ハルとカナリーは浮遊島の端へと手をつないで進む。
そこから勢いをつけてジャンプすると、今は下に小さく目に映る王都へと、飛び降りて空から入場するのだった。
*
「うおー? 派手ですねー、輝いてますねー」
「いちおう、全くの予兆なしってのも、ね。天空城からなんか出てくるってのは、分かりやすく教えておきたい」
「王子様の胃のためですかー?」
「……これをシンシュ王子が見たら、それこそ胃を痛めそうで心苦しいけど」
飛び降りると同時にハルはカナリーを引き寄せて落下速度を落とし、自分たちの周囲に神々しい光のエフェクトを展開する。
特に効果はない。見た目が良いだけの魔法だ。
地上からもよく見えるように。『これから、神がそちらに行きます、覚悟しておいてください』、ということを視覚的にお知らせする。
「お知らせしたところで、何か出来ることも無いと思いますけどねー」
「それでもまあ、覚悟をすることはできるよ」
「むー、私は会うのに覚悟の必要な存在ですかー」
神様だったのだ、仕方がない。日本人で例えるのは、少し難しい感覚だ。
尊敬する人生の師や、熱狂しているアイドル。自分にとってそういった存在が、急に自らの住む街へと来ることが分かった、といった感じだろうか。
ハルには、どちらも該当が無いのであくまで想定にすぎない例えだが。
そうして光を発しながら、ハルとカナリーはかつて飛び立ったのと同じ広場へと、派手に舞い降りた。
あの日とは違い、人はまばら。しかし、それでも多くの人によって賑わっている中に降り立ったのだ。皆、遠巻きに何が起こるのかと固唾を飲んでいる。
その中からカナリーが姿を現すと住人たちは歓喜にわき、同時にハルの姿を認めると、その神気の威圧に圧されて一歩下がってしまった。
「むー、ハルさんー、オーラ抑えてくださいー。自然におさんぽできませんよー?」
「僕が神気抑えたら、それこそお散歩なんかできないよ。全員が君に寄ってきちゃう」
完全に一般人として街を散策したいのであれば、以前ハルたちがやったように認識阻害の魔法を使って、実際とは違う姿を錯覚させるしかない。
しかしそれでは、カナリーが姿を見せに来たことにはならないので、また今度の機会とするしかないだろう。
今は、この梔子の国の首都は、『さいしょのまち』、ということもあってプレイヤーの姿も多い。完全に見咎められないのは至難の業だ。
「まあいいでしょー。それよりまずは、おやつですよー、ちょうどそこに屋台が出てますー。買いにいきましょー」
「はいはい」
きっと、買うことは出来ないだろう。ハルは口には出さないがそう予想をつける。
実際に、その想像どおりに、屋台の店主は代金を受け取らなかった。しばらく押し問答を続けていたカナリーだが、時間が惜しいと思ったのか、素直に商品を受け取り、ハルのぶんを差し出すとふたりで食べながら並んで歩いていった。
「カナリー焼きだね」
「ええ。おいしいですねー。まだそのまま残ってたんですねー」
「そんな感慨に浸るほど時間は経ってないでしょ。残ってなかったら、それはシャルトの陰謀だ」
「それか、私に神望が無かったかですねー。さっさと名前変えたいと思ってたって感じでー」
「でも、実際は大切に名前を守っていってくれた」
「こそばゆいですねー」
焼きたてサクサクの生地を噛み切ると、中から黄色いクリームがあふれ出す。カナリー色のクリームを使った、カナリー焼き。
彼女を愛する民の国民性を凝縮したようなそのお菓子をかじりながら、ふたりは道を進む。
街は、平和その物のようだった。ハルの神気に圧倒されているので、騒ぎが無いのは当然ではあるのだが、それでも人々の表情が明るいのは分かる。
気おされつつも二人の姿をしっかりと見据えるのは、後ろ暗いことが無く、明日への不安も抱えていない証拠だ。
……少々、まっすぐすぎてハルには居心地が悪い。
カナリーが、口についたクリームを取ってくれとおねだりしてきた時などは突き放して自分でやらせようかと、少々迷った。
結局、それを丁寧にぬぐってやると、周囲のギャラリーが一斉に控えめな歓声をあげた。
「……僕も、ただ見てる立場なら純粋に、『カナリーちゃんかわいい』ってだけ思えるんだろうけど」
「じゃあ、ほかの人に私の口を拭かせますかー」
「それはダメだね」
「でしょー?」
「……自分で拭くという選択肢は無いのか」
「それだと尊くないですー」
よく分からないことを言っているカナリーだ。
その後もそうして尊さとやらを振りまきながら、ふたりは街のあちこちを練り歩いた。
お菓子のお店や屋台があれば必ず立ち寄り、自慢の品を貰って食べる。ハルは、そのたび消化の加速処理に少々頭を悩ませていた。
カナリーの立ち寄ったお店は、この先は鼻が高いだろう。『神様御用達』、などといった宣言で他店のマイナスにならないように、少し目を光らせておく必要がありそうだ。
「なるほど、そういう不公平をなるべく避けるためにも、目に付いたお菓子屋さんは全て立ち寄ってるのか。なかなか考えてるんだね」
「何をいってるんですかー?」
「……やっぱり、ただ食べたいだけか」
彼女が意識しているか否かはともかく、その方が街にとっては良いことだろう。
なら今日のこの時は仕方がないと、ハルは自身とカナリーの体内のナノマシンをフル稼動させて、消化にあたる。
期せずして最も得したのがカナリーなのは、言うまでもない。
*
「にゃうにゃう!」
「おやー? メタちゃんですねー。これは現地のメタちゃんですかねー?」
「そうだね。ロボット猫さんだ。こんにちはメタちゃん、この個体の縄張りかな?」
「ふみゃーん」
邪神、この地より外の神様である黒猫のメタは、自身の分身ともいえるロボットを、こうして各地に潜入させている。
見た目はただの猫であるそれは違和感なく周囲に溶け込み、各地の情報収集を行っているようだった。
いつの間にかこの梔子の国にもメタの手は伸びており、こうして野良猫を装ってこの街を徘徊していた。
「どうしたの? 何か用事かな」
「私たち、デートなんですよー? 邪魔しちゃ、ダメなんですよー」
「なうー」
ふたりの周囲をくるくると二、三度回ったかと思えば、メタは先導するようにゆっくりと歩いて行く。
どこかに案内しようというのか。特に目的地も無かったハルとカナリーだ。いい感じのサプライズになると思い、そのまま黒猫の後をついてゆく。
常に人だかりが出来ていたハルの周囲だったが、メタの後を追ううちに次第にぽつりぽつりと、人の数が減っているようだ。
そうして細い路地を進み、少し急な細い上り階段に足をかける頃になると、周囲からはあんなに居た観客たちがすっかり消えているのだった。
「猫の後を追っていたら、いつのまにか人ならざる者の領域へと入ってしまった」
「この階段も雰囲気でてますねー。人気の無い山の神社への道、って感じがしますよー」
「ふみゃう~」
小冒険の気分でふたりが盛り上がると、『悪者にしないでくれ』、といった感じでメタから抗議の声が上がる。
だが、実際にそんなお話の一節にでも出てきそうな空気感の小道だった。階段のすぐ脇には木々が立ち並び、薄暗い。
この階段を上れば、その先は異界に通じている、そんな神秘性を感じる空間だ。
きっと、そんなことは何もなく、地元では抜け道として知る人ぞ知るだろう小道を登りきると、その先には整えられた空間が広がっており、一軒の店が居を構えていた。
「にゃんにゃん♪」
「ここに案内してくれたのメタちゃん?」
「なう!」
「猫の額のような土地に、隠れ家的なお店ですかー」
にゃうん、とメタは得意げだ。地元では(メタの地元ではないのだが)知らぬ場所の無い猫たち、その情報網を垣間見た思いだった。
せっかくであるので、ハルとカナリーはその店の扉をくぐる。どうやら、落ち着いたカフェ、といった感じの、小料理店のような内装だ。
古くからの、と相場が決まったこのような店だが、よくよく観察してみれば建てられたのはつい最近のようだった。
「いらっしゃいませ。よくお越しくださいました」
ハルたちがしばし雰囲気を堪能していると、奥から店員らしき人物が姿を現す。
他にお客は居ないようで、暇していたのだろうか。隠れ家的な立地であるこの場所だ、それも仕方ない。
「ここには街のものは参りません。どうぞごゆるりとお寛ぎください、カナリー様、ハル様」
「むー、街のひとたちの顔を見に来たんですけどねー。まあ、いいでしょう。今は、貴方たちの土地ですからねー」
「カナリーちゃん、分かるの?」
「これでも、元、神様ですからねー」
その、店員らしき人物の情報をAR表示で確認すると、彼のパネルの色は黄色く染まっていた。つまりは、現行の黄色の神の、シャルトの信徒であるようだった。
彼に、ひいてはシャルトに誘導されて、この店へと連れて来られたのだろう。道中に、少しずつ人が消えて行ったのも彼らの人払いによるものだ。
「お二人の散策を邪魔してしまい、心苦しく思うのですが……」
「いいや、小冒険みたいで楽しかったよ。素敵な案内をありがとう」
「そうですねー。人の目の無いところでのんびりも、それはそれで悪くありませんしー」
「恐縮にございます」
言葉少なく、彼は店の奥に戻って行く。実際に、お茶や食事を出してくれるようだ。信徒に任命される前は、料理人であったのだろうか。
「アイリちゃんの後継者ですかー」
「なるほど、確かにそうなるのか」
「アイリちゃんも来れば良かったですねー?」
「仕方ないよ。この国の王女様まで来たら、更に収集がつかなくなるし」
とりあえず、今はカナリーとふたりきり、この隠れ家でのんびりと国のことを想って過ごす。
料理はやはり彼の手によるもののようで、なかなかの腕前だった。
この店に誘導されたということは、大人しくしていろということだろう。今日の散策は切り上げて、残りの時間はここで過ごすこととした。
「……あまり、混乱は無いようで安心しました」
「やっぱり気になっちゃうか」
「ええ、自分の目的のために見捨てたようなものとは言え」
「そんな言い方しないの」
自らが守護してきたこの地、この国。その行く末がどうなるのか、気になってしまうのは仕方の無いことだろう。
例え、事務的な契約で導いてきたのだとしても、長い時間見守ってきたのだ、愛着もわく。
「ハルさんが王になるはずだった国ですよー? 良い国でしょう。今になって惜しくはありませんかー?」
「まだそれ言うか。照れ隠しでおふざけしないの」
「冗談ではなかったのですけどねー」
「まあ、それは感じてたよ」
このゲームを始めた最初の頃。カナリーはハルに覇道を歩ませ、この地の王にさせようと誘導しているフシがあった。
結局ハルはついぞその道へは踏み込むことは無く、カナリーの願いを叶えるに至った。
もし、そうなっていたら今どんな状況であったのか。そのもしもを語らいながら、ハルとカナリーはふたりだけの静かな食事の時間を続けてゆく。




