第34話 戦女神
「すごいですー……、目が回らないのでしょうかー」
かたわらに座るアイリが目を回しそうになっている。高速で動き回る物体を、律儀に目で追おうとすると酔いやすい。
カメラは通路の中央を進むように設定し、ブレは最小限になるようにしたが、この世界の住人は、まず映像を見るのに慣れていないだろう。
目の前に指を一本出してあげる。きゅっ、と視線がそこへよって行く反応がかわいらしい。
「僕らは慣れてるからね、あんまり目で追わない方がいいよ」
「そうします! でも変な気分ですね。ハルさんがここに居るのに、ハルさんの映像が届くのも」
「変な話だけど、僕もそうだよ」
ところは変わって、こちらはアイリの屋敷。ハルにとっても、自分の映像を自分で観戦するのは変な気分だ。
リプレイを見るのなら分かる、だがこれは生放送だった。
今この瞬間にも、向こうのハルは跳ね回りながら視界をめまぐるしく回転させている。
一方で、こうしてアイリとゆっくりと、落ち着いた視点でそれを眺めている。視点を複数持つ事に慣れたハルであっても、飛びぬけて妙な経験だった。
「でもやっぱり、ハルさんもユキさんも凄い方です。メイド達もみな驚いていますよ」
「最初に見せる映像が、こんな事になって申し訳ない……」
メイドさんがゲームウィンドウを見えるようになって、初めての生放送ということで、今は全員が仕事を中断して観戦してくれている。アイリのはからいだ。
今まではアイリと、ルナとユキの三人で見る事はあったが、彼女たちメイドさんは蚊帳の外だった。それを実際に体験して理解してもらおうというものだ。内容については、まあともかく。
「お二人の凄さは伝わっているので大丈夫です!」
「ありがとうアイリ」
そんな跳ね返りっぱなしのテニスボール達も、そろそろ終点に着くようだ。いわゆるボス部屋が見えてくる。
大きな扉を開けていくとその先には、狭かった洞窟の道からは考えられないような、開けた空間が広がっていく。
空間はドーム状にくり抜かれ、壁には神秘的な雰囲気をかもし出す彫刻が施されている。石窟寺院といったところか。
その中央に、この寂れた空気に似合わぬ、鮮やかな青色をした鎧が無造作に横たわっていた。
「あれが相手なんだろうね。少し、向こうに集中するね」
「はい! わたくし、ここで応援してます!」
「応援の声がすぐ傍で聞けるのは、僕だけの特権かもね」
この分身の、もっとも素晴らしい利点かもしれない。
そんなアイリに送り出されるように、ハルは思考領域の大部分を画面の向こう側へと移していった。
*
そうして意識はこちらへ。
ユキと共にたどり着いた広間、その中央に向かって歩を進めてゆく。
外周にずらりと配置された篝火が、ふたりの足元に何本もの影を伸ばしていく様子が少し不気味だ。
「いよいよだ。昂ぶるね」
「ユキが期待するほどの相手なの?」
「これまでのボスも結構強かったからね。ハル君はCPU戦は嫌いだっけ」
「嫌いじゃないよ。ああ、奴ら視界のゆさぶりが効かないの、嫌い」
「ハル君の得意技だもんねぇ」
ユキは『反射での対応』を楽しむため初めてのボス戦の攻略を好む。
一方ハルは『安定した対応』の構築を楽しむため、戦いそのものよりも行動パターンの解析を好む。
いずれにせよ、対人戦とはまた違った趣だ。
そんな二人がそれぞれの心境で身構えるが、鎧は動き出す様子が無い。
「あれっ、始まらないね。まさか謎解きしないといけないとか、無いよね」
「僕ら、道中をスルーしちゃったから、あれ全部倒さないといけなかったとか?」
古来より簡単な謎解きのギミックがあるゲームは多い。ここであれば、壁際のレリーフの中にスイッチがあって、それを決まった順番で押す等であるとか。
一応、小学生でも解けるように簡単に作られているのが基本だが、視点が違うと、大人でも何時までも解けなかったりする。
そういった物があるのかと、ユキとふたり辺りを見渡していると、倒れた鎧を挟んだ広間の奥に急に光が射した。
まばゆい、というよりは柔らかい光だ。天井は塞がれているのに光のカーテンが射し込み、神秘的な印象を感じる演出だ。
そう、これは演出だ。周囲の光を集めるように、ゆっくりと形作っていく光は、“これから何かが始まりますよ”という様子を雄弁に語りかけていた。
「イベントだねハル君」
「タイミング良いね。この見透かしたようなタイミング、何となく察しが……」
光は焦らすようにゆっくりと、人の姿へと集まっていった。
◇
姿を現したのは、ハルと同じくらいの背丈の少女だった。
ハルとしては意外だ。もっと背の高い、威圧感のある姿を想像していた為だ。
澄んだ水色の髪をなびかせながら、この世界に形を固定していく。
体は武を司る者らしく、これも青色の鎧で身を固めていた。鎧といっても、ここまでの道中出合ったような、全身を覆う鎧ではない。要所のみを守った軽いものだった。
防御よりも動きやすさ重視なのか。いや、彼女もハル達と同じ魔力の体だとすれば、装備の見た目と防御力に関係はないか。
「よくここまで辿りついたな。私はセレステ、武の女神セレステだ」
透き通った声が響く。
凛とした力強さを感じさせながらも耳に心地良いそれは、カナリーと同じ神であると感じさせる。聞きやすさを重視しているのだろう。
「セレステちゃんだね」
「うむっ」
因縁浅からぬハルに対して、敵対心むき出しかと思ったらそうでもないようだ。フランクな態度にも微笑をもって応じてくる。
「ハルだよ、よろしく。ほら、ユキもご挨拶」
「敵では?」
「敵だけどね」
「敵には拳で、挨拶すべき」
動く人型の物体の登場に、ユキは完全に戦闘態勢になってしまっていた。イベント演出が無ければ既に飛び掛っていたかもしれない。
まさに、待ちきれないといった様子だが、そのままセレステと戦闘に入るという事はないようだ。
「はは、生意気なやつらめ。だが良いのかな、そんな態度で? 知っているぞ、配信しているのだろう。それに乗せて、キミたちの秘密をばら撒いてやっても良いのだぞ?」
「えぇぇー……」
台無しであった。配信とか言ってきた。
神聖な雰囲気を返してほしい。豪華なイベント演出はなんだったというのか。場は一気に俗っぽい雰囲気へ早変わりする。
確かにカナリーとの関係など喋られては、ハルとして困るのは確かなのだが。
カナリーとはまた違ったタイプの癖のある神様のようでだ。ルナが高圧的だと評したのもうなずける。独特の残念さは、何だかカナリーと似通っているが。
好きな人は、好きかもしれない。
「そんな事言って、“君たち”は人の個人情報を勝手に漏らしたりはしないでしょ」
「うむ、よく知っている。勉強家だな。だがもう少し戯れに興じてくれても良いじゃあないか」
彼女たちは自分から秘密を語ることは出来ない。既にそれはよく分かっていた。
代わりにこちらから、セレステ以外の神の存在を匂わせて放送に乗せてやると、露骨に嬉しそうな表情をする。このあたりも、カナリーと同じものを感じる。
……それだけに留まらず、わざわざカメラに入らないハルの影に隠れ、手振りを交えて『もう一声欲しい!』とアピールしてきた。
露骨だった。大丈夫だろうか。またつまらない事でペナルティ負ったりしそうだこの神。
隙をついてハルがカメラを動かすと、しれっと澄まし顔に戻る。AIの能力、全力で有効活用していた。
陰謀家であり、次々に攻めの手を打って来るといった武神セレステのイメージは、もはや欠片も残っていない。全滅だ。まあ、それを返して欲しいとは言わないが。
「……それで、武の女神様が何の用なのかな? ここを突破した“強い人間をスカウトしにきた”の?」
「ふむ。それもやぶさかではないが、今回は違う。興味があるなら、私の領域まで来るがいい。歓迎しよう」
すっ、とスライドしてハルの影に入り、ぐっ、と親指を立ててきた。
……完全な茶番であった。戦闘準備を整えていたユキまでも笑いを堪えている。ハルはそんな二人をカメラに入れないようにするのに、微妙に苦労していた。
「それで、その領域ってのはこの先なんだよね。それがこのクエストの目的だったはずだけど」
「そうさな、本題に移ろう。今回は試験だ。見事突破し、この先へ進む力を証明してみせろ」
セレステの目が細まる。
ふざけた雰囲気が一瞬で鳴りを潜め、場が一気に緊迫感で支配された。ユキがふたたび構えを取る。
セレステが手をかざすと、中央の鎧が息を吹き返し起き上がっていく。
立ち上がると、大振りな腰の剣を抜き放つ。そうすると見る間に魔力のオーラがそれを青く覆い、輝かせた。あれは<魔剣>であろうか。
「ここでは特別ルールがある。<魔法>と名の付くスキルの一切は使用禁止だ」
「いきなりキツくない?」
「望むところっ! 打撃がぜんぜん効かなかったアイツよりよっぽど楽だね」
「そんなのも居たんだね」
こんな土壇場で宣言とは意地悪な神様だ。魔法に頼らず、女神へ武を示せというのか。
ウィンドウを確認してみると、魔法と名のつくスキルが黒く、選択不能になっている。人によっては絶望的だろう。
恐らく、狭い通路に魔法の飽和攻撃を撃ち込んで進んできたと思われる、ファンクラブの彼女たちは絶対に突破できない。鬼のような仕組みである。
「最後に頼れるのは己の肉体のみだと知るが良いぞ」
「でも僕らの体も、魔法じゃん?」
「うむっ」
「セレちん答えになってなーい」
外界に働きかける魔法など邪道、自らを構成する魔力を上手く使ってこそ、という事なのだろうか。
考えたところで魔法が使えないのは変わらない。セレステは、こちらの心構えの時間を与えることなく開始してくるようだ。しなやかな手が掲げられる。
「さあ、キミの武を見せてみろ」
セレステの宣言で、試験が始まった。
◇
戦闘開始の宣言が出される前、敵の頭上にステータスのAR表示がされた瞬間に、ユキは飛び出していった。やはり、そこに一切の迷いは無い。
ハルは一歩下がったままそれを観察する。
《青》 所属:女神セレステ
瑠璃色の番人:Lv.(モンスター)
HP2000/2000
MP2000/2000
───
加護:武神の加護
武器:蒼剣ブルーウィンド
防具:誓鎧トリニティ
──レベル100。大台だ。反応はまあまあか。でもあれじゃあユキには対応出来ない。
ユキのスピードはいつもより遅い。といっても十分高速であるが。
<加速魔法>も魔法のうちなので、禁止されているためだ。それでも様々な対戦ゲームで鍛えた体運びは、自身を一瞬でトップスピードに持っていく。
番人モンスターは、飛び込んで来るユキに合わせ剣を振りかぶるが、遅い。瞬く間に距離をゼロにされ、<魔拳>による拳が叩き込まれる。既に三発。
ようやく番人も剣が間に合うが、ユキによって剣の柄に強引に拳を打ち重ねられる。勢いが殺された。
つっかえ棒のように剣と地面に縫いとめられるユキだが、その体勢のまま強引に、大量のMPを乗せた蹴りが放たれた。
「っらあぁぁああ! ハル君、やっちゃって!」
吹き飛ばすまではいかなかったが、ぐらりと上体をのけ反らせる大鎧。
ハルは<飛行>でそれに迫る。これは魔法と付いていないからか、禁止されていない。ズルい気もするが、ルールの範囲内だ。
十二分に育った<飛行>は、地を蹴る以上の速度で鎧へ迫る。
HP1246/2000
MP1894/2000
ユキの攻撃によって、既に多大なダメージが通っている。<魔拳>の威力とはこれ程のものなのか。どうやらボスの鎧が持つ防御力であろうと、ユキにとっては恐るるに足らないようだ。
ハルも肉薄しつつ自慢の武器を取り出す。残念ながら近接戦でハルが頼りに出来るのはこの剣だけだ。
腕を上げた状態でのけぞる鎧の、無防備にさらされた腹に亜神剣を通す。
するり、と刃が吸い込まれてゆき、何の抵抗もなく瑠璃色の番人は真っ二つになった。
「口ほどにもないね。口は出してなかったかも知れないけど」
「私とハル君が組んでるんだ。当然だよね!」
あっさりとボスモンスターは撃破された。プレイヤーと同じように、モンスターも体が切り離されると多大なダメージを負うらしい。一気にHPは0になった。
鋭すぎるこの亜神剣と、その仕様はあまりにマッチしていた。王子のようなシールドでも無ければ敵無しだ。
ウィンドウを見ると、クエストクリアの表示が出ている。
「ふむ、相手にもならなかったか。ではもう一戦いこうか」
「話せるじゃん! 消化不良だったんだよね、こんなんじゃ!」
「『クエストクリア!』って出てんですけど。神様、自由すぎるなー」
どうやらセレステ的には、盛り上がりに欠ける戦いだったようだ。ボスモンスターが再生されていく。一瞬で構築し終わる手際は見事なものだ。ハルは変な部分で関心する。
確かに一つの節目であるこの依頼、あっさりと突破されすぎた感はあるだろうか。
それとも配信しているので、また見所のある場面でも作り出したいのか。
なんにせよカナリー同様、この神様もかなりのマイペースなようであった。
※誤字修正を行いました。
追加の修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2023/3/13)




