第339話 互いに譲れぬもの
「お考え直しくださいませ、ハル様」
「確かに、君の言うことは一理あるだろう。僕としても議論する余地はある」
「ならば」
「だけど、その話を切り出すならば戦闘を仕掛ける前にすべきだ。人質をとって、話を聞いてしまいそうな空気に仕向けるのは、いかがなものかね?」
そもそも、互いに言葉では平行線になるだろうことが分かっているからこそ、勝負の結果に結論を預けたのだ。ここで言葉を交わすことに意味はない。
「言うことを聞かせたいなら、まず僕を倒すことだね」
「……そうですね。では、お覚悟を」
逃げだとは分かっている。僕は彼女から、更なる正論による追及が来るのを避けたのだ。
だが、どんなに言葉を重ねられても、意思を曲げる気はないのもまた事実。言葉を重ねれば、戦意がにぶる。
「大切な方々を巻き込まないよう、お気をつけ下さいませ」
「……ッ! そう言いつつ容赦なく巻き込む気で広げてくるとか! いい性格してる!」
「お褒めにあずかり、大変光栄に存じます」
「褒めてないっての!」
相変わらず派手な動きはないが、彼女から放たれる冷気のレベルが上がった。
露草の周囲の空間など、一部もう空気が気体であることを止めているのではないか。あんなものを生身の人間がぶつけられたら、一瞬で氷の彫像だ。
「メタちゃん、メイドさんの避難は!?」
「にゃんにゃん!」
「そうか、ありがとう!」
「……日本語で会話なさい」
「にゃう。猫であるゆえ」
この全範囲攻撃から多人数を守るのは難しい。メタは分身の機械猫を使って、既にメイドさん達を退避させてくれていたようだ。日ごろのご飯の感謝だろう。
そのメイドさんと、眠ったままのユキの本体を日本のユキの屋敷へと<転移>する。現状、日本は絶対的な安全地帯だ。神の力は決して届かない。
「みんなも避難して!」
「私ここで見てる! 自分のことだもん!」
「ユキ……」
「私も残りますよー。ハルさんは大言を吐いたなら、いつだって、どんな時でも私たちを守らないとダメなんですよー?」
「わたくしもです! 大丈夫です、ユキさんの体、ぽかぽかですから!」
「あんまりひっつくでない、アイリちゃん……」
露草とは逆に、高温にて身体制御するユキのからだを湯たんぽ代わりに、アイリがしがみついている。
カナリーも、『ゾたんぽ』を始めとする魔道具を抱きかかえて暖をとっていた。
最初の目的とは違うが、有効に活用されて何よりだ。
「……この浮遊島、思うように冷やせませんね。これは、何も貴方様の魔力が満ちているから、それだけではありませんね?」
「ああ、この島は今、周囲をまるごと環境固定装置で覆っている。つまり内部は強引に、快適な環境に固定されて維持されるんだけど……、君の力の前には不足のようだね」
「そんなことはございません。素晴らしき人類の叡智であると賞賛いたします。何もなければ、既に島ごとひとつの氷山と化していたでしょうから」
「ゾッとしないね」
本来は、外部の劣悪環境を遮断するバリアとしての装置だが、内部の環境を設定どおりに整える副次効果もある。
現状においては、眼下の王都へこの被害を流出させない逆のバリアの役目も果たしていた。
範囲がこの天空城全域とあって、消費するエネルギーも馬鹿にならないが、それは<物質化>を<降魔の鍵>に接続して強引に捻出していた。
露草はゲーム全体の敵となりえる。今だけは無駄遣いも大目にみてもらいたい。
「ねえ貴女? ハルにご高説を論じる割には、やはり、やり方が強引すぎるのではなくって?」
その容赦ない攻撃を見て、今までずっと口を閉じていたルナが指摘する。
カナリーも言っていたことだ。彼女は、露草はこの世界の住人に対しての容赦がまったく存在しない。
もちろん、理屈の上では分からないでもない。別の世界の住人、しかも場合によっては日本人の害になる事だってあるこの世界だ。
だが、個人の人権を語る一方で、多人数を巻き込む攻撃を是とするそのやり方は、やはり人間から見ると都合のよさを感じてしまうものだった。
「ダブルスタンダートもいい所よ? 私たちも、貴女のような人に自分の権利など語ってほしくはないわ?」
「優先順位の問題です、ルナ様。私にとって、最上位なのは貴女がた、日本の人間です」
「それ以外はどうでもいいと?」
「はい。些事にございます。私は、AIですので」
その、些事であると言い切る姿勢にルナの目が厳しくなる。
ここは、僕であれば納得してしまうところだ。僕自身も、そういうところがある。彼女たちの事が最優先。それ以外は、瑣末な事象として切って捨てられる精神性がある。
一応、可能な範囲は守ろうと思ってはいるが、全てとはいかない。
見えるもの全てを守りきるには、僕らには見えるものが多すぎるし、手の届く範囲が小さすぎる。どうしても、『分類』は必要になるのだった。
「なら、ハルの最上位なのは私たちよ。以前、本人からそう聞いたわ? 尊重なさい?」
「……いたしかねます。それでは、我らの倫理規定が」
「それを通す権限は貴女にあって? 意見が衝突したならば、上位者に従いなさいな」
「あの、お嬢様ー? その辺で勘弁してあげて?」
「なら、ハル。後はあなたが何とかなさいな。論理か感情かどっちつかずで、とても見ていられないわ? この子」
その言葉は、少し僕にも刺さる。感情で決めたはずなのに、未だに理屈の部分でうじうじと思い悩んでいる所がある。
「……まあ、どの道どちらも譲る気はないんだ、僕たちは。だったら、戦って勝った方が、望みを果たすとしよう」
「……了解です、ハル様」
その投げやりともいえる提案に、露草も乗ってくる。こころなし、ほっとした表情をしているのは気のせいだろうか。
彼女もまた、やりきれぬ矛盾にさいなまれているのかも知れない。
ならば、『負けてしまったのだから仕方ない』、そういう逃げ道を与えてやろう。そんな身勝手な理屈を通すため、僕は露草の攻略、その最終局面に挑むのだった。
◇
「ですが、どうなさるのです? 物質であるこの体、貴方様の万能の魔法は効かない、超低温であるため、エーテルも効かない」
「条件さえ整えば、どっちも行けるんだけどね。例えば、君が家から離れてくれるとか」
「そうされないよう、この場所へ参りました」
この天空城を巻き込まない位置ならば、大規模魔法で破壊しつくしてしまえばいい。だが、それをするにはまず彼女の体を動かさねばならない。
体の範囲は<魔力化>や<転移>などの干渉をガードされてしまうので、それを使った一撃必殺も効きそうにない。
やっかいな事を考える相手だ。
だが、それでもコア以外は単純な物質であることには変わりない。精密にデータを巡らせて、肉体としての動きを作り上げている。
つまり、データの送信経路を邪魔してしまえば、身体が動かせなくなるのは同じなはずだ。
「魔法も物理も効かないなら、あとはこれしかないよねっ!」
どんな体の形であれ、コアからのデータ送信で動いているという点は変わらない。
ならば、こちらも同条件のもの、つまり自分の肉体でもって直接接触し、相手のデータをかき乱すのが一番早い。
「女性の胸元に手を入れるのは、いかがなものかと」
「冗談も言えるんだ。……その体、液体の表面を人型に整えているだけでしょ」
「……気分的な問題です」
「そりゃすまない」
彼女は、格闘戦をするタイプではないので最初の位置から微動だにしない。
その寒気渦巻く世界の中心部へと飛び込むと、彼女の体の芯へと腕を差し入れる。言われてしまったように、ちょっと絵的にマズイ感じになってしまったので、おなかの方へと位置をずらした。
「うわっ! マジか、冷たすぎるだろ……」
その、ほんの少しの動きだけで、差し込んだ腕は手首からボロリと砕けて、消滅してしまった。回復するも、修復速度も遅く感じる。
「物理的な環境に影響を受けない魔力ですが、式として組みあがったものは特別です。物質に干渉するための力を放ち、半ば物質としての性質を兼ね備えます」
「……つまり、物理的な影響だって逆に受ける」
「はい。それが、『ダメージ』です」
いかに温度変化に強いプレイヤーの体とはいえ、液体窒素に腕を突っ込んだに等しい冷たさは想定外だったようだ。
信号を送り込もうにも触った傍から構成が崩壊してしまい、露草の体を崩すまでの時間が担保できない。
「直接の接触に来た、ということは、万策、尽きましたでしょうか? それで無理ならば、もう手はないのでは?」
「この体のままならね」
「……貴方様の体は、この地の同盟における研究成果の最上位。いわば神と同等にまで至っていると聞き及んでおります」
「この大きさのままならね」
僕の体の構成は、彼女の言うとおりこのゲームにおける最終段階のものだ。個人による方向性の好みはあれど、構造の強固さは神の身体と同等。
神には更に本体の降臨があるが、僕の本体は人間の身体だ。あれで突っ込んでも仕方ない。
だがそれは、人間の体の範囲内に収めるならば、の話になる。
更に巨大に変身すれば、更なる出力を得られるのではないか。この体のデータをマゼンタから得たセレステ戦時に、そう考えた。
そして、今日までその開発を進めてきたのだ。
「いくよ露草、決着をつけよう。『天使化』」
◇
ルシファー、無尽蔵に生み出されるナノマシンの雲をその体とした、僕らの切り札。その構造は、ちょうど今の露草に近いものがある。
とはいえそれは増殖力に任せた強引なものだ。悔しいが技術力は一段劣る。
今回、使うのはそのルシファーではない。言うなれば、その準備段階。
ルシファーは超大量のナノマシン群を使用する関係上、どうしてもその出現までに時間を要する。それを、補助するために作り上げたのが、“今のこの体”だ。
僕自身の体をルシファーと同等まで強大化させ、骨子とする。完全出現までの無防備な時間を、自分自身の体で補う。
シャルトのアドバイスから着想を得た、『変身魔法』だ。
「羽持つもの。巨大な天使、ですか。ですが大きくなったとて」
「ああ、そう単純に強くはなれない。巨大であればそのぶん維持が大変になる。……だけど、出力だけなら簡単に上げられる!」
大きい、イコール、強い。この世界における、いや二つの世界で共通の絶対法則だ。
もちろん出力だけを追い求めれば、それだけ他にしわ寄せが来る。だが今回は安定性は必要ない。相手はまったく動かない露草だ。
その手の強度、そして熱量の発生のみに機能を集中させて、構造を再定義してゆく。
土壇場でプログラムを改造するような無茶な仕事だが、二重に意識拡張した今の僕ならばその無理も押し通して道理にねじ込める。
「つーかまえたっ!」
「逃げはいたしませぬ。そう、乱暴になさらないでください」
「……いや、罪悪感が出るセリフやめてね? 女の子たちが見てるんだし」
巨大な腕で少女を鷲掴みにする、また絵的に微妙な構図になってしまったが、戦闘中だ。容赦はできない。
その巨大な掌を、まるごと凍らせて砕こうとする彼女の恐ろしいまでの凍気。それを押し返し、露草の体を構成する液体の制御権を奪う。
温度の微妙な変化による精密なネットワークはすぐに乱され、制御を奪われた部分はもう蒸発を始めている。
ルシファーの、僕の、巨大化した腕も無事では済んでいない。気を抜くとすぐに指先は砕け、すかさず再構築する作業を繰り返している。
ここまでしてもまだ足りない彼女の強固さに半ば敬意すら感じつつ、僕は駄目押しにルシファー本来の機能、体内へのエーテル循環を起動する。
体内全てを満たすための『無尽増殖』が未使用のため、その範囲は腕の先だけに留まる。
だが、今はそれで十分。送り出す端から凍りつくエーテルをも使って、彼女の体を砕いてゆく。
そうして、ついには全ての液体は蒸発して空へ消え、僕の巨大な手の中には小さな彼女の核だけが残された。
「……勝ちだよ、露草。僕のさ、勝ち」
《はい。お見事です、ハル様。露草、まいりましてございます》
もはや口も無い彼女からそう通信が入り、その手の中のコアも、雪花のように砕けて空に散って行ったのだった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2022/8/31)




