第338話 解消しえない彼の矛盾
「それで、キミは僕にどうさせたいと?」
「ユキ様をはじめ、日本人の方々を同化するのをお止めいただきとうございます。このまま、全ての国民を貴方様の一部となさるおつもりですか?」
「そのつもりは無い。僕の好きな、彼女たちだけだよ」
「……おおぅ、スキとか。え、えとさ、雪女さん! 個人間の! 同意の上の話なんだし、口を挟むのは野暮なんじゃないかな!」
当事者であるユキからも、ハルへの擁護が入る。言うなれば、第三者が個人の付き合いに待ったをかけるようなものだ。
だが、ことはそう簡単な話ではない。露草が危惧するのも理屈の上では分かるハルだ。分かっては、いるのだが。
「なりません。その行いは、かつて計画された支配体制、それをハル様を頂点として再設計する行いと見なします。越権行為は、管理AIの一人として、見過ごせません」
例えば、ユキに留まらず、ハルが手当たり次第に日本の人々を己の一部にしていったら。
全ての人間はハルに逆らえず、ハルの意志に従い生きる。そんな管理世界が生まれてしまうかも知れなかった。
無論、ハルにそんなことをする気はさらさら無い。
「真面目ですねー。『かつての』、なんて言いますけどー、もう私たちはかつての私たちじゃないんですからー。気楽にいきましょー?」
「カナリー。……貴女が彼とひとつになった事については咎める気はありません。祝福すらしましょう。しかし、」
「しかしじゃないですよー。主権と言うならば、貴女がこの地の人々を凍えさせようとした事こそ、やりすぎです。主権の侵害です」
カナリーが珍しく、その表情に怒りをあらわにする。
原理主義、とでも言うのだろうか。かつての自分たちの存在意義を、今も変わらず守ろうとしている。その気質が、生真面目なこの彼女の気質を形作ったのかも知れない。
守護すべきは、人類ではなく日本。その職務の範囲に、この地の人々は含まれない。
「どうしてこんなことをー?」
「いい機会だと思いました。なにも、全滅させるつもりはありません。ただ、“少し増えすぎたのでは?”」
「それを決めるのは貴女ではありませんよー?」
「……カナリー、あなた達にも、決められないでしょう。あなた方は、この地の民を愛しすぎました。“間引く”ことなど出来ないはずです」
「だから、貴女が代わりにやってくれると?」
確かに、現在のこの世界の人口は生活基盤に対して過剰となっている。神が手を貸さねば、維持できない。
このペースで繁栄を続ければ、近く、再び過去のような魔力資源の奪い合いに発展すると、露草はそれを指摘しているのだろう。
だがカナリーは、彼女の言葉を一言で切って捨てた。
「余計なお世話ですよー」
「……そうだね。この地のことは、私たちの領分だ。手出し無用に願いたいね」
「セレステまで。ルールは破っていないはずですが?」
「だがマナー違反だろう?」
別のテーブルで遊んでいるグループにちょっかいを出すものではない、とセレステも対立を明確にする。
ハル個人の話だったはずが、いきなり範囲が大きく、根深くなってしまった。
こうした意見の対立を、今までも彼女らは水面下でずっと行ってきたのだろう。それを垣間見た気分だ。
「……その話は、後でゆっくりやってもらおうか。もう一度聞き直すけど、キミは僕に今、どうさせたい?」
「失礼いたしましたハル様。では、先ほどのユキ様の戦いを私が引き継ぎましょう」
「ん、無難だね。キミが勝ったら?」
「ええ、ユキ様を同化することはしないと『約束』してください」
「いいよ。『約束』する。……<誓約>じゃなくていいの?」
「貴方様は、そのうちきっと<誓約>は解除されてしまうでしょうから」
「……わかってらっしゃる」
代わりに、ハルが勝てば今回の寒波による攻撃を止めてくれるそうだ。
目的どおりではあるのだが、人質をとっておいてしれっと手札にするような強かさを感じずにはいられない。
とはいえ、デメリットのある提案ではないため、ハルはその条件で了承する。欲を言うなら、支配下に入ってほしいところだが、望むのは贅沢というものであろう。
勝敗は先ほどと変わらず、“今の体”が破壊された時。彼女の体も、また完全に物質で構成されているようだ。
当然ながら、魔法で一気に攻略とはいかないらしい。
《ハル、こちらの参戦は禁止されていない。手出しさせてもらうかも知れないよ》
──ピンチになったら頼むよセレステ。でも、最初はソロでやらせてもらいたいな。
《了解した。せいぜい私という剣を抜かずに勝ってみたまえよ、我が主》
セレステによる、そんな激励なのか挑発なのか判断に困る声を脳裏に聞きながら、ハルは一人進み出て露草と対峙する。
向こうも、特別な準備は要らないようだ。ユキ同様に、その体そのものが武器か。
「あー、ハル君、ちょっといい?」
そうして、いざ開戦というところで、当のユキからおずおずと声がかかった。
なんだか、もじもじとしている。やはり自分の同化のことについてだ、言っておきたいのだろうか?
「その、ね? 真面目なふいんきだけど、このシチュエーション……、言っても、いいかな!」
「……あー、確かにね。好きにしなよ、実際いいタイミングだ」
「やた! そんじゃ、こほん……、『私のために争わないでー』」
そんな、ユキの気の抜けた掛け声を開始の合図に、第二ラウンドとなる、露草との戦いが始まった。
◇
──黒曜、白銀。
《はい、ハル様。意識拡張、準備は整っています。接続率は、80%まで上げられそうですが、いかがしますか?》
《こっちは先にやっちゃいます。ウェルカムバック、トゥー、スピリチュアルワールド。神域汚染、もんだいなく完了》
──汚染すな……、黒曜、エーテルネットの方は70でいい。前回の設定をそのまま使え。
《了解しました。接続率、70%限定。意識拡張スタート》
メビウスの輪のように絡まりあうイメージで、二つの世界のネットワークへ意識が流れ出す。
多数の“ハル”を集め、ひとつに統合された“僕”の意識は、俯瞰視点を失い主観に統一されつつも、その広大なネットの世界に広がった思考は、まるで『神の視点』でも持っているかのような、傲慢な全能感を僕にもたらしていた。
今の僕ならば何でも出来る。どんな相手だろうと敵ではない。そんな気になってくる。
……これでは、露草の指摘を笑えないか。別に全人類を支配しようなどとは、今の状態でも思わないが。
《次元レベルで上から目線ですねマスター。ですが、今のマスターの入れ物は脆いです。ちゅーいしてくださいね》
──ああ、不意打ちでコアを砕かれたら負けだ。慢心はナシで行こう。
「……攻めてこないのかい。僕を倒すのでは?」
「ハル様こそ、お早く攻撃に移られることを提案します。私の攻撃はもう、始まっておりますので」
「ハルさーん。余裕があったら守ってくださいねー? さーむーいーですー」
「にゃん、にゃん。ふみゃーん……」
余裕の顔で、お気に入りのマフラーと帽子を装着しだしたカナリーと、一切余裕のない猫が寒さを訴える。
そういえばメタには、周囲の環境を固定する装置を持たせていなかった。猫なのでしょうがない。
「アイリ、キャンプファイヤー出してあげて。みんなでその周りに集まってて」
「はい! スーパーアルティメットウルトラダイナミック、キャンプファイヤー! 起動です!」
魔道具イベントで最大火力を叩き出した、やりすぎの魔道具が展開される。名前はともかく、実力は本物だ。名前はともかく。
氷河期が来ても町ごと守れる、をコンセプトに、行き過ぎた火力は露草の放つ凶悪な冷気を押し返した。
やはり、露草は『温度』を自在に操ることを得意としているようだ。
「あーつーいーですー」
「にゃうん!」
「す、すごい火力です! 設定は……、できないのです!」
「ふふっ、わがままですねカナリー。……なかなかの出力。では、ちょうどよくして差し上げます」
「気をつけてハル君! 魔法の体でも、寒すぎると動き止まるよ!」
「……どんな世界だったんだ外は」
露草の体を中心に、地面が凍りついてゆく。
キャンプファイヤーの炎の他にも、こちらの体からも魔法で加熱しているが、一向に押し戻せる気がしない。
まるで、熱を吸いとっているのではなく、“冷気を出している”ような、ありえない状況。
きっと、体は物質でも、温度に関することだけは彼女の魔法なのだろう。
「なら、さっさとコアを砕くか」
「怖いですね。ですが、そう簡単にはまいりません」
体は完全に物質であっても、コアだけは存在していなければならない、その絶対法則がある。機械の体の黒猫ですらも、そこだけは魔法に頼っていた。
「先ほどのユキ様のように、私の体を支配なさろうとはしないのですね」
「……その体、さっきと逆で超低温だろう。さすがに、エーテルが凍り付いて動作しない」
ユキの体は高温によりデータを伝えていたが、露草の身体から感じるの圧倒的な冷たさ。ユキの言う『雪女』を体現した存在だ。
ナノマシン・エーテルは、マシンと名は付いているが有機物だ。もちろん、高温、低温にだってそこそこ強いことが自慢だが、さすがに彼女の“あの体”に侵食できるとは思えない。
そんな、今も無防備に佇む彼女に向かって突進し、刀を通す。
するり、と何の抵抗も無くその身を刃が通り抜け、露草を両断しようとした。だが、予想通りその身は、その着物すら、傷ひとつ付かずに元のままだ。
「やっぱり、液体窒素か何かだったか」
「お気づきでしたのですね。ええ、私の身体は全てが流体です。貴方様の本体のお召し物、それに近こうございます」
「いやそんな冷たい服着るのは勘弁」
「コアの位置も、自由自在です」
そうだろう。そして、その身を抜くのはこの刀でないと厳しい。だが刀では、攻撃範囲が狭すぎてコアには簡単に逃げられてしまう。
その体を叩いて潰そうにも、今度は完全に液体。ユキの、粒子の時ですら面倒だったのだ。やりたいとも可能だとも思えない。
「ご理解くださいましたか? この身を滅ぼすのは、難問にございます。矛を、収めてはいただけませんか?」
「この期に及んで何を言ってる」
もう勝った気でいるのか、と少しイラつく。僕をナメすぎではないだろうか?
それとも、この場で戦闘を続ければ直接的に眼下の街に冷気の被害が及ぶので、その状況を利用した交渉術だろうか。
「同化をなさらずとも、ユキ様を伴侶とすることは叶いましょう。それで、よろしいではありませんか?」
「……よくない。良いわけあるか」
そんな正論なんか聞きたくない。意識が統合され、どうしても普段よりも感情的になってしまうのが自分でも分かる。しかし、理解していても止められなかった。
「だって、ユキが死んでしまう。僕を置いて、勝手に死んでしまう」
「仕方の無いことです。それが、貴方様に、そして私たちに課せられた宿命にございます」
「仕方ないで済ませないでよ。そんな正論、聞きたくない!」
「正論だと理解しているのであれば、お聞き入れください」
頭に血が上る、どんどん冷静さを欠いて行くのを、拡張した意識が冷静に理解する。
そう、許容できない。優劣もつけられない。みんな大事で、みんな手放したくはない。そのためならば、いくらでも道理を曲げよう。まるで神にでもなったように、傲慢に振舞おう。
それが、必死に人間のフリをし続ける僕の抱える、解消不能の論理矛盾だった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2023/5/8)




