第328話 神の心子知らず
ハルの言葉に、マゼンタは訳知り顔を見せているように感じる。きっと、運営としてこの寒波について、既に察知していたのであろう。
その一方で、困ったような口調でハルの提案に待ったをかけてきた。
「情報については教えるけどさぁ、天空城に戻らない? 一応、機密だよこれ」
「いいじゃん、二人とも国のトップなんだしさ」
「よくないぞー。ハルさんはNPCにとっての神様の重要性を、一度、定義しなおすことをオススメするよ。さっきもカナンの心情を読み誤ってたし」
「それは、確かに」
こうして対面して表情を読んでおいて、その上で読みを違えるというのはハルにとってあまり無いことだ。
それはマゼンタの言うとおり、前提情報の設定を間違えていると思って良いだろう。
「まあいいか。この国について任せたのはボクだし。責任はハルさんが取るし」
「マゼンタ君も少しは責任とろうね?」
どうやら機密扱いとして面倒な手続きを踏まねば喋れないことがあるようで、裏でマゼンタがそのことについてメッセージで知らせてくる。
ハルはそれを己の権限を使って全解除し、クライスとカナンにも聞かせられるようお膳立てを行った。
「その前に、きちんとした自己紹介がまだだったかな。ボクこそがマゼンタ。『赤』の神にして『変化』を司どる神マゼンタ。……一応、この地を守護するものだよ」
「お、お目に掛かれて、光栄の、至りにございます……!」
「あーあー、だから顔上げなってばー。そんなに偉いやつじゃないよボク。君たちを、ほったらかしにしてた神だからね」
まさに感極まる、といった様子で、他のことが見えなくなっていそうな信徒カナンと対照的に、皇帝、<王>であるクライスは複雑な心の内のようだ。そのポーカーフェイスが歪んでいることからも、苦悩が見て取れる。
信仰しないと立場上宣言した神であり、しかし内心では今も敬う彼に、どう接すれば良いのか、暴風のように渦を巻く葛藤が表面まで漏れ出しているようだ。
やがて意を決したのか、カナンに並び膝を付こうと腰を浮かした所を、マゼンタによって止められる。
「そのままで良いよ、“皇帝”。この国はもう、ボクから巣立ち、踏み出した。ボクに再び頭を垂れれば、親元へと出戻った笑いものだ」
「ですがっ……!」
「……個人の敬意くらい受け取ってやりなよマゼンタ。それに言っちゃ悪いけど。この国、この世界は、まだ神の加護が必要だ。育児放棄は感心しない。てか働け」
「んー、きーびしーなぁハルさんは」
厳しいのはマゼンタの方だ、とハルは口に出さずにそう思う。
いずれは、神が完全に国政から手を引き、NPCだけで生きて、進んでゆくのが理想だろう。ハルもそこには賛成だ。
だがそれは今ではない。今はまだ苦難が多すぎる。
「んじゃあ、仕方ないので働きますかぁ。ハルさんの言った話に入ろうかな。……まず結論から、今年の冬が異常に寒いのではないか、というハルさんの心配は当たってる。実際寒い」
「……一大事です!」
「……マゼンタ様、それは、いかほどになりましょうか。我らの備えで、乗り切れは」
「しない。全滅とはいかないけれど、相当な死者が出るだろう。“何もしなければ”ね」
「な、何か方法が!? どうかお導きください! 何でもいたします!」
カナンが絶望と、その中にも興奮を入り混じらせた複雑な感情を見せて気勢を高める。……これは、本当に『何でも』してしまうだろう、というのがハルにもよく分かった。
信仰という気持ちは行き着くとこうなるのか、とその様子を観察しハルは思う。先ほどの思いに反するようだが、これはマゼンタが少々強引に突き放した気持ちも分からないでもない。
依存心が強すぎるのだ。当然、その強い心は神に導かれて国を栄えさせる大きな力になるだろう。しかし逆に言えば、神無しではその力を発揮することは適わない。
──まあ、マゼンタが突き放した結果、ここまで気持ちが鬱屈してしまった部分も多きそうだけど。
《じごーじとくですね。女心が分かってないってやつです》
《……ハルさんに似て白銀も容赦が無いねぇ》
「……で、何かやってもらうの? 何でもするそうだけど?」
「言葉が足りなかったね。“何かをする”のはボクらの方だよ、ハルさん。ま、カナン達にも民への周知とかで働いてもらうけど」
「僕らが働く、ってことはやっぱり」
「うん。この寒さ、確実に『邪神』の仕業だね」
◇
邪神、物騒な呼び名だが、それは彼らの本質を意味しない。どちらかと言えば『善神』であるところのゲーム内の神とは、協力関係にすらある。もともと同じAIだ。
この呼び名は主に、このゲームに参加しているプレイヤーに分かりやすいよう付けられた名だ。
響きが格好よく、そしてボス敵だろうと一目で理解できる。
しかし、邪である部分が一切無いかといえば、そうも言い切れなかった。
「邪神というのは乱暴に言えば、この七色の国の外に住む神々のことだね」
「そ、そのような存在が……?」
「うん。使徒と触れ合う機会が増えれば、いずれ目にすることもあるかも知れない」
「使徒、ですか。……ハル、使徒の方々は、我らの国へはまだ?」
「うん。でも秒読みには入ったかな。隣国には既に到達してるから。そこの魔物退治が終われば、神殿からぞろぞろ出てくるよ」
「その準備も必要か……」
「忙しくなりそうですね、陛下」
そう言いつつも、カナンは使命に燃え、やる気十分だ。
プレイヤーの攻略前線は、このヴァーミリオンから見て南西、橙色の地域まで到達した。これで残るはこの国のみとなり、『一気に突破しよう』、という流れが生まれればすぐだろう。
同様に、戦艦の内部調査の方も着々と進んでいるようで、過去の、大戦時の歴史の真実が明るみに出る日も近そうだった。
その両方が達成されれば、この国の求めてやまない過去の真実が、彼らの望むと望まざるに関わらず、この国へと伝播されるだろう。
「それは今は置いておこうね。邪神の話だ。必ずしも悪ではない彼らだけど、『邪』とついているのは何も戯れじゃない。害となるのは、君らにとってだ」
「我ら……、つまり人間ですね?」
「うん。ボクらや使徒には友好的な邪神だけれど、君ら人間には“興味を示していない”」
「つまり、NPCが生きようが死のうがお構いなしってことだ?」
「残念ながらね」
元々、神、すなわちAI達は日本の存在だ。人間をサポートするために生まれた者たちだが、その“人間”とはすなわち日本人。この世界の人類は対象外だった。
だからと言って積極的に殺したりはしないが、逆に理由が無ければ生かしもしない。
AIにとって対象外の人類とは、シミュレーターの上の駒くらいの認識でしかないらしかった。
「だからさ、この国のヒトがとなえる陰謀論、あれ当たらずしも遠からず、なんだよねぇ」
「……何だっけ。『神が人類を滅ぼして、自作自演で残った人々を支配した』、ってやつ?」
クライスとカナンが、身内の恥に口を詰まらせた様子だったので、ハルが代わりに答えて話を進める。
「それそれ。別に積極的に滅ぼした訳じゃないんだけど、ボクら、特に邪神達はね? “手を下してない訳でもない”んだよ」
「し、しかしマゼンタ様! それは、私達を導くためなのですよね!?」
「うん。ボクらはね? 判断は、キミタチに任せるよー」
「……たまに偽悪的だよね、マゼンタはさ」
「事実だしさぁ」
魔力の奪い合いで、この世の終わりのような大戦を起こしたのはこの地の人類ではあるが、それにつけ込んで、都合よく彼らを支配したのもまた事実。
マゼンタは、それを気にしている。
ただ無条件で、『神様神様』と感謝されるだけの存在ではない。自作自演で都合の良い方向へ導いたのも、また事実。そう伝えたいのだろう。
「だからハルさんさー、今回の事だってわざわざ彼らに伝えること無かったんだよー?」
「なんでさ? 善神と邪神の問題だから?」
「そう、対処は神様の仕事。人間は、何も知らないままで過ごしていればそれでいい」
「そんなだから自作自演って言われるんじゃないの?」
「感謝の押し付けの方がマッチポンプなんだよなー」
このあたり、マゼンタとは意見がズレるハルだった。
神々はヒトの歴史から徐々に姿を消すべき、という考えは一致しているが、その時期の意見が合わない。
ハルは、『まだ早い』、マゼンタは、『すぐにでも』。それは、過去の戦いを経験しているか否かの違いなのだろうか?
「……私は、そうは思いません」
「カナン?」
「ハル様には、心より感謝申し上げます。こうして、この度のことをお知らせくださったことに」
「まあ、マゼンタは言われてるよりは仕事してる。それは知って欲しいかな」
「でもさーハルさん? 知った所で、人間には何も出来ないんだ。ただ、不安で心労が募るだけ。それをわざわざ、知らせるコトに意味はある?」
傲慢な考えかも知れない、しかし、マゼンタの言うことにも一理あるだろう。
実際に、寒波を操るほどの神の力などに対抗できうる技術も魔法も、人の世には存在していないのだ。
ならば、そんな恐ろしいものの存在など伝えず、舞台裏で神が処理してしまった方が平穏だ。
だが、ハルは知って欲しかったのだ。信仰を否定された地でも人知れず、こうして未だ人間を見守っている存在が居ることを。
結局、邪神が原因らしい寒さについての対策は、持ち帰ってハル達が対応することとなった。
しかし、そうして話はお終いとばかりに帰ろうとしたマゼンタを強引に引き止めて、しばらくの間カナンの相手をすることを、ハルは彼に義務付けたのだった。
*
そうして、未だ語り足りぬカナンを今度はクライス皇帝が無理やり引き剥がして席はお開きになり、ハルとマゼンタは天空城に戻ってきていた。
これからハル陣営の神々を召集して対策を練るが、今はマゼンタと二人きり。
北の地とは比べられないが、日が落ちて肌寒くなった薄暗がりを、城の窓からハルは眺める。この地はまだ秋。しかしすぐに冬が、そしてあの寒さがやってくるのだろう。
「ハルさんはさー、働き者だよねぇ。今回のことなんて、運営に任せておけばいいのに」
「曲がりなりにも、運営からカナリーを引き抜いちゃったのは僕だしね」
「まあねぇ。それも、ボクは祝福されるべきコトだと思うけどね」
「わざわざ、お祝いに来てくれたもんね」
適当にお茶とお菓子をつつきながら、マゼンタと語る。そういえば、彼と二人で話すなんてあまり無いことだと、ふと思うハルだった。
「マゼンタが、NPCのことをどう思ってるかって、そういえばハッキリ聞いた事もなかったね」
「わざわざ語るようなことじゃないでしょーそんなん! ボクはサボりたいの。NPCの世話なんて面倒。だから放置してる。終了!」
「素直じゃないなあ……」
「素直だってば。イベントのたびに細かくコマンド入れるのなんて嫌でしょ?」
「いずれは、完全放置で進んでいくのを眺めるのがオツかな?」
「お、ハルさんも好き? 箱庭ゲーム」
「けっこうやる方」
ルナが好んでいるので、二人でよくプレイするのだ。最近のものはAIが優秀で、進行の方針をある程度は住民に一任できる。
災害などのマイナスイベントが発生した時も、『こういう状況の時は、こう対応する』、と設定しておけば、プレイヤーが自ら対応せずとも、自動で復旧してくれる。
複雑になりすぎた管理項目の補助としての機能だが、上手く設定すれば全てを住人に任せることも可能だ。
たまに思わぬ対応をされてしまう事もあるが、それを眺めるのもそれはそれで面白い。マゼンタは、それに例えて言っているのだった。
「でもそれなら、もう少し手動で介入しなきゃ駄目な局面じゃない?」
「……介入しすぎると、後々困るよハルさん。見ただろ、カナンの信仰心?」
いつまで神が手助けをするのか、その問題だろう。
まだ手が掛かる、と神として手助けするのは容易い。しかしそれを続ければ、いざ上位者の手が必要なくなった時に、神離れできなくなってしまうかも知れない。
神が身を引いたにも関わらず、宗教色の強い国が残ってしまうかも知れないのだ。
「嫌だよー、ボクは? 立派なボクの石像が建てられた神殿とか、そーゆーのさー」
「あー、それは僕も嫌かな」
「だったらもう介入やめようよー。梔子みたいになるのはゴメンだって。あ、責任もってハルさんの石像にしてよね! 作るならさ!」
「この国はカナリーちゃんの石像いっぱいあるもんねえ」
大人気の女神像のことを思い出し、ハルも苦笑する。確かに卒業したにも関わらず、今もカナリー信仰は篤い。
同じように自分の像が建てられるのを想像し、それはちょっと嫌だな、と思うハルである。
しかしながら、実際は民のことを思っているのに、その民から否定されるマゼンタの現状もハルはあまり良くは思わない。ここは、カナンと同じ気持ちだ。
本心を見せるようでいてなかなか見せてくれない目の前の少年を、ハルは軽くため息をつきながら眺めるのだった。




