第326話 外と寒さと内面と
「……これは少し寒すぎでは?」
翌日、ハルはゲーム的に設定された自分の領地、ヴァーミリオンの北端へとやってきていた。
外部の世界とこのゲームを隔てるバリアが薄まり、そこから敵襲があるとの警告があり、もうじきその予告時間になる。
どうせなら、とユキと共に少し早めに来たハルは、今は大気の流れの観測を行っていた。
可能な限り上空へと<飛行>し、大きな範囲での気流を観察する。“世界の果て”のバリアは気流を素通しし、気候は外の世界の影響を直接受ける。
そこで計測される現在の気温が、季節の平均から考えてあまりにも低すぎた。
「ハル君、さむいん?」
「ああ、ユキは本体で来ちゃだめだよ。凍えちゃう」
「こないよー。あっちじゃ足手まといになるだけだ」
キャラクターの体であり、温度変化に鈍感なユキが首をかしげる。ハルもハルで、体の周囲に空気の層を固定してバリアにしているので、体感的なものは薄い。
しかし、ハルのAIである黒曜が収集したデータは、紛れも無いその現実を告げていた。
「《現在の推移で気温の低下が続いた場合を予測したグラフを、ウィンドウに表示します》」
「……下に向かって一直線だ。ハル君、このグラフを分かりやすく言うと?」
「真冬には、ここら一体は氷の世界」
「わぁお……」
グラフの表す数値は、北国などというレベルでは収まらない。極点か、というありさまだった。
「《もちろん、現在なんらかの異常な寒気が押し寄せているだけ、という可能性は高いです。この世界は、地球と単純比較できませんから》」
「神様が適宜調節することで、自然な四季が作られるんだったね」
「それって普通じゃヒトが住めないってことだ。……じゃあこの寒気も、何とかしてくれるんじゃん?」
「かもね。ただ、コトが寒さだから、気になるんだ……、っとそろそろ敵襲か」
暖房用品の買占めを、ある程度は静観していられるのはアイリの国、梔子がさほど寒くならない地域であるためだ。
今年の冬は例外的な大寒波が襲うとなれば、もう黙って見ている訳にはいかなくなってくる。
しかし今はそのハルの考察も中断され、見据える先のバリアにシミのように穴が広がってゆく。外部からの襲来イベントの始まりだった。
この日時に合わせ、敵味方ともにバリアを挟んで戦力を準備する。
邪神、外部の神様は、プレイヤーの領地を攻撃し破壊。その魔力を掠め取る。
プレイヤーは、それを迎撃。逆にプレイヤー側が破壊した邪神の兵隊は、その場で魔力になり領地を強化できる。
互いに、その収支バランスが黒字になるように立ち回ることが求められていた。
「うちは来たのをぜんぶ、ぶっ壊してるけど。収支は悪いんだっけ」
「うん。うちは常に赤字。いいけどね?」
「敵さんはどうなんだろうねー」
「相手に『どのくらい儲かってますか?』、って聞かないとねえ。互いに赤字とかだったら、戦争っぽくて笑えるけど」
「わらっとるばあいかー」
かなり強化したハルの防衛都市だが、それでも無傷で勝利とはいかない。むしろ、強化しているからこそ破壊された時の損失も大きい。
しかしながら、ギリギリのバランスで手を抜き黒字にする、という選択をハルは取る気は無かった。
己の背後には、ハルが対応を任されたヴァーミリオン帝国。国主であるクライス皇帝、そしてその民を守るためにも、一匹たりとも後ろへ流す事は許されないのだ。
「全滅させられなくっても、定時で退社するんでしょ?」
「このゲームは会社かい……」
「シルフィんとこは、だから無理に全滅狙わないんだってさ」
「それでもだね。相手は、『NPCを傷つけることが出来る』んだもの」
イベントの注意点に明記されたこの文言。これが邪神がこの世界と相容れぬ存在であり、この襲来が完全な馴れ合いではないことを、それは如実に示しているようだった。
*
「おっ、来た来た! ハル君、今日は敵の種類が違うよ!」
「光の天使、って感じかな? メタちゃんと協定を結んだから、今日からは機械軍団はお休みか」
「でもさ、あの天使どもも機械っぽい感じ、しない?」
「メタちゃんと技術取引があるのかもね。そこまでは僕も禁止できない」
バリアに開いた穴からなだれ込むのは、翼もち空を駆ける天使の軍団。
その体のところどころは、前回までの鋼鉄の飛行部隊のような、メタリックな輝きを放つパーツで構成されている。
機械部品を使うことでユニット作成の魔力を抑え、収支効率を上げようという作戦だろう。
全体的に翼を主張しているのは、『天空神』であるとの宣言のためか。
「メタちゃん以外の人が来てくれたのは僥倖だね」
「あー、例の神界ネットだ」
「うん。今回の相手、推定『天空神』と、パスを繋げるチャンスだね」
神界のネットワークにおける、全体の共有スペース。ハルは一晩中そこの調査を行っていた。
そこでは、AI達が研究した、魔法に関する情報など様々なデータが共有されていた。
それを利用するため、共有スペースには様々なAI達が接続してきている様子が、ハルにも分かるようになっている。
しかし、ひとつ問題がある。誰が誰だか、わからない。
誰か適当な相手と回線を開き、連絡を取ろうにも、その相手が友好的な存在であるか否かが不確定だった。
「あ、射程に入った」
「天使は直接攻撃が主体みたいだね。更にこっち向かってきてる」
「うーむ……、魔法使わない天使かー。イメージがなー」
「確かに。メタちゃんが遠隔だったから、差別化かね」
そんな事を考えているうちに、天使の軍団と戦線が開かれる。
編隊を組んで、遠距離からの銃撃を加えてくるメタの飛行機械と違い、天使は直接攻撃力と、接近するための防御力を重視した構えのようだ。先頭の数体を犠牲にしつつ、後続が防衛塔に突っ込んでくる。
特に、対策は取らないハルだ。距離が近くなるならば、観察には好都合。
「そいやさハル君。メタすけの飛行機って、何であんなに連射できたの? いや、ゲームだから弾薬無限なのは分かるけど、この世界だと理屈があるでしょ?」
「ああ、銃弾もミサイルも機内で生成してるんだろうね」
「出たよ謎理論!」
戦闘機系のシューティングゲームでは、よくファンの間で飛び交うジョークだ。
明らかにその小さい機体には、積みきれないであろう弾丸や弾頭。それらを盛大に連射する自機に下された結論、『機内に弾薬工場を持っている』。
もちろんそんな設定などなく、実際はそこをリアルな弾数などにしてしまうと、ゲームが非常に味気ないものになってしまうための、『ゲーム的な都合』である。
……いや、そのジョークを逆手に取って、実際にそういう設定として世界観を構築してしまったゲームもあるにはあるが。
それは余談として、メタの機械兵団はそのジョークを実現してしまっている。当然、魔法でだ。
弾薬の搭載部位は可能な限り縮小し、その内部へ<物質化>で常に弾薬を生成し続けている。
それにより擬似的な無限弾薬を実現可能。代わりに、こちらがメタの機械を破壊すれば、<魔力化>がそのボディにかかり、こちらの領土に還元される仕組みだ。
ご丁寧に目を凝らせば、機械であるのにHP表示もARで映し出された。おそらく、猫と同様に内部に全てコアを搭載しているのだろう。
「メタちゃんは特に<物質化>と<魔力化>が得意みたいだからね」
「へー、ハル君みたいだ。ハル君も真似すれば更に強くなれるんじゃない?」
「あー……、僕は銃器はちょっとなあ……」
「得意なのに、苦手意識か」
銃は人を殺す物、とハルの中でイメージが固まってしまっている。
これは、護身用として研究所でさんざん訓練プログラムを組まされたことが、現在のハルの精神にも影響を残しているのだろう。
機密の塊であり、また弱点でもある本体への物理攻撃。それを防ぐために、銃器の取り扱いは非常に熟練しているハル。
しかし、『人を殺すべからず』の安全装置がそこに矛盾を生じさせ、結果、ハルは銃器に対する苦手意識を発生させてしまったのだ。
「よし、銃はルナちーに任せよう!」
「ユキも殴り専門だからね」
「うん。それにルナちーは魔女さんだから。にゃんこの使い魔を従えてるのが様になりそう」
「似合いそうだね」
そうこう話しているうちに、防衛都市は次々と破壊されていった。
天使の群れにも被害は与えているが、その犠牲を問わぬ猛攻が、対遠距離戦闘に調整されたこの都市の弱点を突いてきている。
強引に塔を一つなぎ倒し、その空いた防空網に入り込まれる。
「よっし! 殴り専門の私としては、ここで領地を守りに出ましょうか!」
「我慢できなくなっちゃったか。じゃあ、これ連れてって」
「ゾッくんじゃん。……あんま、体さわるのナシね? びっくりして、死にそう」
「……気をつけるよ」
肉体的な接触に不慣れなこちらのユキに配慮し、その長い髪の毛の先端にゾッくんをしがみ付かせる。
振り回されてユキの身体に触れぬよう、そこはハルが制御しよう。
そのゾッくんを介して、天使の情報を更に詳細に取ろうとするハルだった。
「行ってきます! お土産は首!」
「それはいらん。行ってらっしゃい」
挨拶が済むと、その瞬間にユキの姿がかき消える。
彼女のキャラクターも、ハルと同様にマゼンタから提供された仕様書により最大級に強化されている。
大規模アップデートによるレベル上限解放も加わり、ユキの力も最早、神と同レベルに強化されていた。
その凶悪な機動性、攻撃力を溢れんばかりのセンスで乗りこなし、都市を破壊する天使群を次々とユキは“破裂”させていった。
その移動の軌跡は流星のごとく尾を引いて、まるでこちらがロボットに乗っているかのようだ。しがみついたゾッくんの制御も一苦労。
「絶好調だね。またレベル上がるようになったから、やる気十分だ」
《マスターは、レベル上げしないんです? 目指せ最速150ですよ》
「今は<神化>の習熟が先かな」
この場はユキに一任して全く問題ないことを見届けると、ハルは再び<神化>スキルで神界に接続し、深く潜ってゆく。
そこには変わらず多数の神の気配があるが、接触していいかどうか判断材料が無いのも、また相変わらずだった。
《てきとーに話しかけちゃえばいーんです。神は、AIはみんなマスターの味方です》
「“僕の味方”ではあるだろうね、そりゃ。僕だって再会を祝いたい」
《NPC連中の味方とは限らない、ですか》
「そういうことだよ白銀」
うかつに接触し、それがNPCにとっての害を厭わない思考を持つAIだったら、目も当てられない。
そういったタイプは、外部で直接、慎重に接触して、お互いの条件を少しずつすり合わせて行きたいと思っているハルだ。
「《しかしそれはそれとして、外部との早急な接触も急務なのですね、ハル様》」
「ああ、だからちょっと焦ってる部分もあるかな。今の状況は、完全に後手に回ってるしね」
《完全に神に対して優位に立ったと思ったら、いそがしーですね》
「本当にね」
カナリーの人化という一大目的の達成。セレステとの戦いの勝利と、神に対する絶対的な能力の獲得。
そうした大きなイベントが続き、有頂天になっていた部分が無いとは言えない。
「ただ、どうせならもう少しのんびりと地盤固めさせてくれても良いんじゃないかなあ……」
《敵の心の緩みを突くのは基本中の基本でしょう。マスターだってそうします》
「《するでしょうね。というかしてきました》」
「してきたねえ」
やられる側に回ると、なんとも嫌なものだ。
そう、未だここは神々のゲーム盤の上。カナリーがゲームクリアしても、後続の対戦は変わらず続く。
《さしあたっては、どーするんです、マスター? ユキちゃんが天使を捕まえようと頑張ってますが、天空神と接触します?》
「本当に首とってくる気かい……、まあ、それは状況に任せるかな」
「《提言します。さしあたって、となれば、この寒波の原因を、配下の神々と共に調査すべきかと》」
《そですねー。天候操作で調整するなら良し。そーでないなら、対策取らないとまじーです》
「まじーね。白銀がどんどん舌っ足らずになっていく……」
《マスター・アイリもかわいいと褒めてくださいました》
「かわいいけどさ」
この大規模な寒波の原因が人為的、いや神為的なものであるなら、それにより見えてくることも多い。
白銀の言うように、まずはそこをハッキリとさせておく必要があるだろう。準備の時間は、既に逼迫している。
見れば遠くでは天使の群れがほぼ全滅し、バリアの穴は閉じられようとしていた。
ユキが羽をもいだ天使の首根っこを捕まえようとしている姿に苦笑しつつ、ハルもまた彼女のもとへと向かうのだった。




