第323話 猫は語らず
「やっぱり、ねこさんはお魚が好きだったのですね!」
「お肉はこの国で食べ飽きたから、魚の気分だったんだって。贅沢だね」
「まぁ。食いしん坊なのですね」
「なうー」
進入した王宮の倉庫からの帰り道。そこにはハルたちに並んで、黒猫のメタ、その魔力体もついて来ていた。
倉庫内は外の神が張っている、明らかな敵地。そこに長居は不要と、あの後は早々に倉庫を後にしたハルだ。
カナリーを帰還させ、再び偽装した姿を現して大通りを歩く。偽装が効かないプレイヤー達が増える前に、宿へと入ってしまいたいという事情もあった。
適当に買い物をしていると、途中でメイドさん達が合流して荷物を持ってくれる。彼女らに導かれて、三人と一匹は予約していた宿へと向かう。
「にゃう!」
お屋敷の一室よりも豪勢な部屋に入ると、いつの間にか居なくなっていた黒猫が、たしっ、と窓辺に着地するところだった。
この猫は人間の視線を避けるのが非常に上手く、ハル達と歩いている時も、ほとんど他人に意識されていない。これは魔法によるものではなく、視線を計算で回避していた。
「市井に埋没する忍びの者のような猫だな」
「なふー……」
「……この子、言葉を喋らなくなったわね? 得意顔しているから、喜んでいるのでしょうけれど」
「大勢で居ないと、喋りにくいのかな」
「恥ずかしがり屋さんですね!」
まあ、それは特に問題ないと思うハルだ。現状、彼は敵である。その発言は信が置けるものではなく、撹乱する内容もあるだろう。喋らない事にマイナス要素は薄い。
それに、ハルとしてはこちらの方が好みだった。猫の姿をしているのだから、人語など語る必要は無い。そんな嗜好を持ってる。
ハルの足を、たしったしっ、と無言で叩いている黒猫に、なんとなく微笑がこぼれるハルだった。
「……ついて来たけれど、良いの? ハル? 監視なのではなくって?」
「良いんじゃないかな。これから破壊活動するわけでもないし」
「ねこさん、わたくしたちが帰るまで一緒に遊びましょう!」
「にゃう!」
しゃがみこんで黒猫を撫で回しながら、遊び道具が欲しそうなアイリに、ハルは即席で魔法のおもちゃを作ってあげる。
その名も『超高感度ねこじゃらし』。手首のスナップを敏感すぎるほど鋭敏に感知し、穂先がこれでもかとゆらゆらブレ続ける。
それは空気の流れすら過敏にキャッチし、飛び掛る猫の手からひらひらと逃れ続けるのだ。
「にゃん!? にゃうにゃう! うにゃにゃなう!」
神域のお猫様には、このくらいがちょうど良い。間違っても、通常のお猫様とこれで遊んではいけない。絶対に捕らえられない。
そうして夕食までそのハイスペックな黒猫と遊び、宿の豪華なディナーを堪能し、その一部を猫に与えてハルたちは過ごすのだった。
◇
「にゃー、くあぁー……」
「ふふっ、疲れましたかねこさん?」
「……眠そうにしているけれど、眠れないのよね、この子?」
「そうだね。僕と同じ。……そのくせ堂に入った欠伸だこと」
「見ているこっちが、寝ちゃいそうですー……」
黒猫を膝に乗せたアイリが眠そうにする。空気を読んだ猫の方も、彼女の膝からどいて空いたソファーに丸まった。
アイリの方もいたずらを思いついたような顔で、ハルの膝の上に乗ってくるので、ハルもアイリを存分に猫かわいがってあげる。
しばらくすると、くうくう、とかわいい寝息を立て始めるアイリだった。
「……この国でやることは、もうお終いなのよね?」
「メタちゃんと接触できたってのが、十分すぎる収穫だからね。逆にこれ以上は、薮蛇になりかねないし……」
アイリも眠ってしまい、なんとなく解散ムードが出てきたところで、ルナがそう切り出してくる。
「一応、対抗戦は明日いっぱい続くわ? 時間の余裕はあるはずよ、忘れ物はなくって?」
「普通の買い物かなあ。擬装用に。……やりたいことはあるけど、そっちは今度、時間が足りなそうだし」
「大掛かりなのね」
「うん……、ん? どうしたのメタちゃん」
「うにゃう!」
「手伝ってくれるって? そうだね。猫の手も借りたいね」
「敵でしょう? あなたは?」
狸寝入りならぬ猫寝入りをしていた黒猫が、『大掛かりなら任せろー』、とばかりに存在を主張してくる。
確かに、黒猫ロボットの軍団は大規模な作戦には便利そうだ。いったい、全部で何匹居るのだろうか?
ただし、もちろん今は信用できない。ジェードと手を組んでいるのもそうだが、元々のところでこの黒猫は外の神。この地を攻めてくる敵対者だ。
ハルは答える代わりに、猫の体に向けて侵食の手を伸ばす。
「ふにゃーーーごーー!!」
その反応を感知するが早いか、猫は窓へ向けて一直線、そのまま外へと飛び出してしまった。
「手伝いは頼めなさそうだね」
「……アイリちゃん、今ので起きないのね。大物だわ」
「お姫様だからね。……僕が警戒心を伝えない限りは、安心して眠ってるよ」
猫の飛び出していった窓際を見ると、ちょこんと黒い顔だけが慎重に覗きこんでいるのが見える。
ハルが『もうやらないよ』と手招きすると、恐る恐るといった感じで、一歩一歩こちらへ歩み寄ってきた。
「てな訳で協力はありがたいけど、立場上ね?」
「にゃう……」
「カナリーを説得してくれれば、今のままでもいいけどね」
「んにゃにゃ」
黒猫はふるふると首を振り否定する。無理そうだと本人、本猫も思っているようだ。
猫の感情表現はハルは全くの門外漢だが、どうやら本心から手伝いたいと思ってくれている、その気持ちが伝わってくる。
「邪神といっても、考えていたよりもフレンドリーなのね? あなた達は」
「にゃうにゃう」
「……本当に敵対するなら、ゲームに参加なんかしないだろうしね。ぶっちゃけ、いま『邪神』として登録している数人は、潜在的な味方と言っても良いのかも知れない」
「このメタちゃんに、天空神とやら、後の一人は役職不明だったわね」
「天空神は海洋神のライバルを自称してて、もう既にその時点で味方フラグ立ってるんだよねぇ……」
「なうん……」
黒猫が呆れたようにため息をつく。『邪神の風上にも置けない』、といった感じだろうか。
……残念ながら、今もっとも味方ポジションに近いのは自分自身だとは気付いていないようだ。
最初、ハルは外の神の話を聞いた時、もっと苛烈な攻撃が始まると予想し身構えていた。
その幕開けが、空を真っ黒に染めるが如く大群の襲来だったのも影響しているだろう。あのような攻撃が絶え間なく続いたら、それはまさに悪夢のような光景だ。
しかし今行われている攻撃は、領地の防衛塔で余裕で防ぎきれる程度の襲来が散発的にあるくらいだ。それも、イベント予告のようにあらかじめアラートが鳴る。
シルフィードの方は更に規模が小さいようで、育っていない彼女の領地に合わせた小さな襲撃規模であった。
「……ゲームとすれば当然だ。クリアできる程度に抑えるのは、プレイヤー接待として当然」
もちろんハルも、勝てないより勝てる方がずっと良い。
しかし、何となく据わりの悪いものを感じてしまうのだ。『そんなにゲームと協調できるなら、なぜ最初から一緒にやらなかったのか』、とそう思ってしまう。
足元でくつろぐ黒猫に視線で問いかけるも、メタは我関せずといった調子で毛づくろいのポーズを続けるのみだ。
ハルが視線を外すと、今度は、じっ、とハルの方を観察するような視線を、その横顔に感じる気がしたのだった。
*
翌日は、この街に旅行に来た金持ちとしてのアリバイ作りに、アイリとルナとメイドさんと、買い物をして過ごしたハルだった。
対抗戦も後半に入り、飽きたり目的を果たしたプレイヤーも出てくるころだ。
そうしたプレイヤーもちらほら街に姿を現すが、彼らと遭遇することは一切無かった。これは、ハルたちの前をのんびりと歩く黒猫のおかげである。
「ねこさん、使徒の方々の気配が分かるのでしょうか?」
「いやー、もっと単純に、街中に監視カメラ設置してるとかじゃないかなー」
「力技ね? ハルみたいだわ?」
「みゃうみゃう!」
黒猫が突然道を変えると、ハルたちも黙ってそれに従う。そうしていれば、プレイヤーと出くわす事故は皆無。
なかなか優秀な案内人だった。
そんなメタに導かれて買い物を楽しむと、既に良い時間となっておりハル達は帰路につく。
初の千草の国、初のお忍び旅行であったが、アイリは非常に楽しんだようだ。また来ることを約束し、黒猫に手を振って別れる。
黒猫も、しっぽを器用に振ってそれに応えてくれるのだった。
「ねこさん、さよなら! また会いましょうね!」
「うなーう!」
そうしてハルたちの小旅行は終わり、慣れ親しんだお屋敷へと<転移>し帰る。そこで、全ての工程は終了だ。
普段、家にこもりきりのアイリにとっては、良い刺激になったのは間違いないが、やはりそれなりに疲れたようだ。その顔は早く帰りたいと語っている。
ひきこもりと自虐することの多いアイリではあるが、実際の所それをあまり苦にはしていない。
彼女の本質は、人見知りが強い。今回のように、雑踏の波の中へ入るのは刺激が強すぎたのだろう。
日本でデートするときも、落ち着いた店での休憩を求めてくることが多かった。
そんなアイリの為にも、家路を急ぐ。人の目の無いことを確認すると、まだ尻尾を振っている黒猫に最後に手を振って<転移>を起動する。
そうしてお屋敷に戻ってきた三人、落ち着ける我が家でしばしくつろごうとして、その異変に、気付くことになる。
「にゃうにゃう」
そんな我が家の玄関先で、先ほどと同じように尻尾を振っていたのは、見紛えるはずもない黒猫の姿であった。
◇
「…………」
「にゃうにゃう?」
「……いや、お前、どうやって入った」
「結界は万全です! セレステ様のように、突破してきたのでしょうか!」
「天から降ってきたのかも知れないわ?」
ハルが<転移>で共につれて来たという事は無い。そういった事態を警戒し、<転移>する対象はしっかりと指定してある。
今回は買い物が多く、その運搬もあるので指定は詳細だ。
見ればこれは黒猫ロボットのようで、魔法感知には引っかからないが、この城の結界は嵐などで飛んできた物体を中に入れる事が無いよう、引っかかった物質も隔離しておける。
ルナの言うように自由落下で降って来たとしても、入れない。
ハルたち三人がそうして硬直していると、ぱたぱたっ、と普段ではさせない足音を立てて、メイドさんの一人が黒猫に駆け寄り、これを捕まえていた。
「……申し訳ありません、旦那様。お買い物の際、<転移>に巻き込んでしまったようです」
「なるほど! 荷物に入り込んでいたのですね!」
「はい、アイリ様。……旦那様、お手数をおかけしますが、もう一度<転移>をお願い出来ませんでしょうか。戻してまいります」
「…………なるほど、こっちのチェックはおざなりだった」
このメイドさんは、千草の国に同行したメイドさんではない。お屋敷の管理をお願いしていた人だった。
その彼女の言う『お買い物』も、下界たる梔子の首都でのもの、お屋敷の生活物資の買い物だ。
今までのように徒歩では行けないので、ハルが<転移>で送り迎えしている。そちらのチェックは、『メイドさんとその荷物』、程度の簡易なものだ。そこに入り込まれた。
だが、そうだとしても見逃せない違和感がある。
「……ハル、彼女の買い物は、この国よね?」
「だね。……メタちゃん、いつのまにこっちまで来てたの?」
「うにゃーん♪」
可愛く鳴いてごまかす黒猫だが、さすがにそこは見逃せない。
ここは人の言葉で、しっかり説明してもらわないとならなかった。




