第320話 認識阻害の結界
緑色の国、千草の王国。商業を生業とする者が多く拠点を構え、商業神ジェードが守護する経済の国。
ハルとアイリの所属する、梔子の王国も商業が盛んだが、それは主に立地の優秀さから来るところが大きい。
梔子の国は三つの大国に囲まれているが、その地理を逆手に取り、それら三国の中継点として、いわゆる『オアシス』として要所となった。
言わば、黙っていても金と物が集まる立地なのだ。
大して、千草の国は違う。そういった取り得が無い故に、自ら貪欲に商売を発展させてきた国である。
ハルは今、その緑色の国、首都へとお邪魔している。
「来るのは初めてだけど、カラッとしてるね」
「はい! そのためか、わが国とはまるで異なる市場の雰囲気です!」
アイリの生まれた梔子の首都、いわゆる王都は、繊細なモザイクアートで彩られた石畳をはじめ、全体的に華やいだ雰囲気のある商店街が魅力の街だ。
対してここ千草は、景観よりも効率重視。道路は平坦に固められ、店は改築、移動がしやすいようにか簡易な作りが目立つ。梔子のようにどっしりとした店舗は少なめだ。
そして何より気候が違う。
梔子は街の中に川を引き込んだ、しっとりと木々の多い街であったが、こちらは水気が少ないようだ。
カラカラ、とまではいかないが草木は少なく、そのせいか季節感は薄い。
一年を通して休むことなく商売を続けるのであろうこの国には、相応しい景観なのかも知れなかった。
「しかし、所が変われば空気も変わるものなのですね! わたくしのお屋敷の周囲は、どこも緑でいっぱいでした」
「そうねアイリちゃん。恐らくは、三国を分断する山脈が影響しているわ? 湿った空気を遮って……、しかし、この距離では、ここまで極端に変わらないはずだけれど……」
「この星は、地軸が少しおかしくなってるみたいだからね。その影響もあるかも」
「お二人ともすごいですー……」
地球の地理の知識を持つ二人、ルナとハルが気候について予測する。
博学なアイリだが、地理については疎いようだ。きっとこの狭い世界を認識させないよう、神がその知識の流布は控えたのだろう。
「ところでハル。アイリちゃんがはしゃいでいるけど、平気なの?」
ルナがしているのは、周囲にバレないのか、という心配だ。
今この地へは、ハル、アイリ、ルナ、この三人でやってきている。堂々と、素顔を晒してだ。
ハルは神気を発し、アイリは他国の王女様、ルナだって目を引く美少女だ。注目を浴びるのは普通なら得策ではない。
「大丈夫だよ。人目は集めちゃうだろうけどね。僕らの正体がバレることはない」
「しゅみません、おのぼりさんでしたー……」
「大丈夫よアイリちゃん。おのぼりさんも、それなりに多いようだから」
ルナに続いて周囲を見渡してみると、街の規模の大きさや商売の活発さに目を奪われている者は他にも多く見られた。
ちょっと目立っても、よくあることだと風景に埋没していく。
「でも、おかげで“声が届く”ということが証明されたわね?」
「うん、実験は成功みたい」
「怪我の功名でしたー……」
そう、今回の潜入は、以前に梔子の首都でアイリとデートした時のように、空気のように人の意識から外れる方法ではない。
きちんと彼らから見えて、言葉も交わせて、買い物も出来る。
<神化>の習熟により、そんな都合の良い認識阻害が可能になったハルだ。
「ハルさん! わたくしたちは、どう見えているのでしょう!」
「個人によって違うね。その人の、“見たいように”見えているんだ」
「確か“記号”を送り込んで、脳内で複合化させているのだったわね?」
「わかりません!」
脳の構造に興味がなければ、この辺は分からないだろう。ハルは周囲に届かないように説明してゆく。
「まずはアイリだけど、『銀髪』、『長めの髪の毛』、『青い瞳』、『美少女』、『元気』、『ちっちゃい』、って断片的なイメージだけ送り込んで、あとはそれに合った好きな姿を想像してもらうんだよ」
「すごいですー……」
「ルナだったら『黒髪黒目』、『髪は肩口』、『美少女』、『冷静』、『ジト目』、みたいにね」
「……ジト目っていうのは、もっと何とかならないのかしら」
ルナは今、ログアウトして本体で来ている。日本の姿だ。
何となく、ギャルゲーヒロインの『属性』みたいだな、とハルは感じる。それだとアイリには『王女様』、ルナは『お嬢様』を追加しなければならないのだが、それでは本末転倒か。
そうした属性の羅列から、おのおの思い描く姿がこの地の彼らの目には映っている。これも<神化>によって進化した<誓約>の応用だった。
<誓約>を掛けるルートで、彼らの心に偽装をかけている。
「……ここまで出来ても、自分に課せられた<誓約>は解けないんだよね。NPC用とプレイヤー用の違いか」
「ハルさんハルさん!」
「ん? どうしたんだいアイリ」
「ハルさんは、どう見られていますか!?」
「……僕か。僕はね、『髪色の薄い』、『短めの髪の』、『線の細い』、『美少年』……」
「私の指定よ」
「素晴らしいですー!」
自分のことなので、『美少年はどうなのか……』、と思ったハルだったがルナが譲ってくれなかった。
なので今は美男美女が並んで歩いている形になるが、最近はプレイヤーの往来も増えただろうから、そこまで目立たないはずだ。
そうして認識をズレさせる事で、アイリは正体を隠し、ハルの神気もまた彼らの精神に浸透せずに済んでいる。
そうしてハルとアイリは初めてのびのびと、異国の街を散策することが適ったのであった。
*
「かいぐいをしましょう!」
「……だめよ? アイリちゃん? ハルも、変なこと教えないの」
「でもルナも、学園帰りに買い食いするの好きじゃない」
「あなたと一緒だからよ……、一人ではやらないわ……」
どうやら、ルナの話を聞くに、この地で出ている屋台が問題であるようだった。
カナリー焼きをはじめとしたお菓子の屋台が多い梔子とは違い、ここ千草は牛肉の串焼きなどが多いようだ。
この地の特産品は牛肉。その品質は極上で、この辺りに安く出回っている物であっても非常に美味しいらしい。
確か、ハルとアイリの結婚記念パーティーにも、貴族が贈り物として選んできたくらいの代物であった。
「せっかく仕立てた素敵な服が、タレで汚れてしまうわよ?」
「そうでした! それは、良くないですね!」
今日のアイリはいつものドレスではない。式典の時にカナリーが纏った日本的な神の衣装。あれをアイリも着たがったので、豪華さを抑え、かつ普段でも着やすいようにルナが調整した仕上がりだ。
そう、屋台の串焼きは、たれるのだ。
ハルとしても、ルナが新しく秋用にデザインしてくれた、和服の印象を際立たせたコートを汚したくは無い。
まあ、ハルの技量であれば、タレを一滴もこぼさずに完食することも可能であるのだが、そんな曲芸じみた食べ方もまた風情が無いだろう。
「仕方がありません、諦めましょう!」
「……お待ちください、若君様、お嬢様がた」
そうして肉の焼ける匂いの立ちこめる屋台の前から三人で去ろうとすると、それを引き留める声が掛かる。
当然ながら、三人とも気づいていた。その、“こちらを観察していた”男を釣り出す為の小芝居だったとも言える。
「失礼、私、この屋台の系列の店の責任者でして。申し訳ないと思いつつも若君様がたのやりとりが聞こえてしまい……」
どうやら、落ち着いた店内で望みの肉を食べないか、という客引きのようだ。客引き、とは言っても、金持ちそうな相手に限るのだろう。
探るような視線は、その値踏みだったという訳だ。ハル達の服や態度を見て、上客だと判断したのだろう。
そんな、愛想の良い三十台くらいの男に案内され、ハル達はそこそこお高そうなレストランへと案内される。
どうやら、系列店の責任者という話は本当のようだ。店の者よりも立場が上の様子で、テキパキとハル達の接待の指示を飛ばしているのが席から見えた。
「……ハル。あの男、値踏みするようにジロジロ見てきたけれど、偽装が突破される心配は?」
「基本的には平気。デッサンでもとる様に、詳細に観察されたら認識が狂うだろうけど」
「どうなるのですか?」
「見えない物を無理やり見ようとする状態になる、頭痛でも起こるんじゃないかな?」
つまりは元気に対応してくれている間は大丈夫だ。
そんな、ともすれば失礼とも取れる視線を向けてきた男を釣り出したのには、もちろん理由がある。
この街を、ただぶらぶらと観光して周るのも良いが、今日ハル達がこの地に来たのには目的がある。
今は対抗戦イベントの開催期間に入り、プレイヤーは続々と神界の会場に集合している。その機に、情報収集するための来訪だ、旅行ではない。
故に現地の情勢に明るい人物に、渡りを付けられるならば都合が良かったのだ。
冬備えのための物資を集積している場所など、時間内に調べておきたいハルだった。
「お待たせしました。間もなく、お肉が焼きあがりますよ」
「助かるよ。屋台の匂いにつられちゃってさ。お腹が減っちゃったんだ」
「それは、我々の作戦勝ちですね! あの匂いはその為のものですからねぇ」
日本で言えばウナギの焼ける匂いという奴だ。ハルも情報収集の他にも、純粋に匂いに釣られた部分もある。
脳内で肉大好きの白銀が騒がしくなった。彼女にもこっそりと送ってやろうとハルは思う。
「こちらへはご旅行ですか? 居場所が分かれば、旦那様もお招きしましょうか」
「僕が『旦那様』、当主だ。その必要は無いよ」
「夫婦です!」
「兄妹では、ないわよ?」
「これはとんだご失礼を……」
商売に来た貴族、その子弟。そう見えていたのだろう。
……ルナは、以前ハルと兄妹に見られていたことを気にしているようだ。背の低いゲームキャラではなく、今日は本体なのでそれは無さそうだが。
どちらかと言えば、二人とも髪色が薄いハルとアイリが兄妹と思われていた。
偽装では何歳くらいに見えているかは人によりそれぞれだが、『美少年』『美少女』、と指定したことにより、責任ある立場には見られなかったようだ。
「この国には旅行でね。あと、買い物とかしようと思ってさ」
「ええ、ええ。この地にはあらゆるものが、七つの国より集まりますから。きっと旦那様の御めがねに適う品も見つかることでしょう」
「ところで、僕らが外国人だってすぐに分かったんだね?」
「それは勿論! そのように素敵なお召し物を身に付けられるお立場でこの国の方ならば、全て把握しておりますから!」
「へーすごいね」
貴族の顔を憶えるのは商人の基本のようだ。気合の入れ方が違う。
ハル達の服は皆、ハルとルナによるオリジナルデザイン。そんな物を特別に仕立てられる奴は、即イコールで貴族になるのだろう。
ハル達の顔は憶えられないのが、そんな彼には残念なお知らせになってしまうが。
「でも最近は、変わった服を着てる人は多いだろう?」
「ふふふ、使徒様とこの世の者、見分けがつかねば商売はやっていられませぬよ旦那様」
「へーすごいね」
これは本当に凄い。このゲームのキャラクターデザインは、かなり精巧に作られている。ハルですら、一見では生身であるNPCとの見分けがつかないくらいだ。
それを遠目から、確信を持って判断し近づいてきた。彼の商人スキルはかなりのものだ。プレイヤーなら、<商人>とか出ているだろう。
そんな話をしている間に、肉が運ばれてくる。ステーキだ。いきなりメインディッシュだ。
外の屋台で涎をたらしていた(たらしてはいないが)若いハル達を気遣って、肉から来てくれたのだろう。判断が柔軟だ。
「いただきます」
「いただきます!」
「あ、この肉ってアベルが来客用に備蓄してたやつじゃん。ここの物だったんだね」
「ああ……、あの話に聞いた肉のタワーね?」
「わたくしも、お話を伺って以来いつか食べたいと思っていました!」
「え、ええ。この国の特産でして、尊い方でも自国にお持ち帰りになられる場合は多いのですよ! 美味しいでしょう!」
「おいしいです!」
「そうね。なかなかよ?」
以前、アベルがハルとマツバ少年を接待してくれたときの肉は、ここの物であるようだった。変なところで縁がある。
脳内で白銀がうるさいので、ハルは自分の皿をこっそりとコピーして、天空城に送りつけておいた。
そうして食事を続けながら、ハルは案内の男を注意深く観察する。
どうやら、結構な“当たり”、大物を引いたようだ。この街の案内は彼に任せるか、そう、心の中で算段を付けてゆくハルだった。




