第317話 私とあなた、私があなた
さて、すぐにでも行動を起こしたいところだが、何事にも準備期間は必要。
特に、ゲームのイベント開催はすぐにスタートしてしまうと運営への心証が悪い。そして、何より人にはそれぞれ予定があるので、突然だと参加できない。
そのためハル達は、その空き時間でやれることを行いながら過ごすことにした。
やれること。戦力強化や、<誓約>の解除、そして互いの交友を深めること。つまりデートだ。
「おみせいっぱいですねー。ネットでは知ってましたけど、生で見るとやっぱり違いますねー」
「だよね。カナちゃん。私も生で見ると、くらくらきちゃう……」
「ユキのそれは、またちょっと違うね。人間酔いだ」
ヴァーチャル空間に高い適応力を発揮するユキ。その反動で、いわゆる『リアル』には順応性が低く、性格も少し大人しくなる。
まるで視界に霞が掛かったかのようになるらしい。ゲーム中にそうなる人は多いが、非常に珍しい逆パターンだ。そのため彼女はリアルを軽視し、ゲーム空間にもぐってばかりの日々を過ごしていた。
そんな大人しい方のユキと、この日本にまだまだ不慣れな観光気分のカナリー。そして自身も廃人プレイヤーであまり外出しないハル。
そんな奇妙な取り合わせで、今日は日本の街でのデートとしゃれこむのだった。その足取りは、当然ながら遅々としたものである。
「特にビルは凄いですねー。“あっち”には、ビルはもうありませんからねー」
「……もう?」
「カナちゃん、ここのビルって、気を抜くと入れ替わってるんだよ? こわいね」
「エーテル技術の集大成ですねー。私が居た当時は、ここまでの大規模工事に使えるような予定は無かったんですよ?」
「ハル君が頑張ったんだね。すごい」
「ユキは何でも僕の功績にしようとしないの。頑張ったのは人類だよ」
一応、ハルもただ一人残った関係者として、技術の発展に影ながら協力はしていたが、当然ハル一人でどうにか出来ることでもない。
崩壊から立ち直り、それどころか更に発展を遂げたのは紛れもない人の力だ。
その新たなる日本文化。高速で大規模なエーテル建築で作られた店舗街で、ハル達はデートのついでにある特訓をしているのだった。
ある服飾店の中で完全に物陰に入ったところで、カナリーが声をかけてくる。
「人目が完全に途切れました。偽装もばっちりです。今ですよー」
「おーけーカナリー……、<転移>」
ハルが<転移>を起動し、その体の位置がほんの少しだけズラされる。
別に意味のあるワープではない。ここは日本だ、危険ですらある。では何故そんなことをしているかといえば。
「わたくしがきました!」
「……失敗だね。ごめんね、アイリ」
「平気です! 次に飛んだら異世界のどんな場所なのだろうかと、わくわくします!」
この、ハルの<転移>へのアイリの巻き込み、それを制御できないか。その為の訓練を行っているのだった。
ハルとアイリは精神的に癒着し、その深い部分で融合している。しかし、<転移>するときに巻き込んでしまうのは、その事とは直接関係がなかった。
現に、同様に新たに融合したカナリーには、巻き込みが発生していない。
「カナちゃんは自分でガードしてるん?」
「違いますよーユキさん。私は、そもそも“設定していません”。この現象は、アイリちゃんを神界に連れて行くための特別措置ですから」
「あ、そか、忘れてた。ハル君がゴネたんだったね。『一緒にギルドホーム行きたい~』、って」
「ゴネとらんが……」
そう、ギルドホーム実装当時、神界に行けないNPCのアイリも連れて行けるように、ハルとアイリを“関連付け”してもらったのだ。
それが二人の精神の融合の一因になったはずだが、直接の原因では無い。アイリを取り込んでしまったのはハル自身だ。
つまり、これは解除しても問題ないものだった。
「このデータの関連付けは、神界ネットの内部で行われています。つまりこれを制御できれば、<神化>スキルも一歩前進ですねー」
「そして<誓約>の解除にも一歩近づく、と」
事実、この同時転移は絶対ではない。闘技場のバトルに参加した時、カナリーがアイリの転送だけ妨害してくれたことがあった。
その時の状況を何とか思い出しながら試行錯誤しているが、今のところ成功例は無いハルだ。
「それはそれとして、失敗しちゃったから罰ゲームだね、ハル君」
「ここのお洋服をアイリちゃんにプレゼントですよー。ついでに私にも欲しいですよー」
「お手やわらかにね、みんな。ユキも、好きなの選んでいいよ」
「わ、わたし? 私は、服きないしなー」
「裸族か?」
「裸族ですねー。裸でポッドに浸かりっぱなしって意味でー」
「……かいます」
罰ゲームとしてのプレゼント、という名目の女の子たちのファッションショーを楽しみ、アイリは向こうの世界に帰って行く。
ハルは再びこちらに生み出した分身のチェックを軽く済ませると、会計し店を出た。
普通、突然に人がワープしてきたら、店内のエーテルネットが誤作動を起こしそうなものだが、アイリだけは例外だ。
なにせ、彼女の判定は『ハル』ということになっている。ハルは既に店内に居るので問題は無い。
そうして、少し危ない橋を渡るスリルを楽しみつつも、ハルの訓練という名のデートは続いていった。
*
「そういやさーカナちゃんー?」
「なんれふかー?」
何度目かの失敗、個室のあるレストランで休憩中に、ユキが思い出したようにカナリーへと質問する。
今のカナリーは何でも答えてくれる。そのため、当時は謎だったことを、こうしてふとした拍子に“答え合わせ”することも多かった。
飲み放題のドリンクを(甘いものだけ)これでもかと並べて、ちゅうちゅう、とマイペースで吸っているカナリーがそれに答える。
「同じくらいの時期だったよね。ハル君があっちに間違って<転移>しちゃったのって」
「ですねー」
「あの時、もしハル君が解決策を思い浮かばなくて、諦めちゃったらどうしてたの?」
「あ、わたくしもそれは気になります。確か、“ろぐあうと”すればどうにかなる、というお話だったはずですが」
ハルが最初に<転移>を発現した際、まだスキルとして確立せず事故のようにアイリの世界へと飛んでしまった時のことだ。
ハルは何とか解決策を見つけたが、場合によっては、見つけられないでゲーム内に取り残される、という事態も考えられた。
そんな時でも、ゲームによって引き起こされた事故は運営が何とかする義務がある、という話だったが、実際はどうやって解決したのだろう。ハルも、そこは少し気になっていた。
「苦肉の策にはなるんですがねー。私が人化した時のように、強引に次元に穴を開けてハルさんを送り返す事になったでしょうね」
「あれ? 当時じゃあ、まだ魔力が足りなかったんじゃない?」
「なので苦肉で苦渋なんですー。貯金はゼロになって、他の神から借金までするとこでしたー。ハルさん、信じてましたよ~」
「……確かに、カナリーちゃんにしてはちょっと焦ってた気もする」
「どっきーん」
新しく得た心臓を、大げさに押さえている様子がかわいらしい。
その場合は、カナリーだけでなく、あのゲームの運営自体が傾いていた可能性もあるだろう。まだゲームも始まって間もない頃だ。プレイヤーの活動による魔力の備蓄も進んでいなかった。
「しかしカナリー様。カナリー様の人化における魔力消費はすさまじいものがありました。ハルさんを送り返す量、足りたのでしょうか?」
「ハルさんは、元々こっちの人でしたからね。安いものです。私の場合は、データのコンバートが大変だったんで」
「どゆことカナちゃん?」
「魔力体から人の身体に変換するための計算を、スパコンで強引にやったようなもんですよ。それに使う大量の電力が魔力ですねー」
「カナリーちゃん、そんな前時代の例えじゃユキには伝わらないよ」
前時代に作られたAIらしい部分の名残だな、とハルは少し愉快な気分になる。
今の時代だと、そういった巨大な計算機を用意する、ということは無くなった。人類の活動規模では、エーテルネットの有する膨大な計算力を全て使い切る段階まで達していないのだ。
それこそ、もうひとつの世界をシミュレートでもしない限り。
そのため、ハルが意識拡張するための余剰領域が使える、という事情もあったりする。
ちなみに使い放題とは言っても、一定以上の計算力を利用するには、特別料金が必要だ。あのゲームの規模の運営だと、本来それが課せられているレベルだろう。
「結局それでハル君とアイリちゃんは結ばれて、めでたしだった訳だ」
「ぶっちゃけ、もう精神はくっついてましたから。どう足掻いてもメデタシでしたけどねー」
「それではカナリー様が報われません! だめなのです!」
「ありがとーアイリちゃんー」
精神の癒着と同時転移の判定もあった。ログアウトでこちらに戻る際には、アイリも着いて来ていた、そういうことだろう。
今のように順調ではないだろうが、奇妙な共同生活がスタートしていたはずだ。
それもまた、一つの物語。その時はカナリーを迎えに行くために、再びアイリと共にあの世界へと旅立つ、のだろうか?
そんな事をハルが考えていると、ユキがなんだか上の空で考え込んでいるようだった。
こちらのユキは、ゲーム内とは違ってさほど発現は積極的ではないが、周囲に気を配り、会話を盛り上げようとしてくれる良い子だ。
こうして、本当にぼんやりとしている様子は意外に珍しい。
「ユキ? どうしたの? 口に合わないものがあったら、口に合うようにしてあげようか」
「およ……? んんん? そこは、『食べてあげようか』、じゃないんだ……」
「管理者ジョークですねー。味覚を弄られちゃいますねー」
「すごいですー……」
「す、凄いんだろうけど、こわいて……」
当然、そんなことをハルが実行する事は無い。気を引いただけだ。
「いや、ね? ほら。カナちゃんもさ」
「はいー」
「ハル君とひとつになったじゃん?」
「おかげさまでー」
「だから私も、そうなった方がいいのかなーとか、思っちゃったり……」
ユキがとつとつと語りだす。それをハルたち三人は、ゆっくりと聞いてゆく。
こういった、彼女の本音を聞ける機会はあまりない。普段のユキは、ハルたちと共に遊べるだけで心から満足であり、こうした希望や、または不安を吐露するといった事がない。
そういった部分は、こちらの本体である大人しいユキの状態に限った話であった。
「わたくしは、歓迎します! えと、どうやれば良いのか、分かってないのですが、えへへ……」
「ユキさんも、ハルさん大好きですもんねー。でも、やっぱり不安ですか?」
「ふあんとゆーか、なんとゆーか」
「……“向こうのユキ”の気持ちのことだね」
「うん、そう。それ。……今はだいぶ大人しくなったけど、“あっちの私”、まだハル君に勝つこと考えてるんだ」
様々なゲームにおいて、ハルの後塵を拝し続けてきたユキ。
そんな強力なプレイヤーであるハルに好意を抱きつつも、同時に『いつか勝ちたい』という願いも胸に秘めて、常にハルの首を狙っていた。
最近は、ハルへの好意、という部分をはっきりと自覚することによって、その攻撃性はだいぶ抑えられていた。
しかし、その気持ち自体が消えた訳ではない、そう彼女は語る。
「セレステちゃんの戦いを見てからかな、あっちの私、また燃え上がることが多くなってきてる」
「んー……、セレステも、変なとこ一途でまっすぐでしたからねー……」
「セレステちゃんは、ハル君に負けて満足しちゃった。うらやましい。私も、ハル君に勝って満足したいって」
「それが叶うまで、同化はできない、ということなのですね?」
「だと、思う。わからんくて、はっきりしないけど」
「なるほどねえ。ユキはやっぱり複雑だね」
「ハルさんがー、言うなー、ですよー」
ひとつになってしまったら、上も下も決めることが適わなくなる。それを、彼女は恐れているのだ。
ならば融合しなければ良い。そう普通は考えるだろう。しかし、ハルはきっとそうしてしまう。強引にでも。ユキも、その直感でそれを理解しているのだ。
ユキの好意を受け入れれば、必ずハルはユキも取り込む。これは、ハルの愛の示し方の歪んだ部分だ。ハルも、普通の人間のようにしているが、根本的な部分でヒトと異なるところがある。
今までは、相手がアイリやカナリーだったため、そこを気にすることは無かった。彼女達も、また少しズレた存在だ。
しかし、精神的には少し変わっているが普通の人間であるユキ。彼女の愛が深まるほど、その摩擦もまた、顔を出してしまうようなのだった。




