第314話 経済の戦い
「経済戦争を仕掛けられてる?」
「ああ。少し前から兆候は出ていたのだけれど、ことここに来て、本格化したようだ」
カナリーの退神式から一週間ほど経ち、王国の首都が浮ついた空気から落ち着きを取り戻した頃、ハルは再び王宮を訪れていた。
突然国をかき回して迷惑をかけたお詫びと、今後の体制についての話し合いのためだ。
この黄色の国、梔子のシンシュ王子は各所への調整が大変だった事をグチりつつも、概ね良い方向に事が進んでいると教えてくれた。
祭りにより経済の回転は活発化し、新しい神シャルトへの期待も高まっている。カナリーが居なくなった悪影響も“今のところは”顕在化しておらず、民の間には笑顔が広がっている。
ただし、いい影響であろうと悪い影響であろうと、そこに大きな変化が生じたのは間違いない。変化が生じる時は否応なく市場も動く。
そこに、怪しい動きがあるようだった。
「これから冬が来るだろ? その為の必需品、それを買い占める動きが組織的に起こっているようでね」
「経済戦争って言うからもっと長期かと思ったけど、それは短期的な攻撃ね。義兄さんは、どこの攻撃だと考えてるの?」
「無論、東の千草だよ。というかそこ以外に候補がない」
「商業の国としては、わたくし達以上です。というより、我が国はそもそも商業の国ではありませんからね」
「商業に適した立地をしているってだけだね」
「ああ、そうなんだ。だから本気を出されては、俺たちでは勝負にはならないんだよ」
厳重な警備の密室で情報を交換するのは、シンシュ王子に、ハルとアイリの王族の面々となる。
兄妹水入らず、というには空気が硬いが、最初のような緊張感は抜けていた。ハルも言葉を崩すことを許されている。
……というよりもお願いされてしまった。少し、神の力のパフォーマンスが派手すぎたようである。
そのシンシュ王子が語るには、経済的にちょっかいをかけて来ているのは、東の、千草の国。色で言えば『緑色』の国だ。
隣の国ではあるが、ハルがまだ接触していない国であり、神様である。
緑の神である、『商業神ジェード』は、落ち着いた雰囲気を持つ大人の男性タイプ。知的なイケメン、というイメージでは、目の前のシンシュ王子に少しだけ近いかも知れない。
「ハルくんはまだあの国と交流が無いとか。意外だなと、ちょっと思ってしまったよ、俺は」
「そうかな? まあ、ショッピングが好きなタイプではないから……」
「ハルさんは、何でもご自分で作り出してしまいますからね!」
「はっはっは、なるほど。店売りの品に興味はないか」
「別にそういった訳じゃ……」
そういう部分は、あるかも知れない。店売りの品に興味はない。
そして、物の価値は自分にとって有用かどうかであって、経済的に認められて高額か否かにはあまり興味がない。
しかしながら、この世界の事を知るには、実際の店舗でどんな商売が行われているかを知るのは非常に重要なはず、なのだが。
「……“この体”になって以降、気軽に買い物、って訳にもいかなくて」
「はっはっは! それは俺もだよ。いや、義弟と同じ苦しみを共有できて嬉しいね」
「わたくしも、気軽に出歩けない身なのです!」
三人で自虐しつつ笑いあう。朗らかな場面でありつつも、皆の目は死んでいる。
いかに、さほど興味が無いとはいえ、全くの不可能となるとやりたくなってしまうのが人情というものだ。
ハルは神気を発するため注目を浴びてしまい、アイリとシンシュは王族であるためにおいそれと出歩けない。
「よしっ。ここは兄妹の絆を深めるために、三人で街に視察に出ようか!」
シンシュ王子の無茶な提案に、近衛の騎士達が揃って全力で首を横に振っていた。
◇
「この国は経済の要所であるからして、自給自足をせずとも大抵のものは揃う。国民であれば値段も安く買える」
「つまり、ヴァーミリオンの国で見たように、冬に向けて事前に備える、といった行動はあまり取りません。冬になれば、その時にお店で買って揃えます。無論、わたくし達は別ですが」
「有事に際しての備えは俺たちの王宮で備蓄している。だがそれも、限度がある」
「市場からまるきり消えてしまっては、対応しきれない……」
「ハル君の予想通りだ」
この国は赤の国ほど冬が厳しい訳ではないようだが、それでも四季があり、寒暖の差が大きい気候だ。冬に必要な物品が消えては、民は凍えてしまう。
そうした直接的な攻撃ではないにせよ、こちらが困り果てた頃を見計らって、『お安くしておきますよ?』、と満を持して登場するのだ。
法外な価格を吹っかけられたとしても、背に腹は替えられない。王宮は苦渋をにじませながらも、相手の提示した額を支払わざるを得ないのだ。
直接的にせよ間接的にせよ、もはやこれは戦争と変わらぬ被害を出す結果が予想される。
シンシュ王子が最初に『経済戦争』と語ったのは、そういうことだった。
「それでも、最初は国境を無視できる“ぷれいやー”の方々に依頼すればいい、そう考えていた」
「だめなのですか、兄様? 千草の国が黒幕ならば、かの国での購入を依頼すれば、安く手に入るでしょう」
「それが困ったことにね。買占めを行っているのは、どうやら使徒が中心となっているようなのだよ」
「……それはつまり、あちらの国に雇われて。なのですね」
大半のプレイヤーは己の利益で動く。商人にとっては扱いやすい。
中には自分の好みの国の事情を優先させる者もいるが、まだ多くの者はそこまで自分の所属を明確にするまでには至っていない。
故に、現状では資金力のある国が最も、プレイヤーを動かすには有利であった。
「しかしハルくん。彼らは、バックパック程度の量でしか、物品の移動は適わないのではなかったか?」
「ええ。でも中には、固有の特殊能力で、その大きさを拡張できる者もいると予想されてるんだ義兄さん。もうこれは、確定と見てよさそう」
「特異な存在か。厄介だな……」
普通のプレイヤーが店で普通に買い物をし、その特殊プレイヤーへと届ける。
そうして十分な量が集まったなら、その彼か彼女が、神殿から転送して戻り、荷物を降ろせばいい。手間は非常に簡略化される。
戦艦が子機を射出するようなイメージから、『ビットを飛ばす』などと揶揄されるやり方だ。
「ひとまず、僕の方で情報を集めるよ義兄さん。それだけ派手に動いているなら、“絶対に”痕跡は残しているから」
「ああ、頼んだぞ義弟よ! ……時に、ひとつ確認なんだがね」
「兄様、ハルさんを家族と断じるならば、その情緒不安定な喋り方は止めた方がいいのです」
「ぐっ……、そ、それでだね」
「なんでしょう?」
われ王族ぞ、という自信溢れる態度を崩さないシンシュ王子が、珍しく言いづらそうにしていた。
やはり、本質的なところで、ハルには権力的な威光が通じない、と分かっているためだろう。歩く戦略兵器を前にさせている、ということにハル自身も多少の申し訳なさを感じる。
「正直な話、ハルくんの力に期待している者は多い。祭りの時と同様に、今回も物資を生み出してくれないかとね」
「……でしょうね」
力を見せれば、当然こうなるのは予想されていた。
ハルに頼めば、またいくらでも物を生み出してくれるのではないかと、そう期待させてしまう。利用しようとする者以外にも、純粋に頼ってしまう者も多いだろう。
「……どうかな?」
「……勿論、“最後には”僕がなんとかするとお約束しましょう。だから義兄さんは、安心して対応にあたっていいよ」
「おお! 助かるよ!」
「でもそれは、本当にどうしようもなくなった時だけね。最初から僕の力込みで、プランを組まないように」
「ああ、最悪の展開を回避できると確約されるだけでも、精神的には救われるさ」
「今回は胃痛の心配をせずに済んで良かったですね、兄様」
そのアイリの言葉に、シンシュは笑い顔なのか困り顔なのか、口の端を器用に片方だけ歪ませて、複雑な表情をするのだった。
今回は、ということは、その前回の胃痛の原因は目の前のアイリなのかもしれないと、予想できてしまうハルである。
*
「ジェードも、ぶん殴って言うことを聞かせればいいのではないかな、ハル。うむ、いい考えだ、さっそく実行に移そうじゃないか!」
「セレステ、ステイ」
「うむっ、忠犬だとも」
ハルは駄犬に『待て』を言って聞かせる。彼女の場合、本当にやりそうで困る。
シンシュ王子との話し合いの後、ハルは天空城へと戻ってきていた。
銀のお城は再建され、その中の一室には配下となったセレステと、同じく配下となっている神々、マゼンタ、マリンブルー、シャルトが集っていた。
「神の集会所かここは」
「あははっ、自分らのような高位の存在が一同に会するなんて、滅多にあることじゃないですよ? もっと誇ってくれないと自分の自負とかがなー、傷つくなー」
「シャルトって自分から高位とか言っちゃうんだ? ボクには真似できないなぁ」
「マゼンタくんは神の風上にも置けない低位のサボり魔だからね♪」
実際、お茶とお菓子で雑談している暇人達にしか見えない。人間に近いというのも、こういうとき困りものだ。
唯一、高位であると証明しているのは溢れるその神気だろうか。こんな中でも顔色ひとつ変えずに給仕に励んでくれるメイドさんには頭が下がる。
「まあ一応、お屋敷の方に詰め掛けてこなかったのはお礼を言っておくよ。メイドさん、まいっちゃう」
「平気だと思うけどねぇ。ハルのメイド、君と一体化してるせいでボクらに耐性ついてるし」
「なかなかの武人気質だね、彼女らはさ。日々、修行を欠かさない」
「神気って耐性とか修行で、どうこう出来るのか……、更に安っぽくなったぞ、神……」
しかし、メイドさんが神気にストレスを感じる事がなくなれば、それは喜ばしいことではある。
さて、なんだか文句を付けてしまっているが、ここに神々を集めたのはハル本人だ。あまりのくつろぎっぷりに、一言いいたくなってしまっただけである。
スキル、<神化>によって神界ネットワークに接続することにより、配下となった神々とはいつでも連絡がとれるようになった。
連絡がつけば彼らは転移も自由で、こうしてここに集ってもらうのに時間は掛からなかった。
集めた理由は当然、下界の事情への対応だ。
「でも実際さぁ、セレステの言うことも一理あるんだよね。これってどう考えても、武力では勝てないハルさんに対する攻撃だし」
けだるそうな態度でお菓子をつつくマゼンタが、本題へと入る。
そう、今回の経済的な攻撃は、裏に商業神ジェード本人が控えての事ではないかと、そう考えて彼らに話を聞いている。
「うむっ。ハルはもはや、ゲーム内では直接攻撃で勝てる相手ではなくなった。であるからして、」
「ハルさんに攻撃する手段は限られてくるんだぞ♪ からめ手だぁ♪」
「本体で負けたセレステは実感がこもっていますね。ははっ」
「搦め手でも負けたシャルトには耳が痛い話だったかな? ははっ」
「仲良くしなよ省エネコンビ」
ハルが仲裁に入るが、省エネの質が違うと、余計に話がこじれてしまった。
セレステは消費軽減、シャルトは吸収や回収がそれぞれ“特異”分野だ。お互い、そこには誇りがあるようだ。
そんな、挨拶代わりに皮肉を言い合うのは相変わらずの神様たちだが、見解自体はみな同じだ。つまりは、今回の件は商業神ジェードの攻撃。
武力では勝てないハルに対しての、挑戦だった。
「あ、あにょ……! あの。ですがハルさんに、その攻撃は通用するのでしょうか! えと、ハルさんは<物質化>で、やろうとすれば経済をまるごと支配できてしまいます!」
そこに、場の神口密度に圧倒されていたアイリが、おずおずと手を上げる。
「結局、多少の魔力を削られる、嫌がらせ程度にしかならないように、感じるのですが……」
「そうですね。アイリさんの言うことは、その通りではあります。……あとは黄色の神である自分への嫌がらせにもなってるね。あはは。……ハルさん、やっちゃいません?」
「……シャルトには苦労をかけて悪いとは思ってるよ」
年齢や髪色など違いは多いが、その表情は先ほど見たシンシュ王子と一部、似通って見える。胃があったら、痛んでいたかも知れない。
「マリンちゃんが思うにはねぇ、そうして<物質化>を使って解決させることこそが、目的なんじゃないかなー、って♪」
「<物質化>は使えば使うほど、ハルの肉体にはマイナスのエネルギーが蓄積してしまうからね」
「そうなのですか!?」
「……セレステ、気軽に冗談が言えるようになったからって、物騒なこと言わない」
「うそなのですか!?」
アイリが翻弄されっぱなしだ。基本的に、神様の言うことなら何でも信じてしまうだろう。からかわれない様に、ハルが注意してやらねばならない。
「王子の対応でも分かったでしょハルさん? <物質化>は人間にとって夢の力で、劇薬だよ。……その劇薬を使わせ続けることで、今は賞賛しかないハルさんの立場を崩そうとしてる。そう考えられるね」
マゼンタが、何やら実感のこもった表情で語る。幼い外見にそぐわず、その態度は非常に達観して見えた。
民を導く立場としては、彼の方が先輩だ。彼は、最終的に“完全に手を引く”という結論に達した。ただのサボりではあるまい。
そこに、ハルが学ぶことは多いだろう。
この問題の他にも、まだ外の神様の問題だってある。ハルは慎重に、今後の己の動向を決めてゆこうと決意を新たにするのだった。
※表現の修正を行いました。「嘘がつける」→「気軽に冗談が言える」
状況的に大きく違いはありませんが、セレステは本質的にはまだ嘘が言えません。一部、カナリーと混同していたようです。失礼しました。
追加の修正を行いました。「特異分野」→「“特異”分野」。誤字か、あえての表記か分からない旨のご指摘をいただきましたので、強調表示を入れて「わざとである」事へと昇華します! 元はきっと誤字です……! (2023/5/7)




