第310話 真なる武の女神
セレステと一合打ち合うごとに、体の構造が組み変わってゆく。
まるで細胞が代謝するように、魔法の式が入れ替わる。より強靭に、より素早く、より柔軟に。
セレステに押される一方だった僕の剣は、徐々にその勢いを互角へ傾け、逆に押し込み始めた。
神の体の構成であっても、本体以外は仕様の範囲内だ。言うなれば、限界値まで強化されたキャラクター。
プレイヤーではまだまだ届くことが適わない領域だが、システム上は既に存在する。
その理論上にのみ存在する最強キャラクターに、このボディを作り変えてゆく。
「これは、参ったね……、式が分かったからといって、それが組めるかはまた別問題だというのに」
「パズルは得意分野でね」
「悪い冗談だ。私達が、百年以上かけて組み上げているパズルだというのにっ」
「相性が良かった」
この、キャラクターを構成する要素、魔法の式の組み合わせはバランスが難しい。単純に、攻撃力を表す式を大量に詰め込めばそれで最強! とはならなかった。
さながら体の枠内へと式を収めるパズルゲーム。神々はそれぞれ、自分の好みに合わせた調整によって、組み合わせの方向性を決めているようだ。
だが、その内容は動かない。セレステの体は何度か見たが、その構成式は恐らく、ずっと変化せず同じものだ。
それをマゼンタから受け取った仕様書に照らし合わせ、彼女のパラメータを擬似的に脳内に映し出していく。
やはり、神の体も本質的にはキャラクターと同じであるようだった。
「セレステの構成は美しいね。一切の無駄がなく、すっきりと整っている」
「恥ずかしいじゃあないか。だが、悪い気はしないね。もっと、褒めてくれたまえよ?」
「少ないエーテルでも、長時間の活動が可能。ソロであらゆる苦境を突破することを目指した、万能の構築だ」
「うむっ。……しかしキミにとっては、」
「出力の低さが狙い目となる」
高レベルに全体をまとめ上げながらも、省エネ性能にも優れた、機能美の極みすら感じるセレステの美しい構成式。
だが、一対一での戦いにおいてはその万能さが仇となる。省エネルギーの常として、どうしても最大出力を発揮することは出来なくなる。
そのため、安定性を犠牲にして、一点突破の爆発力を高めた構成には、どうしても威力で劣るのだ。
僕はそのようにボディを構築し、その高出力で次第にセレステを追い詰めて行った。
全力で攻撃すると、あまりの威力に反動でこちらもダメージを受ける。セレステの美しい構築では、当然そんな事は起こらない。
至高の芸術品の刀を、使い捨て覚悟の無造作な一振りで打ち砕くような冒涜を感じてしまうが、これは決闘だ。
「その隙を突く!」
小振りに、しかし鋭く、神槍を叩き落すように放たれた僕の光の剣。その黒の輝きは彼女の生成した武器を飲み込み、砕け散らせる。
防御力はカナリーに及ばないが、僕にはこの攻撃の精密性がある。
一度も当たることの無かった剣光が、武器に留まらず担い手のセレステへと、その右腕へと直撃した。
武器と共に砕かれ、吹き飛んだ右腕、そのチヤンスを見逃す僕ではない。強化され、もはや人外の速度で彼女に迫ると、容赦なく刀を振り回す。
無手でも回避に専念したセレステの躱しは流石の精度だが、最高速度で上回った僕のこの体からいつまでも逃げられるものでもない。
次第に、切り傷が細かな光のラインとして刻まれ、彼女の趨勢は劣勢の一途を辿っていった。
「ただの力押しで味気ないが。味気なくとも、勝たせてもらう」
「……味気は必要ないのだけれど、このまま負けてしまう訳にはいかないね」
セレステはここで、初めて<転移>によって距離を離した。
移動は常に足を使い、必ず接近戦だけで向かってきた彼女の転移は、単なる仕切りなおし以上の意味を持つだろう。僕も追撃すること無く様子を見る。
「私は、君の成長が見たい。君が覚醒する様を、この目で見たいんだよ。だからこの方法で負けることは出来ない」
「成長したじゃないか。……というのは、ノーカウントなんだろうね」
「うむ。確かに驚きではあるが、キミにとっては用意していたピースをはめ込んだに過ぎない」
そう都合よく、秘めたる力に覚醒など出来はしない。勝負を決めるのは、事前準備がほとんどだ。僕のその考えを察したのか、セレステが苦い顔をしてしまった。
「不甲斐ないね。キミにとって、絶対に超えられない壁で居られなかったのは」
「少なくとも、前回はそうだったよ。あの時のセレステは、倒せる気がしなかった」
「あの時だって、<降臨>に気づいてしまっただろう? 同じことだとも」
「ままならないね。僕にとっては満足の行く結果なんだけど」
僕にとっては大きな要素を占める<降臨>との出会いだったが、セレステにとっては不本意な負け方だ。そして今回も。
どうしても、セレステは“仕様の範囲内”で負けたくないらしい。
システムを超えたユニークスキルの発現、それによって打ち倒されること、それこそを彼女は望んでいるようだった。
「特に、今回は後がない。悪いけれど、少々強引に行かせてもらうよ」
僕にとって、セレステはいつだって強引だ。というのは、口に出さないでおこう。彼女は今、非常に真剣だ。
「七色会議は知っているね?」
「運営の方向性を決める多数決の会議だね」
「そう。そしてそれは、神の行動の是非を決める時に使われたりもする。ハルの周囲でも、裏でときたま議題が発生していたんだよ?」
「それはなんとなく知ってる。今回、僕は配下扱いになってる神々に指示は出さない。僕有利にはしないよ」
その是非を、セレステは今ここで問うようだ。内容は、何となく予想がつく。
「……感謝するよハル。議題は、私の本体の使用承認。5:2で承認だ。ハルが気を利かせてくれねば、危うかったかもね」
「根回ししてきたのでは? カナリーちゃんの支配が終わったから、君が僕の陣営から外れて、フリー陣営は4:3の有利だ」
「ははっ、確約は侵食力の提供まででね。……さて、キミの気遣いに恥じぬ力をお見せしよう」
ここで、議題を否定しセレステを倒してしまえば簡単なのだろう。だがそれでは、彼女の心までは従えられない。
仲間になった後も、事あるごとに恨みがましく今回の事を語り、勝負を挑んでくるに違いない。それは面倒だ。
彼女の言う僕の覚醒がどんなものかは理解できないが、きっちりと果たして勝利しなければならなかった。
「では、武を司る女神、青のセレステ、参る。神威をその身に刻み込め」
◇
セレステの体を輝く光が包み込む。ちょうど、前回の戦いと逆の状況となった。
<降臨>し、彼女を倒したカナリー。僕は言うなればあの時のセレステの位置。当然、再開される光景は、一方的な猛攻だ。
「行け、『神槍セレスティア』」
輝く宝石剣、変幻自在のセレスティアが、今までとは違ったうごめきを見せる。
形作るは今までのような武器の形ではない。その柄は、持ち手から何本にも枝分かれし、結晶の花を咲かせながら僕へ迫ってきた。
「自動追尾か!」
「正解だよハルっ! だが自動ではない。私の意思でキミを追い詰める!」
こちらに近づくに従い、爆発的にその花を大きくする神槍の穂先は、その花弁の一枚一枚を刃と貸して襲い掛かる。
神刀で迎撃して砕き落とすも、その勢いは凄まじい。まるで、モンスターの大群の中心に放り込まれたかのように、尽きることなく次々と切り込んで来るのであった。
「包囲された!? 早すぎる!」
「持ち手なき武器が直接襲い掛かる。ゲーマーのハルには慣れた光景かな?」
「ここまで容赦が無いのは初めてだね!」
「ははっ。あれは倒せるように調整してあるものね」
浮遊して攻めて来る生きた武器、などという生易しい物ではない。この視界一杯に広がる刃全てが、武神の振るう達人の剣。
簡単に言えば全周囲からセレステが襲い掛かって来ているようなものだ。
「しかも武器しか見えない! どうせなら君の姿も全面に表示してくれないかな!」
「……く、口説くのは戦いが終わってからにしてくれたまえよ」
別に口説いていない。というかそんな余裕などありはしない。
最大限に強化されたこのキャラクターボディですら、防御するので精一杯だ。流石は本体、いきなり強さが跳ね上がりすぎである。
「しかし、もっとこう、圧倒的な身体能力で押してくるのかと思ったね!」
「そればかりも芸がなかろう? だが、お望みとあらばっ!」
刃の結界の外から、そう宣言が聞こえたと思えば、一瞬で結界自体を引き裂いて、彼女の空色の髪が視界に入った。
間に合わない。拡張された思考はその姿とスピードを冷静に計り取るが、同時に体の動きが決して付いて行かない事も教えてくれた。
とっさに、僕は<転移>を使って逃げてしまう。
「!! わとと!」
「ごめんアイリ! すぐに退避して!」
「はい! お気をつけて!」
その<転移>に、僕と紐付けられたアイリも巻き込んでしまう。
同様にカナリーも転移させてしまったか、と周囲を確認するが、巻き込みの判定はアイリだけのようだ。
この仕組みはどうなっているのだろう、とつい思考を走らせそうになってしまうが、今は戦闘に集中しなくてはならない。
拡張された思考力すべてを使い、アイリの安全を確保する。
しかし、セレステがそこに追撃を掛けてくることは無かった。彼女を見ると、一時その神槍を手元に戻し、間合いを取った状態で待機している。
その体を<神眼>で見据えるが、もはやその構成式はキャラクターの物とはかけ離れた存在と化していた。
この世界で情報生命体として昇華した、彼女らAIの真の姿、その降臨体。
「ね、“こう”なってしまうだろう? お姫様を危険に晒すのは、私も本意ではない」
「フェアな武神さまだ。涙が出る」
「感涙かな、私の強さに? まあ、人質に意識を割かれても、意味はないからね。この戦いだけに、集中するんだ、ハル!」
そして再び、全周囲からの剣の舞いが再開される。
正直、これだって<転移>で避けたい気分だ。身一つ、剣一本では、まるで追いつかない。
幸いと言うべきか、その刃が振るわれる速度は、降臨前のセレステが振るうそれよりも遅く対処がしやすいのだが、この数だ。慰めにもならない。
次第にまた追い詰められてゆき、お屋敷が背後にあることを確認すると、思わず大降りで神剣の光を解放し、その黒い波動でまとめて砕いてしまう。
その余波を受けた前方の空間、せっかく作り上げた銀色の城が大きく吹き飛ばされ崩れ落ちてしまった。
「……やっぱりこの剣、環境に優しくない」
「うむっ。神域をずたずたにされた私の気持ちが、少しは理解できただろう! 空中に戦場を移してもいいんだよ?」
「止めておく。これ全開で暴れたら、それはそれで民を不安にさせそうだし」
「民思いの神様だねハルは」
神ではない、と言おうとしたが、空中に城を浮かべて見下ろすなどやってることは神気取りそのものだ。この話からは離れよう。
彼女の体の輝きは解析不能。侵食による勝利はサポートにより難しい。身体能力は、またも逆転されてしまった。
これでは本当に、セレステが期待するように、真なる力にでも突如覚醒しないと勝ち目が無い。
《覚醒、すればいいのではないです? カナリー戦の時は、覚醒を織り込み済みだったでしょうマスター》
──あの時とは違うよ、状況が。あれは、レベル100で運営が何か仕込んでると確信してたから、期待できたもので。ある意味で保障があった。
《なら今回も、保障はセレステがしてくれてます。マスターが覚醒すると、運営の彼女が確信してます。それを信じれば、いいのでは?》
……そういう、ものなのだろうか? 確かに、覚醒などというから胡散臭くなるのだ。この、ユニークスキルを発現させるというシステム、それを論理的に考えてみようか。
そこから、何か光明が見えてくるかも知れない。
その、僕の決心を感じ取ったのか、セレステの顔もまた喜悦に染まってゆくのだった。
「そうだよ、来て、ハル! 私と戦って、私を追い詰めて、私を支配して! 私をあなたの剣にして!」
「だったら今すぐ軍門に下れっての! 面倒くさいやつ!」
「そうとも! 私は面倒な女なんだっ!」
そんな面倒な彼女を下すべく、僕は彼女の言う覚醒とは何かを、彼女の槍を打ち砕きながら必死に考えるのだった。
※修正を行いました。読みにくかった位置へ読点の追加。セリフ位置の一部移動。
内容それ自体への変更はありません。




