第31話 分身の術
それから数日は、アイリに魔法を教わりながら過ごした。世間はまた休日に入り、攻略の流れも加速していっているようだ。
一から魔法を構築してみるようになって分かるのは、プレイヤーの使う魔法、つまり神の作った魔法の複雑さだ。
最初から使える基本の魔法であっても、その内容の難解さは今まで見たこの世界のどの魔法をも上回っている。当然、あの王子のシールドの魔法よりもだ。
あれはハルにやられたように、外部から直接式に干渉されるることは想定していない作りだった。セキュリティの面ではノーガードの欠陥品だ。
しかしプレイヤーの魔法は、全てそれを想定してびっしりと対策の式が刻まれていた。少し改造してみようと魔法の一部を書き換えてみたら、一瞬で元に戻されてしまった。
プレイヤーの使う魔法を<魔力操作>で戦闘中にかき消すのは至難の技だろう。
「極めつけはこの土地の結界だね。ほんともうセキュリティの塊。まあ、防犯装置だから当然なんだけど」
「へー、ハル君でも無理なんだ。魔法のプログラムは<精霊眼>で全部見えてるんでしょ?」
「見えてても、意味が分かってる訳じゃないからね」
休日の昼、ゲーム内の昼だ、ユキとその事について語り合う。休日と言ってもこの二人に関していえばさほど関係はないのだが。
ユキはこう見えてプログラムには造詣が深い。通暁してると言える。よく徹夜もしているし。
……シャレは置いておくとして。ゲームをやる以上避けて通れないため、ユキは学生顔負けに勉強していた。
『勉強は嫌い。直感だけで生きていきたい』、などと言いつつも必要となれば人の何倍も真剣に取り組む。非常にストイックな彼女だった。
「もうハル君はモンスターと会ってもさ、手をかざすだけで消滅させられちゃうのかと思ったよ」
「超越者すぎる……、無理だって。そもそも増やす事は出来ても消す事はまだ出来ないからね」
「そうなんだ。あっ、モンスターコピペして無限湧き作れる?」
「やめんか。……出来るかも。でも経験値100得るためにMP1000消費するようなものじゃない?」
作ることは出来るかも知れない。完全コピーして何も変えずにペーストは、構造の理解を必要としないからだ。
しかし効率は悪いだろう。<魔力操作>で物を作る、魔力に形を与えるのは、式ひとつであってもMPを消費する。それは当然、複雑であるほど消費が増える。モンスターの体の複雑さは相当なものだろう。
そのMPを使って次の敵を探しに行った方が、何倍も効率的だ。
「そう美味い話は無いかー。あ、でもハル君そういう装置作るの好きだよね!」
「あれは装置を作ること自体を楽しむ遊びだからなー」
拠点の近くにモンスターが無限に湧き出る仕組みを作り、そしてそれを自動で討伐する仕組みを作る。そのためのコストとなるHPMP等も自動でまかなえる仕組みも作り、合わせて一つの装置と成す。
あとは優雅にお茶でも飲んでいれば、自動でレベルが上がっていくのだ。その仕組みを作り上げた事に謎の達成感を感じる。
当然、積極的に冒険に出た方が効率は良い。
「じゃあハル君、分身は出来るの?」
そんな中、ユキがそんなことを言い出した。
モンスターのコピペ(コピー&ペースト)が可能ならば、プレイヤー自身の体もコピペ出来るのではないか、という発想だろう。
「んー、多分出来る。と、思う。目は増やせたからね、それ以外も増やせない道理はないとは思うけど」
「面白そうじゃん! やってみようよ。むしろ何でやんなかったの?」
「うーん、なんか踏ん切りがつかなくて……」
何せ体全体だ。目だけの時とは訳が違う。
思考が複数あるハルであるが、自分自身の体を複数持った経験は無い。複数のゲームアカウントを同時操作するのとは訳が違う。
正直に言ってしまえば、なんとなく怖かったのだ。
そしてそれ以外にも弊害はあった。
それは意識的なものではなく、目に見えて分かるものだ。
「それにさっきも言ったように、出せても消せないんだよね、僕。目玉だって消すときは攻撃して討伐してるんだよ」
「あはは、本当に目玉モンスターだね。……あれ? でも何で消えないんだろ? 体から離れたパーツなのに」
「構造が完全だからじゃないかな。傷が付いたら消えるし」
例えば腕を切り飛ばされたら、それは消えてしまう。
ハルはまだ経験が無いが、部位欠損はその部分の魔力が全て消えてしまうからであろうか、多大なダメージを負うようだ。絶対に避けろと掲示板で注意喚起されていた。
「つまり、分身して何か不都合があったら、僕自身を討伐しないと消せないんだよ」
「大丈夫! その時は私がさっくりとやってあげるね!」
「言うと思ったわ! それでデス判定出たら目も当てられないからヤダよ」
「えー、分身しようよハル君ー」
ごね始めてしまった。
ほっぺたをつんつんされる。延々と。『しようよしようよー』、と言いながら。
分身するまで解放して貰えないのだろうか。
「ハルさん、分身できるのですか!?」
「楽しそうな話ね」
そんな風に騒いでいたら増援が来てしまった。少し離れて二人で会話を楽しんでいたアイリとルナだ。
ぴょこぴょことアイリが興味津々といった様子で駆け寄ってくる。ルナも気持ち早足だ。こうなるともう逃げられなさそうだった。
「二人もやって欲しいよねー?」
「はい!」
「ハル、諦めなさい?」
ルナが直球で退路を断ってきた。思った以上に期待されている。もうやる事を前提に考えていった方がよさそうだ。
「何でそんなに見たいのさ」
「だってハル君が増えるんだから仕方ないよ。三人になれば三人同時にデート出来るよ? やったねハル君」
「!! それは素敵ですね!」
「……四人で行けばいいじゃん」
「それも素敵です!」
「それはそれ、よ、ハル?」
つまり、ユキは一緒にダンジョンに行こうと誘っているのだ。
アイリの傍を離れないハルに遠慮して、なかなか誘いをかける事が出来ない。ならばハルが増えてしまえば問題なく誘える。凄い理論だ。
構ってやれず、寂しい思いをさせてしまっていたのだろうか。ならば無理を押してでも増えてみるのもいいだろう。
「仕方ないね。やってみるよ。上手く動いたら戦いに行こうか、ユキ」
「やった! 行こう行こう。ハル君とダンジョン蹂躙だ! 血が騒ぐね」
「ユキが良いなら良いのだけど、それでいいのかしら?」
「ユキさんが楽しいなら大丈夫なのです!」
アイリもどうやらユキの行動原理には馴染んできたようだ。妙な会話に疑問を挟むことなく納得する。
「ルナちゃん用のハル君も作ってね。一家に一ハル君だ」
「私はいいわ。今日はそろそろ休むし。ユキ、気を使わないでね?」
「あちらの世界はそんな時間なのですね。わたくし、まだ慣れません」
そろそろ時差も半周に近くなってきた。こちらが昼なら、あちらは夜だ。
「そうね、じゃあ私はあちらのハルを貰おうかしら。これからハルの家に忍び込む事にするわ」
「わお。ルナちゃん大胆だね」
「ルナ、その発言はちょっと怖い。……え、もしかして本気? もういい時間だよ、本気なら迎えに行くからちょっと待って」
「冗談に決まっているでしょう? ちゃんと読みなさいな。ハル、最近性能が落ちているのではなくて?」
それはハル自身も、少し感じている事だった。振り回されてばかりだ。
◇
「さて、やるのは良いけど、ちょっと部屋の中でやらせてもらうよ」
「えー。ここで分身するとこ見たいー」
「だまらっしゃい。奇術のタネは明かさないものなの」
「実はハルは双子だったのね?」
「精巧に作られたメカ・ハル君かもしれない」
「わたくしもハトを出せますよ!」
キャラクター本体を増やす事の弊害、その二つ目だ。あるいはこちらの方がずっと問題が大きいかも知れない。一目で分かる問題だ。
つまり、服を着ていない。
キャラクターの情報をコピーする事は出来る。だがそれに装備、つまり服は含まれない。装備ごとコピーすればいいのだとは思う。だがそれが上手く反映される確証が無かった。
装備というのはシステム的に設定されたものだ。それは一人につき一枠。体を増やす事など想定していないから当たり前といえる。
「……この世界にも奇術があるんだね」
「はい。魔法が検知されたら失格なのです!」
面白い話だ。魔法がある世界で奇術があるという。
どうやら魔法がある中で、あえて魔法を使わず再現するのが粋なのだとか。女性陣がそんな話をする中で、ハルはドアを開けて個室に入る。
「カナリーちゃん、キャラクターの体って増やしても平気?」
「別に禁止したりはしませんけど、想定していないので何か弊害が無いとは言い切れませんよー?」
「それはそうだよね。ありがとう」
「いえいえー。面白いこと思いつきますねー」
神様的にも面白い事なのだろうか。
とりあえず目だけを自分の前に出して浮かべる。これはもう何度かやって慣れたものだ。
その目を使ってハル自身の体全体の情報を読み取り終わるのを、カナリーと会話して待つ。ちびカナリーがウィンドウから出てきた。
「でもカナリーちゃんだって体いくつもあるでしょ? ここでお話してる以外にも運営の仕事やってるんだろうし」
「うーん。お仕事は別に体無くても出来ますからねー。一度に複数の体使う事って無いですねー」
「そうなんだ。意外だね」
「やって出来ない事はないでしょうけどねー」
「そりゃそうだよね」
スキャンが終わり、その情報を複製していく。流石に結構時間がかかる。
情報の複雑さ自体はそうでもない。既に何度もやった目が、一番複雑なくらいだ。しかし魔力の量が違う。
同じHPを持つキャラクターをもう一人作り上げるのだ。使用するMPの合計量は、現在の最大値よりもずっと上になっていた。
「これじゃモンスターの複製で稼ぐのは微妙そうだね」
「でもハルさんなら、神域の魔力を湯水のように使って何とかしちゃうんじゃないですかー?」
「そうだね。それやっても経験値入るのかな」
「入りますよー。でもバランス崩壊になりそうだったら調整されちゃうと思うので、そこは織り込んでおいてくださいねー」
「多分やらないから大丈夫だよ」
「それはそれで、ちょっと残念ですねー」
相変わらずシステムへの介入に甘い神様だった。自分の部下が強くなる分には構わないのだろうか。
そうして体の複製が完了する。増やした直後は視界が混ざり合い、処理が混乱する。元々の目と補間し合う位置なら視野が広がるのだが、対面にしたりすると変になる。
ハルは思考を一つそちらに割り当て、処理が混線しないように完全に分ける。視界が安定し、“自分を見ている自分の視界”が二つになった。
「……やっぱり、装備は反映されないか」
「流石に装備欄の数は私も増やせませんねー。増やすには全ユーザーの装備に影響しちゃいますから」
「ありがとね。しかしこれはどうにかしなきゃ」
装備品、つまり服も魔力で織られている。複製するのは問題なく出来た。
ただし、それは装備されない。自動でリサイズがされないのだ。
「ズボンが落ちる……」
「下には何もはいてないですしねー」
これではとても戦闘どころではなかった。
*
「という訳で、分身は出来たけど問題があってね。すぐには出かけられそうにない」
「はだか……! ハルさんのはだかですか!?」
「ハル。アイリちゃんが見たがっているわ? 出てきなさい」
「やめて、ルナやめて。そして見たいのルナ自身でしょ!」
「今度はきちんと読めたみたいね? その通りよ」
開き直ったルナが強い。ものすごく状況を楽しんでいた。
ハルは装備が出来ない方をひとまず部屋に置いて、説明に出てきた。少女たちの好奇心が突き刺さっている。ユキはあまり興味がなさそうにしているが、やはり少し顔が赤くなっていた。
「カナリー様は見たのですよね!」
「隅々まで見ましたよー。神様ですのでー」
それはもう体を構成する魔法式の一つ一つまで見ていることだろう。
「ど、どんな感じでしたか!?」
「それは教えられませんねー。神様ですのでー」
カナリーが個人のプライバシーをしっかり守るAIで本当に良かったとハルは安堵するのだった。
「とりあえず服をなんとかしないと」
「服で悩むことは想定してないので、こちらでは対応できないですねー」
「あはは……、ハル君以外は装備を変えるだけで着替えは済むからねぇ」
「物が着られない訳ではないでしょう。物質としてある服を着ればいいわ」
ルナの言うとおりだ。この世界の住人の一般的な事情と何も変わりはない。
問題があるとすれば。
「アイリ、この屋敷に男モノの服ってあるのかな?」
「ないです!」
「だよねえ」
この屋敷は男子禁制だった。
「ハル、女装しましょう。大丈夫、似合うわ」
「メイド服なら大きいのがあります! あ、でもハルさんに使用人の服を着せるのは良くないでしょうか?」
「アイリ、問題点はそこじゃあないよ?」
ルナの攻撃が激しくなっている。これは早く解決しないと本当にさせられてしまうやつだ。
「初期装備みたいなゆったりした奴を着ればいいんじゃない? あ、戦闘して動き回ると中が見えちゃうか」
「いや、どちらにせよ戦闘には装備が出来る体の方で行くよ。カナリー、装備の可否を移し変える事は出来る?」
「その程度でしたらー」
別に今喋ってる体で出かければ済む話だが、新しい方はユキと出かけるために作ったという動機があってのものだ。実質的には意味が無かろうと、そこは拘った方がいいだろう。
装備判定がそちらに移ったようだ。部屋の中の体に服が装備された。
逆にこちらは解除される。このまま立ち上がる事は出来ないだろう。
「装備出来ないと駄目なの? サイズが合わないだけで防御は出来るんだよね」
「そうだけど、装備品になってないとダメージで消滅するんだ」
「あはは、なるほどー……」
戦闘中にこちらが装備破壊されてしまう。大惨事だ。
「仕方ない。アイリ、もしベルトみたいな物があればそれだけ借りられるかな」
「はい、すぐにご用意しますね」
アイリとメイドさんがベルトを見繕ってくれて、ひとまず急場はしのぐ事が出来た。
後でサイズの合ったものを作るなり、この世界の服を買いにいくなりする必要があるだろう。それもまた楽しそうだ。
「ハル、下着は忘れずに作っておきなさいね?」
「そうする」
とりあえず服についても何とかなり、一応、分身は成功したと言えるだろう。
※誤字修正を行いました。
ハルが聖剣のシールドをセキュリティに欠陥ありと評していますが、戦闘中にそこを付けるのはハルとカナリーたち神様くらいなものです。
一般的には間違いなく、超つよい装備ですよ。




