第305話 退神式
その後、ハル達は数日を王宮内で過ごすことになった。
王宮は広く生活も快適だったが、どこか精神的に窮屈な気分を感じる。敵地、とまでは言わないが、陣地外であるためだろう。
果て無き権力闘争の坩堝。その政争の余波は、滞在しているだけのハル達にも、着実に襲い掛かってきていたのだった。
「……しばらく留守にしていましたが、わたくしの恐ろしさを忘れてしまったようですね」
「アイリちゃーん。お顔こわいよー? すまいる。すまいる」
「す、すみませんユキさん! いけませんね、みなさんの前で!」
「苦労しているのね? ……実家を思い出すようだわ」
「ルナさんも、大変そうです……」
カナリーの引退。その知らせは瞬く間に王宮を駆け巡り、同時に、王女アイリが信徒ではなくなると察した者達の行動も早かった。
取り入ろうと、または利用してやろうと接触してくる者が後を絶たない。普通なら、カナリーに対し不敬であると遠慮するところだが、貴族達は押しが強い。
この国を、実質的に回しているのは自分達であるという意識が強いのだろう。そういった逞しい部分は、ハルも逆に利用してやろうと思っている。
「しかし、さっきのはいただけない。彼は僕も敵に回したね」
「も、申し訳ありません……、まさかあのような事を言い出す輩がいるとは……」
「アイリが謝る必要なんか無いよ。アイリだって被害者だ」
「私とハルさんの神気の前で、度胸だけは一人前の奴でしたねー? 足、ぷるぷるでしたけどねー?」
だが、空気と情勢と力の差を読む能力には欠けていただろう。よりによって、ハルの前でアイリにアプローチしてきたのだ。
使徒であるハルとの間には世継ぎが、つまり子供が出来ないだろうと、わざわざ気を利かせてくれたようだ。大きなお世話である。
「でも確かにさー、その辺どーなんハル君。ハル君って、子供できるん?」
「ユキあなた、言い難いことズバズバ言うのね……」
「ハルさんの体は特殊ですからねー。アイリちゃんとは、世界も違いますしー」
「……まあ、長い人生だ。追い追い考えるよ」
「あはは。ハル君が言うと実感こもってるな」
アイリと体を重ねるようになってしばらく経つ。普通なら、もう子供が出来ていてもおかしくはない、そうユキは言っているのだろう。
とはいえカナリーの言うように、ハルの体は特殊であり、そして子供など出来てしまっては他のプレイヤーに追求されてしまう。
なので、“この世界がゲームであるうちは”、それは止めておこうと思っているハルだった。
「……とりあえず、さっきの苛烈な対応も既に噂になってる。今後は、まともな人しか来ないと思うよ」
「あ、またハル君<神眼>で覗き見してる」
この首都、そして王宮の魔力は、全て支配下にある。貴族達がどんな陰謀を張り巡らそうとも、その内容はハルに筒抜けだった。
「でもハル、平気なの? そんな人の悪意と欲望ばかり目にしていては、あなたが潰れてしまわないかしら?」
「まあ、あまり見たい物では、ないよね」
「だったら……」
「平気だよ。思考の一つを完全に客観視にして、単なる事実の羅列として処理してるから」
「見るならもっと、美しいもの。ですね!」
「そうだねアイリ。君みたいに」
「ふおおおぉぉ……」
出来るなら、宮中の醜い勢力争いなんて見たくはない。美しいものだけ見ていたい。
だが、そこは複数の思考を器用に操るハルだ。記憶には残さず、単なるデータとして記録するに留める。
今後、必要になる事だ。そうやって折り合いをつけて、付き合ってゆこう。そう、決意を新たにするのだった。
◇
シンシュ王子には、『準備には一週間ほど待って欲しい』、とあの後そう伝えられた。
むしろ一週間なんて短期間で良いのかと思ったが、時間をかければかける程、民の不安が増すので素早く対処したいとのことだ。
既に噂はプレイヤーを通じて街にも広がっており、民には動揺が広がっている。『事前に姿を見せてくれて助かった』、と王子にも礼を言われてしまったハルだ。それによって、だいぶ不安は抑えられているとのこと。
そしてその一週間が経ち、その準備が整ったと王子から報告を受ける。魔法の発達により、こうした準備に関してはかなり早い事が、先日の馬車の件も合わせてうかがえる。
「三日後の正午、街の広場に特設された会場にて、カナリー様の退神式を行います。カナリー様には、そこで儀式を行っていただきたく思っております」
「いいですよー?」
「あまねく民に見せる事で、実感を沸かせるんだね。僕も、吉事と印象付けたかったから、ありがたい」
「吉事、か。ハル君から、何か要望はあるのかな?」
「では。厳粛な儀式よりも、お祭り騒ぎ……、えーと、陽気に楽しめる場にして欲しいですね」
「それは、カナリー様に失礼なのでは?」
「私の意向ですー」
鶴の一声。それだけで方向性は決まってしまった。カナリーの威を借るハルである。
そして、お祭りの文化の薄いこの国の彼らとの、内容のすり合わせを行ってゆく。祝い事自体はあるようなので、それをベースに考えれば良いようだ。
「しかしそうなると、資材、食料などが足りない。早さを褒めて貰ったばかりで悪いが、我々も無い袖は振れないよ?」
「そこは、僕らがなんとかしますよ」
通常、お祭りの準備は何ヶ月も前から進めるものだ。必要となる資材、大量の食料、そういったものを特別枠として事前に準備する。
いくら魔法の世界でも、無から有は生み出せないのだ。
ただし、ハルだけは別だった。
「こちらも使徒の者達に告知して、準備を手伝ってもらいましょう。祭り慣れしている人たちです、頼りになりますよ」
「それはありがたいね! “ぷれいやー”の方々は、仕事が早い上に疲れ知らずだ。食材も、彼らに頼むのかな?」
「いえ、食材、資材については、僕が“出します”。出所が怪しいのは、目をつぶってください」
「出す、というと……?」
ハルは一言断ると、その場に<物質化>で食材を生み出していく。
この実りの秋に収穫されたばかりの作物。夏の野菜類。春の間にコピーしていた山菜や青物。冬が旬の物は、まだ出会っていないので仕方ない。
そして肉類を続けてどさどさと、王子が不快にならぬよう野菜の陰に。
……気遣いは、必要なかったやも知れない。王子の目は、牛肉に釘づけだ。
「これは……、ハル君がやったのか……?」
「ええ。祝いの日です。いくらでも要求してください」
「これはまさしく、神の奇跡だ……」
「兄様も、ハルさんの素晴らしさが分かったようですね!」
ハルの魔法に感激している兄に、アイリが胸を張る。微妙に恥ずかしいハルだったが、アイリがとても嬉しそうなので止めないでおいた。
シンシュ王子に<物質化>を見せてしまうことにはリスクもあるが、ここは少しばかり大盤振る舞いをしてもいい場面だろう。
プレイヤーに伝わってしまったとしても直接見られた訳ではないので、倉庫機能を経由した手品だ、と誤魔化しも効く。
そしてハルの得意とする、“手札の強力さを見せ付ける”やり方でもあった。見せ付けるべきは、何も武力だけではない。
当然、利用してやろうと思う者を生み出してしまうリスクもある事には、注意しなければならない。
「カナリーちゃん。これ、イベントにしちゃって良い?」
「いいですよー。私が介入できるのも最後になりますから、派手に強引にやっちゃいましょー」
そうして、運営としてのカナリーの最後の仕事として、自らの退神祭りが急遽、開催を決定するのであった。
*
そうして三日後の当日。首都はその全域を使ってのお祭り騒ぎと化していた。
どこを向いても屋台が立ち並び、あふれんばかりの食べ物が道行く人々に振舞われている。その料金は、なんと無料。
食材は王宮を通じてハルから全て提供されており、その他必要な資金も負担が約束されていた。売り上げ札を提出すると、貨幣が交換される。
設営は、お祭り好きなプレイヤー達の参戦により一気に進み、短時間で次々と完成。彼らの底力を見せつける結果となった。
まあ実は、緊急イベント扱いで、設営を手伝うとポイントが貰えるために頑張っているだけなのだが。
プレイヤー自身も出店側として参加し、ハルのギルドホームで店を出した者達も再びその腕を振るった。今度は材料も使い放題とあって、メニューは更に幅を増す。
ストレージを使った置き場所の省略により、NPCの追随を許さないその幅広さは脅威となるだろう。更に、まだ浸透していない地球産の料理を出すことで、現地民の目を釘付けにする。
そのNPC達も負けてはいない。プレイヤーが使えるのは、ハルの出した食材に限られると知るや、ハルのコピーしていないマイナーな材料で差別化を図る。
マーケットには出回らない材料。秘伝の調味料。その店にしか無い調理器具。
そういったものが引っ張り出され、イベントアイテムとして用意された物しか使えないプレイヤーを圧倒した。
ちなみに、それらの運用も全て王宮持ちである。
屋台の他にも、あらゆる業種が特需に沸き立ち、街中が皆カナリーを称え感謝を口ずさんでいるのだった。
「大盛況だね。だが良いのかいハル君? 俺は現金すぎだと、そう思うのだけど」
「義兄さんも、けっこう敬虔なんですね。……良いんですよ。神が感謝される最初の理由ってのは、こういった食べ物に始まる生活の保障なんですから」
魔力が枯渇し、世界全土が荒れた当時の話。神は民に食料を与え、安全な生活を約束した。
それが、信仰の始まり。最初は、その現金さからスタートしたのだ。だからこそ、それに答えるのもまた、即物的でなければならない。ハルはこの地の信仰を、そう考える。
「それよりも、街の警備をよろしくおねがいします義兄さん」
「うん。分かっているとも。とは言っても、“ぷれいやー”の方々が大量に居るから、犯罪は起こりえないんだけどね。素晴らしいことだ」
イベント扱いで街中でプレイヤーが遊びまわっているため、犯罪行為があればすぐ神に『お問い合わせ』されてしまう。
そのため規模に反して、兵士の仕事は楽なものであった。
「むしろ、怪我や事故に気を配ってもらう必要がありますね。プレイヤーも、回復魔法は使えないので」
「確かにね。言い含めておこうか」
「そこも、あまり気にしすぎなくても大丈夫だぞ♪ 多少のケガなら、神様パワーで治せるからね♪」
そんなふうに、会場を見守る二人の後ろに、聞きなれた声が突然響き渡る。護衛の騎士が反射的に槍を構えるが、その正体を察してすぐに平伏した。
シンシュ王子すらも、目を見開くとすぐその場に跪く。
「こ、これは、あ、っと、よくぞおいで下さいました。すぐに持て成しの準備をさせていただきます。マリンブルー様」
「よくブルーちゃんのこと分かりましたね義兄さん。接点などありませんでしょうに」
「お、お姿は知っていたからね……」
「うわ、ハルさんが敬語使ってるし。レアだなー」
そしてもう一人、いやもう一柱。少年の姿をした神、マゼンタもまた唐突に姿を現す。
理解を超えた状況に、あのシンシュ王子も膝を付いたまま硬直してしまった。
「義兄さんだからね」
「皇帝やボクらよか、お兄さんの序列が上なのかぁ……」
「家族だからね」
「ハル君、どうかその辺で……」
あまり意地悪はしないでおこう。ハルはシンシュ王子に二人を紹介する。
ギルドホームのお祭りと同様に、今日も二人には応援に来てもらった。カナリーの格、その保障になると見込んでの事だ。
「ああ、ハルさんハルさん、オーキッドの奴も来れるってさ」
「え、なんでさ? 配下……、いや、依頼してないよ?」
「律儀だからねあいつ、ああ見えてさ。盛り上げ下手だけど、賑やかしにはなるでしょ」
「まだいらっしゃるのかい!?」
「すみません、ご迷惑かけます」
「神様を迷惑とか言っちゃダメなんだぞ♪」
ハルの配下ではない、ウィストも駆けつけてくれるようだ。何か、思うところがあるのだろうか。
当然ながら、次の神であるセージの顔見せもあるだろう。シンシュ王子には、胃の痛くなる状況に違いない。
「カナリーちゃんのご挨拶の進行は、私達に任せてくれちゃって大丈夫だよ♪」
「人間には荷が重いでしょ。原稿を無駄にしちゃうのは悪いけどね」
「とんでもございません……!」
シンシュ王子も、挨拶にさりげなく政治的意図を込めたかったとは思うが、それは封じさせてもらう。今日はカナリーの晴れの日だ。
ハルは順調に計画が進んでいることを確かめる。マゼンタやマリンブルーも、カナリーには何の憂慮も無く卒業を迎えて欲しいと思っているようだ。この提案も、彼らからのものである。
王宮には迷惑をかける。後で保障をしておこうとハルは誓うのだった。
「楽しいお祭りにしましょう」
「おー♪」
「そ、その通りだねハル君」
まだ何か起こるのだろうか、そう不安を滲ませる王子様と、楽しそうな女神様。
そんな彼らを横目に、ハルはカナリーと民の為のこのお祭り、その無事な完遂に向けて気合を入れ直した。




