第300話 ここから先は、神の領域
いつの間にか300話! もうすぐ書き始めて一年になるんですね。
これも応援していただけるおかげです。これからも、エーテルの夢をどうかよろしくお願いします。
《新たな称号、<人を超越せし者>、そして新たなスキル<神化>が同時に習得されています》
──……また大仰な。黒曜、使う前に内容は分かるか?
《不明ですが、警告が出ています。その内容から察するに、<降魔の鍵>のように、新たな空間へのパスを確立するものと考えられます》
なるほど、『神と化す』、とは言っても、別にカナリー達のように魔力生命体になってしまうような危ないスキルではないようだ。
恐らくは、カナリーの語った<人化>とかけたのだろう。洒落のきいた話だ。
──悩んでいる時間なんて無いね。<神化>起動。
《御意に。精神的衝撃に備えてください》
ハルが<神化>スキルを起動すると、まるで意識拡張を行い、エーテルネットと精神を直結した時のような強烈な衝撃を体の内側から感じる。
精神が直接、どこかのネットワークへと接続されたのだろう。
どこかとは? 決まっている、神の本体があるという神界のネットワークだ。
己の知覚、視野、計算力が上昇していく感覚に、ハルは思わず高笑いを上げそうになる。
しかし、今は神聖な儀式の真っ最中だと思い直し、表情を引き締めるとカナリーへと向き合った。
見ればそのカナリーの顔もとても嬉しそうで、彼女の目的も達成間近であると容易に見て取れる。ハルが全能感に酔っていたりしたら、その間に彼女は<人化>を終えてしまうだろう。
現に、今はもう剣を振るのは止め、何かの処理を始めようとしている気配が<神化>したハルには理解できた。
「陽電子砲」
させはしない。そう決断してからのハルの行動は早く、カナリーの周囲に反物質をばら撒き、強制的にその対応に処理を使わせる。
そして流れるように自身も『亜神剣』を握ると、彼女に直接攻撃するために踏み出した。
「《おーっと! 隙を見せたカナリーちゃんに、ハルさんが一気に突っ込んだぞー! 形勢逆転かー!》」
「《……いや、このハルの行動の本質は攻撃じゃなくて防御だね。カナリーの見せた隙、あれは何らかの魔法の準備だ。それをハルは必死に止めてるんだろうな》」
「《そうなんだ♪ 神の超絶魔法が発動しそうだったのかな♪ にしてもマゼンタくん、解説が上手だね、適任なんじゃないかな♪》」
「《うるさいよ!》」
ハルが刀を振りぬき、カナリーの身を切り飛ばそうとするも、カナリーはいつかセレステにそうしたように、軽く腕をその軌跡の上に重ねるだけで、ハルの剣を防御していた。
彼女のその柔肌は、極限まで薄く鍛えられた白刃をふんわりと受け止め、皮膚一枚すら傷付くことは無い。
ありえないことだった。単分子のレベルまで薄く小さくされた亜神剣の切っ先は、理屈の上ではあらゆる物に刃を通す。
無論、その刃自身が脆く切断の衝撃に耐えられないという弱点はあるが、人体など何の抵抗も無く切り裂くはずだ。たとえそれが神であっても。
「切れませんねー。“偶然”、刃先と私の皮膚の分子がかっちり噛み合っちゃったんでしょうねー?」
「なんでさ! どんな偶然さ!」
「運が良かったですー」
「……まあ、こっちも一振りで刀が砕けないのは、僥倖!」
通常、その切れ味と引き換えに亜神剣は脆い。ハルを技量をもってしても、良くて数回敵を切り飛ばせば、その衝撃で刀も砕ける。
しかし、カナリーが“偶然”やさしく受け止めてくれたため、砕けるのを気にすることなくハルも次の攻撃を繰り出すことが可能となる。
そうして振りぬき、突き、切り上げる。しかしそのどれもを、カナリーは同じように優しく、そして適当に止めてしまった。全く、攻撃は通る気がしない。
羽衣で優しく刀を包み込む様子など悪夢だった。切れない訳がない!
「むー、服を切ろうとはやらしいハルさんですねー。えっちな攻撃はいけないんですよー?」
「風評被害やめて! 大量の人が見てるんだから!」
「《おおっとー、カナリーちゃんからの盤外の攻撃が飛んできたー♪ うぶなハルさんはたじたじだー♪》」
「《……初心? ああいや、男としてはこういう風に言われるとキツイんだよね。ご愁傷様ハルさん》」
会場がどっと沸いている。普段から女の子たちに振り回されているハルだが、あまり表には出ないためそんなハルの様子は新鮮なようだ。
そして、ハルのどんな攻撃もカナリーには通らないため、『やっぱりハルでも本気の神様には勝てないのか』、といった空気が流れ始めている。
……ナメないでもらいたい。ハルは、そう意識を切り替える。
《マスター、<神化>して繋がった神界の領域を確保しました。このまま意識拡張いけますよ》
そうして鍔迫り合いを……、実情は『暖簾に腕押し』だが、続けていると、ハルとリンクした最新の神、白銀から声がかかる。
どうやら、エーテルネットと同じようにこの領域を使ってハルの処理能力を上昇させることが可能であるようだ。
──このまま? 統合しなくても行けるのか。
《はい、経路の太さに問題はないようです。どこが繋がってるか不明ですが。まあ、たぶん魂とかでしょう》
──たぶんて。魂て。……まあいい、試してみる価値は十分にある。
そう脳内で会話しながら、ハルはカナリーが雑に振り払った剣を体全体で回り込むように回避する。
至近距離で見る光の剣の迫力は圧巻だ。かすっただけでもマズい、という威圧感を、ハルはなんとか押し殺して身を躱す。
「むー! せっかく準備できたんですからー、邪魔しちゃダメなんですよー?」
「そっちこそ、神聖な試合中に他のことに気を取られてるんじゃあないの。ちゃんと僕を見て。僕を倒すことだけ考えて」
「……んー、そうですねー、そう言われてしまうと、弱いですねー」
「そうだよ? 最後まで楽しもう」
勝った方が、目的を果たすことが出来る。そのようにカナリーに意識を植え込む。
彼女としては、ハルが自分に勝利できるとはあまり思っていない。当然か。カナリーの幸運を突破する手段をハルは持っていないのだ。
今は心を読まれないように、思考の一つをカナリーのジャミング用に使っているが、それでも彼女のハルに対する理解度は非常に高い。お見通しだろう。
なので負けず嫌いのハルのためにも、試合中に<人化>して、ノーゲームにしたい気持ちがありそうだった。
……気遣いはありがたいが、ハルに負ける気など一切ない。故に、勝負を成立させるべく彼女を誘う。
「《やーん♪ 僕を見て、なんてこれはもう告白だぁ♪》」
「《いや挑発だねこれは。さっきみたいに攻撃してみろって誘ってるんだ》」
「《空気読めマゼンター♪》」
「《ひどくない!? ボクちゃんと解説してるよね!?》」
どちらも正しい。先ほどまでのように、剣光を飛ばして攻撃してくるように、ハルは誘いを掛けた。
そこに、カナリーは乗る。ハルを一気に仕留めんと、にっこりと気合の入った笑顔で、羽衣を投げ捨てる。
天使の翼を大きく広げ、その身の魔力が圧力を増した。
そして大きく『神剣カナリア』を振りかぶると、思い切りハルに向かって振り下ろすのだった。
◇
《意識拡張スタート。ハロー、スピリチュアルワールド》
気の抜ける白銀の宣言と共にハルの身に圧倒的な処理能力が備わる。
いつもの脳を焼ききるような怒涛のデータの奔流とは違い、こちらの意識拡張はとても静かなものだった。
まるで、己の精神が深く大きな海の中に投げ出されたように。
波もなく、音もなく、光もない。だが、暗い深海ではない。周囲はどこまでも見渡せるようなクリアな世界。
手を伸ばせば、情報そのものである海水をかき分ける、その感触があった。その手を、己の体の形を超えて、ハルは遠く大きく伸ばしてゆく。
「<武器作成>」
試合の前半よりも、大きくスピードと剣閃の幅を増したカナリーの剣、それをギリギリで回避しながら、ハルは『亜神剣・神鳥之尾羽』を改造にかける。
形が溶け、一旦純粋なエーテルへと戻った刀を、ハルは更に薄く薄く、刃先の鋭さを増してゆく。
以前、この刀を打った時にはセフィによって止められた薄さ。その限界値を無視し、人の入ってはならぬ領域へとハルは踏み込む。
……今度は、セフィが止める様子はない。戦闘中だから、ではないだろう。今は、ハル自身が神の領域に居る。
<神化>によって神々と同様の空間へと接続したハルを、制限する者はもはや無い。
「……銘、『神刀・黒曜』」
打ち直された亜神剣は、その名前をキャンセルされ、白紙に戻されてしまった。そこに、少しの寂しさをハルは抱く。
神鳥の銘、つまりカナリーとの繋がりが無くなってしまった。その寂寥感を、刀を振り払うことで吹き飛ばす。縁が切れたのではない。これで、彼女と対等の位置へと立ったのだ。
空気が、振り払った軌跡に沿ってすぱりと道を空けた。
「《なんとー! 試合中に武器を改造しちゃったー! ……でも真っ白な刀だね♪ どの辺が『黒曜』なんだろう?》」
「《ハルの作る刀はほとんど単分子ブレードのような薄さ。つまり黒曜石のカッターのようなものだ。それにかけたんだろうね》」
「《なるほどね♪ オブディシアンブレードってやつだぁ♪ つよそう♪》」
その通り。ハルのAIでもある黒曜の由来、ハルにとっても思い入れの深い名である。
そして、神々はその名をそれぞれ色に由来する。その世界に、ハル自身も踏み込んだという宣言だった。
「理解したよカナリー。こう、だね」
今も光の剣で攻撃を続ける彼女に向けて、ハルもまた刀をその場で大きく切り払う。
その軌道にそって、漆黒の剣光が解き放たれた。
──何を切ればいいのか、彼女が何を切っていたのか、<神化>によって理解できた。
《おめでとうございますマスター。でも油断せず、畳み掛けましょう》
──当然だ。
魔力体であるゲーム内の武器は、物理的な限界値を超えて薄さを定義できる。その領域で初めて、届く世界があった。
カナリーが幸運で切っている“それ”を、ハルは技量によって切る。
意識拡張によって得られた膨大な計算力で、奇跡的な確率を強引に呼び起こす。これは幸運とは間逆の、必然である。
その黒白ふたつの剣光が、互いにぶつかり砕けて散った。
「……とうとうこの領域まで到達しちゃいましたねー。免許皆伝ですねー?」
「いや、まだカナリーちゃんの領域には及ばないよ。……何だよ、“これ”を運だけで切るって!」
「私からすれば、技術で切る方がありえないですけどねー?」
二色の光が咲いて散る。カナリーの剣を手に入れたハルだが、まだ彼女の体には届かない。
黒の剣は白の剣に打ち落とされ、足元の舞台はすぐに、ずたずたに切り裂かれていった。
「並んだのは凄いですがー、超えられませんよー?」
「いいや、超えるさ。これも、真似させてもらう」
切り裂かれているのは、地面だけではない。空気も、目には見えぬ魔力も、会場に満ちる物は剣光に引き裂かれ断裂を起こす。
そうして開いた隙間に、ハルは己の魔力を流し込む。
カナリーの使徒としての黄色ではない。郊外の領地を得る際に定義された、ハルの色だ。
「《侵食が始まったー! すっごーい! ハルさん早い早い! え、これカナリーちゃん以上じゃないの? どんだけだぁ♪》」
「《うるさーい! 観客のヒトを置いてけぼりにしないの! ……モニターに情報重ねるよー》」
「《ごめーんね♪ 今、黄色で見えてるのがカナリーちゃんが支配してる魔力。青く見えてるのがハルさんが操る魔力だぞー♪》」
「《この支配権を奪われると、魔法も何も使えなくなるんだ。キミたちの世界で言えば、ハッキングだね》」
「《二人の剣でボロボロになった隙間から、侵食したんだね♪》」
放送用のモニターには、黄色く色づけされた空気が剣閃で切り開かれ、そこにすかさず青い空気が入り込む様子が視覚的に表示されている。
……ここで青を使うのは皮肉が利いている。かつて、その逆をやってセレステを支配したのがカナリーだ。
ハルが今しているのは、まさに当時と同じこと。
<神化>で拡張された計算力、そして白銀と黒曜の二人のAIの支援。そして、実はちゃっかり実況席のマリンとマゼンタも、ハルに処理能力を貸している。
普段は、『ハルの配下に入った』、と言われて実感の無い状態であったが、<神化>で神界に接続してみれば、その状態がよく理解できた。
その経路を利用して、二人を協力させている。
その勢いは、侵食を得意とするカナリーすら上回り、狭い試合会場は一気にハルの色が支配した。
「このまま、君も支配する」
カナリーが放つ大降りの光の剣を相殺したその隙に、ハルは一気に間合いを詰める。
砕けた剣光が体を引き裂くが、その一切を無視して彼女に迫る。
神刀と神剣、それが直接ぶつかり合い、共鳴して火花を散らした。
「残念だけど、強引に言うこと聞いてもらうからね」
「むー、本当に残念ですー。早くやりたかったのにー」
「……ゲーム買ってきた子供じゃないんだから」
「でも、良かったのかもしれませんね。先に全部のしがらみを、解除しちゃった方が」
接触した剣を通して、彼女の体を侵食する。
AIの協定も、運営としての都合も、全てを洗い流しハルの所有物として染めてゆく。
「いつかを思い出します。あの時もそうでした。ぜんぶを教えてくれた、私の叡智の石版」
「……ごめん、憶えてなくて」
「いいんですよー。今度は、憶えちゃいますもんねー?」
「ああ、焼き付けるよ」
カナリーが語るのは、いつかの過去、その記憶。やはり彼女とは、ハルに自意識が無いかつてに出会っていたのだろう。
その最初の接触が、彼女の存在の指針となった。
そうして歩んできた集大成が、いまこの瞬間だ。
カナリーの全てのデータを、ハルは掌握した。




