第30話 張り切る彼女、見守る彼女
さて、ギルドの作成で中断してしまったが、元々の予定はアイリが錬金術を教えてくれるのだった。
本はいつの間にかメイドさんが持ってきてくれており、準備は万端だ。
「それでは、授業を開始しますね!」
アイリはやる気まんまんだった。わざわざ用意してきた教鞭を手に、気分は出来る女教師だ。
そのわくわく顔と、期待感からの落ち着きの無い動きが出来る雰囲気を帳消しにしているが、かわいいので問題はない。
次はメガネも用意してもらったら良いかもしれない。
「お願いします、アイリ先生」
「先生……、わたくしが先生……!」
うっとりしている。
教師に憧れがあったのだろうか。アイリの立場ではそれは不可能なのだろうが、そういう夢があったのかもしれない。
ありがちな話だ。あきらめた夢を再現するシチュエーション。そういうことならハルとしても手伝ってやりたい。模範的な生徒を演じてみせようと気合を入れる。いや、場合によってはダメな生徒を導く役が望みだろうか。
「えへへへ、先生と生徒、お部屋でふたりきり……」
──いや違う! これ絶対違うやつだ!
うっとりしている。
夢を再現するシチュエーションには違いないのだろうが、夢の内容を読み誤っていた。
これはどう見ても、ラブロマンスの内容を再現しようとしている顔だ。
「アイリちゃん、観客がいるのだけれど、平気?」
「はい! 立派に勤め上げてみせます!」
せっかくのルナのサポートは空振りに終わってしまった。
この辺アイリはたくましい。常にメイドさんが傍に居るためか、見られる事に慣れている。もちろんルナを信頼しているからこそであるので、そこは嬉しいのだが。
しかし今のアイリを止めるには、狩りに出かけてしまったユキのような勢いが必要なようだった。ユキには確実に茶化されるだろうけれど。
「ルナさんも一緒にやりますか?」
「教師役を?」
「はい!」
「楽しそうね」
「何で教師が二人がかりなのさ!」
どうやら助けてくれる訳ではないようだった。
◇
幸いながら、美少女教師ふたりに指導されてしまうのは避けられた。
当然ではあるが、ルナもこちらの知識については素人の為だ。まあ、素人でもルナの器量ならばごっこ遊びに興じるくらいは問題なくこなせるだろうが、内容の伴わない物を演じるのを嫌ったのだろう。
何か、そういうこだわりがありそうだ。
ルナは初心者向けの錬金術の本を一冊抜き取ると、それを読んで過ごすらしい。
ハルが教わるのを一緒に聞かないあたり、授業が授業にならないのを察している。
「で、ではハルさん。授業を始めますね」
「うん、お願いねアイリ」
「はい! ではなくて……、厳しくいきますよ、ハルくん?」
「それは大変だ」
流れに飲まれては負けだ。いや勝ち負けの問題ではないが。
合わせて演じてやりたい気持ちもあるハルだが、この物語の行き着く先がどうなるのかを知らない。うかつな行為は慎まなくてはならなかった。
「ハルくんだとユキさんみたいになっちゃいますね。ハルさんでいきましょう」
「アレンジする余裕がある、だと……」
自分の中でしっかり噛み砕けている証である。であるならば、結末までも自由自在ということになる。一体どこに向かって行ってしまうのだろうか。
「ではハルさん、教科書を開いてください」
「この世界にもあるんだね、教科書。けっこう教育は進んでいるのかな」
「あ、はい! 一定の年齢に達した子供は無料で教育を受けられる学校があります。そこで基本的な事を数年間教育していますね」
「僕らの世界でいうと小学校ってとこか。その後は?」
「その後は各分野に分かれて専門的な教育になります。そちらは無料とはいきませんので、そこで職に就く方も多いですね」
アイリ先生はとても真面目な教師だった。質問には丁寧に答えてくれる。
ずっとこうだと良いのだが。
教育制度も現実になぞらえてか、かなり発達しているらしい。さすがに全く同じではないようだが。小学と大学、といった感じであろうか。
「こほん! 話がそれましたね。でも分からない事は、これからもどんどん聞いてくださいね!」
「ありがとう、アイリ先生」
頼られることに喜び、素が出ているアイリ先生だった。とてもかわいらしい。
さて、そんな彼女を愛でていないでテキストを開かなくてはならない。今は彼女のターンなのだ。
教科書と呼ぶには、いささか専門的すぎる分厚い本を開く。タイトルは『実践錬金術理論』。日本語で書かれており、イラストも満載で分かりやすいが、その内容は決して初心者向けではなかった。
実践と名の付くとおり、完成品を作るための素材と、それの加工方法が最初のページからいきなり始まっている。
まずは『中和剤』のようだ。
「なるほど、中和剤は大切だ。いくら用意しても足りない」
「数万個使ったわよね?」
「万で足りるだろうかね」
「??」
以前ルナとふたりでやっていた別のゲームの話だった。アイリがきょとんと首をかしげる。
アイテム作成系のゲームは、合成した下位のアイテムを使って上位のアイテムを、それを使って更に上位のアイテムをと続いていく。そのため基本となる材料アイテムの使用数がネズミ算式に膨れ上がっていくのだ。
中でも中和剤の使用数は多かった。『合成するんだから、とりあえず中和するだろ?』、と言わんばかりに何でもかんでも中和剤を要求してきた。
一つの最上級アイテムを作るために、百個以上の中和剤を使うなどザラなことだ。
今は関係のない話である。
──黒曜、スキャン。
《御意に。視覚を一部お借りします》
いきなりスパルタな先生の授業に付いていくために、少しズルをする。
本のページをそのまま脳内に写し取って保存していく。知識として覚えた訳ではないので、“思い出す”ではなく“呼び出す”必要があるが、これで必要な時にいつでも参照可能だ。
「最初のページの方には基本的なアイテム、後になるとそれを使ったものが出てくる。しっかりと考えられて書かれてるね」
「はい。この本は実際の研究室のような場所でも辞典のように使われているそうですよ」
「欲を言えば逆引きが欲しいところだ」
どのページに何があるか、そのくらい完全に暗記しろということだろう。それが当然になるくらい読み込まなければ現場ではお話にならない。
──黒曜、ソートしておいて。
《御意に。必要素材の欄にリンクを埋め込みます》
ただしハルはズルをしてしまうのだが。
「さて、ハルさん! 何か分からない事がありましたか? アイリ先生、何でも答えちゃいます」
「ありていに言えば、全部かなあ」
「ううっ、そうですよね……」
先生を困らせてしまった。全部と言われても困る。悪い生徒の見本だ。
だが仕方が無いと思ってもらいたい。この本は実践用だ、基本的な知識はある事を前提に書かれている。抽出と合成の魔法は知っていて当然なので、わざわざ書いていないのだ。
「でも面白かったよ」
「面白いものなのですか?」
「うん。向こうの世界の知識と合わせて考えると色々見えてくるし」
この薬品は現実でいえばどれにあたるのだろう、と当てはめていくと分かるものも多い。
後半になると魔法的な要素も増えてくるので、あまり比較は出来なくなってくるのだが。
「それにハルはアイテムリストを眺めているだけでも時間が潰せるものね」
「その通りだね。流石ルナ」
レシピ集などを眺めて、今後どういった手順で作成を進めていこうかと思いを馳せるのも好きだった。
◇
錬金術の本はいったんお預けにして、必要な魔法から教わる事になる。
もしかしたら、その魔法に必要な前提知識も足りずに、また二度手間や三度手間を取らせてしまう事になるかも知れなかったが。
あらかじめ必要になる事を見越してか、そのための本も既に用意されていた。メイドさんの気配りが光る。
錬金術のみに留まらず、基本的な魔法を扱った本のようだ。後でこれもコピーしておきたい。
「ハルさん、どうでしょう、使えそうですか?」
「ん、どうなんだろう。式も書いてあるから、まるまるそのままなら使えるかも知れないけど」
出だしでつまづいてしまったので、アイリ先生も少し弱気だ。
ごっこ遊びであるならば、内容など気にせずにそちらを優先しても良いのだが、根が真面目なアイリらしかった。こちらを気遣ってくれているのが伝わってくる。
「僕の事は気にせず先生を続けていていいんだよ?」
「そういう訳にも……、そうですね、ではひとつやってみたい事がありまして」
「いいよ、気にしないでやってみて」
最初は警戒していたハルだが、余裕が出てくると普段と違うアイリの姿をもっと見てみたいという気持ちが出てくる。
アイリがあまり無茶な事はしないと分かった途端これなのだから現金な話だ。
そろそろと後ろへ回られる。
座って本を広げるハルの背後に立つ形だ。意を決しているようだが、何をするのだろうか。
──耳に息を吹きかけるのは出来ればやめてもらいたいな。反応に困るし。
《困るのですか?》
──うん、予想しちゃってると全く動じないから、期待通りの反応は取れない。
《では予想の内容を記憶から消去しましょうか》
そんな事で記憶を消すのというのも、どうなのだろう。
何よりここで重要なのは予想していないということだ。予想外のシチュエーションであるからこそ、盛り上がる。
《ハル様はラブコメに向いていないのですね》
──どうなんだろ。最近は翻弄されてばかりだから、そでもない気もする。
ハルが脳内で黒曜とそんな話をしていると、決心がついたのかアイリが後ろから飛び掛ってきた。
「むぎゅ!?」
「……アイリ? どんな状況なんだろこれ」
「背が足りませんー……」
頭の上からもがもがと声が響く。頭上にあごを乗せている形だろうか。
頭の後ろから背中にかけて、ぴったりと彼女の体がくっついており、どうしてもそれを意識してしまう。危険な状況だった。
ただでさえそんな状況なのに、その上よじ登ろうとしているらしく、じたばたと体を押し付けてくる。非常に危険だ。
アイリの体のやわらかさが、はっきりと分かってしまう。
《ラブコメですね、ハル様》
──確かにこの状況は予想してなかった。僕が甘いのだろうか。
黒曜のそんなのんきな感想が救いだ。ハルはそれにツッコミを入れる事で、必死に意識をそらす事にした。
◇
「アイリちゃん。私達の背丈でそれは難しいわ」
「そのようでしたー……」
「ルナはこの状況が何なのか理解できたのか……」
なんだったのだろうか。ルナの言葉で解放されるハル。
今は状況の考察に回す頭がない。落ち着くのに精一杯だ。教師というよりは、じゃれる妹といったように思えたが。
「後ろから覗き込みながら勉強を見てあげる、あれでしょう?」
「はい! それです!」
「なるほど、アイリはちっちゃいから出来なかったと」
「残念です……、ユキさんのような格好いい方じゃないと教師は勤まらないのですね!」
「ハル、今度ユキにやってもらいなさい?」
「そのまま首を取られるだろうからヤダ」
ユキに教師は向かないだろう。ままならないものである。
やるだけやって満足したのか、アイリは隣にちょこんと腰掛けてくる。同じ本を覗き込むため、また体がぴったりとくっつき緊張してしまう。
こちらの方がシチュエーションとしては効果は高いのではないだろうか。先ほどのような衝撃が無いため、状況をはっきり意識してしまい照れが大きい。
そんなハルを見て、ルナがかすかに口元だけ動かして笑った気がした。
「実際に使ってみるのが一番です!」
アイリがそう言うのに合わせて、メイドさんがテーブルの上に素材を並べていく。大変に準備が良い。
「小麦粉?」
「はい! クッキーを作ります」
どうやら錬金術はお菓子作りにも使えるようだった。
変な話に聞こえるが、これは特に驚く話でもないだろう。現実でもお菓子作りのための材料の配合を、調合になぞらえる例は多かったりする。
「ゲームでも、何故か料理やお菓子のレシピが充実していたわよね」
「製作者の趣味かと思ったけど、あんがい現実的だったのかもね」
いや、そうは言ってもウェディングケーキや懐石料理、果ては酒類をモンスターの素材から作り出したりはしないだろう。やはり、現実的とは程遠かった。
卵や、バターだろうか、油のようなもの、砂糖が運ばれてくる。
ふくらし粉のようなものは入れないようだ。それにしてはこの屋敷のクッキーは硬くなく、とてもサックリと仕上がっている。“さっくり焼く魔法”もあるのかも知れない。興味深い。
それをアイリがお手本としてまず調合していった。必要な分量を“抽出”し、“合成”でこねまわし固める。
……合成の必要があったのかは分からない。だが抽出は驚異的だ。なにせ卵の殻が割れていなかった。
「こんな感じですね!」
「手馴れてるねアイリ。もしかして普段からやってるのかな?」
「いえ、最近はあんまり。あ! この前のパンはわたくしが焼きました!」
「そうだったんだ、ありがとう」
「おいしかったわよ、アイリちゃん」
「えへへへ」
嬉しそうに、また得意げに胸を張る。
そうしている間に、次の材料が運ばれて来た。ハルの番なのだろう。
こねられた生地は、メイドさんによって運ばれていく。最後に彼女たちが味付けをして、寝かせて引き伸ばして、切られて焼かれてそしてお茶のお供になるのだろう。楽しみだ。
「とはいえ僕は魔法の基礎知識が無いからね。正攻法では出来ないんだけど」
「ハルさんは難しい魔法も、簡単に使っているのだと思っていました」
「あれは神様が与えてくれたものだからね。理解していなくても使えるんだ」
それこそボタン一つで使える。理解の省略は文明を発展させる上で必須のプロセスだとはいえ、それ無しでは何も出来ないのは考え物だ。
とはいえ、今すぐ魔法の理論を理解することは出来ない。その中間を取らせて貰うことにする。
「だから今回はアイリのを真似させてもらうね」
「どうぞ!」
テーブルの上の材料が、先ほどと全く同じように混ぜ合わされていく。
<精霊眼>でアイリの使った魔法をコピーして、<魔力操作>で同じ式を貼り付けて再現した。
アイリの時のリプレイのように、同じ形のクッキー生地が完成した。
「すごいですねー……。本当に全く同じです!」
「全く同じだから、逆に凄くないんだけどね。でもやりかたは分かったから、追い追い理解していくよ」
順を追って魔法を使う感覚がなんとなくハルにも分かった。あとは魔法を構成する式の意味を理解すれば、自分で内容を調整する事が出来るだろう。
「おかげで理解できそうだよ。ありがとう、アイリ先生」
「はい! お役に立てて良かったです!」
残念ながらアイリ先生の勤務時間はもう終わってしまったようだが、この笑顔の前では細かいことはどうでもいいだろう。
あとは初心者向けの本でも読んで、基礎を理解していこうと思うハルだった。
「そういえば、ルナはどうだった? 初心者用の本読んでたけど」
「ええ、返すわね、ありがとう。覚える事ができたわ、<錬金>」
「……えっ?」
「ふふっ。その顔が見たかった」
いつぞやの仕返しであろうか。気を抜いたところに予想外の物が投げられてきた。
どうやら錬金術の本で勉強しただけで、プレイヤーは<錬金>スキルを習得する事が出来るようである。ただしハル以外は。
そういえばカナリーもそんな事を言っていた気がする。
なんだか謎の敗北感があった。少しムキになってしまうハル。
「黒曜、12領域接続スタンバイ」
「おやめなさいな……」
「ダメですっ!」
意識を統合して自分も<錬金>を習得しようとする無茶は、左右から二人によってキャンセルされた。




