第3話 そして運命を告げる鳥の声が響く
翌日の午前九時。正式サービス開始の一時間前にハルは再びゲームに潜った。
正式サービスとは言うが、事前登録をしているだけでベータ版等のテストはやっていないようだった。
機材トラブルは無くなり、シミュレーション用のAIが発達しバランスに問題が出ることも減った今の時代だが、冒険的である事には変わりない。事前のあれこれはテストだけではなく、単純に宣伝になる側面がある。
よほど自信があるのか、はたまた道楽なのか判断に迷う本作だが、問題なく定刻に開始するようである。
「このゲームの目的ってどうなるのかしら」
「明確なシナリオは無いみたいだね。文字通りのロールプレイング。各地の神殿で依頼を受けられるけど、それもただの導線にすぎない。世界観で言えば、はびこる魔物の脅威に対して神々が使徒を送り込む事にした」
「でも何をするかはあなたの自由です」
「一番困るやつだね」
ほどなく合流したルナと語らいながら開始を待つ。ログイン部屋には今日も女神カナリーが居る。専属契約したハルの担当は当然ながらカナリーで固定されたと思っていいだろう。
「一応再確認しますと、自由と言ってもNPCへの殺害を始めとする犯罪行為は出来難いようになっておりますー」
現実に近い範囲での自由ということだ。ゲームとしては大分厳しい方で、NPC、つまりゲームの登場人物へ向けての攻撃行動は自動でロックされる(何故か神へは攻撃出来るとわざわざ書いてある)ようである。
その他、現地の法に則した各種の犯罪行為も神が目を光らせており、違反者にはペナルティがあり、マイナス称号が固定される。
「おてんとうさまが見てるって奴だね」
本当に見ている世界とは恐れ入る。
だが“出来難い(=不可能ではない)”と口にするという事は“出来る”と保障しているようなものでもあり、逆に不安を煽る。それともただの予防線か。
プレイヤーへの攻撃は不可能ではないがメリットも無いらしい。特殊なイベントを除く、と注釈があるので大会等があるのだろう。もしくは敵対する神同士の使徒は争うことになるのだろうか。
「そういえばルナの言ってたお姫様ってアイリ第一王女の事?」
「そうよ。好きそうだなって思って。どうかしら」
言うとおりハルの好みのキャラクターだった。流石に理解度が高い。
「ん、ばっちり。可愛すぎるね」
「私のキャラも似たようなものだと思うのだけど?」
「ルナも可愛いよ」
むくれるふりをするのでルナの事も褒める。ちなみに本心である。さらっと流しているがお互い付き合いは長い。そして真剣に語るにはハルにとってハードルが高かった。
「なら、このお姫様を目的にしてはどう?」
ルナの提案はハルも考えてはいた事だ。ルナから誘われたゲームであり、何か目的があるならそれを優先しようと思っていたハルだが、そう言うのであれば是非に及ばない。王女様の魅力には抗えない。
リアルを忘れて遊ぶゲームなのだから格差に悩みたくない人間は多く、それを達成すべくシステム上は平等をうたうゲームも多い。
だがどうしても平等にならない部分も存在する。
例えばドラゴンが隠していた曰く付きの聖剣(聖剣が複製不可能な場合に限る)。
例えば魔王を討伐した勇者の称号(魔王が復活しない場合に限る)。
例えば王女様と付き合う栄誉(王女様が無数に存在しない場合に限る)。
それを求める人間もまた多い。ハルもそうだった。
──いや別に王女様であるなら無数に居ても構わないけど。
「ならそうしようか。さしあたっては王城に出入り出来る程度に地位の向上になるのかな」
「お近づきになる段階で難度が高そうね」
このゲーム、プレイヤーと現地住民はシステム的にハッキリ分かれており、その条件を満たすのは難しそうである。攻撃不能に始まり、ゲーム進行のため受ける任務もプレイヤー間で完結しており、達成しても現地国家からの評価は上がらない。回復薬を始めとした便利なアイテムもほとんどプレイヤー専用と明記してあった。
生身の肉体を持たない神の使徒である事を強調しているのだろうか。
世界設定は凝っているがシステム上はほとんど交わらない。NPCは壮大すぎる効果に関係ない説明文だった。
「それなら私もお手伝い出来ると思いますよー」
何から手をつけるべきか悩んでいるとカナリーから声がかかった。
「ありがたいね。どんな手伝いだろう」
「いちユーザーに肩入れして平気?」
「ハルさんは私の直属になりましたし。それにゲーム開始時に一番近くへ降ろす程度ですからー」
実のところハルはこれを狙っていた。神の加護のような物の存在を吟味せずカナリーに即決したのはこのためだ。一点モノ狙いは滑り出しが肝心である。
リスクに見合うリターンとは言いがたい恩恵かも知れない。が、少なくとも王女の位置の特定には一役買うだろう。それに援護がこれで終わりとは限らない。<神託>というスキルもある。
「ありがとう、助かるよ。お礼は何をすればいい? お供え物とか」
恐らくは直属の部下になっていることがシステム上のお礼にあたるのだろうが、念のためハルは尋ねる。気持ち的にも無条件でお礼を返したかった。
「あはは、そういったシステムは無いんですよー。でも良ければたまに<神託>スキル使って下さいねー」
「了解。スキルレベル上げられるよう努力するよ」
スキルには効果説明のようなものは無かったので、サービス開始まではどんな効果か分からない。だが優先して使っていこうとハルは誓うのだった。
◇
そうしているうちにサービス開始の時間がやってくる。
「どうしたの? 女神カナリー」
だが時間になっても転送を開始しようとせず、真剣に何かをやっているような表情のカナリーにルナがいぶかしんで声をかける。
「タイミングを計っていますー。お待ちくださいー」
「さっきの件だね。助かるよ」
「数分で変わるものかしら……」
「ごめん」
「すみませんー」
ルナとしてはスタートダッシュを決めたかったようである。かわいらしくジトリと目を細める。微笑ましくも、楽しみを奪った事に罪悪感を感じるが、重要度の高い問題のためと主従で謝罪する。
その様子にルナが毒気を抜かれ、手元にメニュー画面を呼び出し操作し始めたところでカナリーが大きく声をかけた。
「もうすぐです! 準備してください!」
何かのタイミングが合ったようだ。ルナはメニューを閉じ、ハルは心構えを決める。程なく二人の足元から光が放たれる。
「ではお二人ともー! いってらっしゃっ」
見送りの声は最後まで聞き取られる事はなく、二人の目の前が光に包まれた。
*
転送が終わるとそこはまた神殿の中だった。
先ほどまで居た小さな神殿、それを拡張し色彩を流せばこうなるのだろうか。カナリーを表す鳥の紋章がある、ここも彼女の神殿なのだろう。
憩いの場ではなく、祈る場へと変化したようだ。荘厳な雰囲気が強調されている。
祭壇の下へ現れた二人の前に跪き祈る影があった。いや、祈りは二人にではなく神へ捧げていた所だったのだろう。
小柄な姿だ。突然の光に驚いて顔を上げた姿勢で固まっている。
──近くにも程がある。恐るべしカナリー、さすが神。
全身をローブに包み手袋をはめ、肌の露出はどこにも無い。こちらを見上げる顔にはヴェールがかかり、その中は上手く認識することが出来ない。
小柄であるということ以外全てが隠された人物。だが、プレイヤーの視点で注視すれば彼女の頭上にAR表示が浮かび情報が映し出される。
名前は「アイリ」、称号は<王女>だった。
アイリ:Lv.-(NPC)称号<王女>
HP213/213
MP320/2314
──姓は存在しないのか?
ハルは微妙に現実感を感じられないこの状況に、そんな事を考える。実際、現実ではないのだがそれを差し引いても余りあった。
いきなり本人と接触出来るという都合が良過ぎる展開が喜びよりも混乱を引き起こす。あの神は何を考えているのだろうか。
カナリーの提案の時点で一応は可能性に入れていた事ではあったが、事実になってみると衝撃は予想以上に大きかった。普通はここまで優遇するはずなど無いからだ。
彼女との接触をトリガーとするイベント等が最初から企画されており都合がよかったのか、ハルがそんな事を考え始めたあたりで、アイリの方から声がかかる。
「あなた方は……」
ルナはまだ状況が飲み込めておらず、ハルは雰囲気に浸っていた。呆けすぎである。
「……幸運を司る神性にして我が国の守護女神カナリー様、その使徒様でいらっしゃいますね」
混乱しているかと思いきや、思いのほか理解が早い。あちらからもAR表示が見えているのだろうか。
ARとは拡張現実を表す言葉。現実の映像の上に重ねるように詳細情報などが参照できる。これはウィンドウパネルと違い、本人しか見ることが出来ない。
判断の早さからして、アイリにもそれが見えている可能性は高い。
──いや、カナリーの神殿に突然あらわれた事から推測したか、“カナリーの信徒である”アイリには何か判別する術があるという可能性もある。
アイリ王女の公式説明には信仰する神についての記載があった。ハルがカナリーとの契約を即決したのはこのためだ。同じ神を戴く者同士になれば何か特典があるのではないか、といった思惑の。
……もしくは逆に、“アイリに興味を持ったユーザーのハル”をカナリーの方から選んだのが最初であったのかも知れないが。
「様は要らないよアイリ王女。僕はそんな尊い存在じゃないし」
覚悟を決めハルは話し始める。
ならばお前は王女をもっと敬えという話になるが、そうする判断が起きない。かしこまるのは苦手だった。
ロールプレイに興じる事が無いわけではないが、今は隣にルナが居る。やはり少し恥ずかしい。その気持ちが第一印象で失敗するリスクを軽視していた。
──また焦ったかな。いや、気分を損ねた雰囲気は無さそうか。
すぐその事に気付き、ハルは軌道修正の案を練りつつアイリが不快感を覚えていないか注意深く探る。しかし幸いにも、アイリにその様子は全くみられなかった。
「承知いたしました。お目にかかれて光栄にございます。……ハルさん」
──僕の名前が見えている。あとはルナの名前が分かるかどうかか。
少しの葛藤の後、ヴェールを脱ごうとする彼女を慌てて制す。顔は見たいが、お忍びの彼女に姿を晒させるのは悪い。目上と判断されている状況はハルにはやり辛かった。
「取らなくていいよ。それに敬語も要らないけど」
アイリの方も慣れているようには見えないし、出来れば気安く接して欲しい。そう思うが、すぐにそういう訳にはいかないようだ。
「流石にそれは憚られますかと……」
流石にと言うなら、流石にこちらの失礼が過ぎる雰囲気になってきた。異変を感じ取り足早に駆けつけた二人の護衛らしき女性が到着し、個人的な会話の空気ではなくなってくる。
護衛というより侍従だろうか、いわゆるメイド服に近い格好だ。表情を伺うが、今のところは王女の会話を邪魔しない事が優先されているようだ。
──もしくは判断を取りかねてるのか。プレイヤーはこれが初遭遇だろうしなぁ。可能な限り攻めようか。
こちらの存在は現地の住人にどう伝えられているのかがまだ分からない。どういう存在か知られていないなら先入観なく交渉を進められる。
ただし過分に上げて語れば後で痛い目を見ることになるだろう。ハルは慎重に切り出す。
「アイリ様、」
「わたくしにも様は必要ございません。どうかアイリとお呼びくださいな」
が、食い気味に遮られた。おしとやかさの中にも快活さが垣間見えるようだ。ヴェールの下の表情はどんなものなのだろう。
「アイリ、ちゃん」
日和った。しかも変な方向に。
攻めるのではなかったのか。むしろこれが攻めているのか。とりあえずは何時も通りで自然体のハルであるといえば聞こえはいいので、そういうことにしておく。
ハルが助けを求めルナに目を向ければ、案の定というべきかそんなハルの姿をこっそり楽しんでいる彼女が映るのだった。
「ひとまず場所を移さないかしら。ここに居座るのは女神カナリーに悪いわ」
「そうだね、確かに」
楽しみつつも助けてはくれるようだ。ルナに感謝しつつハルが祭壇を下りると、アイリとそれに続く侍従が道を空ける。居心地の悪さに難儀しつつ、何とか口を開こうとする所でルナの発言が先に来た。物怖じしなさではハル以上だろう。
「アイリちゃん。どこか落ち着ける部屋はある?」
「あ、っと、はい。ルナ、ちゃん。わたくしがお借りしている部屋があります。案内しますね」
ハルがショックを受ける。……そして立ち直る。今回はルナに見咎められるのは避けられたようだ。
自分より先に砕けて話してもらった事よりもまず、ルナの名前も見えている事を気にするべきだろう。ハルはそちらに意識を向ける。
視線を追う事が出来た侍従二人は、こちらの名前をチェックしている様子は無い。それが示すのはAR表示が見えるNPCは一部だけである事。
つまりは特定の神の信徒、もしくは国の重要人物、どちらかのカテゴリーの存在がプレイヤーと深く関わる展開になっていく事を示していた。
*
アイリに案内された部屋に入り一息つく。
このまま話を進めるよりもお互いに状況を整理する時間が必要だろう。特にアイリには寝耳に水であったはずだ。
結局、戸惑う相手の心に付け込んで今後の展開を交渉する気にはなれない。ハルはそう結論する。
「突然こっちが押しかけちゃったし、アイリちゃんとの話は落ち着いてからでいいかな」
「構わないわ。アイリちゃんにも予定があるだろうし」
「何度もアイリちゃんと呼ばれるのは落ち着かないものですね……」
照れているようで、もじもじとした様子だ。顔は見えないままだが、小柄な体型もあって可愛らしさを感じる仕草にプレイヤー二人が目配せし合う。
「では、失礼ながらお言葉に甘えさせていただきます」
そう言って一礼。やはり予定があったのだろう。しかもどう見てもお忍びである。あまり時間を取らせる場面ではない。
二言三言、言葉を交わしアイリ達は退室を決める。
その前に、ハルは気になった事を確認しておく。
「君、ちょっといいかな」
ハルは侍従の一人の肩口を手で払う仕草をする。無意味に速い動作は攻撃かと彼女を警戒させ、手が触れる前に侍従は大きく身を引いた。
プレイヤーはNPCに攻撃不可能だ。実際は警戒する必要は無いのだが、それは知らないようだ。
「!!」
「っと、ごめん。驚かせちゃって。服に汚れが付いていたんでね」
「申し訳ありません……」
「所用を済ませましたら、またお伺いしますので! どうかそれまでお待ちを!」
「外には出ないで居るから。焦らないように行ってきて」
「はい!」
焦りからだろうか、アイリが少し気安くなった事にハルは気を良くする。何時間でも待とう、そう思った矢先に隣のルナの視線に気付く。最近この流れがパターン化されてきているのではないだろうか。
「初任務ね。このゲーム最初のミッション」
「初任務」
「初ミッションは、待機」
「……」
責めるような口調に似合わず、その顔はやはりとても楽しそうなのだった。
今日はこの後も確認を挟みながらきりの良い所まで投稿していきます。よろしくお願いします。
※1話~3話の誤字修正とレイアウト修正を行いました。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2025/3/17)