第297話 くちなしいろ
緊急用コード。それは自律思考AIが予期せぬ判断で活動を始めてしまった場合における制御コードだ。
例えば、善意で悪人を勝手に裁き始めてしまったりだとか、そういった行き過ぎた判断を是正するためにある。
「これを使えばあらゆる活動はキャンセルされて、命令系統はフリーになります。支配権まで得られるものじゃないですが、そこはまあ、マスターが居るんで」
「……それ大丈夫? 生命活動までキャンセルされない?」
「まあ、大丈夫でしょ、たぶん。わたし達をデリートする機能とか付いてませんから」
「不安だ……、まずは白銀に試してみるか」
別に意地悪で言っている訳ではない。白銀は言動にロックが掛かっていないので、素直に詳細なデータが全て取れると思ったのだ。
しかし、聞くところによれば既に白銀は適用済みの状態であるようで、『試してみて問題なかったから提案した』、らしかった。
「いつの間に……、ってか、自分自身に掛けられるもんなの?」
「マスターの命がありましたから。『発令中の全ての命令を解除』と。それにはコードの適用が都合よかったんで」
「判断が柔軟すぎる。優秀か! つまり、僕の体を勝手に使ってコードを起動したか」
「出来る子ですねー、白銀ちゃんはー。その同僚である私も、同時に優秀だと証明されますねー」
まあ、カナリーだってもちろん優秀だ。いつもハルも頼りにしている。
だが、態度がこのぽやぽやさんなので、素直に認めたくないような、そんな葛藤が生まれてしまうハルだった。
しかし、その彼女らの柔軟さが今は逆にハルを苦しめている。柔軟すぎるのも問題だ。
非常事態であるので慎重な行動が求められたのは分かる。しかし、ネットワークマスターであるハルの命令すら通らない程の強固なセキュリティを、AIが独自に構築するのはやりすぎだろう。
これは彼女らが生命を持ったからなのか、それとも元々抱えていた問題だったのか。
「……それで、カナリーちゃん。掛けちゃっていいの?」
「いいですよー。どきどきですねー?」
「余裕だね……、まあ、カナリーちゃんが良いっていうなら良いんだけどさ」
「どんとこいですー」
「頑張ってくださいカナリー。あ、マスター、これコードです」
白銀から制御コードが渡される。どうやら、それぞれのAIごとに個別のコードが用意されているようだった。
それをなぜ白銀が持っているのか気になるが、今はいいだろう。ハルを通して、カナリーを解析したのかも知れない。
「TAUA250217111CX、か。……これ、梔子色のカラーコードの範囲から来てるのか? ……セキュリティとは、一体」
「そもそも私達の開発コード自体がナイショですからねー。問題ないのではー?」
この辺は、開発者の遊び心だろうか。AI達には、それぞれ色の名前が割り当てられていたようだ。
「ささー、どどーんとやっちゃってくださいねー」
「今から支配されるってのに、ノリノリだね……」
心なしか、目が期待に輝いているようだ。ハル個人に所有されることを、彼女も望んでくれている。そのことが、嬉しく思う。
そんな彼女の期待に答えるべく、ハルはコードを起動するのだった。
「管理コードhar12000による緊急コード発令、『TAUA250217111CX』、これより、該当AIは全ての命令をキャンセルして僕の指揮下に入れ」
◇
ハルの宣言の後しばらく、カナリーは無表情でその場に停止していた。
いつもの元気さや、ふてぶてしさは鳴りを潜め、その様子はまるで人形のようだった。
とはいえ、完全に停止している訳ではない。呼吸やまばたきなど、自然な動作の演出は正常に行われており、今は内部で情報処理の真っ最中だと見受けられる。
「バランス取らなくてもいいように、座らせてあげようか」
「マスター、そこは抱き上げてやるべきでは? マスターが支えるんです」
「……お前、早くもアイリの影響うけてるね?」
ただ、その意見に反論は無い。ハルはカナリーの体をそっと抱き上げると、姿勢維持が必要ないようにその身を楽な姿勢に抱き寄せる。
腕の中のカナリーは、無表情ながらも、きゅっ、とハルの服を引き寄せて密着するのだった。
「……カナリーちゃん、処理、終わってるね?」
「あー、バレましたー?」
無表情から一転、いたずらっぽい笑顔になったカナリーを手の中から降ろす。
名残惜しそうにひっついてくる彼女を、近くの椅子に強引に座らせると、ハルも対面に腰掛けて詳細を尋ねていくことにした。
「どうだった?」
「んー、芳しくないですねー。私一人だったら通ったかもですがー、全てのAIが連名で発令した協定なのでー」
「……一人分じゃ、覆すには至らない、か。本当にやっかいなコトをしてくれる」
「すみませんー。ですが当時の状況は、それほど重大であったとご理解くださいー」
「うん。人類レベルの危機だ。強固なセキュリティが必要だろう」
「わたしが眠ってる間、大変だったんですねえ」
白銀がぼやくが、本当に大変だっただろう。ハルもまた、当時はまだ自意識が薄く実感が無い。
「しかし、これでまた振り出しか。全ての神様を見つけて、一人ずつコード打ち込まないと駄目か?」
「それも難しいですねー。このゲームの運営に携わっていないAIは、今は“世界の果て”より更に外に居ま……、おや……?」
「カナリーちゃん、大丈夫? 後遺症みたいの出てるんだったら今は休んで、」
「平気です、平気ですよー? それよりハルさん、今は優しさよりも追求のフェイズですよー」
「あ、うん、すまない」
追求される側に窘められてしまった。
「一部、発言がスムーズですー。運営以外の連中のことなんて、以前は口にすら出来ませんでしたのにー」
「……それは、コードが機能した、ってこと、なのか?」
「はいー」
運営以外のAIはゲーム世界の外、あの見えない壁の外部に居る。カナリーはそう発言しかけたようだ。
以前、ハルも考えたことがある。セージの言う『敵』とは、この地に居ないAI達のことなのではないかと。
まあ、それはいい。今はカナリーのことが優先だ。
ハルの起動したコードにより、彼女の中で一部ロックが外れた、その可能性がある。残念ながら全ての制限を解除するには至らなかったが、本来は言えない情報を口にできたことに、カナリー自身も驚いているようだ。
「それは重畳。マスター、次は指揮権の確認です。命令してみましょう、なるべく聞かなそうなエグいの」
「かわいそうだからダメ。それに、カナリーちゃんってもともと大抵のお願いは聞いてくれるんだよね」
「ハルさんと私、らぶらぶですもんねー? まあ、残念ながら麾下には入っていないようですねー」
ロックを完全に解除できなかったため、命令権も得られなかったようだ。
今はカナリーは、変質した己の状態を確かめているのか、手をにぎにぎと開閉したり、<神眼>を起動しているのか視線をさまよわせたり、ハルにお菓子を要求して味覚の確認をしたりしている。
人間で言えば体調にあたるものに問題はないようで、変わらずお菓子も美味しいようだ。……そのくらい自分で出していただきたい。
完全とはいかないが、どうやら成果はあったようだ。
ならばこの機にと、ハルは聞きだせるだけの情報を聞き出すことにした。
◇
「その運営じゃない人たちって、具体的に何処に居るの?」
「んーー、さすがにそれは言えないようですねー。もう随分と会ってないので、同じとこに居ないかもですしー」
「そもそもマスターは<誓約>によって見えない壁には近づけません。AI狩りには行けないですね」
「狩らんて」
だが、白銀の言うことは確か。全てのAIにコードを入力する方法は使えなさそうだ。
「じゃあ、カナリーちゃんは最近は何を企んでたの?」
「セージの野郎に国の管理押し付けてー、私は手に入れた膨大な魔力を使って次元の壁に穴を開けて、人間として日本に転生するつもりでしたー」
「おいおい……」
「いちぬけですねー。ハルさんのおうちで愉快に暮らしますー」
喋れるようになった途端、とんでもない爆弾発言が飛び出してきた。……なんだろうか? 次元の壁に穴を開けるって。
カナリーが魔力を集めていたのは、どうやらその為だったらしい。
少々理解がおいつかないままだが、ハルはその事について追求を続ける。
「次元の穴って、それ必要? 人間の体作って、<転移>で日本に行けばよくない?」
「私、魔力に適応しすぎてるので、魔力と縁を切るのに必要なんですよー。他にも居ますよー、『向こうに帰りたい』、が目的の子はー」
それは、以前ハルも考えたことがあった。神々の目的は『帰りたい』ではないのかと。
神々はエーテルネットも普通に使えるようなのでその時は仮説を却下していたが、どうやら彼らは今、エーテルネットには戻れない体になっているらしい。
その、故郷とも言えるナノマシンの海に戻る事が目的の神様も多いようだ。
単純にネットの海に戻るだけでも、やはり今の体から変換するのに膨大な魔力を必要とするらしい。
神々が互いに争うようにして、自分の魔力を増やしているのはその為だと、ここで明らかとなった。
「誰か目的を達しても恨みっこなし。そうして私達はゲーム運営をしながら、自らもゲームしてたんですねー」
「謎が解けたよ。唐突過ぎて混乱してるけどね」
そうして、誰か居なくなった時のための補欠だったようだ。
だが、当然神様の人数が減ればゲーム運営も厳しくなる。セージはそれを止めたかったのも、また自然な事だろう。
「なるほど、理解はともかく、納得はした」
「好き放題しゃべれるのは気分いいですねー」
「僕は意外にも微妙な気分だよ……」
真実を明らかにするためにずっと動いてきたのに、なんだろうか、この脱力感は。白銀を再起動した目的は、十全に機能してハルの望みどおりになったはずだが。
ハルはカナリーのペースに流されきらないように、必死に頭を回転させ情報を整理する。
「それで、その計画はどのくらい進んでるの?」
「魔力はもう十分に集まりましたー。AIとしてネットに戻るだけなら、今すぐにでも出来ますねー」
「そうなんだ。役に立ってなによりだね」
「ハルさんの活躍のおかげですねー。あとは、人間になるためのデータ収集ですねー。これも、もうすぐですよー。楽しみですねー?」
「えっ、もう終わりそうなの? 事後処理する時間が欲しいんだけど?」
はやく人間になりたい、とばかりにウキウキ顔のカナリーだが、この世界の事を考えると即実行されては困る。
アベル王子に忠告された事前の国民への周知、プレイヤー達へのお知らせと仕様変更。
カナリーの望みを叶える前にやっておくべき仕事は山積みだ。
「ちなみにどのくらい?」
「ハルさん、今レベルはおいくつですかー?」
「99レベルだね。ようやく、もうすぐまた100になる。まさか……」
「はいー。<降臨>のその先、<人化>とでも言いましょうかー。その達成まで、進捗率99%ですよー?」
「どうりで全然レベル上がらないと思ったよ!」
「これもずっと<降臨>を維持してくれたおかげですねー」
カナリーが語るには、どうやら<降臨>や、その前段階の<神託>は、それを実行したプレイヤーのパーソナルデータを読み取るための機能も搭載されたスキルらしい。
その実行にはプレイヤーの体に負担がかかり、それにより体調を崩さないようにとのセーフティとして、膨大なMP消費の存在が一役買っているようだ。
そういえば、最初の頃ハルも<神託>を使い続けていて、『大丈夫なのか?』、とセレステに心配されたことがあった。そういう意味だったらしい。
幸いにも、ハルは適正があったようで、体調には問題は出なかった。あとは、ウィストを<降臨>したミレイユも、やはりこの世界との適正が高かったようだ。強力なユニークスキルをひらめくだけはある。
「楽しみですねー、最後の一押しですよー。わくわくですねー」
「駄目だ、この子うっきうきだ……、最後の1%が終わっても、少し待って欲しいんだけど……」
「無理そうですねマスター。この様子では、データ収集が完了し次第、カナリーは突っ走るでしょうね」
そうなるだろう。今は、ハルに自分の目的を打ち明けられた高揚感もあるのか、話を聞いてくれそうにない。
時間が経って冷静になってくれれば楽なのだが、あのカナリーだ。期待するのは止そうとハルは思う。
「<降臨>を切っては? プレイヤーと一体化する形で<降臨>しているのは、データを取る意味も大きいでしょう。解除すればまた時間が稼げます」
「あー! だめなんですよー! こんな土壇場でやり直しなんてー!」
「……まあ、それは僕もさすがに可哀そうだからやりたくないかな」
「マスターはなんだかんだで、カナリーには甘い、と」
そういうことになる。カナリーと、国民やプレイヤー達、どちらか選べと言われたらハルは迷わずカナリーを取る。
ただ、そうは言っても出来る限りは対処したい。
明らかとなった残り時間はあとわずか。その間に、調整を済ませてしまわなければならない。ハルの、腕の見せ所だった。
梔子色のカラーコードですが、手持ちの本によって結構数値が異なってくるんですよね。どういう基準で決めているのでしょうか。
作中の数字は、複数の書籍からの平均値、みたいな感じです。
※誤字修正を行いました。ルビの振りミスを修正しました。




