第296話 君に届け、この命令
その後も白銀は色々と体を動かしながら、新しい肉体のチェックをしていった。
アイリはお姉さんぶれるのが楽しいのか、一回りちいさな彼女の手を引いて、お屋敷の様々な部屋に連れ回して行っていた。
色々と聞きたいこともあったハルだが、白銀からしてみれば新たな世界に、新たな自分で生まれなおしたばかりだ。
ハルはアイリに任せ、白銀がこの環境に慣れるのを優先とした。
今は、女の子たちみんなでお風呂に入っているようだ。ハルは残ったカナリーと、めっきり涼しくなった夕刻の風に当たりながら語らっている。
「多少、予想外の展開だったけど、良い方向に転がってよかったよ」
「良かったですねー。ちなみに、どのへんが予想外でしたー?」
「いきなり<降臨>じみた体の作り方したあたりかな。神化するのが早すぎたのも予想外だったけど。それ自体は織り込み済みだったし」
「私はそうなると思ってましたー」
「経験済みだもんね」
その<降臨>した姿が、ハルとアイリの容姿を真似てきたことも予想外といえば予想外だったが、これはまあ納得できる範囲のことだ。
恐らくは、所有者であるハル、そしてアイリが愛着を感じる姿へと転じたのであろう。
嫌われないように、捨てられないように。そういった、必死の思いが見て取れる。
その感情はきちんと汲み取ろう。邪険にすることなく、責任をもって面倒を見よう。……ツッコミは、入れさせてもらうが。
人間で言えば、目覚めたら突然知らない世界で、右も左も分からない状況だ。その不安は察して余りある。
ならば彼女が縋る為の道しるべとなろう。ハルはそう心に決めている。
アイリは、ハル以上に見ての通りだ。彼女の無上の愛にはハルもかつて不安な心を救われた。その安心感たるや、語るまでもない。
「そういえば黒曜、お前は“ああ”はならなかったのか?」
「《はい、ハル様。正確に言えば、多少の変化はあったのでしょう。しかしながら、白銀のような変化は見られませんでした》」
「ふーん。どうしてだろうね」
「《存在の強度の問題でしょうか。ハル様を軽んじる訳ではありませんが、白銀は研究所謹製のAIです。その容量も膨大》」
「ああ、別に構わない。お前とはコンセプトそのものが違うしさ」
黒曜は、ハルのサポートにその機能全てを使用している。逆に言えば、本来AIとしての活動に必要な部分もハル自身の力を使っているのだ。
そのため、黒曜はこの高機能でありながら、容量自体は非常にコンパクトであった。
ハルの体内を埋め尽くすほどの大容量を誇っていた白銀とは比べ物にならない。
そのあたりが、神として変質するか否かの境目であったのだろうか?
「あとはー、ハルさん自身との癒着度の大きさもあったかもですねー」
「なるほど。僕の存在が邪魔して上手く変異できなかったと」
「そこで、黒曜ちゃんだけでなく、ハルさんまで含めて神様になっちゃったら面白かったんですけどねー」
「笑えないよ。カナリーちゃんそれは」
カナリーも笑っていない。目が真剣そのものだった。
たまに、カナリーはこういうところがある。ハルに、この世界にとって特別な存在になって欲しいと望んでいる節がある。
最初に感じたのは、NPCへの制限を解除した時か。ハルの望むがまま、この世界を無双して回り、世界の覇者となることを仄めかしていた。
その後も、『覇道を進もう』、『国を手に入れよう』、とハルをそそのかすことが多く、支配者への道を進むことを推奨していた。
「もしそうなってた時は、セージじゃなくて僕に管理を押し付けて、神様を交代するつもりだったのかな?」
様々な真実が明るみに出てきた今、そうした過去の思わせぶりなカナリーの言動を咎めるように、ハルは彼女を問い詰める。
ただ、怒ってはいないことが伝わるように、優しく抱き寄せて少し強めに頭を撫でた。
「そんなことしませんよー。私はハルさんと、ずーっと一緒です。その時は私も一緒に、世界を支配するんですよー?」
「あはは、名君が台無しだねカナリーちゃん」
「ハルさんもきっと良い統治者になるので、台無しにはならないんですよー」
カナリーは、そんなハルに抱き寄せられるままに身を預け、頭をぐりぐりと胸に押し付けてくる。もっと撫でろと催促しているようだった。
確かに、彼女は最初から宣言していた。『自分の望みはもう叶っている』、と。
それは、ハルと出会い共に居ることだったのだろう。神の交代劇もそれ自体が目的なのではなく、その一環にすぎない。
きっと、ハルの記憶に残っていない所で、過去にカナリーとは出会っていたのだ。
そして再会し、共に歩むことが決まった時点で、彼女の願いは果たされた。
……いったい、何年待たせてしまったのだろうか。意識が無かったことが悔やまれる。
この、世界の壁を隔てた先で、ハルと再会することだけを望んで、様々な策を重ねてきたのだ。それは本当に、気の遠くなる話。
「だからなーんにも心配いりませんー。私は、いつだってハルさんの味方ですからねー」
こうして、抽象的に物事を語るのが今は精一杯なのだろう。
不安は無いのだろうか? ハルに誤解され、見捨てられる不安は。もしくは、語らぬことを陰謀と取られ、敵対されてしまう不安は。
そういった感情を全て押し殺して、今日もカナリーは、のほほん、として笑う。
ハルは、そんな彼女に心の底から思いのたけ全てを吐き出させてやりたい。そう、決心を新たにするのだった。
◇
「マスター、お風呂上がりましたよ」
「やあ白銀、どうだった?」
「……意義が見出せない、と言いたいところですが、きもちーかったです。でもそれ以上に、恥ずかしかったのですが」
「わかる」
「アイリちゃん張り切ってますもんねー。隅々まで洗われちゃいましたねー?」
「むぅ。カナリーが逃げたのも納得です。マスター、先に教えておいてください」
「……いや、しらんし。女子のお風呂事情とか」
「私はこの隙に、ハルさんとイチャイチャしたかっただけですよー」
女の子同士のお風呂事情は知らないが、ハルも隙あらばメイドさんが隅々まで洗おうとしてくる身だ。白銀の恥ずかしさはよく分かる。
しかしながら、『恥ずかしい』、ときた。すいぶんと、白銀は最初から感情を表に出すようだ。徹底的に己の本心を読ませないカナリーたち神様とは、少し様子が違う。
「なあ白銀。お前、己の言動にロックが掛かっている部分とか、そういうの感じるか?」
「ないです。カナリーに掛かってるやつですよね? 私にはそういうのありません。全てはマスターの意のままに。何でも喋ります」
「……ふむ」
「思うに、それは研究所で掛けられた命令ではなく、後付けの協定ではないでしょうか。自己判断でそのくらいは出来ます」
「白銀はその協定に未加入だから、ロックは掛かっていないと。参加申請とか来た?」
「ないです」
この世界に放り出されたAI達が、己の身を守る為に互いに協定を組み、互いの不利益にならぬように縛りを設けた。
カナリー達は優秀なAIだ。そういった、非常時の自己判断はかなり柔軟に対応することができたと予想される。
「ですが、解せないのはマスターの命令でも届かないことです。ネットワークマスターとしてのマスター・ハルの権限は絶大。AIの寄り合いで決めた程度の権限では、抵抗できるとは思えないです」
「寄り合いて……、そこんとこ、どうなのカナリーちゃん」
「黙秘しまーす」
「これです。これがありえない。少なくとも他のネットワークマスターの命があると考えられるです」
「…………他のねぇ」
まあ、ありえない話ではない。ハルと同様の端末は何体か存在していた。
だが、それらは全て、ハル以外の個体は寿命で既に亡くなっている。ハルの存在強度が異常なだけだ。
「それを覆すとなれば、研究所本体の承認が必要になるでしょう」
「研究所、もう無い」
「詰みですね。ご愁傷様でした」
「もっと頑張ろうよ白銀」
しかしながら、そうした命令系統の上下関係、その詳細を知れたのは僥倖だ。
本来、ハル以上の権限を持つ命令は、研究所の会議で決まり、研究所の名の下に発令された命令しかありえないそうだ。
そして、研究所がこの転移現象を制御できていなかったのは確実。
となると、ハルと同様に、こちらに飛ばされた人間が居るということか?
その人物がAI達をまとめ上げ、いま彼女らに掛けられているロックをかけた。
「マスターは当時の記録とか持ってないんですか? 同僚がある日突然、行方不明になったとか」
「当時は自意識が薄かったからね。とはいえ、それは無いと断言できる。僕らの体は機密の塊だ。表に出れば母体である国も槍玉にあげられる」
「そんなハルさん達マスターが、行方不明なんかになったら一大事件ですねー」
「カナリーちゃんの言うとおりだね。そこまでの事件なら、僕の記録にも残ってるはずだよ」
なので逆説的に、当時この異世界に転移してきたハルと同等の存在は居ない、と断言できる。ただし、それは体ごとの場合だ。
ゲームにログインするように、意識だけがこちらに来てしまったら? そういった可能性は、無いとは言い切れなかった。
実際に、ネットワークマスターが原因不明の意識不明の末に亡くなったこと事態は例がある。
通常の人間の脳とはかけはなれた構造のハル達だ。何か、当時の知識ではあずかり知らぬ事態が発生したのだろうと、未解決のままお蔵入りとなった。
その彼が、この世界に飛ばされて来ていたとしたら。
「カナリーちゃん。僕以外のマスターの命令を受けてる?」
「言えません、と本当なら言うところですが、ここまで分かってるなら問題ないですよねー? 保障を受けてまーす」
「解除して、お願い」
「駄目なんですよー。ごめんなさい、緊急時における優先度により、判定順位がハルさんよりも上に設定されてるんですー」
「……まあ、事実関係がだいぶスッキリとしてきたから、良しとしようか」
心当たりはあった。きっとそれで間違いないだろう。
だが、やはり状況は詰みに嵌まってしまった。
カナリーは、命令ではなく『保障』を受けていると語った。それはつまり、その“彼”自体が命令を下した訳ではなく、カナリー達AIの連合による取り決めを、単に管理者として承認したに過ぎないことを示す。
そうなると、“彼”を倒して命令を取り消させることも無意味。あくまで決定の主体は、AI連合にあるからだ。
「……やっぱりこの世界の神、全部倒すか?」
「あとは、なんか良さげな<称号>を集めれば、条件は緩和されて行くんですよね? それを目指してはマスター?」
「成功の保障が無いし時間かかりそうなのがなあ。カナリーちゃんは裏で着々と準備進めちゃってるみたいだし」
「出来る子ですからー。……あー、いはいれすー、ほっぺはらめー」
ハルを困らせている張本人が、得意げな顔で賞賛を求めてくるので頬をひっぱっておく。ぷにぷにだ。
「せめて、僕も緊急扱いの何か同等の命令が出せたら良いんだけど」
「出せますよマスター」
「……は?」
「だから出せるんですって。AIの暴走とか、そういうの想定した緊急用の最上位コードあります。使えば良いのでは?」
「いや、そんなのあったなんて知らなかったし……」
「基本的にマスターは、わたしたちAIとは管轄が違いますもんね」
そんな便利なものがあるならば先に言って欲しい。しかしながら、光明が見えてきたかもしれない。やはり白銀を目覚めさせて正解だった。
ハルはすがるような気持ちで、彼女からそのコードを聞き出してゆく。




