第291話 粗暴な中に潜む純心
「と言っても想像がつかねえな、魔力の無い世界なんてよ」
「体力馬鹿のアベル君なら、魔力が無くたって平気じゃない?」
「ばーか。こう見えてオレは王子だぞ?」
「この世界の事業、特に建築は魔法が無いと成り立たない、ね」
「おっしゃる通りですモノ様。……それによ、水出す魔法が無いと、オレはだいぶ困る」
確かに、あまり意識していなかった。日本では前時代からずっと、浄化された水の通る水道網が全国に完備されている。
その影響は、ハルの考える想定以上に大きい。味に贅沢を言わなければ、飲める水に困ることがないというのは非常に画期的だった。
そのことは、この異世界に住んでみれば良く理解できる。
生活用水は川などから引いて来ており、簡易的な上下水道も整っている。その建築技術、治水技術はなかなかの物だ。
だが、その末端の水、日本で言えば蛇口から出た水にあたる部分の物を口に出来るか、というとまた話は別だ。
当然だが、止めておいた方がいい。まあ、ハル以外のプレイヤーはキャラクターの体なので、飲んだところで何ともならないが。
「言ってみれば、君らは人間そのものが蛇口になってる、ってことか」
「なんだぁそりゃ。しかし、やっぱすげぇな神の世界。全ての水が清潔で美しいとか、反則だろ。輝く泉とかあんだろきっと?」
「……だからそんな天国的なものを想像されても困るんだが。この船と似たようなものだよ。個室で出る水は、どれも清潔だろ?」
「水の浄化装置は完璧だ、よ? 完璧すぎて、面白みが無いけど、ね」
この船の蛇口から出る水は、みなほぼ純水だ。魔法で水を生み出すのと大差ないとモノは語る。
では、その完璧な浄化システムとはどうなっているのかというと、かなり強引な方法なようだった。汚水を分子レベルまで分解し、水だけ再合成する。
超ハイレベルな蒸留水、と考えれば良いのだろうか?
「ハルの国はどうやってるの、かな? ぼくも知りたい、な?」
「水中にエーテルを、ああ、僕らの世界のエーテル、ナノマシンだね。それを常に充填していて、不純物を感知し次第、その場で分解してるよ」
「魔法で浄化してる、みたいなことか? 効率悪いだろ」
「……僕らの世界では水を直接生み出す方が効率悪いんだよ」
それに、いちいち個人が詳細な条件指定をしなければいけない魔法と違って、エーテル技術は半自動的だ。誰も意識することなく、勝手に浄化が完了する。
一応、エサが尽きてナノマシンが増殖できなくならないよう、全ての水道水はアイリの言うところの、『ナノさんのおやつ』、水溶液だ。
これが蛇口まできちんと残っていることが、法律で義務付けられている。
つまり、日本の水道水は今、分かる人には分かる程度に味付きだった。
「その魔法、便宜上魔法って言うね、それを使ってるのは国民全員だ。全ての人間が魔法にアクセスして、詠唱を分担している、ってところかな?」
「……想像もつかん。やっぱり神の世界じゃないのか? この世界に応用は……、難しいな、魔法ってのは意識しないと使えない」
「巨大な魔方陣の上に街を作って、住人にはその魔方陣起動用のHPMPの提供を強要する、かな?」
「モノちゃん、サラっと恐ろしい社会を生み出さないの」
強制徴収がエグすぎる。だが、生きているだけで強制的に社会を回す労働力を徴収する、という点では現代の日本に近いだろう。
エーテルネットの利用料は基本、完全無料。しかし、エーテルネットに脳を接続した人間は、その時点で処理能力を少し徴収されているのだ。
そうして、国民全員の計算力を合わせて、先の水道設備のような公共設備を回している。
ゲームのマルチプレイにおいて、超、超大規模ギルドが廃人の精鋭ギルドを蹂躙する様子を見たことがあるだろうか。
廃人ギルドが呼び出した巨大モンスターを、大規模連合の弱小プレイヤーが次々に初級スキルでタコ殴りして、あっという間に撃破してしまう。
数の力というものはそのくらい凄まじい。その巨大モンスを公共設備のタスク、大規模ギルドの参加プレイヤーを、無意識に提供しているリソースに当てはめる。
個人の負担など大したものではないのに、数の力は非常に大きな成果を挙げるのだ。
余談であった。なお、このゲームにおいては、数の力よりも、ひとつの圧倒的な力が優勢なのはハルを見て分かる通り。
このあたりが、個人に集約する魔法と、全体の力を束ねるエーテルネットの違いだろうか?
「なんとも画期的な発想だが。画期的すぎて、参考にはならんな……」
「アベルくんは、猪武者に見えて国の運営を真剣に考えている、んだね?」
「ええ、その、これでも王子ですので……」
「猪突猛進な侵略者に見えて、意外と良い為政者なんだ」
「うるさいぞ。……あの国の王族に生まれれば、誰であれ、こうなるのは避けられん。適合できない者は、脱落するだけだ」
「なるほど」
粗野に振舞っている中にも、気品の見え隠れするアベル。その本質は、きっと今よりも落ち着いたものだったのだろう。
軍事国家であり、実力主義の瑠璃の王国の荒波に揉まれ、力強くあらざるを得なかった。その苦労が垣間見える。
「あれ、じゃあディナ王女も?」
「……そう見えるか? 姉上は適合者だ、もともとな」
「根っからの武人、ってやつか」
「セレステ様の熱心な信奉者でな。オレを守ってくれて、感謝はしているんだが……」
「歯切れが悪いぞーアベル」
「うるさいっての!」
きっと、大人しかった頃に姉による鬼の特訓でも受けたに違いない。ハルは勝手にそう結論付けた。
ハルにとっては、やっかいな侵略者として始まったアベル王子だが、彼にもまた歴史があり、国に、民に色々と思うところがあるようだ。
ハルの世界からも真剣に学び、今も統治のことを考えるその様は、見かけによらず、優秀な王族であることをハルに伝えてくるのだった。
◇
「で、お前はその知識を国政には生かさないのか?」
「いや、僕は別にあっちの世界じゃ普通の人間だし……」
まあ、嘘は言っていない。特殊すぎる出自を持つハルだが、日本での肩書きは単なる学生だ。
民の上に立ち、国を収めるというのはどうにも気乗りがしなかった。
「関係無いだろ。シルフィードや、ラズルんとこの参謀なんかも、別に王族って訳じゃあないんだろ?」
「良家のご令嬢だけどねー」
「まあ、そいつらだって、野心をむき出しに政へと入り込もうとしている。オレらも有用だからその力を借りる。それで良いじゃねぇか」
「振るった力に、責任が持てないよ」
「……分からんな。ハルが力を振るえば、多くを幸福に導ける。それで良いんじゃないか?」
「ハルはね、目が良すぎるんだ、よ。多くの幸せの影に、ハルの力で不幸になる人間も必ず出る。それが見えてしまう、んだ」
「ですが……」
更に言葉を重ね、畳み掛けようとしたアベルをモノがやさしく手で諭す。
「ぼくらは、それが出来る。容赦なく、ね。大の為にあっさりと、小を切り捨ててきた、よ。それが神の仕事、それは神の領域」
「人には、過ぎた領分なのでしょうか、モノ様。ですが、力ある者にはその責任が……」
「無い、んだよ? そんな責任は。それがあるように見えるのは、アベルくんが力を欲しているから、だね」
核心を付かれたのか、アベルが言葉に詰まる。そして、にわかに感情的になってしまった己を恥じ、冷めてしまったお茶に口をつけた。
最初に会ったときにも、こういった事があった。彼は、本当に民のことを想う王子なのだろう。
だがなかなか思うように進まないのか、立ち行かぬ思いのたけをこうしてハルにぶつけてくる事が何度かあった。
「……お茶、熱いの淹れなおそうか」
「って早いわ! 相変わらず、どこから持って来てるんだか……」
お屋敷から熱いお茶を倉庫経由でメイドさんに用意してもらい、三人でその熱々のお茶を楽しみ、逆に頭は冷やす。
甘いお菓子もあると更に良いだろう。
「アベルは理想が高いんだね」
「すまん、押し付けちまったな」
「いや、いいんだけど。でも、僕が何か画期的なことやったからって、それであらゆる問題が解決する、なんて訳には行かないんだよね。むしろ反発が大きくて、それが不幸を呼ぶ」
「ハルは頭が良すぎて、そういうところまで見えちゃうんだ、ね?」
「受け売りだけどね」
完全にルナの受け売りだ。この世界の政治において、全てが上手く行く画期的な冴えたやり方など存在しない。
どんなものにも必ず反発があり、仮に全てが上手くいったように見えても、それは前体制の大崩壊とセットだ。
ちょうど、今の日本のエーテル社会の始まりや、この世界の神々の時代の始まりのように。
その時代を生きる人間が、一歩ずつ変えていかねばならない。
その考えに、ある意味でハルは非常に救われている。かつてのハルのような、全てを統括する上位存在など必要は無い。そう、言ってもらっているようだった。
「圧倒的な強者が収める政治なんて、幸せそうに見えても窮屈なものだよ。それに、僕が力を振るうって事は、梔子の国が世界征服するって事だけどそれは良いの?」
「確かにそうだな……」
アベルの顔色を読むと、内心、それも良いと思ってしまっている部分があると分かる。
自らが統治し、支配できなくとも、民が幸せになるならそれも良いと本気で考えているのだろう。見上げた善性だ。
それにほだされた訳ではないが、気づくとハルの口からは、アベルに協力する旨の言葉が漏れているのだった。
「まあ、何かしたい事があるなら僕も協力するよ。実行犯がアベルなら、僕が責任を感じる必要も特に無いもんね」
「本当か!」
「いや喜びすぎでしょ……」
「わ、悪い、予想外だったもんでよ」
「ハルが冷血だと思われてる、ね? ハルはとっても優しいんだ、よ?」
「いえ、モノ様、そこまでは言っておりません……」
もともと、ヴァーミリオンのクライス皇帝には全面的に協力しているのだ。同じように今は友人と言って差し支えないアベルに協力するのも自然なことだろう。
まあ、最初は許されざる敵であったので、心理的な評価ポイントが多少低くなっているのは否めないのだが。
そういえば、アベルの目的についてはあれ以来まだ詳しく聞いていない。マツバ少年と一緒に焼肉を食べたときだったか。
なにやら大量の魔力を集める必要があるらしく、今はそういう意味ではアベルにとって追い風だろう。
なにせ、今ハルたちが居るこの戦艦のショップで買えるNPC回復薬がある。この薬、NPCとは名義上のものであり、魔力を溜め込む性質のある物ならば何にでも補充できる。魔道具でも、遺産であっても。
そういえば、彼が以前所持していた魔力を溜め込む杖は、今思えば遺産、結晶化技術を利用したものだったのだろう。その事についても後で詳しく聞いてみようとハルは思う。
「しかし、あれだけ言っておいてなんだが、構わないのか? 敵国だぞ、一応」
「大丈夫だよ。梔子の側の意識では敵じゃなくて、取引相手だしね」
「アベルくんが、敵という意識をまず改めよう、ね?」
「す、すみません」
染み付いた軍事国家としての癖はなかなか抜けないようであった。
「それに、こういっては何だけど、僕に梔子への帰属意識はあまり無いしね。あくまでアイリの夫だよ」
「十分だろ、帰属しとけよ、そこは。……それに、お前ら夫婦はカナリー様の巫女と直属の使徒だろ? 梔子以外に所属があるかよ?」
「ああ、いやー、そこはねー……」
「複雑な、もんだいになりそうだ、ね?」
「??」
これは、言っても良いものだろうか? 知れれば確実に世界情勢が動く。
まあ、現地民の反応も知りたいし、なんならアドバイスも欲しいハルだ。アベルなら良いか、と巻き込んでしまう事にする。
彼にとっては確実にとばっちりであろうが、協力に際する対価であると納得してもらおう。
最悪の場合、<誓約>で縛れるし、とハルは酷いことを考えるのだった。
「カナリーちゃん、神様やめるみたいだよ?」
「黄色の神様が交代だ、ね?」
「…………は?」
何を言っているのか理解できない。そんな表情で口が開いたきりになるアベルだった。




