第288話 夜の異界に輝石を求め
完成したコンパス、それを抱えるゾッくんを、アイリが手放さない。そのため各地へ派遣すべき最後の一体が、出発させられずにいる。
仕方がないので、ハルもそのゾッくんと共にお屋敷へと残り、先に調査へと赴いたユキとルナの二人を見送った。
ユキは<分裂>してそれぞれモノリスを、石版状の魔力固定装置を背負い、ゲーム外へ。
ルナは現地の情勢調査と買い物ついでに、街にさらっと売っていたりしないか見てきてくれるようだ。
どちらも、ハルには対応が難しい部分なので非常に助かる。ハルは、各国の領地周辺を担当する。
「特にゾッくんを使う関係上、僕はゲーム外には出にくいからね」
「このちっちゃな体では、すぐに魔力が流れ出て薄くなってしまいますからね!」
ゲーム外、魔力圏外においては、あたかも宇宙空間の空気のように、体内の魔力が周囲へと漏れでてしまう。
それを防ぐのが、ユキが持っていった石版状の魔道具だ。宇宙服にあたる。
しかし、ゾッくんの小さな体では、石版もキューブも、大きすぎて運ぶには適さない。
かといって何も無しで出れば、すぐに体内の魔力が枯渇してしまうだろう。構造が単純なゾッくんは、魔力を保持する力も弱い。
「そういえば、気になったのですが」
「どうしたのアイリ?」
「ハルさんの世界、日本では、分身で、魔力の体でハルさんが活動しても不都合は無いのですよね?」
「そうだね。こっちみたいに、漏れ出たりしない。正直、助かってるよ。授業中に、どんどん周囲に魔力が出て行ったら面倒だ」
ハルはこちらに<転移>してしまって以降、本体となる肉体をこちらに置いて、日本での登校などの活動は分身のキャラクターボディを使って行っている。
日本もこちらのゲーム外と同様に、魔力の存在しない世界であるが、あちらでは何故か拡散現象は起こらず、常に体内に魔力を保てている。
「なぜでしょう? 世界の法則が、違うのでしょうか?」
「いや、それはない、と思う。断言は出来ないけど、物理法則なんかの仕組みは、たぶんこの世界と同じだ」
同じであるからこそ、ハルは日本の知識を使って好き放題できている。
違う部分は、魔力が有るか無いか。その一点に尽きると言えよう。そして、ハルが魔力を持ち込んでしまえば、日本でもこの世界と同様に魔法が行使可能になる。
二つの世界の法則が同じである証左だ。
「ただ、魔力が全く無い世界だからこそ、逆に出て行くことも無いんだと思うよ」
「そうなのですか? イメージとは逆です! 全く無いならば、一瞬で、一気に出て行っちゃう気がするのですが」
「確かにね。無限に薄まっちゃいそうだ。でも、魔力を引き寄せてるのって何だっけ?」
「固定された魔力、です! それが引力となって、フリーの魔力を引き寄せます!」
そう、固定された魔力、色つきの魔力の量が多いほど引力も強くなる。
国土レベルの大きさの“ゲームの魔力”と比べれば、個人のキャラクターなど石ころ同然。漏れ出た魔力は一気にそちらに持っていかれてしまう。
「でも、日本には魔力が無い。だから、相対的にキャラクターの弱い重力でも、世界最強の引力を発揮するんだと思う」
「なるほど! ハルさん自身が、世界で唯一の“土地”なんですね!」
そういうことになる。正確には、ハルの家とユキの家などにも、<転移>用の魔力を置いてあるのだが、それもキャラクターの引力を上回るほどの力は発揮しないようだ。
もしかしたら、ほんの少々ずつ漏れて行っているのかも知れないが、授業中は念のために周囲に魔力を展開しているハルだ。そうそう動かないので、やはり問題は無い。
「納得しました! そして同時にハルさんは、あちらの世界で唯一の魔法使いだと証明されたのですね!」
「それなんだけどね、少し気になってる。本当に、日本には魔力が存在しないのか」
「しない、のでは? 今の話でもそうでしたし」
「まあ、そうなんだけどね?」
だがしかし、やはり気になる。本当に日本に魔力が一切ないなら、日本で作られたAIであるカナリー達が、こちらの世界に来た原因は何なのか?
日本にも魔力があって、それに触れたカナリー達がこちらへ転移してしまった。そう考えるのが妥当なのではないか。
「わたくしたちで、探しに行きますか!」
「今度は日本で探しものか、忙しいね」
「二人で探せば、きっと見つかります!」
「どうやって探そうか」
こちらの世界のように、飛び回り、走り回って探すということは出来ない。向こうでそんな派手な挙動をしていたら、たちまち人目にとまって騒ぎになってしまうだろう。
「ハルさんが、ぐわっー、って魔力を広げて、それに吸い寄せられるものがあったら、成功?」
「……誤差すぎて判別できないかもね」
「では、この前やったように糸のように国中に伸ばして、触れる魔力が無いか探るのです!」
「日本は広いよー。国中に伸ばすのは、さすがに僕の頭でも無理かも」
「わたくしの感知力で、地道に歩いて探ります!」
「日本一周旅行だね。楽しそうだ」
「はい! 新婚旅行というやつなのです! ……少々遅いでしょうか、えへへへ」
あったとしても、きっとごく微細な物だろう。それを探すとなると、ある意味で今の黒い石探しよりも難しい。
アイリもどうやら本気ではないようだ。魔力を探しに行きたいというよりも、また日本に行ってハルとデートしたい、といったところか。
派手に飛び回る事の出来ないあちらの世界だが、逆に良い面もある。
この世界と違って、ハルのオーラを気にする者が存在せず、またアイリを王女と仰ぐ者もまた居ない。
つまり、人目をあまり気にすることなく、堂々と街でデートが出来るのだ。
たまには、そういう息抜きも良いだろう。特にアイリは、子供の頃からずっと王女として城に篭った生活をしていたのだから。
思い立ったが吉日と、ハルはアイリを伴って、日本へと<転移>するのであった。
◇
*
◇
「……で、せっかく来たのに、またここで良いの?」
「はい! ルナさんとユキさんが頑張って石を探しているのに、わたくしだけデートは出来ません!」
「二人とも喜んで許可するだろうけどね」
まあ、アイリの気持ちの問題だろう。残念だがハルも頑張って働こうと思う。
二人が<転移>して来たのは、廃病院のある山の中。再びの、この地での調査である。
科学と魔法の両面から視界をごまかす結界を張り、ハルとアイリは活動の準備を整える。これで、多少は飛んだり跳ねたりしても大丈夫だ。
さて、この地で何を改めて調査しに来たのかといえば、向こうの世界と同じ、黒い石の捜索だ。
カナリーの解析により、地球上に存在しない物質だと解ったが、“実は単に未発見だった”、という可能性もある。それを潰しに来た。
色々と大仰な仮説を立てたハルだが、本当のところはこの山の特産品だった、などというオチだったら笑うに笑えない。だいぶマヌケだ。
「さあ、行きますよ、ゾッくん!」
「コンパスがあればいいだけで、ゾッくんは要らないんだけどね」
「……まあ、それはそれなのです!」
どうやら、ゾッくんを抱えて調査するのは譲れないようだ。
これはきっと、普段はハルに抱き上げられて<飛行>することの多い彼女が、逆にハルの一部であるゾッくんを抱いて進むのが嬉しいのだろう。
ぎゅーっ、と胸にかき抱かれると、アイリの柔らかさを感じられてハルも気分が良い。このままでもいいだろう。動かさなければ、さほど思考領域を食う訳でもない。
そうしてふたり、病院の外に踏み出す。日本はもう夜中だった。秋の明るい月が、色づき始めた山の木々をやさしく照らしている。
遠目には文明の明かりが煌々と映えており、アイリの世界ほどの月の明るさは感じない。
「街の明かりが届いています。すごいですー……」
「ここはまだ弱い方だね。もっと近づけば、月や星も霞むかな」
「特に、月ばかり見たい訳ではないですので、良いのでは?」
「あはは、アイリはそうかもね」
普段から満天に輝く月や星を眺めて過ごす彼女だ、自然であることに、さほど重要性を感じていないようだ。それよりも、街の輝きに興味津々な様子。
逆にハルは、見飽きた文明の光には少々、食傷気味だ。星の光をかげらせる明かりを加減して欲しいと思うこともある。
お互い、無いものねだりだろうか?
そんな、二種類の光を感じながら進んでゆくと、すぐに草を刈り取った範囲が終わりを迎える。
ここから山の中は、また獣道ですらない異界への入り口だ。意気揚々と進んできたアイリの顔もこれには、うぐぅ、と固まり、踏み出すのには躊躇している様子。
無理もない。全盛期の夏の隆盛は終わったとはいえ、まだまだ枯れるには早い季節。小さなアイリを覆い隠してしまいそうな背の高い草が、最初の一歩からお出迎えしてくれているのだ。
「……やはり、自然なばかりが良いものではありません!」
「確かにねえ。特に山はそうだね。昔から人の立ち入る場所ではないとして、信仰の対象だったりしたくらいだよ」
「神様が、いらっしゃるのですか?」
「もしくは、山自体が神様だね」
人としての形を持った、カナリーたち神々が存在するため、アイリにはいまいちイメージが掴みにくいようだ。
そんな、異界そのものへと踏み込ませるのは、いかに強化されているアイリといえどハルにもはばかられる。しかも今は夜なのだ。
まあ、実際は怪我も遭難もするはずのない二人なのだが、単純に視界がきかないという非常に重大な問題があった。
アイリをすっぽりと飲み込むほどの草木を掻き分けて、手元のゾッくんの反応を逐一確認していく探索など、どう考えても非効率だろう。
「だから、ごめんねアイリ」
「うぅ、またこうなってしまいましたー……」
ハルはアイリの小さな体を抱き上げると、腕の中にすっぽりと収納する。ふたりのいつもの、お決まりのパターンだ。
今日は少し違うのは、アイリがゾッくんを抱いている点だろうか。ハルの腕の中のアイリ、の腕の中のハル、といった奇妙な構図が出来上がっている。
そんな奇妙な三体セットで、ハルたちは夜の山、その木々の少し上を、滑るように<飛行>していった。
あれだけ真っ暗で恐ろしげだった草木の海も、上から見下ろしてしまえば夜気にざわめく様子が美しい。
紅葉に色づき始めたその薄赤色の葉の水面はゆっくりと風に波うち、月と街の光に照らされて色とりどりに輝いていた。
「きれいですー……、はっ! お仕事中でした! しっかり反応を見なくては!」
「感知したら音が鳴るようにしたから、景色を見てても大丈夫だよ」
「効果範囲は、どのくらいなのですか?」
「数十メートル、あれば良い方かなー。ここからだと、地下のちょっとした反応なら拾えるくらいだね」
「で、では、やはり降りて……」
「いいって、どうせなら楽しもう」
それに、正直なところ、どうせこの場に石は無いと心の片隅では二人とも思っている。
何となく、説明のつかない確信がハルにはあった。あの石は、この世界の物ではない。あれが全ての始まり、最初の原因を作り出した存在だ。
アイリも、そんなハルの心を読み取り、それに同意しているのが分かる。
では、彼女がこの地を訪れたのは何故なのか。『やっぱり無かったですね』、と証明するためか。それとも、心の片隅では、あれは元凶などではなく、ただのありふれた石であって欲しいのか。
アイリ本人にも、それはうまく整理のつけられないでいる心であるようだった。
そんな、少しの不安と、それを完全にかき消す心地よさを感じながら、ふたりの遊覧飛行はしばらく続いてゆくのだった。




