第282話 思い出を封じた箱
そうして<転移>した部屋は、狭く、そして暗い。当然だ。ナノマシン、細かい粒子すら通り抜ける道を塞がれた密室。光の入る隙間も、また存在しない。
なんとなく、古い家の土蔵の中に飛んできたような、そんな印象をハルは受ける。
「明かりつけるよ」
「わ、まぶし。……て、魔法なんだね」
「そりゃね。電源なんて、もう生きてないし」
突然上がった光量に、ユキが眩しそうに目を細めた。
蔵の中の様子が明らかになり、ハルたちは、しばし皆でその様子を観察する。とは言っても、そう観察するほどの内容は無いのだが。
「あまり、物がありませんね!」
「そうなんだよね。研究成果とか、ぎっしり詰まってればまだ良かったんだけど」
「目立つのはこの机と棚くらいかしらね? ……ここ、ただの書斎とか言わないわよね?」
「ありえるね。研究者ってのは、狭くて暗い部屋に篭もって陰気に研究をするもの、ってこだわりがあったのかも」
自分で言っておいてなんだが、それは無さそうだとハルは首を振る。仮にも研究所時代を知っているハルだが、研究者は誰もが夜中でも煌煌と明るい電灯の下、手元までくっきりと見える部屋で研究を行っていたものだ。
そういう旧時代的の研究者然としたイメージを好むのは、紫の神、魔道具開発局のウィストの方だろう。
「この棚に、例のクリスタルが安置されてた。めぼしい内容はそのくらいだね」
「クリスタルの読み書き機はどこに?」
「当初はたぶん、その机の上に備え付け」
「当初は?」
「僕が来た時は、固定具が破損して地面に落ちてた」
経年劣化によるものの他に、恐らく地震による振動が原因だ。完璧に密閉されたこの封印室であるが、地震によるエネルギーは容赦なく伝導する。
それは仕方が無い。むしろ、隔壁に亀裂が入ってエーテルが進入しなかった堅牢さを褒めてやりたいくらいだ。
その落下衝撃もあってか、クリスタルの読み取り装置は故障していた。無理もない、分子単位で精密な機械だ。
「しかし、ハル? こう、何も無いのでは、調査もなにもあったものではないわ?」
「そうですね。ハルさんが回収したカナリー様のクリスタル、それが、唯一の成果なのでは」
「ハル君は、どして私たちを連れてきたの? なんか、気になること、あった?」
見ての通り、これ以上調べる余地の無い部屋に女の子たちが首をひねる。
これが、山積みの資料が埋もれた広大な地下ダンジョンが続くとなれば、大人数で手分けして探索しよう、というのも分かるだろう。
だが、現実はこの小さな部屋。机が、ぽつん、と寂しくたたずむだけの、小さな秘密の研究室。
ここでカナリー達AIの設計をしたかもしれない過去の人物に想いを馳せることはあれど、新たな成果を求めて探索する余地はない。
「まあ、何も無いように見えても、何か見落としとか、隠された物なんかあるかも知れない」
「隠し通路、ですね!」
「そうだねアイリ。……壁に体当たりはしないようにね?」
「えへへへへ、やりそうになりました!」
一見、ただの壁に見えても、そこに見えない通路が設置されている場合がある。アイリとやっている古いゲームでは、割と定番だった。
ただまあ、ここはゲームの中ではない。カナリー達の作ったダンジョンなどでは、そういった内容も作れそうだが、さすがに地球では期待できない。
「……いや、忍者屋敷ならば、たしか壁が回転する隠し通路が」
「ハル? 夢を壊すようで悪いけれど。忍者屋敷がそもそも存在しないわ?」
ハルの夢は、ルナの無慈悲な一言で砕かれた。
「リアル系のパズルだと、仕掛けの操作だよね。ねえハル君、あの棚のうしろに通路とかないかな?」
「その場合、中に入っていたクリスタルが怪しいわね?」
「うんそうだよルナちゃん。クリスタルを、正しい順番で配置するの」
「置く場所が無さそうですー……」
続いてユキとルナが語るのは、仕掛を利用した隠し通路だ。
ヒントに従って、そのダンジョン内で入手したアイテムを祭壇等の曰くつきの場所に配置すると、壁が音を立てて動き出し、隠された通路が展開される。
ここにあったのが、クリスタルというのもまた想像を掻き立てられる部分だ。
そういったギミックには、総じて宝石のような物が使われやすい傾向がある。
ただ、その線も薄そうだった。クリスタルはこの棚に綺麗に整列されての保管ではなく、下部に緩衝材を詰められての厳重な保護をされていた。ギミックに使うためとは考えにくい。
それに、クリスタルを並べるための、『それっぽい』場所も存在しない。棚はただの棚であり、何かが置かれた事を感知する機能など付いていなかった。
「……何より、この後ろはただの壁だから。奥に道は見えないよ」
「残念ですー……」
「というか、隠し通路作るにしても、鍵はIDカードだよね。そんな仕掛けを作る人は居ない」
「さすがは現実だ。ロマンが無くてつまらないね」
言いつつも、ユキも特に期待していたふうではない。もともとありえぬ話、ただの雑談の一環だ。
そう、この部屋には魔力を満たして、死角へも視線が通るようにしてある。それを<神眼>によって見てみても、部屋の先に続く通路のような物は存在しなかった。
「しかしハル? そこまで分かっているなら、なぜ改めてここへ? 魔力で見た以上、もう確定なのではなくって?」
「ルナの言うことも最もなんだけど。どうしても気になってね。前回はクリスタルを見つけたことで、それを成果として満足しちゃったけど」
「……? それが成果では、ダメなのですか?」
アイリが、かわいらしい仕草で小首をかしげる。十分な成果ではないのかと。
確かに、収穫は大きかった。あのクリスタルの存在で、連鎖的にカナリーたちの出自が明らかになり、状況は非常に大きく進展した。
だが、それはハルの事情だ。確かにクリスタルはハルにとってキーアイテムとなったが、ここを封印した者は、別にハルの為にクリスタルを保管しておいてくれた訳ではないだろう。
「クリスタル内のデータの解析が、おおむね終了したんだけど、“隠しておく必要のある事”は記録されていなかった。僕には役立ったけどね」
「大半は、ただのカナちゃんたちの“抜け殻”でしかなかったんだっけ」
「うん。事件のあらましだとか、ここを閉じた経緯だとか、そういったレポートは一切入ってなかった。単に、備品をそのまま仕舞っただけに見える」
「この施設の封印者は、クリスタルを外気に触れないように此処を封じた、という訳ではない、ということね?」
「今のところね」
最後のひとつ。まだAIが封入されているクリスタルは解析がまだだが、それも重要なデータが入っている可能性は薄いとハルは考えている。
何故ならば、保管の仕方が他のクリスタルと同様であったからだ。緩衝材に包まれてはいたが、配列は雑。“中身入り”の物も、特別に分けて保存はしていなかった。
封印者にとっては、他のクリスタルと等価な存在として見られていた、そうハルは分析する。
「でも、そんな本人にとって価値を見出さないデータなら、なぜ外気に触れないように隠したのか。これが分からない」
「なるほどねー」
ハルがそう、理詰めで推理していると、そこにルナから待ったが掛かる。
どうやら、考えすぎではないか、とルナは思っているようだ。表情には、ハルの推理に対する疑問が見て取れる。
「……人のあらゆる行為に、そうして理由付けをしてしまうのも、またゲーム的ではなくって? 実際は、特に理由あっての行動ではないかも知れないわ?」
「そうだね。そうかも。単に、去り際にはしっかり施錠しよう、って思っただけかも知れない」
「もしくは、哀愁とかね? 自分の最後の研究成果を、人知れずひっそりと、仕舞っておきたかった、とか」
「ロマンチックだね」
どんな思いで研究を続けて来たにせよ、自分の携わった物が中途で終了するのは寂しかろう。そこに、何らかの非合理な想いが混じったとしても、おかしい事ではない。
卒業記念に、思い出の場所にタイムカプセルを埋めるようなものだろうか。
まあ、そうやって美化して語るには、迷惑度が高すぎるし、職権乱用が過ぎる気がするが。
ルナの、そんな言葉に感化された面々は、しばし哀愁漂うこの狭い空間を、先ほどまでとは少し変わった気分で、しばし眺めるのだった。
◇
「さて、どうするのかしらハル? ここには、あなたの求める何かなんて、はなから存在しないかも知れないわ。それでも探すの?」
「……探そう。僕が嗅ぎ取った感情は哀愁じゃない。恐怖だ。まだ何か隠したいものがあるって、僕の勘が言ってる」
「そう、分かったわ。では探しましょうか」
「ルナちゃん、聞き分けがいいねー」
ユキが、ルナの切り替えの良さに感心する。自論を否定されたのに、嫌な顔ひとつ見せないルナだ。
ともすれば、ハルが自説を取り下げたくないが為に、ムキになっているようにも見える状況であるというのに。
「もともと、私はそんなにロマンチストではないわ?」
「ほんとー?」
「……ほんとうよ? ただ単に、ハルが想定しなさそうな視点を提供したに過ぎないわ。ハルが決めたのならば、それに付いて行く」
「息ぴったりなのです!」
無上の信頼が、こそばゆいハルだ。それに答えるためにも、適当な判断は出来ないと気合を入れ直す。
ルナの語る、タイムカプセル説を考慮して状況を考え直してみたが、やはり腑に落ちない。施錠が厳重すぎるのだ。
この部屋は、四方をぎっちりと囲むように反エーテル物質で塗り固められている。その分厚さは尋常ではない。
その甲斐あって、今日まで内部にエーテルを入れることなく封を保ってこれた訳だ。
病院側から見える入り口も、実はあれを開けられたとしてもこの部屋にはたどり着けない。部屋へと繋がる通路も、またすっかり塞がれていた。
実質、ハルのような<転移>でもなければ破壊以外の方法ではたどり着けないのだ。
思い出を仕舞っておくには、少々いきすぎだ。時が経ち掘り返してみたくなっても、厳重すぎて本人にも適わない。
「……ハル、隠し通路は無いのよね?」
「うん。<神眼>で見てみたけど、どの方向もぎっちり。しかもかなり分厚い」
「見せてちょうだいな」
周囲に魔力を放出して観察した立体マップを、映像化して皆に見えるよう表示する。
地下であり、周囲が全て土に覆われているため観察には苦労したが、部屋の周囲は本当に一部の隙間無く埋められているので、その形だけは浮き出るようにハッキリと分かる。
「……部屋に対して、コーティングのかけ方が、少し歪ね?」
「あ、ほんとだねルナちゃん。まあ、エーテル建築じゃないから、仕方ないんじゃない?」
「建築は前時代でもかなり完璧に測る物だったわ。不自然さが出ているならば、何かある可能性も出てくるわ」
「でも、中はぎっちり固められてるだけだったよ? 単に、少し厚いだけの壁だ」
「じゃあ、本当に何も無いのか、掘って、確認してみましょう」
「本当に切り替えが凄いね……」
哀愁がどうこうは、どうしたのだろうか?
まあ、可能性を指摘してくれただけで、この部屋に対して哀愁を感じるルナではない。むしろ、ハルに酷い仕打ちをした憎い施設、という感情もある。壊すのに躊躇いは無いようだった。
「ハルはその方向に、何かが埋め固められていないか、もっと詳細に確認できるかしら?」
「そうだね、ぎちぎちに埋められてたら、見逃しがちだ。気泡や何かが入ってないか、探ってみるよ」
反エーテル物質の性質上、コーティングには本当に一分の隙間も生じない。少しでも隙間があれば、そこから進入されるためだ。
ならば、その中にあって空気の入る余地があるとすれば、そこに何かを埋めた時のみだ。
そうしてハル達は、この施設の壁を破壊してでも、徹底的に内部を調べ上げることにした。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2023/5/6)




