第281話 生まれた理由と生きる理由
「そうなんだ! あれ、でも、エーテルネットって管理人さん居ないんじゃなかったっけ?」
「今は居ないね。いちおう、国が管理してるって建前になってるけど。実際のところは、端末となってる個人それぞれが分散して管理してる」
ナノマシンであるエーテル自体は、情報を伝え、また溜め込むだけの存在。
そこに人間が接続され、他者と繋がることで、初めてエーテルネットとしての機能を確立する。偶発的であり、また流動的な現象だ。
中央で全てを統括する存在、というものは存在しなかった。
「でも、開発当初は違った。最初は、中央集権型で、制御可能なシステムだったんだ」
「……確か、カナリー達AIも、エーテルネットのオペレーターとして開発された、そう考えているのよね?」
ルナの指摘のとおり、ハルはその可能性が高いと考えている。
物理的な制御システムである、ハルのような管理ユニットを補助するための、オペレーティングシステム。
人と人、という端末間の相互通信に縛られることなく、ネットの海を回遊する存在。そういったシステムだったとハルは推測している。
まるで、モノの船のアクアリウム、そこを泳ぎ回っていた『お魚さん』の役割やイメージと、ほぼ同じだ。
「その管理者様は、どういったお仕事をするのですか?」
「仕事は決まってないけど、絶対的な上位者としての存在だね。仕様上、全ての端末が平等なエーテルネットだけど。平等では立ちゆかない事もある」
「犯罪者の検挙、などですね!」
「そうだね。アイリにも分かりやすく、国で例えると。僕は“どんな家の扉でも自由に開けて中に入れる特権”を持った、王直属の騎士だ」
「横暴ですー……」
まったくもってその通りだ。しかもこの場合、扉に相当するのは個人の精神。そのような存在が居てはならない、と考える者が出るのは、容易に想像できる。
「僕が人殺しをことさら忌避するのも、当時の名残だね」
「そっか。ハル君は万能の管理者さんだから、気に入らない奴が居たら自由に殺せちゃう」
「そう。だから、それを防止する機能が組み込まれてた」
今はその制限は解除され、セーフティーとしてはもう働いていない。
しかし、己の根源ともいえるそれは、今のハルの性格を形作る要因の一部となったことは間違いなく、相変わらず今も人を殺す事には抵抗が大きいハルだ。
これが、現代日本で暮らしている分には問題はない。しかしアイリの世界に、未だ戦乱の火種がくすぶり、力が物を言う割合が大きい世界に行くにあたっては、多少の障害となっているのは間違いないだろう。
「ハルさんはお優しい方なので、そこはそのままでも良いと思います!」
「そうね? 万の軍団の返り血を浴びながら哄笑を上げるハルなんて、あまり見たくはないわ?」
「あ、わたし、見たことある。ゲームで」
その抑圧を解放するため、という訳ではないが、ハルはゲームで戦闘するとき、高揚感をあらわにする事は多いのだった。
*
話しながら、なんとなしにハル達は施設の中を歩いてまわる。
前述のとおり、特に思い出あふれる施設ではないのだが、当然ながら案内くらいはできる。ハルが先導し、一階ずつ、もう何も無くなった部屋を見て回っていった。
「その、研究所の名残り、みたいな物はあるのかしら?」
「無いよルナ。なんだかんだ、もう五十年だ。それだけ病院としてやってれば。施設だって新陳代謝で完全に別物になるさ」
「そうね? 最先端の医療だもの。機材の入れ替わりなども激しいでしょうね」
「それを狙ったのかもね」
災害後、研究所の扱いには困ったに違いない。
現行のエーテルネットに介入できる技術ではなくなっており、さりとて同じエーテルを利用した研究であることには変わりない。
ともすれば槍玉に挙げられる可能性があり、自然で緩やかな解体が求められただろう。
「でも退屈じゃなかった? ずーーっと、ここに居たんでしょハル君」
「『退屈』、を感じるほど情緒が育ってなかったからね。ただ、自分のコンディションを調整し続けるだけの日々だ」
「それは、やっぱり管理者様としての方針で?」
「うん」
先の、『人を害すべからず』、と同様に、管理者となるユニットには人並みの自意識は育まれなかった。
法を守護する者、法を直接執行する存在は、人の情に流されることがあってはならない。
求められるのは、ただ機械のような正確さ。
「……それなら、機械で良かったじゃん。ハル君じゃなくていいじゃん」
「ありがとねユキ。でも、エーテルネットを構築するのは生身の人間である関係上、管理者も生身じゃなければいけなかったんだよね」
ハルの境遇に、ユキが静かに憤る。当時、ハルをここから連れ出してくれたルナも、同様に憤りを覚えてくれていた。
ただ、今はもう、その責任を追及し恨みをぶつけるべき存在も、ハルが己の存在意義を問うべき相手も、この世にはもう居ない。
ハルの存在とはそういうものだと受け止めて、先に進むしかないのだろう。半ば、境遇を同じくするカナリー達のように。
「まあ、ポジティブに考えれば、この研究が無ければ僕がこうして皆と出会うことも無かった訳だしね」
「それは困りました!」
「……アイリちゃんも、存外ポジティブよね」
まあ、何だかんだ言ってハルの能力は便利だ。常日頃からそれを便利に使っていて、出自にだけ文句を言うのも格好が悪いだろう、とハルは考えている。
アイリも、そのハルの力のおかげで、こうして色々な意味で『一緒に』なれた。そのことを、素直に祝福しているようである。
彼女もまた、ハルほどとは言わないが特殊な環境下の生まれだ。普段は子供っぽいが、出自に文句を言ったりすることは無い。アイリもそういった折り合いは、とうに付けているのだろう。
「それで、ルナちゃんと出会って、捕まっちゃったんだ?」
「捕まっちゃったねえ」
「人攫いみたいに言わないの? 大変だったのよ?」
主に発見したハルを、どう隠すかという点に苦労したようだ。
当時から圧倒的な処理能力を誇ったハルの力により、再び事実情報は闇に葬られたのだが、同じ家の者、ルナの家族にどう隠すかにかなり神経を使ったらしい。
「それで、ルナが戸籍をでっち上げて、ルナの保護下に入って、まあ色々」
「お婿さんゲットだ」
「そう上手くはいかないわ? うちは、結婚相手の家柄には厳しいもの」
「ハル君の戸籍を良家にしちゃえば良かったのに」
「……さすがに、存在しない上流階級を突然作り出したら、うちじゃなくてもバレるわよ」
そのルナに、どうしてハルの存在が発覚したかという理由のひとつに、ハルがこの病院でやっていたある行動があった。
ちょうど、関係のある病室のあった扉の前を通りがかり、ハルは足を止める。
「ここには自閉症、というか、ネットに深く繋がりすぎて、リアルでは感情表現ができなくなった子が入院しててね」
当時を思い返すように、ハルは語る。その時のハルは、まだ自分も“物心つく前”だ。記憶というよりも、記録を掘り起こすように状況をかえりみる。
「この病院の設備でも、手の施しようが無くってさ」
「それを、ハルさんが助けてあげたのですね!」
「まあ、そういうこと。同じような事例がいくつか重なってさ。『なんか、自然に治った……』が続いたのを、ルナに不審がられちゃった」
一件一件では、単なるいい話だ。原因は分からなかったけれど、治った喜びの前には些細なことはどうでもいい。めでたし、めでたし。
そうして、そこで終わる話のはずなのだが、複数件にわたって、それが続くとなると話が変わってくる。
「これもまた、都市伝説のようになっていくのよ。『あの病院に入れば治る』って、半ばオカルトじみたね?」
「快気祈願は、本人たちにとっては神頼みに近い面もある。そうした噂を聞けば、藁にもすがるよね」
「でも、第三者から見ればありえないわ? コトは医学ですもの。治るのならば、そこには相応の理由があるはず」
「それが僕だった」
「……まさか、当時の医療を超越した力で治療している患者が居るとは、思ってもみなかったけれど」
ルナの予想では、申請に無い技術や設備でもって、こっそりと治療していると踏んでいたようだ。
良い行いではあれど、違法は違法。それを指摘するつもりが、何か妙なものが出てきてしまった、という訳である。
「でも、ハル君は善意が仇になっちゃったね。ルナちゃんと出会えたから、良いんだろうけどさ」
「はい。ハルさんは優しさからその子たちを助けていたのに、報われないですー……」
「……いや、実は、そんな高尚な理由じゃなくってさ」
「この人、『自分以外に長期入院の患者に居られると、自分の存在が露見しやすくなるから』、ってそれで治療していたのよ……」
それで結果として疑念を生んでしまっていたのだから、笑い話だ。
現場の、個々の結果だけしか見ずに、大局的な動きを見落とす。ここも、今も変わらずに引き続いてしまっている、ハルの弱点だった。
「……ですが! きっとハルさんは心の奥底では、その子供たちのことを想って、力を振るっていたに違いありません!」
「うんうん。ハル君は私にも優しいし。その症状、なんとなく他人事と思えないしさ……」
アイリとユキが、そんなハルをフォローしてくれる。……半分ほどは、自分の口から出た言葉に引っ込みが付かなくなっているからの様であるが。
それでも、自分のことをそう評してくれるのは嬉しいハルだ。ルナも、特にその可能性は否定しない。
実際のところは、どうだったのだろう?
当時のハルは、言ってしまえば今のハルとはまるで別人だ。普通の人間であっても、成熟してから、子供時代の行動原理を正確に思い起こすのは難しい。
細胞が代謝するように、意識もまた少しずつ別物へと変化してゆく。
ハルの変化は、ルナのおかげでとても良い方へ働いた。当時のことより、今はそれで良いとしよう。
*
「……それで、ここが唯一、研究所時代の面影を残す所だね」
「開かずの間なのです!」
昔語りをしながらの案内も一通り終わり、ハル達は最後に地下、あの黒く塗られた扉の前までやってくる。
ルナの介入を契機に、彼女の実家へと編入されたこの病院。今は場所をもっとアクセスのし易い位置へと移転し、この地はついに放棄された。
風化に任せ、研究所の名残りはついにその全てが姿を消すと思われたが、この部屋だけは、時代に取り残されたように健在だ。
「この塗料は、ブラックカードにも使われてるアンチエーテルでさ。今まで誰も中を覗けずに、保ってきてたんだ」
「ふむふむ? ハルくんハルくん。ブラックカードのセキュリティって、エーテル禁止なの?」
「エーテルは万能だけど、だからこそセキュリティ面で不安視する人も多かったんだって」
「ハル君みたいな人がいるもんねぇ」
別に、ハルも銀行口座の内容を書き換えてお金持ちになろうとは思わない。ただ、やろうと思えば出来てしまう可能性があるのは確かだ。
そうした犯罪の抑止のため、別の側面の技術を用意しておくのは重要である。それこそ、電気時代にエーテルの研究をしていたのが役立ったように。
「エーテルを入れなくしたブラックカードの中には、“物理的に”量子暗号の鍵が入っててね」
「うわ大胆。そっかー、その鍵にエーテルネットがアクセス出来ちゃうと、解析の危険があるんだね」
原理上、あらゆる人間がアクセス可能なエーテルネット。それの反技術は、最近は開発が多少盛んになっていた。
ハル達の通う学園も、その一環となっている。
「……それで本題だけど、このブラックボックスの中身をもう少し詳しく探ろうかと思ってね。それで今日はまたここに来たんだ」
「そうでした! ハルさんの昔話を、ユキさんやわたくしに聞かせてくれるのが目的かと」
「思いそうになってたねーアイリちゃん」
それもまた、大事な目的のひとつではあるが、それは別に、この場所でなくとも可能だ。
わざわざ足を運んだのは、やはりここに用がある。
「カナリーちゃん、予想通りというか、詳しく教えてくれなかったからね……」
「外部から、攻めていかないとならないわね?」
セージとの戦いの後、彼の話にあった内容をカナリーへ問いただしたハル達だが、やはり彼女は多くを語ってくれなかった。口に出す事が適わないのだろう。
ならば、彼女の出身地でもあるこの地で、何か手がかりを探したい。
ハル達は意を決し、扉の中へと<転移>して行った。




