第280話 出自
本日から新章スタートです。今章は、なんとなく長くなってしまう予感……!
カナリーに関る節目のこのお話も、きちんとハッピーエンドで締めますよ。そこは決まっています。あとは道中を、きちんと埋められるよう頑張りますね。
十月。季節はすっかりと秋めいて、山にはちらほらと紅葉が混じり始めた。
このあたりの紅葉は日本でも早いほうで、もう少しすれば完全に見ごろになるだろう。
そんな、山中にひっそりと佇むように放置された病院跡にハルたちは再び訪れていた。
「ここがそうなんだ。良いところだねハル君」
「良い、のかな? 確かに景色は良いと思うけど」
「うん。ご近所付き合い無さそうだし」
「……まあ、ユキはずっとゲームにインしてるからね」
たまにログアウトすれば、心洗われる自然の風景が出迎えてくれる。ユキにとっては理想の環境なのかもしれなかった。
「自然の中の一軒屋、と考えれば、わたくしのおうちとも近いですね!」
「確かにそうね? メイドさんや職員が居なければ、生活が成り立たないのも同じかしら?」
少し後ろを歩く、アイリとルナも景色の良さには同意のようだ。ただ、僻地の不便さが気にかかる様子。
今はハルがユキの手を引いて、以前に前もって刈り取っておいた草の中の道を進んで来ていたところだ。
元々庭や駐車場のあった、開けた場所に出て一気に視界が拡大し、ようやく風景に情緒を感じる余裕が整った。
ハルたちが整える前は獣道すら無かった山道を登るのは、肉体の方のユキにはきつかったようで、ハルが手を取る体の接触にも文句ひとつ無く、必死について来ている。
この元駐車場も、前回は背の高い草に覆われていたのを綺麗に刈り取った跡である。
自然の中の家、といえば聞こえは良いが、手入れをしなければ完全に秘境になっていた。
そうした土地は、今の日本にはわりかし多い。そう聞くと不法滞在を心配するところだが、そのような僻地であっても、空には変わらずエーテルが満ちている。
その検知の目から逃れるのは、ハルでもなければ難しいだろう。
「……ルナちーの言う通りだねー。街からこんなに歩くんじゃ、私には無理かもー」
「ユキは運動不足ですものね? その割には、私よりも余裕がありそうなのが複雑だけれど」
「あはは……、あのポッドに入ってると、しっかり筋肉もほぐしてくれるんだ」
「一般化されないはずね? 堕落するわ、これは」
ハルやユキが所有する医療用ポッドは、その名の通り用途は医療に限定されている。断じてゲーム機などではない。
個人所有には特別な許可が必要なのだが、ハルはこの施設出身であること、ユキはその特殊な精神性を認められて所持している。
一応、ハルもユキも本来の用途として必要な面もあるのだが、お互いにゲーム機としてしか活用していない。医療関係者が知れば泣くだろう。
「ハル君はやっぱり、ずっとネットに潜ってたから山の中でも平気だったのかな? 私みたいにさ」
「いや、ここに居る間は、必要最低限しかネットには繋いでなかったね。ゲームばっかりやるようになったのは、ここを出た後だよ」
「へー、意外だねー」
今日、わざわざ出不精のユキをこんなところまで連れてきたのは、ハルが自分自身の事を彼女に語ることの意思表示、それも理由のひとつだった。
静かに自然に溶け込むように朽ちる途中のこの建物に、もの珍しさを隠せない様子のユキと共に、四人は建物内へと足を踏み入れて行った。
*
「ここって、何の病院だったのかな?」
「脳神経、という名のエーテルネットに適応できない人の療養所だね。それこそ、『都会の喧騒から離れて自然の中で』、って触れ込みでさ」
「ふーん。脳がどーこーか。確かにハル君にぴったりだね」
建物の内部へと入り、何となく皆ほっと息をつく。美しい自然を感じられるとはいえ、やはり人間にとって落ち着くのは建物の中だ。これはもう遺伝子に刻まれた習性と言えよう。
それにここまで歩き詰めだった。ハルはエントランスの広間にシートを<物質化>すると、彼女たちとそこへ腰を下ろす。しっかりとクッションも忘れずに。
日差しはすっかりと熱量を落とし、少し涼しげな硬質感を増した薄明光が、崩れた壁のすきまから差し込んでくる。
そんな廃墟情緒を感じながら、ハルの取り出したコーヒーを、ちみちみと恐る恐るすすっていたユキが、何かに気づいたようだ。
「あれ、でもおかしくないかな?」
「ユキの飲み方の方が面白いね。どうしたの、そんなリスみたいに飲んで?」
「だ、だって、おトイレ行きたくなっても、こまる……」
「平気なのです! ハルさんが、ナノさんを使ってお手洗いには行かなくていいようにしてくれますから!」
「……改めて考えると、なんだかえっちね?」
「……えっちじゃないよ。医療行為だよ」
確かに、トイレの有無を自由に操作できるというのは、重大な危険性を伴う操作だ。
ハルと彼女たちの、信頼関係があってこそ許されているといえる。ちなみに、これも法的に言えば、医療関係者がきちんと許可を得た上でしか行えない行為となるだろう。
「じゃなくってね? ちがくて」
「何が気になったのかな」
「ここってネットに適応出来ないヒトの療養所、なんでしょ? ハルくんは、ちがうよね?」
「そうだね。違う。更に言うなら、僕の脳の根本的な『治療』はここでも不可能だよ」
ハルの、複数に分割された脳の構造は、それ自体は特殊ではあるが障害は無い。
眠らず、休まずとも活動可能であるようにと取り付けられた『機能』であり、多少の不自由はあるが、構造に不都合は無く完成されていた。
現行の技術で、このハルの頭脳に手を入れるのは不可能であり、どんな医師が診ても『現状維持』以外の結論は出ないだろう。
その事を語ると、余計にハルが何故ここに入院していたのかが解せない、そう、ユキの表情は雄弁に語っていた。
本当に素直で顔に出やすい彼女だ。その様子をハルは愛おしく思う。
ただ、いつまでも答えの出ない問いにうならせるのも可哀そうだ。ハルは、もったいぶらずに答え合わせに移るのだった。
「実は、そんなに難しい理由なんか無いんだよ。僕は最初からここに居たから、流れで入院患者をやってただけ」
「あ、ここって、そういえば病院になる前は研究所だったんだよね! それなら納得だ」
「でしょ?」
「うん。エーテルの研究所だから、エーテルマスターのハル君が居たのも自然なこと」
エーテルマスターときたか。言いえて妙である。なんだかゲームの職業のような響きを感じる。きっと上位職だろう。
「いやちょっと待って?」
うんうん、と安心して納得していた彼女が、ふたたび表情を疑問に染める。ころころと変わるそれは本当に魅力的だった。
こちらの大人しいユキでも、やはり活発な本質は変わらないのだと、ハルも変なところで安心する。
「ハルはいじわるね? ……ユキを見ていると、やりたくなる気持ちは分かるけれど」
「ユキさん、翻弄されてかわいいです!」
「アイリちゃんも、普段は似たようなものよ?」
確かに、ころころと表情の変わるかわいさはアイリを語る上で欠かせない。
それを指摘された二人は揃って、『ふええぇ』、とあたふたしていた。
「……違いました! 今は、ハルさんのお話を聞かなくては!」
「あ、そだった。危うくごまかされるところだった」
ハルにごまかすつもりは無いのだが、内容が内容だ。段取りは必要であるとも、また思う。
ここまでの話で、ハルはこの病院に居たが、病気ではなく、前身の研究所から引き続く形でここに残った、ということをユキも、ついでにアイリも理解しただろう。
さて、ある意味ここからが本題。その研究所はどんな所で、ハルはそこで何をしていたか、彼女らに語ってゆくことになる。
◇
「あれ? てかアイリちゃんは知ってたんじゃないの?」
「わたくしは、ハルさんと一つになったことで、ハルさんがどんな存在なのかは、何となく理解しました」
「でも、経緯をきちんと語ったことは無かったね」
「はい。こちらの世界の事は、どうしても理解が追いつきませんし……」
一から十まで、あらましを細かく知っているのはルナだけだ。一部では、ルナはこの物語の登場人物でもある。
ころころと表情を変える二人とは対称的に、普段と同じくほとんど表情を動かすことなく、優雅な所作でコーヒーを口にしていた。
だが、よく見てみれば、その口の端には隠しきれない緊張が、ほんのわずかな震えとして、ハルには見て取れた。
「でさでさ。その研究所ってのは、いつから病院に変わったの?」
「だいたい、五十年くらい前だね」
「ごじゅ…………」
ぽかん、と、まさに呆気に取られるユキ。無理もない。
話に当てはめてみれば、すなわちハルの年齢もそれだけある、という事を指す。
ハルの特異性を肌で感じていたアイリもまた、現実味のある数字を出されて同じように、ぽかん、とした顔を向けてくれていた。
「え、ハル君、おじいちゃん……」
「……そう来るか。大物だねユキは」
「だっておじいちゃん」
「おじいちゃんやめて? 精神的には見た目どおりだし、戸籍の上ではユキの方が年上だよ」
「まじか……」
「ちなみに戸籍を作ったのは私ね?」
「権力、です!」
予想とは違ったが、受け入れているようなので、ルナにも余裕が戻ってくる。
当時、法的には何者でもなかったハルを“自分と同い年に”強引に決定してしまったのは彼女だ。今のハルを形作る上で、それは強烈な要素となったのは間違いない。
「ちなみに存在年齢ならもっと上だよ。この施設、前時代からあるから」
「百歳以上だ!」
「ただ、ヒトとしての意識とかほとんど無くてね。『ただ生きてるだけ』って感じで、最近まで過ごしてたよ」
「それで、入院患者さんだったんだ」
植物状態、とまではいかないが、社会に出て活動など到底不可能。
病室の中で、他人の手を借りて、という状況はとても都合がよかったのだ。
「……ですが、少し分からないです」
「どうしたのアイリ?」
「そんなに長期間、変わらぬ見た目で滞在し続けては、不審がられはしなかったのですか?」
「そこはそれ、裏からネットワークを改竄してね。僕は常に“数年前に入院してきた”扱いにしてた」
「……ご丁寧に、関わりのあるスタッフは数年で総入れ替えするようにも仕組んでいたのよ、この人は?」
ルナが、なかば呆れたようにため息をつく。そう、呆れた怠惰さ加減だ。
人並みの意識は持ち合わせていなかったのに、そうした悪知恵だけは回る。
何十年も悪知恵を働かせ続け、病院生活を満喫する余裕があるならば、人間的な活動を出来るように努力だって出来たはずだ。
「結局、悪巧みの甲斐なく、幼女ルナに見つかっちゃってね」
「幼女はおやめなさい。……記録には残らなくても、都市伝説のようになっていたのよ」
「ハル君のことが? ……『怪奇! 山奥の病院の404号室には、少年の姿をした妖怪が住み着いている!』」
「そうそう、そんな感じね? 無意識に違和感というのは残るもので、記録上正しいはずのハルの存在も、奇妙だと感じる人が居たのね」
そうした奇妙さが少しずつ積み重なり、それがついにはルナの目に留まった。
カナリー達のあのゲームの違和感をいち早く嗅ぎ取ったルナだ。その嗅覚は幼い頃から鋭敏であり、ハルの改竄したデータの歪さに目をつけた。
家の教育の一環だったようだ。不正なデータを洗い出すのを、得意とする家柄だ。
ただ、まさかこんなハルのようなものを釣り上げる事になるとは、想像だにしていなかったようであるが。
「そうしてハルと出会って、引き取って、今に至るわ?」
「あ、色々はしょった!」
「ロマンチックですー……」
だらだらと、ただその日を存在し続けるだけだったハルは、そうして端折った色々があって、今のようなハルとしての存在となった。
……見つけてくれたのがルナで良かったと、ハルは今でも心からそう思う。
「あ、またいい話で肝心なこと誤魔化されるとこだった」
「誤魔化したつもりは無いのだけれど……」
その、ハルの出自、これまでの経緯を聞いたユキだが、まだ完全に納得はしていないようだった。
予想外にぐいぐいと来るものだ。驚かれたり、怖がられたりするよりずっと良い予想外ではあるが、何だか調子が崩れるハルである。
驚いたユキを、どう落ち着かせようかといった計画など全てご破算だ。
「そんな不死身な僕は、どういう存在かだね」
「そうそう。まあ、ハル君がバケモンなのは良く知ってたけど」
この、ユキが語る『バケモン』に心地よさをハルは感じている。
人類の基準に照らし合わせれば、ハルは確実に化け物じみた存在だろう。ユキは、それでも構わず、『バケモン』としてのハルと接してくれる。
最初は、揶揄する程度の内容だったが、ハルがその表現を好んでいると知ってか、ユキも多用してくれるようになった。
──驚かなかったのは当然か。ユキは、何も知らないうちから、最初から僕が普通じゃないって、正当に評価してくれてたんだから。
そんな彼女に感謝し、また敬意を表し、ハルは自らの誕生の経緯を語ってゆくのだった。
「僕はエーテルネットを正しく支配すべく調整された、管理用の人間、その生き残りだよ」




