第265話 統制者としての在り方
さて、カナリーたち神様がこの世界に来た経緯は分からないが、作られた理由については想像がつく。
エーテルネットのオペレーター、操作補助としてのAIだ。
現在、エーテルネットワークにそういった主オペレーターは存在しない。
個々のサービス、例えばゲームだったり、地下鉄の利用案内だったり、そういった物には専用のAIがつく事がほとんどだが、ネットそのものを統括するAIといったものが存在しない。
奇妙な話だが、それらの通信制御はネットに接続された人脳がそれぞれ自動で担っている。本人達に、それを行っている意識は無い。
「故に現在は、完全な分散型として機能が確立しちゃって、統括AIの入り込む余地は無いって訳だ」
「わからん……」
「……つまり、民による自治が完璧なものとなり、王が手出しする余地が存在しない、という事でしょうか?」
「その通りよアイリちゃん。弊害もあるのだけれどね?」
弊害として、ネットワークその物のアップデートを、任意のタイミングで行いたくても、誰にもその権限が存在しないという事が挙げられる。
“ウィンドウを非表示に出来ない”というのがその最たる例と言えよう。エーテルネットの基本設計として、自分が見ているウィンドウモニターは、必ず第三者からも視認可能でなければならない。
三か条、などと言ってもっともらしく理由を定義しているが、何のことは無い。非表示にしたくとも、誰にもその決定権が無いのだ。
多くの者は、そんな事は意識もせずに仕様と納得して使っている。
せいぜいが、非表示にできれば授業中や仕事中に隠れてゲームが出来るのに、と愚痴るくらいだ。
「そいやさ、ウィンドウ消せないのってこのゲームも同じだよね? 消せるゲームも結構あるのに」
「……確かに。やっぱりそれって、カナリーちゃん達が作ったから?」
「いいえー? 私たちに、そういった機能は搭載されていませんよー? その辺の基本的な機能は、あちらのネットを参考にさせてもらいましたー」
やはり、随分と口が軽い。今までであれば、ゲームの根幹に関わることなど絶対に話してくれなかっただろう。
今ならば、もっと突っ込んだ質問でも答えてくれるだろうか?
「じゃあさ、カナリーちゃんはどんな機能が搭載されてるの?」
「あー、ダメなんですよー? 軽々しく乙女の秘密を探ったりしちゃー?」
「……駄目か。あと、乙女を理由にするなら、そろそろおっぱい押し付けるの止めようね?」
「ぶーぶー」
ぷくー、っとわざとらしく膨れて、仕方なさそうに前に回ってくる。そのほっぺたを突っついて空気を抜く。この遊びも、僕らの間ではおなじみになった。
ただ、くっつくのは止める気はないようで、腕の中にすっぽりと収まって丸くなってしまった。
「でもさー、不自由じゃないの? アプデが自由に出来ないってのは」
「まあ、不自由だろうね。特に為政者は」
「……ただ、その不自由を許容しても、メリット、というよりも、安心感があるのよ。現行の仕様は」
「安心感、ですか? 圧制を敷く王が、居ないからでしょうか?」
「ええ。そんなところね? アイリちゃんには分かり難いかしら?」
「そうですね……、王はともかく、わたくしたちを守ってくださる神が居ないと考えると、安心感は得られません……」
確かに、そのあたりはアイリには実感が湧かないだろう。
だが、エーテルネットは、脳に直結したシステムだ。それを一括管理する存在が居ると、その者に脳を、心を支配されてしまうのではないか、という不安が常に付きまとう。
故に、絶対的な管理者が存在しない現状は、多少の不便さはあれど安心感と共に受け入れられているのだった。
しかし、それはそれで気になる所はある。
僕が知る以上、この“ウィンドウ表示”はエーテルネットに最初から付随していた機能だ。実用当初からこれは存在し、現在に至るまで変わった事が無い。
これは実際に確認した、確かな事実。
その機能を、最初に設定した者が不明だ。人々の集合的無意識が自然発生させた、というのは少々、突拍子が無さすぎる説だろう。
カナリーが自分で言っていたように、オペレーターとして作られたであろう彼女たちにも、その機能は搭載されていない。
当然だ。研究段階では、エーテルネットは今の形ではなかった。カナリー達AIが統合制御する、中央集権型のネットワークだったのだ。
……この世界の謎を探るつもりが、期せずして自分の世界の謎に踏み込んでしまいそうだ。
無関係ではないのだろうけれど、あまりのめり込まないように、明確に目的を定めていこう。
◇
「じゃあさ? ハル君の居たっていう研究所ってのは、日本を救った英雄さんなん? そんな話って聞いたこと無いけど」
「いやー……、どっちかって言うと、『悪の秘密結社』かなーって……」
「……中央集権型で設計していたのだから、管理と支配が念頭にあったと考えるのが自然よね?」
「民を、操り人形にできてしまう、ということですか?」
「うんそう。まあ実際は、支配じゃなくて犯罪者の拘束とかに使うんだけどね」
「でも悪いヤツが権力握っちゃったら、そういう恐れもあるってコトかー」
日本の危機を救ったのは、あの施設のエーテルなのは間違いないだろうが、それを実行したのはその職員“ではない”のも、また間違いない。
基本設計がまるで違うからだ。災害のどさくさで流出したか、正義感に燃える第三者が持ち出したか。残念ながら僕には確かめる術が無かった。
なお、この話と直接関係は無いが、鳴り物入りで登場し、日本の危機を救ったこのエーテル。タイミングが良すぎた事から、当然のように陰謀論も囁かれた。
曰く、『この妙な物を普及させる為に、電子機器を潰して回ったんじゃないか』と、そういった意見が頻出した。無理もない話だ。
しかし、その利便性から着実に普及は進んでゆき、現在では大気中にエーテルの無い場所を探すほうが難しいくらいである。人間、利便性には勝てない。
「あ! カナりんが神様として君臨してるのって、そういう設計だったからだ!」
「むー。ユキさんはそうやって人を悪者みたいに言ってー……」
「めんご。大丈夫、カナちゃんは良い神様だよ」
「そうです! カナリー様は、わたくし達を正しく導いてくださいました!」
「そうなんですよー? まあー、向いてたのは間違いないんでしょうけどねー。向いてなきゃやってませんものねー」
腕の中でごろごろとしながら、カナリーが目線で何かを訴えかけてくる。申し訳ないが、それだけでは何か分からない。頭の片隅に置いておこう。
向いていた、というのは統制と制御の事だろう。<誓約>など、その最たる物だ。
やろうと思えば、彼女たちはこの世界を完全な管理社会に仕立て上げることだって可能だっただろう。
それをせず、アイリたちの国を良き方向に導いてくれた、というのは間違っていないはずだ。正しいことだったか否かは、僕が判断することではない。
そんな彼女が、どうしてこの世界に飛ばされる事になったのだろうか? 『ばびゅーん!』、らしいが、そう言われても困る。
まあ、今もエーテルネットを通して、ゲームとして数多のユーザーがこの世界に接続しているのだ。エーテルネットには、元々そういった機能があって、カナリー達もそうして飛ばされた、と考えるのが自然なのだろうが。
では、何故ゲーム仕立てに世界を作り、僕らを呼び寄せているのか。そこも謎になってくる。一瞬、“帰りたい”からかと思ったが、よく考えれば帰ることは出来るはずだ。
向こうの世界の文化を参照し、物質を“輸入”し、データを収集している。アルベルトなどは日本に体を持っている。
カナリーは人間になりたいとは語ったが、それが神々の総意とも思えない。
ここは以前から幾度も考えている事だが、相変わらず答えは出なかった。
「まあ、このカナリーちゃんが入ってたクリスタル。これをまずは解析してみるか」
「どきどきですねー? 私の秘密、知られちゃいますかねー?」
「そんな大変なコトが書いてあるの?」
「さー? 私が出たときのままのデータとは限りませんからー。もう、私には中身を読むことは出来ませんしねー」
「えっ、そうなんだ」
意外だった。カナリーなら、何の苦も無く、既にこのクリスタルのデータを参照しているものと思っていた。
考えてみれば、今の彼女は魔力体だ。僕ら、プレイヤーと同じ、魔力で織られた身体。当然、その構成はずっと複雑で強力な物だが。
「じゃあ、こっちに入ってる人の事も読めないんだ」
「ですよー?」
てっきり、もう内部のAIとは連絡を取っているのかとばかり思っていた。
では、このクリスタルに保管されているAIは、まだ誰とも接触が無く、眠ったままと言えるのだろうか?
「ハル、それは危険なのではなくって?」
「あーそっか。中から、支配力がイケイケの奴が出てきちゃうかも知れないんだよね。『ヒャッハー! 自由だァー!』、って」
「ひゃっはーは無いわー……」
「支配されちゃう小物なのですー……」
ひゃっはーはともかく、ルナの言う危険性が無いとは言い切れない。ネットワークの完全な統制が目的のAIが封じられていたとしたら、この世界の魔法と反応し、どういった変化が生じるか分かったものではない。
世界の支配をもくろむ魔王が生まれてしまう事だってありえる。取り扱いは、慎重に行わなければならないだろう。
まあ、どちらにせよそのクリスタルはコピーが不可能なのだ。どの道、読み取りが最後に回ることは間違いない。
僕はそのクリスタルを大切に包み込み、そっと倉庫機能へと収納するのだった。
*
ユキのお手柄により、コピーしての雑な検証が可能になった“ハルは”、意識拡張を切り、クリスタルのデータを読み取る作業を開始した。
統合状態の方が作業効率は間違いなく上ではあるのだが、仕事は確実に長丁場になるだろう。ただでさえ長く変わっていた後である、しばらく、ローテーションで脳の領域各部を休ませておかねばならない。
「カナリー様、またお出かけしちゃいましたね」
「だね。何処に行ってるんだか」
まるで娘を心配する親のような台詞だが、目的なくフラフラ出歩くような心配は不要だろう。それに夕ご飯にはきちんと帰ってくる。
ただ、彼女にも関わるこのクリスタルの解析をするというのに、それでも出かけて行くというのは少し気になるハルだった。よほど重要な用事なのだろうか、と考えるのは自然だろう。
腕の中には、カナリーの代わりにアイリが、ちょこん、と収まっている。カナリーのようにのびのびとしたポーズは取らないため、余計に小さく感じるハルである。
「今は、ナノさんが中に入って行ってるのですね」
「そうだねアイリ。見えるかな?」
「見えません!」
当然であった。ちょっと意地悪な質問だ。見えたら恐ろしい。
一応、ハルであれば“現地”の情報を擬似的に画像にして見る事が可能ではあるが、見て分かる物でもないので、大抵の場合は“感じて”作業していると言った方がいい。
「でもナノさんでは、いけないのですよね?」
「うん。このクリスタルの、細かな結晶の形そのものがデータになっているんだけど。それが細かすぎて壊しちゃうんだ」
「すごいですー。そんなに小さな記録が、出来るのですね」
「本当にね。凄いよね」
前時代の技術力に乾杯といったところだ。しかも、小ささで負けているというのは相当なこと。
何でも万能に作り上げられると思われがちなナノマシン、エーテルだが、分野によっては電気時代に及ばない物も複数存在した。
ものによっては、復元が試みられている物もあったりするが、大抵は、多少劣れど代替技術で十分なため、放置されがちだ。
このクリスタルの技術も現代では無用の長物なため、そうして放置されている。
「今も壊れちゃっているのです?」
「そうだね。とある文章が保存されてたとして、『アイリ』って文字と、『ハル』って文字しか読めない感じかね」
「……十分、なのでは!」
「まあそう言わずに。これをコピーも使って何度も繰り返してると、それ以外の文字も補間できて、『アイリとハルは結婚した』、って文章が完成する」
「……きちんと読まないといけませんね!」
無制限にコピーが使えるなら、かなり雑な読み方でも、壊れずに読めたデータを照らし合わせるだけで簡単に完全な復元が可能になる。
とはいえ傍目には退屈な作業だ。膝の上の彼女と、ゲームをしたり、他プレイヤーの動向を見たりしながら、ハルは過ごすのだった。




