第249話 あなたとふたり、まちのなか
ぱたぱたと雨が傘を叩く音と共に、ぱしゃぱしゃと彼女が雨を蹴る音が届く。
神域から少々足を伸ばし、ここは王都の大通り。ハルとアイリは、ふたりでひとつの傘へと入り、相合傘で雨の日のデートを楽しんでいた。
「ふしぎですー……」
「そうだねアイリ。皆、僕らを気にしない」
「まるで、別の世界に迷い込んでしまったみたいです」
「僕らはその世界の住人にとって、何なんだろうね?」
妖怪や神様か、はたまた幽霊か。それとも認知外存在、エイリアンのような怪物か。
当然、そのどれでもない。
今ハルは、<誓約>の応用で、街に住む彼らに認識を妨害する魔法を掛けている。この傘の周囲は、目では見えているが、脳がハルとアイリの個人を認識しない。
まるで忙しい時にすれ違った、関わりの無い他人のように。
物流の街を雨の中、慌しく行きかう者達だ。そうした存在が一人二人混じっても、不自然は無いだろう。
まあ、中にはハルたちのように雨を楽しみながらのんびりと歩く者や、軒下から道往く人の流れをぼんやりと眺める者も居るだろうが、そこはご愛嬌。
「わたくし達、雨の日の怪談になってしまいそうです……!」
「傘をさした、顔のない幽霊か」
「こわいですー……」
「はは、自分のことでしょ?」
雨の日に、仲睦まじい男女の傘が道を往く。恋人だろうか、兄妹だろうか、いや彼らは夫婦だろうか。
微笑ましく思い、どんな人だろうかと目を凝らすも、一向にその姿は鮮明にならない。
怪しく思った町人が近づいて見ると、すぐ傍へと寄ってもその輪郭は、まるで雨に溶けたかのようにぼやけたまま。
恐ろしくなるが、町人は目を離せない。
その夫婦をじっと見つめていると、次第に頭へと鈍い痛みが走り始め、意識が遠くなってくる。そして。
「気が付くと、町人は茶屋の奥間で目を覚ますんだ」
「親切な店の娘が、介抱してくれたのですね!」
「人情あふれる街だね」
「はい! この街では皆、助け合って生きているのです! そして、その二人は、恋に落ちるのです!」
「…………ん?」
いつの間にかロマンスになっていた。まあ、アイリなのだ、仕方ない。
「実際のところ、僕らの存在に疑問を覚える事がまずありえないよ。……もしそんな事があれば、その彼は町人に紛れた超一流の魔法使いだね」
「神の域にあるハルさんの魔法、破れはしないのですね! ……頭が痛くなるのは、本当ですか?」
「ん? どうだろう、例えだよ? でも、認識出来ない物を無理矢理に見ようとしてるんだ。脳に負荷がかかるんじゃないかな、と思ってね」
幽霊の、正体見たり……、ではあるが、その正体を見るのに過剰に消耗し、しかも見た正体がこの国の王女様と、神気を放つその夫では、倒れたくもなろう。
正体を知るのが、必ずしも解決に繋がるとは限らない。
願わくば、その町人が茶屋の看板娘との恋に夢中になり、そんな迷惑な幽霊の事など忘れてしまえるよう。
そう、今日のデートは、ハルの神気を隠して外出するためのテストでもあった。
◇
「皆、気づいておりませんね。完璧なのです!」
「雨、ってのも良かったかもね。さっきアイリも言ってたように、一種の異界として機能する」
「お昼の晴れた日、が基準ですものね」
「あとは傘かな」
傘の範囲内が、その外とを分かつ境界を作り出す。これも認識を誤魔化すのに一役買っていた。
夏の晴れた日に、陽炎のように佇む輪郭の無い影。それでは雨の日とはまた別の、ホラー感を演出してしまう。
「皆の目には、どう映っているのでしょう? やはり空ろな輪郭の、おばけでしょうか!?」
「いや、“映っていない”が正解かな」
「透明ですか?」
「と、いう訳でもない。正しくは、記号として処理されて、人間として認識してないって感じだ」
「……ふしぎですー。想像も付きません」
「そうだね、僕もだ。その人がどう感じているかは、実際に脳に入ってみないと分からないな」
色の感じ方が個人によって変わるように、人の捉え方もまたそれぞれ違ってくる。
カナリー達AIが、人間の理解に手間取っている理由の一つだ。この世界の見え方感じ方は、人間それぞれによって異なっている。
だというのに、まるで人間は統一見解があるように振る舞い、社会を形成する。
いや、本当はそこに正しい答えなど無いのだ。誰もがそれを無意識に知りながら、妥協して他人と折り合いをつけている。寂しさを誤魔化しているのだ。
「違います!」
「……アイリ?」
「わたくしとハルさんは、もう同じものを見て、同じものを感じられるのです!」
「そうだね……、そうだった」
彼女と融合したハルの精神は、アイリの見る世界を共有する。それはこの世界で唯一、本当に同じ物を見ている他人であるのかもしれなかった。
いや、そもそも、人と人とを繋ぐエーテルネットワークも、その役目を果たしている。それは自分が見たものと同じ物を、擬似的に他人にも見てもらえる世界。
ハルはふと胸に差した孤独感を、そう理屈付けて振り払う。
そんな気分に陥るのも、この特殊な状況のせいだろうか?
街の往来の中を進んでいるというのに、誰もハルたちに目を向けない。世界に彼女とふたりきりであるような、そんな錯覚を抱かせる。
プレイヤー達も、今は戦艦にかかりきりで、窓口の少ないここ梔子の国にはあまり寄り付かない。
居るのはハルたちをまだ知らない、ゲームを始めたばかりの者か、観光をメインにしているため、互いに不干渉としてくれる空気の読める者達だった。
「そういえば、プレイヤーの皆様の姿が無いのです」
「僕がなるべく避けてる、ってのもあるけどね」
アイリが、きゅっ、と腕に抱きつきながら、頬を寄せて聞いてくる。
……プレイヤーが居ても、大抵の者はこの状況で声は掛けづらいだろう。それを構わぬ豪の者だけを、ハルが判別して避けて通れば良い。
そうしてふたりは、人の流れの中を、言葉の通り“二人だけの世界”を形成してのんびりと歩いてゆくのだった。
*
「不思議な感覚ですー……、よく知っていると思った街でしたが、こうして自分の目線で行くのは初めてで……」
「王女様だもんね、アイリは」
「はい、せいぜいが、馬車の窓からでした。切り取られた、狭い視野だったのですね」
「仕方ないさ。それが王族の視野だ。市井の事は、市井に任せていれば良い」
知らなすぎは、実情と乖離した治世を引き出してしまうだろうが、知っている事が必ずしも正しい王だとはハルは思わない。
全てを知ることなど出来ず、その目で知ることに理想を見すぎれば、知った物だけに肩入れする王になりかねない。
任せられる所は、任せてしまえばいい。末端こそが専門家だ。当然、そのシステムを滞り無く構築するという難題はあるが。
「でも、買い食いの楽しみを知らないのは単純に損ですよ、王女様?」
「はしたないのです! どきどきしちゃいます!」
ふたりで手を繋いで、何でもない屋台で適当に買い、歩きながらふたりで同じ物を食べる。
ただの、どこにでもある屋台だ。別に、奇跡的に天にも昇るほど美味しい隠れた名店ではない。だがその雰囲気が、味覚を超えた幸福感を演出してくれるだろう。
「……問題があるとすれば」
「はい! わたくしたち、お買い物が出来ないのです!」
「ままならないね」
「ままならないのですー……」
誰にも認識されないが故に、店主とも会話が成り立たず買い物がままならない。
そんな少しの残念さも、また醍醐味として先に進もうかと思うハルだが、買い食いの魅力を言い出した手前、ここで引くのも癪だ。
認識されないために、店先から拝借してもバレる事は無いが、それも美しくない。きちんとお小遣いで買うべきだ。それが作法。
……まあ、お小遣いをハルに渡しているのはアイリなのだが。
「どうしようか。いっそ店主だけ、魔法の対象から外すか」
「びっくりしちゃいますね」
「だね。突然目の前に、王女様と神だ」
しかもそいつらは、他の通行人には見えないのだ。店主の風評にも関わる。やはり止めておこう。
「となると、他に人をやって買ってきて貰うのが妥協案だけど、」
「お任せを」
「アルベルト……」
「びっくりしちゃったのです! わたくしが!」
だれかを頼るか、とハルが口にしようとした途端にこれである。彼は頼られるのを神界でずっと出待ちしているのだろうか?
SP風にスーツで身を固めた、アルベルトが音もなくふたりの傍に現れると、ごくごく自然に屋台で注文し、二割り増し丁寧に包装してもらい、迅速にふたりの元まで戻ってきた。
「旦那様、奥様。こちら、ご所望の品でございます」
「……ありがとう、アルベルト。助かるよ」
「苦しゅうないのです!」
「ははぁ! もったいなきお言葉!」
「キミら何時代の何処さ」
何となく古い日本風の、この王都の町並みには、その仰々しいやり取りも似合って見えるので不思議だ。
アルベルトから手渡された、焼きたての『カナリー焼き』をアイリとふたりで開封する。
生地の焼ける香ばしい匂いと、それに包まれたほんのりと甘い香りが強く漂ってきた。この屋台の前で足を止めてしまったのも、この匂いが原因の大半だろう。
『カナリー焼き』は、恐らく、たい焼きや大判焼きの亜種だと思われる。
ハルの腕にも刻まれている、鳥の紋章をかたどったお菓子だ。中に黄色いクリームが詰まっている。
「特産品なのです!」
「カナリーも、愛されていますね。彼女の名のついた土産ものは、様々な種類があるようですよ」
「焼かれちゃってるけどね」
「ハルさん、そうではないのです。カナリー様が、焼いて下さっているのです!」
「そうなんですよー? 偉いんですよー?」
甘い匂いに釣られて、カナリーまで姿を表してしまった。二人の背中にくっつき、傘の中が非情に窮屈になる。ハルとアイリのデートだというのに、神様達は自由なものだ。
だが当のアイリは嬉しそうなので、ハルも特に文句は無い。大勢で居るのも、また楽しいものだった。
幸い、アルベルトの買ってくれたカナリー焼きは大量にあったので、彼女らと分け合って、道の隅で皆ほおばる。
外からは、どう見えているのだろう? 突然に、よく分からないがカナリー焼きが食べたくなってしまったなら申し訳ない。
アイリも、王宮に上がるサンプルや、メイドさんのお土産としてカナリー焼きは食べた事があるようだが、焼き立てを頬張るのは初めてのようだ。目が輝いている。
この手のものは、時間が経ってもまあまあイケる物ではあるとハルは思うが、生地のサクサク感だけはこの瞬間にしか味わえない。
「カナリーちゃん、傘の中でばたばたしないの。お菓子が雨でシケるでしょ」
「それは大変ですねー? シケる前に食べちゃわないといけませんねー?」
「どうぞ! カナリー様!」
「ハル様、ストレージに入れて、一つずつ取り出せば良いのでは」
「だめだよ。風情がない」
「ないのです!」
たっぷり詰め込まれた中のクリームがこぼれない様に、舐め取るように少々お行儀悪く皆で食べる。やはり、こういった食べ方もまた良いものだとハルは確認していた。
そんな間に大半をカナリーが食べきり、傘の中の空間に充満した匂いも、次第に雨に薄れて行った。
「ごちそうさま」
「ごちそうさまでした!」
「美味しかったですねー。共食いですねー?」
「カナリー様、お口の周りにカナリークリームが付いているのです!」
「結局なんでカナリー焼きなのさ……」
カナリーの昔語りによれば、実は、意味など特に無いらしい。昔はアイリが言っていたような意味があった、とかではなく本当に最初から無いようだ。良くある話であった。
名前の響き優先なのだろう。とりあえず、何にでもカナリーの名を付けたかった。ここの神様らしい適当さを、信者も受け継いでいる。
そんな話を聞きながら、ハルはアイリと身を寄せ、その後ろにカナリーを背負い、ぎゅうぎゅうになりながら三人で道を進んで行った。
目的地は特にない。こうして歩くことが目的だ。
途中、いつの間にか消えていたアルベルトがまた唐突に現れ、店の中に手招きしてきたり。
入って見れば、そこはメイドさん達が借り切った一日限りのレストランで、ルナやユキも交えて一味違ういつもの食事を楽しんだり。
満足したカナリーがいつの間にか居なくなり、再びアイリと二人きりになったり。
往来の中、誰にも認識されていないからと、そっと唇を重ねてみたり。
そんなささやかながら幸せな一日を、ハルはアイリと共に過ごすのだった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2025/7/1)




