第247話 黄昏を越える記録
施設から帰った後、ハル達はそのまますぐにアイリの屋敷へと<転移>していた。
ルナは残念がったが、今はまず戦利品、施設の地下での発見物を置いておかねばならない。
「でもハル? 向こうの世界の物よ?」
「そうですね! ハルさんのおうちに、置いておくのでは駄目なのでしょうか?」
彼女らの疑問はもっとも。何故その荷物を置くのに、異世界たるこのゲーム内まで来なければならないのか。
それは、ひとえにあの場所の特殊性ゆえだ。
「あの部屋、今までずっと外部と隔絶されてたからね。エーテルが、ナノマシンが入って来れずに」
「……それで、空気中にナノマシンが存在しないこちら側を選んだと」
「そういうこと」
別に、エーテルに触れたからといって、すぐにどうなるとは思わないが、場所が場所だった。用心しすぎるという事は無い。
まあ、大気中のナノマシンに触れた瞬間爆発するような物ではない事は確かだ。
「大変なのです! ナノさんに触れた瞬間、爆発してしまうのです!」
「アイリ、中途半端に心を読んで不安がらないの。そんな物、お屋敷に持ってこないよ」
「えへへへ……、冗談です。でもハルさん、そうすると、何が危険なのでしょうか?」
「情報漏洩ね?」
ルナの言うとおりだ。この辺の感覚は、エーテルネットの住人ではないアイリには分かり難いだろう。
ナノマシン、『エーテル』の存在する所、すなわちそこはエーテルネットの一部だ。そこに物を置くというのは、ネットワークに情報を晒す事に他ならない。
いや、通常は問題ない。今の時代、個人ごと、場所ごと、そして細かいものでは物体ごとにまで、セキュリティが設定されている。それにネットの海は広い、繋がっているからといって、常に世界の全てに目を通している者など存在しない。
しかし、今回は保管されていた物と、その場所が少々特殊だ。
一切の空気を通さず、漆黒の塗料で隔絶された部屋。その内部において、今まで完全にネットから切り離されていた存在。それを突然ネットワーク下に置いてしまった場合の反応が読めなかった。
「まあ、勿体付けていても始まらない。持ってきたのは主にコレだよ」
「宝石です! 大きいのですー……」
「クリスタル、かしら? アイリちゃん、どうせ人工の量産品よ。価値なんて無いわ?」
「わたくしの世界では、きっと価値があるのです!」
「そうね……、売れば儲かるかしら……?」
「そこ、変な算段を始めないの」
ハルは分身を作り出し、ストレージから、保管してきた光物、クリスタルの塊を取り出してゆく。
分身で取り出すのは念のためだ。本体にも、今はエーテルが行き渡っている。
次々と取り出されるそれは、相当な数を誇った。テーブルを埋め尽くすと、ようやくハルの倉庫は空になる。
「これまた、ずいぶんと大量に盗掘してきたものね? やっぱり売りさばくのかしら?」
「大もうけですね!」
「盗掘じゃないよ。今は土地ごとルナの物でしょ」
ハルと共に本体ごと<転移>してきていたルナも、この場でログインし、クリスタルのひとつを手にとって眺める。
きっちりと同一の形状で切りそろえられたそれは、一目で量産品の工業製品であると見て取れた。その正体に、ルナは思い当たったようだ。
「これ、確か『トワイライト・メモリー・クリスタル』、だったかしら?」
「そうだね。流石ルナ、よく知ってるね」
「とわいらいと」
「データの記録媒体だよ。アイリには、馴染みが無いかな」
「……いえ、この中に、魔法の式を封じ込めて保管していると考えれば良いのですよね」
それで大体合っているだろう。何万冊もの本をこの中に入れている、と説明するよりも実情に近い。
このクリスタルは、磁気ディスクや光ディスク、半導体素子に次ぐ、前時代の記録媒体だ。
どうしても、経年劣化による情報欠落が問題となったそれらに代わり、超長期間のデータ保存を目的として開発された。
永遠不変と謳われたデジタル情報の実情が、紙や石版以下の保存性だと揶揄されてしばらく、人類は石版並に劣化しない記録媒体の開発に明け暮れた。
その成果がこれだ。
まるで、『石版が保存性最強ならば、石に直接情報を書き込んじゃえばいいじゃない!』、との発想の元に生み出されたそれは、夢の長期間保存を約束した。
クリスタルの結晶構造に、直接データを刻み込むという画期的な記録素子なのだ。
「……ですが、ルナさんの反応から察するに、今は使われていないのですね?」
「ええ、過去の遺物よアイリちゃん。その名の通り、さっさと黄昏を迎えてしまったわ」
「本来は、人類が黄昏を迎えてもデータを保存し続ける箱舟……、という願いによって付けられた名前のはずなんだけどね」
「己が滅ぶ事を前提になんてするからよ。自己憐憫が過ぎるわ?」
辛辣ながら、前向きなルナの意見である。一度は黄昏を迎えそうになった人類も、たくましく蘇った。その自負があるのだろう。
さて、この石はルナの言う通りいくつか問題があるのだが、現代において致命的なのはエーテルと非常に相性が悪い事だ。読み取ろうとするとデータを破壊してしまう。
ハルがこちらの世界に直接持ってきたのは、そういった理由もあった。そこまで脆弱では無いと思うが、基礎仕様の探査機能が接触するだけで、破損しないとも限らない。
そんな、もしかすると宝石以上の宝の山となるかもしれないクリスタルを前に、しかし対処に悩むハル達であった。
◇
「おおー。懐かしいですねー、トワイライトですねー?」
「カナリーちゃん」
「カナリー様! これを知っていらっしゃるのですか?」
「もちろんですよー? かくいう私も、ここに入っていた事がありましたからねー」
「うわ、まじで」
「まじ、なんですよねー」
これにはハルも驚いた。カナリーの、地球時代の話などレア中のレアだ。
秘密主義のカナリーだが、その中でも彼女の出自、どのような目的のプログラムとして生み出されたのかは本当に謎だった。
その一端が語られていると思うと、知らず興奮してきてしまうハルだ。
「あー、ハルさんが私の生まれたままの姿を知りたがってますー。ダメですよー? えっちですよー?」
「カナリー、誤魔化すんじゃあない。教えるんだ」
「むむー、ハルさんが何時になく強気ですねー?」
えっちな話しで軌道修正しようとする彼女を押し留める。隣のルナも幸い、えっちな話を広げるのは我慢してくれたようだ。
「……そもそもカナリーちゃんは、どうやってこっちに来たのさ?」
「それはー、なんかこう、ばびゅーん! ってー」
「ばびゅーんかあ……」
「そこに関しては、“本当に分かりませんー”。なので頑張って聞き出そうとしても無理ですよー?」
「なるほど?」
だが、その発言によって逆に分かった事もある。カナリーは何らかの事故でこちらに来たとなれば、彼女の目的はこの世界の調査とか支配とか、そういった事では無かったということだ。
偶然この世界に流れ着き、体を得て、百年以上かけて日本との通信方法を確立した。尊敬に値する気の長さと、行動力だ。
そう、百年以上である。モノの語る歴史と照らし合わせて考えるに、彼女達がこの世界に来たのは地球の文明がエーテル時代へと移り変わる前だ。
今回、カナリーがクリスタルについて知っていると発言した事からもそれが補強される。これが使われていたのも、また前時代だ。
「ならば、クリスタルに関して調べて行けば何か手がかりが得られるのではなくって?」
「……そうは言うけどねルナ。現存するクリスタルなんて中身はもう、あらかたサルベージされて、大した内容じゃ無いのが確定してるし」
「だから、これを調べるのではないの?」
「ですよね? ハルさんが見つけるまで、ずっと手付かずだった内容です。きっと、何かあるはずでは!」
「まあ、調べられたら良いんだけど……」
「読み取る機材が無いんですよねー?」
カナリーが非情な現実を告げて来る。そう、このクリスタルに情報を読み書きするには専用の機材が必要だが、当然ハルはそれを所有していない。
なので、まずはそれを作ることから始めなければならないのだが、生憎すぐに作成してすぐに稼動、という訳にはいかなかった。
「最近は精密な機械を<物質化>するのにも少しずつ慣れてきたけど。詳細な設計図もエーテルネットには無いし、何よりこいつは精密すぎる……」
ハルは、地下空間で同時に入手してきた読み書き装置を手に取り語る。
当然、それは長い年月の経過により機能不全に陥っていた。
「あなた、本当にエーテルで出来ない事になると気弱になるわね……」
「うぐっ……」
「ぱぱっと修復できそうなものですけどねー? ハルさんはもっと、ぶっとんだ物たくさん作ってますしー」
「ハルさんの弱点なのです!」
仕方があるまい。ハルにとってエーテル技術とはそういうものだ。親和性が高すぎるため、それを外れた物には精神を乱されやすい。
あの、反エーテルの漆黒の扉にムキになってしまったように、今度は逆に、触れれば壊れそうなクリスタルのデータに尻込みしてしまう。
「……ま、まあ、急ぎの用じゃ無いんだ。ゆっくりと解析していこう」
「はい!」
「……逃げたわね?」
「逃げましたー」
では何の為に、得意顔で地下からこれを持って来たのか? とルナとカナリー、二対の瞳が言外に語っている。ハルとしても、こんなに早く内容の調査が必要になるとは思っていなかったのだ。
味方はアイリだけ、いや、アイリもアイリでやり込められる弱いハルを楽しんでいるフシがある。『レアでかわいい』そうだ。
だが、現状手立てが無いものは仕方ない。ひとまず、クリスタルはお屋敷の奥の方に安置して、解決策を探って行く事にしたハルだった。
◇
「……ともあれ、少しの間はイベントなんかも無さそうだ。その間に何とかしてみるよ」
「皆さん、まだモノさんの戦艦にかかりきりなのですね」
「そうねアイリちゃん。イベントは終わっても、パワーゲームはまだ続いているわ?」
「むしろ各国の動きはー、ここからが本番な所ありますねー」
そうこうして、食事の準備とユキの帰りを待ちながら、ハル達の談笑は続く。
話題はゲームの進行について。戦艦を取り巻くイベントが終了し、しばらくはプレイヤーを集めた大規模なイベントの開催は無いようだった。
その間に、各国の有力者と、彼らに協力するプレイヤーは戦艦の支配権を磐石にすべく、表に裏にと飛び回る事になるようだ。
「でもハルさん、イベントが無いとは言ってますけどー、ハルさんは参加しないんですかー?」
「政治ゲームに? いや、もう振り回されるのは十分かな。戦艦がどこ飛ぼうと、僕が構うこと無いし」
ハルと、隣に並ぶアイリの膝の上に、ぐでー、とお行儀悪く横たわったカナリーが聞いてくる。ぴこぴこと動く羽がたまにハルの顔をかすめ、その感触がくすぐったい。
「確か、今は各地にレイドボスが出現して、それの対処に戦艦を動かそう、という話になっていたわね?」
「そうですよー? 魔物が出たんですー。使徒が対処しないとダメなんですよー?」
「そうは言ってもね。僕は神様じゃない。全ての災厄から全ての人を守るなんて事は出来ないよ」
戦艦の浮上と同時に、各地に超巨大モンスターが出現、いや、建前としては戦艦のレーダーで観測された。
世界の脅威となるそのモンスターに、皆で対処しよう! というのが、今のゲームの流れである。イベント開催というより、メインシナリオや、ワールドクエストといった大枠の更新、という感じであろうか。
しかし、そのモンスターが観測されたというのはどこもゲーム外。国境の外だ。
自然、国境を全て別の国と接しているここ梔子の国は、そのモンスター群に関しては対岸の火事だった。
「前回は、関わっちゃったから死者が出ないように立ち回ったけど。本来僕は妻とその家族を守れれば満足なんだ」
「ふおお……、ふ、不意打ちでしゅね……」
「カナリーを膝に乗せながら言っても、イマイチ格好が付いていないわ、ハル」
「……そこは、ペットの猫を撫でながら優雅に言ってると脳内変換して」
楽しそうに『にゃーん』と鳴きまねをするカナリーが、締まらなさを更に加速した。
だが、格好をつけている訳ではなく、ハルの語ったのは本心だ。アイリと、メイドさん達を守れればそれでいい。
全ての争いを止め、全ての命を守るなど、それこそ神であるカナリー達にも不可能だろう。どうしてもある程度の、鈍感さが必要になる。
そうして外部の情勢を半ば無視することで、ハル達は久々となる平穏な日々を楽しむのであった。




