第246話 里帰り
本日より新しい章がスタートします。章タイトルの変更は、少しお持ちください。
「急に里帰りなんて、どんな心境の変化かしら?」
「里帰り、というより墓参りかね? ここは僕の帰る里じゃあないし」
「遅いお盆ですね!」
「そうだねアイリ。あの話で思い立ったって所はある」
「ユキとしていた話ね?」
ハルはその特殊な構造を持つ脳のため、天涯孤独の身だ。里帰りに帰る家は持っていない。
変な話だが、今はルナが保護者代わりにハルを引き取り、生活を保障している。
当然、通常なら可能な処置ではない。ルナと、彼女の家の有り余る財力あっての措置であった。
「その割に、そのユキはお留守番なのね?」
「ほら、ユキはその……」
「“こんなところ”に連れて来ては、倒れてしまうのです!」
アイリの歯に衣着せぬ評価の通りである。
ハル達は今、ルナの家が私有地として管理する、病院の跡地に来ている。
既に放棄されて年月の経つそこは、草が伸び放題で半ば自然に還っている有様だ。ユキを、本体の大人しい方のユキをこんな場所に連れて来ては、目を回してしまう事は想像に難くない。
ユキを連れて来るにしても、最低限、足の踏み場くらいは作ってからの方が良いだろう。温室栽培のユキちゃんには、ここは刺激が強すぎる。
……そもそも、ここまでたどり着けないのではないだろうか? 獣道すら無い、真に自然に埋没した有様だ。
「確かにしばらく来てなかったけど、ここまで鬱蒼としてるとは」
「自然の神秘ね?」
「すごいですー……」
「……ねえ管理者のヒト、もうちょっと手入れとかしても良いのでは?」
「草木に飲まれて、自然に崩れてくれれば、解体の手間が掛からなくて済むじゃない?」
「合理的な意見どーも」
戦艦を取り巻くイベントは、NPCが関わるために自然と長期化し、暦は今、九月に入っている。
夏の間伸び放題に伸びた草木は、秋の気配がしはじめたこの頃も未だ勢いを保っており、足の踏み場も存在しない。まるで畑で栽培でもしているかのように、所狭しとびっしり生え揃っていた。
元々が、人里を離れてひっそりと建てられた病院だ。それだけ自然の侵食も早くなる。訪れる者が居ない、というのはこうも激しく景色を変えるものか。
そんな自然のただ中を、ハル達はひとまず落ち着ける場所を求め、建物の跡地を目指すのだった。
*
「……結構、崩れてしまっているわね? ここにはまだ、さほど侵食は無いようだけれど」
「元々が、年代物だったからね。メンテナンスの手が途切れれば、こんな物だろう」
壁は脆くも崩れ、うっすらと陽光が差し込む病院のエントランスに、ハルたち三人は踏み入れる。
エーテルを、科学と魔法、二重のエーテルを共に放出し周囲を浄化すると、とりあえずハルたちはそこで腰を落ち着けた。
魔法でクッションを取り出し、床に座り込む。
「よいしょ! ……ちょっと疲れましたね!」
「そうだね。まるでダンジョンだ」
「……ハルに強化してもらっていなければ、私も体力が持っていないでしょうね」
道無き道を進んできた少女たちが、体の疲れを自覚する。ハルは彼女らが休んでいる間に、この地のナノマシン濃度を増強し、建物を覆うように魔力を体から放出していく。
誰も居ないとは思うが、念のためそれらを使って内部をくまなく探査しておくハル。廃墟には、物好きな人間が訪れる事もあるようだが、ここに居るのは小動物のみであるようだった。
「誰も居ないね。当然だけど」
「でしょうね? 伊達にウチの私有地ではないわ」
「お掃除するところを、見られる訳にはいきませんからね!」
ユキが来ても大丈夫なように、ハル達はこの場所を掃除、いや掃除に留まらず整備しておく予定だ。当然、それは手作業などでは間に合わない。
魔法を使って手早く片付ける、その様子を万一にも目撃される訳にはいかなかった。
現代では、広域監視の目はほぼ全てエーテルに頼っている。
前時代のように衛星のカメラを気にする必要は無く、エーテルネットのセキュリティさえ確保していれば、とりあえずは安心だ。
しかし、万全を期して、外部から望遠で観測出来ないよう視覚を妨害する結界を張っておく。
認識を阻害する魔法と、光学的偽装を施す科学の二重構造。だがそれでも内部からの監視には弱い。この地に誰も居ない事は、念入りに証明しなければならなかった。
「まあ、外には一切の痕跡が無かったから、もし誰か居たとすれば、その人は内部でずっとサバイバルして生き延びてる事になるけどね」
「ホラーはお止めなさいな……」
「たくましいのですー……」
この平和な時代にそんな事をする意味など無いだろう。意味が無いと言うか、意味が分からない。そもそも、そんな事をして生き延びられるのはハルくらいだろう。
しばらく探知を続けるが、当然ながらそんな酔狂の者は存在せず、棟内は一切の無人であった。
「では、お掃除をするのです!」
「と言っても、私たちは何をすれば良いのかしら? 足手まといではなくて?」
「そんなこと無いよ。ルナは周囲に消毒のプログラム走らせて、アイリも浄化の魔法を使ってくれれば助かる」
「はい!」
ハルが大まかに汚れや埃を分解し、アイリがそれにより散った塵を清めて行く。駄目押しに、ルナが科学的な面からナノマシンによる消毒を施し、施設は次々と新品同様に磨かれて行った。
「汚れてはいるけど、荒れてはいないね。ほとんど、僕が出たときのままだ」
「人の出入りが無いからでしょうね。老朽化は、避けられないようだけれど」
「ハルさんは、いつくらいまで此処に居たのです?」
「十年前、くらいかなあ……」
それにしては劣化が激しいのは、先述の通り、元々が古い建て物だった為だ。
しかし、それでも現代の建築よりは形を保っている方だろう。現代の物はノーメンテで数年もすれば、端からボロボロと細かな粒子に戻ってしまう。
「では、ここはハルさんの思い出のままの風景なのですね」
「思い出ねえ……、確かにこうして見れば、ノスタルジックな風景と感じなくも無いけど」
「これは単に、景観そのものが哀愁を漂わせているからでしょうね」
「そうだね。ここに来れば誰でも、懐かしさや物悲しさを感じるのかも」
「そうなのですね!」
人間の持つ、感受性と想像力によるものだ。崩れた建物を見て、崩れる前の光景を心に思い描く。
その景観が、今のような状態へと至った、その経緯を夢想して、その歴史に哀愁を想うのだ。
ハル達はそんな哀愁漂う病院跡地を、歩き回りながら清浄に清めてゆく。
ハル自身は、胸に何か想いを去来させる事はない。別に、この院内の廊下を走り回って遊んだとか、そういった思い出がある訳でもない。ハルは特に個室から出る事は無かった。
アイリもそんな様子を読み取ったのか、すぐにこの風景から特別な興味は失ったようだ。
その代わりにハルとアイリは、歩きながら二人して、架空の入院患者の子供達がこの廊下を走り回る光景を想定する。
包帯を巻きつつも元気が抑えきれない男の子が、足の遅い病弱な女の子を振り回すストーリーが、いつの間にか展開されていた。
ルナが、二人の語るその謎のストーリーを、『何を言っているのだか……』、と少し目をジトらせながらも大人しく聞いてくれていた。
「その子達は、それからどうなるの?」
「むむむ、そうですね……、女の子の病状が、急変してしまうのです!」
「男の子の出番だね」
「はい!」
「いや、出る幕無いでしょう、男の子……、医者の出番ではなくって?」
まあ、そういう現実的な事は今は良いのだ。
「男の子はこの山に生るという幻の果実を求めて、旅に出るのです」
「一泊二日の大冒険だ。外泊許可は、勿論とらない」
「……普通、そんな物があれば、病院側で全て確保しているわよね?」
「はっ! 果実を独占する病院の大人と、バトルになるのでしょうか……!」
「やめよう。血なまぐさくなる」
ファンタジーならともかく、現代を舞台にそんな展開にすればジャンルが変わってしまう。成功しても失敗しても悲劇だ。
まあ、アイリにとってはこの地は、十分ファンタジックな存在なのだろう。この建物だって、もはやSFだ。
「冒険の末に少年は果実を手に入れ、女の子は健康になるのです! 二人は結婚して、めでたしめでたし」
「結婚しちゃったよ」
「急展開ね……」
二人は何歳の想定なのだったのだろうか?
お話の完結と同時に、アイリがてこてこと足早にハルの真横に並び、ぎゅー、っとくっ付いて来る。どうやら今の物語は、ハルとアイリを当てはめた想定だったようだ。女の子を閉じた環境から、救い出してくれる事が重要なのだろう。
ルナの方も思う所があったようで、もう片方の腕を抱き寄せてくる。
……見方を変えれば、このお話はルナが男の子役で、ハルが女の子の側とも言えるだろう。彼女によって、ハルはここから連れ出された。
そんな、両手に花を侍らせながら、ハルは施設内を掃除して回る。
見た目は当時と同様に綺麗にはなったが、どうしても郷愁といった感情は沸いて来ないハルであった。
*
そんなハル達が、最後に訪れたのは地下の空間になる。この層には、開かずの扉が存在する。ここが、本日ハルがこの地を訪れた最大の理由であった。掃除はついでだ。
「と言ってももう、用事は終わってるんだけどね。仕事は分身を送り込んで中で済ませておいた」
「いつの間に……」
「早いのです!」
開かずの扉、といっても魔力を浸透させての<転移>の前には無力だ。
鍵は厳重にしたようだが、超能力者への対処は想定外だったらしい。何の障害も無く、中へと踏み込めた。
この扉を含め、その先の部屋全体が、べったりと黒い塗料で塗り固められている。これは反エーテルとも呼ばれるナノマシンからの干渉を防ぐ物質で、ブラックカードのセキュリティ保障にも使われている。
だからブラックカードは黒いのだ。ハルは、己に以前付けられていた<ブラックカード>の異名を思い出し苦笑する。実際にその名で呼ばれるべきは隣にいるルナだろう。
「……どうしたのかしら? 人の顔を見てにやけてしまって」
「ルナさんがかわいいからですね!」
「そうだね。……ああ、ごめん、ルナもブラックカード持ってたよなーって」
「……そうね。結局、家の者もこの扉には興味を示さなかったようね? 今更隠し財産や、裏帳簿など出てきたとしても、大した利益にはならないと思ったのでしょう」
いくらエーテルネットから隔絶しても、物理的破壊力にまで抵抗力がある訳ではない。ルナの実家がやる気になれば、金庫の扉をこじ開ける程度は造作も無いだろう。
だが、彼らはそれに価値を見出さなかったようだ。『開かずの扉』の名の通り、この扉は運営当時からずっと開いていない。最後の職員も、開錠方法は誰も知らなかった。
そんな中に、重要な物が詰まっている可能性は低いと判断したのだろう。それとも無理に開けるまでもなく、風化して勝手に開くに任せる事にしたのか。気の長い話だ。
「それで、こっちでも魔法が使えるようになって。いつか入ってやろうと思ってた」
「……相変わらず負けず嫌いだこと」
「ナノさんで、負けてしまったのですね!」
その通りだ。以前、ハルも何とかこの扉を開いてやろうと試みた事がある。エーテルネットに精通する者として、それが通らない扉、などという物は自身への挑戦であると判断したのだ。
結局、そのパズルをクリアする事は適わず、今日までこの扉は放置していた。
「それで、中身は何か良い物が入っていて?」
「金銀財宝なのです!」
「いや、財宝は無いね。光モノは入ってたけどさ」
「??」
物自体は既に倉庫へと回収済だ、ご開帳は、帰ってからにするとしよう。
ハル達はその後もアイリが満足するまでこの地を見て回り、日の暮れる前には帰路へと就くのだった。




