第244話 世界を塞ぐ天蓋
「ねぇ、ハル君、雲の上ってことは、ここ……」
ホールに歓声が響き渡る中、ユキが声を殺して問いかけてくる。
何が言いたいか、分からないハルではない。
「……ゲーム外だね。間違いなく」
このゲームを成立させる魔力、国を覆うそれは思ったよりも高度が低い。開始初期に、ハルが<飛行>により上空の様子を確かめようとした時も、大した高さまで届かなかった。
今は分厚い雨雲を抜けた先、地上五千メートル程には来ているだろう。確実に魔力圏の外である。
「ですが、魔力は変わらず感じるのです。わたくしには、飛び立つ前となんら変わらないように感じます」
「ハルに借りた私の<精霊眼>にも、変化は見られないわ?」
「じゃあさじゃあさ、この戦艦に関連付けられてるのかな?」
「……それは、おかしくないかしら? ハルが言うには、魔力は“物”に宿らず、“場所”を基点とするのではなかったの?」
「仮説だよ。証明はまだだ」
「この世界の学問でも、まだ解き明かせてはいないのです……」
物体に魔力を詰めて、連れ歩く事は出来ない。故に魔力タンクのような物を用意して、ゲーム外を探索する事は出来なかった。
その時に、ハルが立てた仮説だ。魔力は物体ではなく、空間を基準として存在する。
「神様の力なら、物体にひっつける事も可能になる?」
「いや、まだ仮設に矛盾はしてない。……何か決まった座標があって、それにピン留めされてる、って考えるのは止めたほうが良い」
場所、という言い方が乱暴だったように思う。そのせいで考え方を無意識に固定してしまっていた。
「決まった座標は無いのん? XYZとかの絶対座標」
「Y軸の存在はたまに憎らしくなるわね」
「?? そうなのです?」
ゲーム製作者としてのルナが語る愚痴は、今はひとまず流すとしよう。
ユキが言うのは、地図上の緯度経度に高さを加えた物だ。これが本当にゲームなら、その三点の座標を正確に入力すれば、そこは間違いなく絶対的な基準である。
だがこの世界は、ひとつの惑星であるはず。ゲーム的な空間把握の知識が、先入観として思考を邪魔してしまっていた。
「地球はさ、回転するでしょ?」
「あ……、絶対座標だと、すぐに過去の地点になっちゃうんだ……」
「……どうにも、分かりにくい感覚ね。絶対座標などという物は無く、全て相対的という事よね?」
例えばハルの家を絶対的な基準として見たとする。しかし、それは地球の自転によって常に移動している。
更に地球は太陽を周回し、太陽も銀河の渦に揺蕩い、銀河もそれ自体が高速で移動している。
外から見ればハルの家は複雑な螺旋を描き、宇宙に愉快なアートを描画するはずだ。
「言葉を変えると、魔力は、重力に紐付けられているのね?」
「なるほどねぇ。この戦艦は重力をどうこして、魔力を連れて来てる、って考えれば納得がいくんだ?」
「すごいのです!」
「重力、得意そうだもんね神様。まだ僕が使いこなせない<神力操作>も、なんか理屈が近そうだし」
力場を発生させる事を基本とするらしい<神力操作>、そこから考えても、何となくそれっぽい仮説ではなかろうか?
ハル達は今の状況に納得いく説明が付けられた事に満足し得意顔になるが、別に、状況が何か解決した訳ではなかった。
「……」
「……」
「…………いや理屈は良いんだよハル君! 大丈夫なん? こんな大勢でゲームの外来ちゃって」
「……みんな大丈夫そうだから、まあ、大丈夫なんじゃない?」
魔力に包まれている以上、キャラクターの挙動はゲーム内と何ら変わらないだろう。今のところは、そう言うしか無いハルであった。
◇
「さて、これからどうしたい、かな?」
「みなのものー、すすめー♪ 行き先は自由だぞー♪」
興奮に沸く観客の頭上では、モノとブルーが戦艦の操作説明の続きを開始していた。
これからこの船をどうするか。重要な問題だろう。飛びました、良かったね、ではイベント終了、で終われない。
乗り込んだNPC達はこれからどうするか。船の新たな繋留場所はどうするか。この船を使って、この世界で何をするか。
それらをまた、ポイント投票によって決めるのだろう。手元のウィンドウを見ると、最初は何処へ向かうのか、のアンケートが表示されていた。じっくり考えられるよう、締め切りは長めだ。
今度は複数の候補に、手持ちのポイントを分散して配点しても良いらしい。
「ハル君どーする。私もポイントそれなりに持ってるけど」
「……んー、今回協力してくれた、カナンやラズル王子の希望でも聞いてみるかね?」
ハルとしては別に何処でもいい。今はとりあえず、自身が関わったイベントでNPCの死者が出ずに済んで安堵していた。
強いて言えば、アイリと暮らす梔子の国ではない方が、騒がしくなくて良いだろうか。
そんな事を考えていると、壇上のブルーが再びわざとらしく声を張り上げている。どうやら、この戦艦のお披露目は、まだ終わっていないようだった。
「サプラーイズっ! なんとー♪ 急に浮上したせいで、上空を回遊する巨大モンスターを刺激してしまったようだぞー♪」
「レイドボス、だね。どうしよう、か?」
「みんなで決めよう♪ 選んでねっ♪」
行き先の投票の上に、レイドボスに戦いを挑むか否かの選択が割り込んでくる。機動力の次は、攻撃力の性能発表会のようだ。
「……なんとまあ都合よくこの位置にモンスターがいたもので」
「お約束、なのです!」
「良くある事よね?」
「正直、疑問にすら思わなかった……」
ユキは慣れすぎである。この世界の場合は、ゲームにおいて定番の進行でも思考停止せず疑問を覚えた方が良いだろう。
特にここはゲームの外、魔力の無い空間だ。モンスターも基本の構造は使徒の体と同じ。魔力の中でしか基本的に活動出来ない。
外の様子を映し出す大画面、その中に悠々と空を泳ぐ姿を見せる巨大モンスターの構造は、高い確率で今までと異なる事が予想された。
鋭い爪と牙を持つ、体全体を白に染めた基本的な姿な西洋型ドラゴン。トカゲ、と言うにはガッシリと強靭すぎる肉体が遠目にも良く分かる。
「敵は『天蓋の空竜』! 強そうだね♪ でもご安心! 早速この戦艦が活躍しちゃうぞ♪」
「集計出た、よ。交戦に決定だ、ね? 次は攻撃か防御か決めよう、ね」
この戦艦の行動方針を、割合で決めるようだ。ハルは所持ポイントを全て防御に入れる。
レイドボスであっても、ハル達の力で撃破出来る事が分かっている。ならば火力を増すよりも被害を抑えたい。
ただ、やはり初お目見えとなる戦艦の力を試したい物が多いようで、攻撃が七割以上を占める結果となった。
「次は、支配ポイントを割り振る事で火器管制を制御できる、よ?」
「砲台を自分で操作出来るんだよ♪ たっくさんつぎ込めば、主砲だって操作出来ちゃう!」
手元に新たに表示されたウィンドウ、そこにはこの戦艦が持つ様々な武装の詳細が表示される。好きな武装にポイントを入れれば、その支配権を獲得できる、という訳だ。
主砲と動力を兼ねる球体ビット以外にも、大小さまざまな火器が搭載されているようだ。十分な数が用意されており、皆、好みの武器を操作したり、時に高ポイントで支配権を上書きされたり、各種武装の仕様を眺めて悦に入っていたりする。
シルフィードもまた、そんなプレイヤーの一人のようだ。その大量に稼いだポイントを投入し、主砲の一機を操作して、はしゃいでいる。見かけによらず、こういったゲームも好きだったらしい。
それを見て、ハルは思いついた事があった。
「……ハル? あなたは砲台を動かさないの?」
「そうだね、せっかくのポイントだ。ひとつ確保しておこうかな」
「なるほど? 確保だけして、あなたは直接甲板に上がるつもりね?」
「正解」
「お供するのです!」
そうしてハルはアイリ達を連れ、直接ボスモンスターと対峙すべく甲板上へと向かうのだった。
*
「黒曜、意識拡張スタンバイ」
「《御意に、十二領域統合、並びにエーテルネットワークへの接続を開始します。接続率を指定してください》」
「ひとまず10%で構わないかな」
「《御意。意識拡張開始、限定10%、接続スタート》」
上空の気流渦巻く甲板上に降り立った“僕ら”は、まだ肉眼では遠く、魔法の射程外の翼竜と対峙する。
僕はといえば、これからの作戦のため思考力を拡張し、周囲の環境の計算に努めた。眼下には絶景が広がっているのだろうか、今はその感動に浸っている暇は無い。エーテルネットの計算力をフル活用して、竜の到来に備えよう。
「ハルさん! “びっと”を持ってきたのです!」
「ありがとうアイリ。好きに動かしていいよ」
「はい!」
「おー、間近で見るとでっかいねーアイリちゃん」
「ですねユキさん! 圧倒されるのです!」
その間に、アイリは僕が支配した主砲を僕のウィンドウで代わりに操作し、色々と機能を試しているようだ。砲撃だけでなくバリアも張れるようで、以前の水龍のような怒涛の攻撃を繰り出して来ても、このバリアによって攻撃に専念出来るだろう。
勿論、砲撃も行える。空間その物を震わせるような、体の芯へと響く発射の衝撃は、至近で感じると迫力満点だ。
空竜はそれらプレイヤーが放つ砲撃を高速で回避しながら、少しずつこの船へと近づいて来ている。時に雲に潜る様子が、砲撃を鬱陶しがっていると感じられる。
主砲はきっちりと回避するが、さすがに細かな火器による弾幕は全ては避け切れないようだった。
そんな中、僕は接敵するまでの間に、内部のシルフィードへとチャットを送る。
『ハル』
:シルフィー。少し協力して貰って良い?
『シルフィード』
:あっ、はい、なんなりと! 外に、出ているんですね。直接戦闘ですか?
『ハル』
:ああ、狭い中でずっとチマチマやってたから、広いトコで暴れたくって
『シルフィード』
:あはは……、ハルさんらしいです。私達の分も、取って置いてくださいよ?
また一人で倒しちゃわないで欲しいですね
『ハル』
:もちろん。というか、シルフィーには協力して欲しいんだ
申し訳ないが、何も知らないシルフィーを少し利用させてもらう。“何も知らない”、という事が肝心だ。
その代わり、今回の殊勲は彼女に譲るとしよう。
手短にシルフィーに作戦を伝え、竜の到来に備える。ここがゲーム外である関係上、この戦艦の魔力圏に入ってくれなければ取れる手立ては少ない。
計算は順調だ。それなりに魔力は使うだろうが、望み通りの効果が出せそうである。
『シルフィード』
:ハルさん、来ました! 作戦開始です!
『ハル』
:オーケー、作戦通りに行こう
雨雲の海を泳ぐようにして、空竜がその姿を出現させる。それを艦のレーダーで捉えていたシルフィーが、作戦開始の合図を告げる。
挨拶代わりとばかりに光のブレスを甲板に放射してくるが、アイリが操るビットが割り込んでバリアで防ぐ。
直上を取られ、使える火器も制限された。一時、弾幕が止む。
しかし今度は主砲が至近距離。ぐるぐると惑星の軌道を描くように飛び回り、全方位から砲撃を加えるビット。空竜も全てを避け切る事は難しいようで、たまにエネルギー砲弾がその羽をかすめ、ダメージを与えていた。
「ハル君、来た!」
「ルナ、お願い」
「任せなさい?」
「援護するのです!」
砲撃の合間を縫い、竜がこちらへ突進してくる。アイリがビットを体当たりさせるかのようにバリアで防ぐと、待機状態で待ち構えていたルナの大魔法が竜の足元から炸裂する。
間欠泉じみた水流がその巨体をかち上げると、脱出不可能な水圧が空中できりもみ状態に暴れさせる。
そこを、僕が魔法で更にがっちりと固定するのだ。
「獄門の鎖」
空中、竜の周囲から湧き出た漆黒の鎖が、その巨体に絡みつく。
このレベルの魔力を内包するボスモンスター相手には、数秒と持たない拘束だろう、だが、数秒あれば十分。
『ハル』
:シルフィー、今
『シルフィード』
:撃ちます!
エネルギー臨界まで砲撃をチャージして待機していたシルフィーの操るビットから、特大の一撃が放たれる。
真下から狙い打つそれは真芯を打ち抜き、早くも決着かと思われた。しかし。
“偶然にも”、急に甲板上に吹いてきた乱気流が竜の体を押し流すと、砲撃は翼の一枚をもぎ取る程度のダメージに留まり空の彼方へと消えて行った。
『シルフィード』
:すみませんハルさん! 外してしまいました!
『ハル』
:今のは仕方ないよ。ジェット気流……、ってやつなのかな?
運が悪かったね。このタイミングでさ
『シルフィード』
:次はありません! 次は必ず討ち取ります!
『ハル』
:その意気だね
……勿論、僕の仕業だ。竜に当たってもらっては困るのだ。その為に、風を計算して不自然になりすぎないよう演出した。
僕はシルフィーにチャットを送りながら、砲弾の行方を決して見逃さないよう必死に目を凝らす。
上空へと登ってゆくそのエネルギーは、次第に小さくなりそのうち視界から消えると思われた。だが、唐突にそれは起こる。
「……やっぱりだ」
突如、“見えない壁”にでもぶつかるように、砲弾のエネルギーはバチバチと音を立てて何かに衝突する。
何かと問うまでも無い。そこはこの世界の果て、僕がそれ以上の接近を禁じられた、真の“世界の果て”だった。




