第24話 夢見る彼女、夢を見ない彼
ここでひと区切り、1章が終了になります。
明日からは2章が開始です。続けてお付き合いくださいね。
「ハル、平気かしら?」
「頭痛い……」
「そう言いつつ何をやっているの?」
試合も終わり、時刻は夕食時。
ずいぶんと日が伸びたのだろう、未だ沈まぬ春の夕日を眺めていると、ルナがテラスまでやってくる。
彼女とこの世界で最初に見たのもこんな景色だった。
ハルには馴染みの薄い自然の中の風の音が、かすかに聞こえて来る川のせせらぎと合わさって耳に心地良い。
ここには背の高いビルも、最近はめっきり数を減らした送電線も無い。
風がビルの谷を渦巻く音も、電線の弦を奏でる音もここには無縁だった。
「夕日を見てるだけ」
「手元のそれは?」
「弾幕」
「…………」
再び思考を分割したハルだ。
夕日に風情を感じながらもミニゲームに勤しんでしまうあたり、微妙に締まらないのが何時ものハルだった。
「それが無ければハルは絵になっていたのに。それに、弾幕は頭を使うのではなかったの?」
「ああ、それね、なんというか慣れる」
最初はものすごく複雑なものに感じたが、最終的にはパターン化して手元しか見なくなる。むしろカードゲームより頭を使わず出来るのではなかろうか。
「それにアイリがこれ好きだし」
「……ちょっと分からないわ」
沢山の弾が飛ぶのと、ハルがそれを避けるのを見てアイリはとても喜ぶ。
意外な一面なのか。快活な彼女らしいのか。
何にせよ教育に良いとは言えないだろう。ルナが何か言いたげにジトーっと見つめてきた。
◇
「頭は平気かしら」
「そう言われると、頭がおかしい人みたいに聞こえるね」
「もちろん理解して言ってるわ」
「もちろん理解してるのを理解してるよ」
ルナが頭の心配をしてくれる。
頭脳の調子の、心配だ。
意識の拡張は負担が大きい。しばらくはほとんどの領域を休眠させなければならないだろう。
アイリにそれを話すと、非常に心配させてしまった。回復するまで付きっ切りで看病してくれるとの事だ。
それは非常に嬉しいのだが、問題があるとすれば、何をどう看病するのだろうか。
おでこにタオルを乗せたとて、体温は一度も変わらない。
「アイリちゃんはどうしたの?」
「タオルを替えに行ったよ」
「タオルの無駄はおやめなさい」
冗談だ。流石にハルも意味の無いごっこ遊びに興じはしない。
「……夕食の準備をしてくれるって」
「そう。かいがいしいこと」
ハルが好きだと言ったサンドイッチを、メイドさんと一緒に作ってくれるようだ。とても嬉しい。
そんな気遣いに、ハルはなんとなく頭痛が軽くなる気がする。
夕食にサンドイッチは妙な気もするが。沢山のサンドイッチを皆で囲むのも楽しそうだ。メイドさんも一緒に食べれば良いのに、そういう訳にはいかないのだろうか。
一時間くらいずつ時差が出ていくこのゲーム。外はもう夜中だ。
夕食になるとルナはもう寝る時間が近いが、今日は勝利祝いも兼ねているため参加してくれるようだった。
「ユキは夕飯まで運動してるんじゃないかな」
「居るよ!」
「びっくりした……。キミは僕の背後に転送してくる趣味でもあるのかね?」
気を抜いていると全く気づかない。
ユキだからいいものの、動体検知の魔法でも作った方が良いのだろうか。
「いやだなー、今日は普通に歩いて来たよ。ハル君がぼーっとしてるんだよ」
「むむっ?」
どうやらハルが思っていた以上に気を抜きすぎていたらしい。
普段より起きている領域が少ないが、それでも足音を聞き逃す事などあまり無かったはずだ。
「ここには危険は無いとは言え、ちょっとゆるみすぎてたね」
ハルはゲームをしていたウィンドウを落とす。
「たまにはいいじゃない。ただでさえ疲れているのでしょう?」
「おー、あれってやっぱり疲れるんだね。普段より凄かった」
「……ユキは見るの初めてだっけ」
なんとなくバツが悪い。
ユキはゲームに対して常に真剣だ。そんな彼女の前で、反則じみた技を使ってしまった後ろめたさがあった。
普段よりも弱気になっている。思考が少ないせいだろうか。
ハルは怒られるのを恐れる子供のように、傍らに立つユキを見上げる。その視線はハルが恐れるものではなく、いつものサッパリしたものだった。
「うん。まいったねー、また置いていかれちゃった気がする。だいぶ追いついて来たと思ったんだけどなぁ」
「……でも、あれは言わばチートだ。僕自身の力じゃない」
「ハル君の力だよ。皆が皆つながってるこの時代、どこまでが自分の力、だなんて境界線は引けなくなってる。私だって、この才能を何度チートと呼ばれたことか」
ナノマシンに対する脳の適正が、ゲームの腕にもダイレクトに影響するこの時代。才能の差はこれまで以上に浮き彫りになった。
それはスーパープレイで見るものを盛り上がらせる一方、自分でプレイしたい者たちのやる気を萎えさせる結果にも繋がった。
ユキの言う事も、一部正しい。
全ての人間がエーテルによって接続された現代。個人の能力だけで完結している人間など居ないといえる。
ハルほどではないにせよ、皆ネットを自分の一部として力にしている。
検索一つ取ってもそうだ。もはや外部知識なしでは社会が回らない。ハルの通う学園のような場所でもなければ、テストといえば検索力の活用テストになった。
「この世界はさ、私達のための世界だ。力を振るう事に遠慮することの無い世界。ここを守るためなら何だってするよ。ハル君もそうだったんでしょ?」
「……うん。そうだね」
そう語るユキの表情は遠くを見ていた。
彼女は何を見ているのだろうか。このゲームの行く末に思いを馳せているのか。それとも、彼女曰く『つまらない』現実を透視しているのだろうか。
疲れた頭のせいか、今は上手く読み取れない。
「そうですよー。ハルさんが力を抑えるなんてこの世界に対する損失ですしー。どんどん使いましょう」
「カナリー。居たのね」
「今はずっと居ますよー」
そう言ってカナリーが大きな姿になって出てくる。
<MP吸収>も手に入れた事によって、<神託>の使用を制限する必要はもはや無くなった。人間からだけでなく、神域の潤沢な魔力も吸収して自分の物に変えられる。
カナリーはずうずうしい態度で席に着き、お茶を要求してくるので、ハルは自分のカップを与えてやる。ポットには、まだメイドさんが用意してくれた暖かいままのお茶が入っていた。
「ナイショ話が出来ないねハル君」
「お気になさらずー、AIですので。ログは取られてるけど事件性が無ければ誰も参照しないものとして、どんどん密談しちゃってくださいねー」
「危ない言い方をするなカナリーちゃん」
「ハルは見せ付けていくスタイルなのね?」
ルナも調子が出てきた。
依然、負い目は消えないが、彼女らの前で気負う事はない。そう思うとハルの気分も少しずつ晴れていった。
「カナリーちゃんはさ、ハル君のあれ知ってたの? 勝つって分かってたみたいだけど」
「いいえー、でもハルさんなら負ける事はないと思ってました。それにー」
「にー?」
「このゲームでやらない方が良い事、そのいち。それは幸運の女神である私と、賭け事で勝負する事なんですよー」
カナリー流のジョークだとは思うのだが、笑うに笑えない冗談だった。
ユキは『そりゃそうだ』、と楽しそうにしているので、まあ良いのだろう。
*
夕食は庭で行われる事になった。立食パーティーと言うのだろうか。
大きなテーブルに真っ白なクロスがかけられ。その上に、これでもかという量の色とりどりのサンドイッチが並べられている。
藍色に薄暗くなった周囲を、たくさんのランプの灯りがオレンジ色に照らし出し、なんだか幻想的なコントラストをかもし出している。
一緒に食事はしないようだが、メイドさん達も勢ぞろいで壮観だ。
「ハルさん! 食べましょう!」
「うん、頂こうか」
待ちきれないといったようにアイリが手を引いてくる。以前のような恥じらいはない。力強くぎゅっと握り締めたそれはやる気の表れだ。
よほどの自信作なのだろう。ハルも期待に胸が弾む。
「アイリはどれを作ったの?」
「これです!」
「うん、肉だね。凄く肉だ」
語録が失われた。
それほどまでに肉肉しい肉だった。ブレッドから大きくはみ出したそれは、自らが肉であると雄弁に主張していた。つまり肉だ。
……ローストビーフ、のようなものだろうか。ハル用にだろう、大きめに焼かれたパンですらまかないきれないその大きさは、もはやステーキだ。
以前、トマトが肉以上にジューシーだと評したハルの内心を聴かれていたのであろうか。本当の肉を見せてやろう、というプライドを感じる威容。
だがローストだ。肉汁の飛んだお前で対抗出来るというのか。お手並み拝見といこう。
「いただきます」
「どきどき!」
かぶりつく。大口を開けて。かじるという意識では対抗出来ない。
パンと共に大量の肉を口の中に放り込み、かみ締める。
最初、何だこんなものかという思いがあった。やはり肉汁が足りない。だがすぐ後に、ハルはその考えを後悔する事になる。
まさに、絶品。
これこそが肉の味。硬そうに見えたそれは、ひと噛みごとにパラリと繊維にほぐれ、じわじわと味を染み出させてくる。
濃厚だが、単体では物足りない肉の味。それを辛めに和えられたソースが引き立て完成させている。脂の味、それが浮き彫りになって行くのだ。
噛んでも噛んでも肉が終わらない。こんなものがあっていいのか。
大きいということにも意味があった。見た目で圧倒する為だけではなかったのだ。自分は今肉を食べている、という実感を与えてくれる。命を食する生物であるという、本能的な部分を満たす歓喜がそこにあった。
「おいしい……」
「ハルさんは本当に美味しそうに食べますね。わたくしも嬉しくなっちゃいます!」
「そうかな」
「はい!」
少し恥ずかしくなってしまう。冷静さを取り戻すハル。
アイリも肉サンドを頂くようだ。小さいお口を精一杯に広げて挑戦している。
が、無理だった。すぐにメイドさんが現れて小さく切り分けてくれる。アイリはそれをおいしそうに口に運んだ。
大きいだけが全てではなかったのだ。ハルは反省した。
「全部食べていいのですよ」
「いや、メイドさん達にも残しておくよ」
流石に多すぎるし、彼女たちを見ればどうやら皆、肉を期待している眼差しだ。肉食だ。
もともと保存の効くものだ。後で食べても味は落ちる事無く楽しめるだろう。
*
食事も終わり、皆が散っていく。
ルナは就寝し、ユキは戦いに出かける。ユキはきちんと睡眠を取っているのだろうか。
ハルはいつものように客室でアイリとふたり。
今日は頭を休めないとならない。いつも以上にゆっくりとした時間を過ごしている。
「ハルさん、体調はいかがですか?」
「平気だよ。おとなしくしてれば良くなる」
何度目かの質問。元々そう心配する事でもない。
アイリを取り巻く騒動は、ひとまずの決着を迎えた。今後はのんびりと過ごしていけるだろう。
それを考えれば安いものだとハルは思う。
「お休みにはなられないのですか? そうすればもっと早く良くなるのでは」
「寝るって事だよね? それは無理。……あー、えっとね、僕は眠る事が出来ないんだ」
「そんな……」
「そんな顔しないで。そのおかげでアイリとずっと一緒に居られるんだし」
ハルは睡眠を取る事が出来ない。並列思考もその副産物、いや本来はそのためのものだった。
領域を分割し、ローテーションで休眠させる事で睡眠の代わりとする。
いつの間にかそれが逆転し、睡眠を取らなくても済む便利な機能になっていた。
ルナ以外は知らない事だ。
普段は口にするのを避けていたが、アイリの前では自然と言うことが出来た。
特に心に波は立たない。これなら平気だろうか、後でユキにも教えておこうとハルは思う。
「でも、それはお辛いのではないですか?」
「辛くはないかな。遊ぶ時間は増えるし。ああ、夢を見られないから、そこは羨ましく思う事はあるね。アイリはどんな夢を見るの?」
「わたくしですか? あまり良い夢は見ないですから、そんなに羨むものではありませんよ?」
「そっか、それも大変だね」
悪夢という奴だろうか。ハルには判断がつかない。
夢は記憶の整理と一般的に言われているが、心と同じで今も完全な答えは出ていない。
それが無いハルでも生きてはいけるので、きっとそこまで必須ではないのだろう。
「なら無い方がいいのかもね。僕も羨むのはやめよう」
「あっ、でも最近は良い夢を見ます! えへへ、ハルさん達の夢です」
「……それは、なんだか照れくさいね」
「えへへ、そうですね!」
頬を染めるアイリだが、その顔はまだ楽しそうに緩んでいる。
夢の内容を思い出しているのだろう。
それならばハルも対抗してみたくなる。
「んー、向こうの世界の僕は眠っているようなものだから、この世界が僕にとっての楽しい夢になるのかな」
「あっ! それは嫌です! 夢だったらハルさんが消えてしまいます!」
「そっか、確かにそうだ。気が回らなかったよ、ごめんね?」
「はい! 消えちゃだめですよ?」
そう言うとアイリは、ハルの居るベッドへといそいそと乗ってくる。
後ろに回られ、どうしたのかと思うと、頭を両手でぐぐーっと引っ張られる。横になれという事だろうか。
「でも、わたくしが夢に出てくるなら、それはやっぱり嬉しいです。消えちゃわないように、わたくしが引き留めておきますので、どうか今は良い夢を見てくださいね」
「まいったね……」
引き倒されてしまった。ひざまくら、というものだろう、これは。アイリの体温を感じる。
どんどん大胆になっている気がする。やさしく髪を撫でられる。
抵抗はさせてくれないようだ。ハルも観念して体の力を抜き、横になった。
横になるのも久々、いや、こちらに来て初めてだろうか。
「目を閉じてくださいねー」
「敵わないなー」
慈しむように、やさしく目を塞がれる。
「おやすみなさい、ハルさん」
「うん。おやすみ、アイリ」
眠る時はこういう気分なのだろうか。悪い気分ではなかった。
そうしてハルはしばし、この世界の夢を見る。




