第231話 雷雲と共に戦いの予感が訪れる
その後、カナンは数日を調査に当てて過ごした。調査、といっても実際のところ初日で調査出来る範囲はおおかたの場所は周ってしまっており、新たに劇的な発見は存在しない。
やっていたのは遺跡の構造の解析、一度帰還してのクライス皇帝への報告と銃器の引渡し。そして、他国の信徒との交流だ。
この戦艦、入り口こそ国ごとに分かれてはいるが、途中の水中エレベータから繋がるドーム状の待合室は全て同じであり、時にはそこで他国の者と行き会う事もある。
カナンにとって、他国の者は見慣れぬ異邦人であると同時に、鎖国中の身にとってはまたとない情報源だ。
しかも信徒。国に認められながら神を信仰している、憧れとも言える立場だ。彼らから多くの事を学ばんと、カナンは積極的に交流を重ねていた。
マリンブルーの信徒として、基本的に気さくなこの地に在住する藍色。そしてもう一方は、情報は武器とばかりに交流に積極的な商人気質の緑(いつの間にか数が増えていた)。彼らと有意義な時間を過ごせたようである。
そうしているうちに、ついに軍を率いてこの地へと侵入した青と紫、その二国がここまで到達した。
「お疲れ様、ディナ王女。流石の行軍の早さだ、恐れ入る」
「出迎えかたじけない、ハル様。……両軍とも、精鋭揃い。町の経由を必要としませぬので」
「野営か。中継点を自由に設定出来るのは強みだね。でも危険は無かった?」
「ハル様が見守って下さる場所に、何の危険がありましょうか」
「やっぱりバレてた」
ハルの護衛、いや監視の尾行は察知されていたようだ。だが神気で緊張感を与えていた様子は無いので、『恐らく居るのだろう』、程度だったと思われる。
彼らの行軍は徒歩と侮るなかれ。彼女が語る通りに精鋭である兵士は、魔法により、常人では考えられない速度でもって歩みを進めた。これを見ると、交通機関が発達しない訳だとハルも変な納得をする。
走ったり飛んだ方が速い、そして、万人がそれに追いついてしまっては戦略的な優位性が薄れてしまうのだ。
「それにハル様、急いだのには訳がある。既に季節は雨季に入っております。降られる前に、着いて良かった」
「ああ……、海を渡るものね」
今日も天気は気持ちよく晴れ渡っているが、暦の上ではこの世界はもう雨季に突入しているようだ。梅雨の代わりに、それなりに降るらしい。
雨が降れば当然水場は荒れる。海を渡った経験は無いだろうが、巨大な水辺を越えるのは危険が大きいと判断したのだろう。彼女の判断は正しい。
「その海だけど、渡る算段はついているの?」
「いえ、お恥ずかしながら。しかし、この国との交渉により港の船を借り受けられる権利書を得ています。これから交渉してくるとしましょう」
なるほど、そこはやはり海洋国家である現地にアドバンテージがある。聞けば大した見返りも無く発行してくれたようで、ディナ王女も何か罠があるとは理解しているようだ。
だが従うよりほか無い。流石に大人数の部隊で、物資を担いで飛んだり泳いだりして辿り着くのは現実的ではないのだろう。
「それなんだけど、ちょっと待っててよ。引き合わせたい人が居るから」
アベルから指揮を引き継いだ為か、その辺り実感が薄いようだ。ラズル王子はその辺りわきまえているようである。
ハルはディナ王女を連れ、近隣の港町へと入っていった。
*
その港町は、のどかな中にも活気に満ち溢れていた。他国からの客人や、プレイヤー達が大量に訪れる。まさに特需に沸いていた。
排他的な雰囲気は感じられない。稼ぎ時、というのもあるのだろうが、皆が神様の為にここへ集って居ることを知っているのだろう。国は違えど、神の為。
ここが最果ての地であるからだろうか。どの国とも接しておらず、戦の脅威とも無縁。そんな土地柄が作り出す気風なのかもしれなかった。
港町はハルが想像したような石造りの町ではなく、切り出した木材を中心に作られている。
劣化は大丈夫なのかと思ったが、そうそう数年で劣化するような脆さではないらしい。そして見渡してみれば、そこかしこに侵食の進んだ古い板と、張り直した新しい板が同居している。肉体が代謝するように、古くなった物は順次交換して補っているようだ。
生きている町、と言えよう。
「ハル様の圧は、ここでも健在か」
「……本当なら僕も気楽に観光したいんだけどね。仕方が無い。付き合わせて済まない、ディナ王女」
「お気に召されるな。私とて一国の姫。民草に混じっての安穏など、元より望むべくもありませぬ」
「そっか。お姫様も大変だ」
どちらかと言うと彼女はお姫様というより武家の棟梁といった雰囲気だと感じるが、口には出さないハルだった。気にしていたら悪い。
しかし、ハルがオーラを発してしまうのは仕方の無い事だが、それにしても住人の反応が異常な気がする。
ハルの存在に気づくと皆、率先して道を開け、中には膝を付いて祈る者まで出てくる。それこそ一国の姫を連れているせいかとも思ったが、ディナ王女の事は皆知らない様子だ。当然か、豪奢であるとはいえ、彼女は鎧姿だ。
そんな中を、ハルは少し居心地の悪さを感じながらも待ち合わせの店へと進んで行く。写真で送られてきた外観を見つけると、ディナと共に扉をくぐる。
するとその店の店主も祈りを捧げそうになるので、ハルは遮って理由を聞くことにした。そろそろ気になって仕方が無い。
「……はっ、貴方様は、あの神の船がこの地に現れた時、その波を鎮めてくださった。俺らの守人として、皆感謝を捧げているんです」
「あの時、僕の顔まで見てたって事? ええぇ……、こっから沖までどんだけあると思ってるの……」
「驚異的な視力だ。店主、ここの者は誰もがそうなのか……?」
「さすがに全員じゃありゃあせん。ですが、海に出る連中は大抵は」
その思いもよらぬ回答に、ディナ王女と共に驚くハル。魔法を使っているのだとは思うが、それでも望遠レンズ並みの視力を町民が一般的に持っているとは驚きだ。
そういえば、マリンブルーが『感謝のお手紙が届いている』などと言っていたが、あれは真実だったのか。
宿屋兼、食事処であるらしいこの店で、目立たない奥の席を用意して貰い、ハルは待ち人が来るまでディナ王女と食事を摂る事にした。
海の幸をふんだんに使った料理は、どれも内陸部では食べられない味でとても美味しく、王女は雑で豪快なペスカトーレのような物が特にお気に入りのようだ。このあたり、やはりアベルと姉弟なのだと感じられ、ハルの頬がゆるむ。
そうしていると、しばらくして待ち人の到来を店主が告げてくるのだった。
「お、遅れて申し訳ありません殿下。私、シルフィードと申します……!」
「良い。おかげで美味い料理にありつけた。マトモな料理は数日振りでな」
「それは、良かったです、ね?」
「うむ。兵には伝える事、まかり成らんぞ?」
「あ、それではこちらの匂い消しを……」
軍用糧食の味気なさを知らないシルフィードと、ニンニクの匂いに無頓着なディナが微笑ましい応酬をする。
この匂い消しは、女性プレイヤーがよく使うゲームアイテムらしい。リアル志向という体で売り出しているこのゲームだが、匂いのリアルさは時として不都合を生み出す。それを消してくれる便利アイテムのようだった。
ショップで安価に購入出来るので、女性プレイヤーに限らず男性でも結構所持しているらしい。ハルはその辺を科学力で解決してしまうので、まだ使った事は無い。
「なかなか気が利くなお主。私よりも姫らしいぞ、はは」
「え、あのえと、お戯れ、を?」
「シルフィーはお嬢様だしね。お姫様とも言えるか」
「もう、ハルさんまで……」
「愛い奴だな」
そんな愛い奴ことシルフィードと、ディナ王女の顔合わせを済ませる。今後は、彼女をリーダーとした青の契約者チーム、並びにアベルのファンクラブが瑠璃の軍勢のサポートに付く事になる。ハルの仕事も終わりだ。
藤の軍勢の、ラズル王子の方もハルを通すまでもなくミレイユと合流しているだろう。
シルフィードもミレイユも、ハルから魔道具の小型艇を複数購入している。現地にて罠かも知れない船を調達する必要は無いという訳だ。
その話に加え、戦艦について今分かっている事をディナ王女へとシルフィードは報告してゆく。
和やかな雰囲気を一転、一気に鷹の目へと表情を切り替えたディナは、巫女を連れて先に甲板へと行っているようにシルフィードに依頼した。流石の判断の早さだ。このあたりは、リーダー慣れした二人に似通った部分であるだろう。
戦艦の構造から、開ける扉の発見を最優先と導き出し、兵に先んじてその位置を探らせる。軍勢で接岸するのだ、効率を欠いては損耗する。シルフィードもその必要性はよく理解しており、すぐさま行動に移す。王女の護衛を案内役に、足早に店を出て行くのだった。
「あれが弟の部下か。話には聞いていたがな、優秀だ。……貴方の薫陶ですか、ハル様?」
「いや? 色々と協力はしてるけどね。協力しても貰ってる」
「……そこがやっかいな所だ。使徒は裏で皆、繋がっている。完全な我が国の味方とは言い切れん」
「そうだね。それに僕らは遊び半分だ」
命がけである彼女にこんな事を言うのも悪い気もするが、これも動かぬ事実だ。その認識を違えると、それこそ命に関わる。
「それは構いませぬ。彼女らは神の眷属。我々の常識が通用せぬことは重々承知」
気にした素振りは見せないディナだが、その表情の裏では何か高速で考えを巡らせているようだった。シルフィード達の扱いか。否、それも含むが彼女から聞かされた戦艦の最新情報についてだろうとハルは推測する。
あのまとめページのメンバーから共有されたのか、他国が明らかにした情報が新たにシルフィードからディナに伝えられた。彼女の言う裏での繋がりが、有利に働いた例と言える。
無論、今後はその逆もあり得るのだが。
「……ハル様、不躾ではありますがお願いがあります」
「聞こうかな」
「我らの軍にかけた<誓約>、この場で解いては下さらないか」
「……取り決めだと、解除は帰国した後に安全圏で、だったはずだけど?」
「理解しています。ですが、神の船の上はもはや別の国とも言える。もし衝突が起ころうとも、国交に問題は無いでしょう」
「戦艦の作りは、互いに争わせる仕様だ、と考えてるんだね」
「然り。別々の入り口、合流する広間、そして必要になる複数の鍵。……それは、“鍵の奪い合い”を示唆しているとしか思えませぬ」
頭の回転が早いことだ。その辺りはハルも同感である。しかし、だからこそ人死にを嫌うハルとしては<誓約>の解除はしたくないのだが、ディナの懸念も理解できる。
戦うべき時に、自軍が戦えなければ武人の名折れだろう。
「……分かった。ただし、ラズル王子の合意を得たらだよ?」
「当然だ。……感謝する、ハル様」
「うん、大丈夫だよ、君たちが争わずにここにたどり着けた時点で、当初の目的は達成出来ている訳だし。あ、帰りはまた掛けるからね?」
ここでの解除は気が乗らないが、<誓約>はその強制力によって不慮の事故を防止する使い方に留めるべきだ。NPCの自由意志を捻じ曲げる使い方は、あまりするべきではないだろう。
だが、それでも解除してしまうことで半ば、“この地での殺し合いを承認した”、という気分になってしまい、何となく心の靄が晴れないハルであった。
*
「雲が出てきましたね。今日のうちに着けて、良かったと言えましょう」
「真っ黒だ。あれは結構降りそうだね」
相手は代わり、ラズル王子と戦艦の甲板上でハルは会話する。
その海の向こうには、真っ黒な雷雲が姿を現し、雨季の到来を告げていた。彼の言うとおり、一日でもズレていたら降られていただろう。
その雲を見て、兵士達は物資の運び込みを急ぐ。
「中は生活可能な空間になってるけど、雨が続いて閉じ込められたらどうするの?」
「ご心配なく、使徒の方々が、ストレージで港町から調達してくれる事になっております。しかし……」
「どうしたの?」
「長雨で外界と隔離されるとなると、殺人事件でもおこりそうですね。はは」
「いや笑い事じゃないでしょ王族……」
なんだろうか、『空中戦艦殺人事件』、だろうか? そういった密室の概念は、どこの世界でも一緒なのだな、とハルは妙な感慨にふける。それともカナリー達が持ち込んだ文化か。
しかし暗殺を警戒しなければならない王族の彼らには、冗談では済まない。この船には、他の国の者達が乗ってくるのだ、疑心暗鬼や罪のなすりつけ、なんでもござれの空間だろう。
「……本当に<誓約>解除しちゃって良かったの? 僕としては断って欲しかったんだけどなあ」
「申し訳ない。しかし私も、ディナ王女の気持ちと同じですので」
王子の承認を受け、ハルはもう彼らの<誓約>を解除した。今は、別々の扉へと荷物の積み込みを行っており、両軍が共に行動する時間はもう終わりのようだ。
「少なくとも一国は警戒する必要が無くなる利点はありますけどね」
「そのメリットを優先してよね、まったく……」
とはいえ、密室で動きが取れない状況に陥る訳にはいかない、という警戒が先に立つのは仕方ない。それが人間心理というものだろう。
争いが起きぬよう、今度はハルがこの地で直接目を光らせれば良いだけの事。
「しかし、迅速に行動したとは思ったのですが、我々はむしろ後発でありましたか」
「ああ、先に三国……、まあうち二国は反則じみた方法で信徒だけ送り込んだから、君らが軍を率いてるメリットは大きいよ」
「軍としては、実質二番手ということですね」
ハルとアイリの黄色を除けば、残りは橙色の一国を残すのみとなった。その橙色も、信徒のみの身軽な立場で国を出て、既にこちらに向かっている。そう間をおかず、ここへと到達するだろう。
全ての国が揃った時、何かが起こる。プレイヤー、NPC問わず、皆それを予感しているようだった。
※誤字修正を行いました。誤字報告ありがとうございました。(2023/5/5)




