第227話 狭くて広いこの世界
その後、細かな協議を重ねた両国の王子達は、日の暮れないうちにそれぞれの国へと帰路へ就いた。
ハルが信徒クロードを操って見せたことから、誓約を掛けられるという事については納得を得られたようで、その方向で話は進んで行く。あとは本番、実際に兵士達に魔法を掛ける当日までに、ハルが習得を済ませるだけである。
「では、私もこれにて。……そうです、この建物は、どうなさるのですかな?」
彼らを見送り、最後まで残ったフランツ卿も帰宅するようだ。今回のお礼にたっぷりとお土産を持たせる……、のは飛んで帰る都合上、可哀そうなので、後で自宅にお礼の品を届けよう。
彼が気にしているのは会議に使ったこの建物。邪魔だから片付けておけ、という意味ではなく、出来れば残しておいて欲しい、という感情が見え隠れする。
国境付近のこの場所、監視所として使えると考えているのだろうか。そうでなくとも頑丈で設備の整った建物だ。何かに利用したいだろう。
「ああ、解体するよ。……使いたい気持ちは分かるけど、僕が居ないと扉も開かないんだ、諦めてくれ」
「そうでしたか。残念ですが、仕方がありませんな」
ハルが発電しなければ、自動ドアもただの堅牢な金属の壁だ。内部に入る事すら適わない。
無人となったその建物を<魔力化>にて元の魔力へとハルは戻してゆく。まるで幻であったかのように、瞬く間にこの場は何も無い平原へと戻っていった。
「いやはや、なんと凄まじい」
「驚いてくれたかな?」
「ええ、ええ。それはもう。まさに神の御業。神の使徒様というのは、まっこと凄まじいものがありますな」
「こんなのハル君だけだから。ウチらを一緒に考えられちゃうと、ちょっち困るかなー?」
「いえいえ、私などから見れば、どの方も例に漏れず奇跡の体現者ですぞ!」
施設の解体を見届けたフランツ卿は、アイリへの挨拶を済ませると、部下と共に魔法で空を飛んで首都へと帰って行く。かなりのスピードであり、スムーズな魔法発動は鍛錬の度合いの高さを感じさせた。
「飛行する魔法を使えるのって、かなりのエリートの証なんだっけか。だよね、アイリ?」
「はい、そうなります。割合で言えば、使える者の方がずっと少ないでしょう」
「でも僕らのスキルの<飛行>よりも、燃費は良さそうだよね」
「レベル低いうちはホントすぐ落ちちゃってたよねー<飛行>は。あれと同じじゃ、ドリルおじさんも帰れないよ」
「あの<飛行>は魔法というより、超能力のカテゴリなのよね?」
ルナの言うように、レアスキルとして設定されている<透視>や<念動>などと同じく、スキルの<飛行>は超能力としての扱いのようだった。厳密に言うと魔法ではない。
それが何を意味するのかも気になるところだが、神によって用意されたスキルはまだまだ解析には至っていない。
「……さってとー、終わった終わったー!」
おじさんの見送りも終わり、二日に渡る会談が終了すると、ユキが大きく伸びをする。動きの無いこの会議は、彼女にはずいぶんと退屈であったようだ。
「とはいえ、ハルのおかげで予定よりも早く終わったのでしょう? 本来ならばあと二、三日は続いていたでしょうし」
「うげー、私きっと途中で抜け出しちゃってたなー……」
互いに攻撃を行わないと納得できる良い案が出るか、出なければ、ある程度分かれて行動するなど落とし所を付けられるか。そのように会議は長引いただろう。
「ハルさんの機転が利きましたね! 胃薬に忍ばせて、ナノさんを植えつけておいたのですよね?」
「この世界の人たち、抵抗する術無いもんねー。ハル君えげつな」
正確に言えば、大量に食べた食事をナノマシンの餌として使える形へと変換する、その薬剤をクロードに飲ませた。
おかげで食べ過ぎた食事全てが消費され、結果的に体調も戻っただろう。完全に嘘ではない。
「あれは筋肉にエーテルで信号を送って、手動で誓約させた、ということかしら?」
「うん。そして僕が期日までに魔法を覚えられなければ、兵士の全員にそれをやる事になる」
「うわぁ、強引……」
今回は何とか誤魔化せたが、体を操るのは実際の誓約魔法とは内容が異なる。ハルは分かりやすさ重視でクロードを操ってみせたが、誓約魔法にそのような効果は無いはずだ。
誓約の名が示すとおり、何かを“させない”事に重点を置いた効果のはず。操って、何かを“させる”事は出来ないと思われる。
ならば体内から操る技術は誓約の上位互換かと言えば、決してそんな事は無い。ルナが言うようにこれは手動操作で行わなくてはならないので、一度掛けてしまえば済む誓約魔法とは手間が天と地ほどに違う。
二部隊の兵士達を常時監視していなければならないのは、ハルでも普通に面倒だ。
「これなら僕が行軍に同伴して、喧嘩があったらその都度、その場で制裁した方が楽だったな……」
「気持ちは分かるけれどハル。それではきっと承認が下りないわ?」
そう、王子達を、そして彼らの国を納得させるには弱いのだ。致し方ない。
しかしこれで、彼らが行軍を始める日までに誓約魔法を覚える必要が出てきてしまった。普通なら、無茶もいい所であるが、これについては幸いモノから一度お墨付きを得ている。ハルにも使用可能なはずだと。
ウィストが押し付けてきた理由もそれだろうと思われる。ハルになら使えるので、任せても構わないだろうと。
「まあ、ひとまず僕らも戻ろうか」
「はい!」
息苦しい会議は、とりあえずの決着を見た。元の予定よりも早く済んだのだ、今は少しばかり、彼女たちと休憩しても構わないだろう。
*
お屋敷へと戻り、皆と普段着に着替えてくつろぐ。丁度良い事に、モノも遊びに来ていたようだ。折を見て誓約について尋ねるとしよう。
だが今はお茶が飲みたいようで、その丈の長すぎる袖で、くいくいっ、っと引っ張って行かれる。そういえば、メイドさんも総出で会議所のお手伝いをして貰っていた。
「ハル、遅い、よ? 寂しかったんだから、ね?」
「ごめんねモノちゃん。カナリーは相手してくれなかったの?」
「……カナリーはお茶を淹れてくれない、んだ」
「カナリーちゃん、お茶出すくらい出来るでしょー?」
「お茶出しましたよー? 冷えたお茶、美味しいですよー?」
出かける前にメイドさんが用意しておいてくれたアイスティーをずっと飲んでいたようだ。今もお菓子を食べながらストローでちゅーちゅーしている。
そしてソファーに寝そべってごろごろしている。怠惰であった。
モノは暖かいお茶が好みのようで、カナリーが適当に取り出して来た冷えたお茶だけでは満足できなかったらしい。そんな彼女の為に、メイドさんが帰って早々ではあるが準備に奔走していた。働き者であった。
「どうぞ、モノ様」
「うん、ありがとう、アルベルト」
「……アルベルト?」
「はい、旦那様」
見れば、メイドさんに紛れて同じ衣装を着たメイドアルベルトがモノにお茶を注いでいた。どうやら一緒に連れてきてしまったらしい。
先ほどまではキリリとした背の高い執事だったのが、今は柔らかい笑みを浮かべる小さめのメイドさんだ。毎度の事ながら、完璧な演じ分けである。
特に何か言う訳でもなく、屋敷のメイドさんに紛れて仕事に戻って行ってしまった。戻ったばかりで仕事が多いだろうから助かるが、謎だ。
「ハル、お話聞かせて、よ。ぼくの船に来るための会議、してたんで、しょ?」
「ああ、そうだね。近いうちに二国、追加で行くことになると思うよ」
「そうなんだ、ね? ぼくの方には、また調査団が来た、よ?」
「へえ、そっちも聞きたいな」
そうして互いに情報交換に励むハルとモノ。モノの語る話は、かなり興味深いものだった。
どうやら、今回の探索には早くも二つ目の国が参加したらしい。とは言っても、NPCの調査団が送り込まれた訳ではなく、ほとんどの人間はプレイヤーであったようだが。
「……この短期間に良くやる。モノちゃん、どこの国だか分かった?」
「さあ、ね? ぼくはこの時代に詳しくないから、さ。でも、使われた鍵の色は緑だった、よ?」
「緑……、商売が得意な国だったか……」
「ですねー、東側のお隣さんですよー。ハルさんは東とはあまり、関わりが薄いですよねー」
「そうだね。関わりがあるのは、ずっと東端の赤の国まで飛んじゃう」
その間に存在する緑、そして橙色の国にはまだ接点が無い。その国の神とも、出会った事が無かった。
ハルの友人の廃人プレイヤーが商売でのし上がって行っているようで、今回の件も彼の差し金の可能性が高いだろう。
「……まあ、聖印を持ってくのは難しく無いだろうね。僕みたいに、聖印だけストレージに入れてワープすればいい」
得意の営業トークに物を言わせて、口八丁手八丁で聖印を借り受ければ、使徒だけで戦艦に入り込める体制が作れる。
内部の発見物については、商業の国らしく契約書でも交わしておけば横領は不可能だ。使徒は、法律によって保護された契約を破る事、すなわち犯罪になるような事を犯せない。
しかし、ハルのその推測はカナリーによって訂正が入った。
「それは無いんじゃないですかねー? 契約書のあたりは合ってると思いますけど、たぶん聖印をお金で渡すことはしませんよ彼らはー」
「商売人であっても、信仰の方が大切?」
「はいー。信仰を高めるための、商売ですからー。信仰がお金より絶対的に上位ですー」
「あそこを守護する神の方針、だね。ぼくの居た頃から、変わってない、よ」
「なるほど?」
地球でよくあるように、“お金を信仰している”状態にはなっていないようだ。お金の魔力に抗うとは、凄まじい信仰心である。
では、戦艦へと入った部隊の中には、少なくとも一人は信徒が入っていた事になる。ハルの居るこの国を挟んで更に先となる距離から、一体どのようにこの期間でたどり着いたのだろうか。
そして、国境はいかにして越えたのだろうか?
「実は小型の飛行艇とか実装されてる? 僕はこの世界の移動手段、馬車くらいしかまだ知らないんだけど」
「無理じゃない、かな? 最近の事はぼく、知らないけど、ね?」
「無理ですねー。そこまで便利な物はありませんよー。第一、小型艇があるならば、当然のように大型の飛行船が行き来してるでしょうねー?」
「……まあ、そうだよね。でも科学技術の正当な進化ルートじゃなくて、小さな物なら浮かせる魔道具があるかも知れないじゃない?」
「まーたしかにー。……ハルさんの世界は、今はそんな風なんでしたっけー?」
「そうだね。小さな物の方が簡単だ」
エーテルはナノマシンである性質上、小型から大型へと、発展は従来の逆ルートを辿る場合が多い。いかに無駄を削るかに難儀する従来よりも、いかに出力を上げるかが課題となる。
こちらの魔法も同じかと少し考えたハルだが、そこまで一致してはいないようだ。
飛行は、まだ個人がそれぞれ単体で飛ぶに留まっているらしい。丁度、首都まで飛んで帰ったあの彼らのように。
「あー、わかりましたー。飛べる人にお金払って、抱えて運んで貰ったんですよー。いい商売ですねー?」
「カナリーみたいに、だね? ハルに抱っこしてもらってたの見た、よ」
「ですよー?」
「いやそれでも、大陸横断はキツくないかな? いかに燃費に優れているとは言っても、他人を抱えてとなると……」
「うーん……、とはいえ、実際に現地に一人居るのは事実ですからねー? ハルさん、覗き見出来ませんかー?」
「黄色で侵食してるのは中枢部だけだからねえ……」
いつでもモノに会いに行けるように、中央司令室は転移用に侵食を済ませた。しかしその他は未だ手付かずだ。状況を盗み見る事はまだ出来ない。
だがカナリーの言うとおり、実際に一人そこへ行っているのは事実。いくらあり得ないと言った所でそれは覆らない。
「早馬を札束で買い叩いて乗り継いで、関所も賄賂で突破したかも、ね?」
「モノちゃん買い叩くの意味違くない?」
「札束で頬を叩いて買う、んだよ?」
……嫌な買い方だ。そしてこの世界に紙幣は無いはずだ。
しかし、それも難しいようにハルは思う。この世界の人々も、日本人と比べて特別に体力に優れているようには感じられない。
町ごとに早馬を乗り継ごうと、人間の方の体力が持たないだろう。地下鉄に乗って目的地まで過ごすのとは訳が違う。乗馬は乗り手にもかなりの体力を要求されるのだ。
「ヒルデみたいに鍛えてるならともかく、商売の国じゃクロードみたいな感じだろうしね」
「わかりませんよー? 山のような商品を日夜運んで、むっきむきかもですねー?」
「むっきむきかー……」
いや、むっきむきでも厳しいだろう。思った以上に全身運動で、鍛えた兵でも長距離の行軍は難儀していたはずだ。
他にも考えられる事はいくつかあるが、いずれにせよこの場で話し合っていても確証は取れない。いずれ当人と実際に会う事もあるだろう。その時に、聞いてみれば良い。
その信徒について考えるのは後にし、今度はハルの方から会議であった事をモノに語って聞かせる。
今の時代の情勢などにモノは興味があるようで、ハルもアイリ先生から教わった各国の力関係などを思い出しながら必死に語って聞かせていった。
特に瑠璃の国の王子アベル、その家系の話がお気に入りのようで、セレステが神域から彼らの祖先を追い出した話には大層おかしそうに笑っていた。
そうして、話はようやく誓約の魔法、その内容へとたどり着く。以前、モノが語っていた話へ繋がると知り、彼女も嬉しそうな顔を見せる。
「いいよ、教えてあげる、ね? 大丈夫、大丈夫、分かっちゃえば簡単だから、さ」
そうして両国の王子から再び連絡があるまで、ハルはモノから魔法を教わって過ごすのだった。




