第221話 君を逃がさない、その手を離さない
ハルが辿り着くと、ユキはハルが停止していた方角へ向けて全速で駆けている所だった。
ログアウトして以降はパーティメンバーの検索がきかない。本当に、一直線で駆け抜けるつもりなのだろう。
そんな視野狭窄に陥っているであろう彼女にも分かりやすいように、<光魔法>で輝きを放ち、その進行方向へとゆっくり降りて行く。
「あぁーー! ハルぐぅぅぅん!!」
「おーよしよし、泣くな泣くな」
「心配だっだんだがらぁ……」
「ごめんて、ごめんごめん。僕が軽率だったね」
「起きたらハルくんいなくて、私が、余計なこと言ったから、って、そう思ったら……、でさでさ、ゲームに戻ったらハル君が変なエラー出てるって……」
「うん」
ハルに抱きついてまくし立てるユキの話をじっと聞く。どうやら、ハルに出たエラーの情報はパーティメンバーのユキにも伝わってしまったようだ。それで心配をかけてしまった。
その情報を伝えたであろう、白い部屋のセフィにはちょっと言ってやりたい事もあるが、これは衝動的に飛び出してしまったハルの責任だ。
己の意思で行動する事を優先するあまり、ユキたちが心配する気持ちを軽視していた。
「駄目なんだからね? 勝手に危ないことしたら? 本当、駄目だからね?」
「うん、ごめんね」
「ほんとだよ? 約束だよ?」
「約束する。だからユキも、今度はこんな無謀なことしないでね。そのドレス、僕の操作が無いと機能を100%引き出せないんだから」
「わ、わたしはいいの……」
「だーめ」
お互いに、お互いの無謀な行動をしばらく窘めると、ユキに腕を抱えられて、ハルはゲーム内へと戻って行く。
国境を跨ぐと、かすかではあるが体に触れる魔力の感触が復活し、今まで自分は魔力の無い場所へ出ていたのだ、という実感が改めて出てくる。
確かに、これは得も言えぬ安心感があるかもしれない。いずれ、ハルもこの感覚が傍に無いと不安を抱くようになっていくのだろうか、アイリのように。
「ユキ、ゲームの中に戻ったよ。ログインできる?」
同様に、エーテルが、ナノマシンが空気中に一切存在しないこの世界は、それに特化したユキにとって不安しかない場所だろう。
そんな場所へ、不安に押しつぶされそうになりながらもハルを迎えに来てくれた事に、申し訳なさと同時に深い嬉しさがこみ上げてくる。それほどまでに想ってもらっているという事実に。
しかし、ユキはログインしないようだった。ポッドから出て、お屋敷から離れたためログインするのに問題が生じているのだろうか。
「まあ、このままでも大丈夫だよ。<転移>で戻るけど平気?」
「うん。だいじょび」
やはり、ちょっと大丈夫そうではないので、ハルはユキを連れ急ぎお屋敷へと戻るのだった。
*
アイリの屋敷、アイリの部屋へと戻ると、少し座標の指定が甘かったようで、アイリの体がベッドの上へと<転移>してしまった。ぽすん、と軽く彼女がふかふかのベッドにバウンドする。
「ふえ?」
「ごめんねアイリ、起こしちゃったね?」
「ハルしゃん」
「うん」
「ユキしゃんもいます」
「夜中にお出かけしてたら、ユキに捕まっちゃった」
「まぁ」
ぽけぽけー、っとまだ寝ぼけ眼だ。寝かせておいてあげよう。
ハルは彼女をベッドの中へそっと戻すと、すぐに再び寝息を立てはじめた。そのかわいい寝顔を愛でながら、ハルはアイリの髪の毛を優しく梳いていく。
「なんだか、すごく悪い事をしている気分……」
「ん? アイリを起こしちゃったから?」
「いや、奥さんが寝てる間に浮気してるのを見られた感じ」
「おい」
落ち着いて調子が戻って来たのは良い事だが、例えが酷すぎる。
別にハルはアイリに無許可で外出していた訳ではない。ハルが眠れない事を理解しているアイリは、『わたくしが眠っている間、ずっと傍に居る必要はありません』、と言ってくれている。
とはいえ、普段は本体はアイリの横に残り、どこかに用事があっても分身して行くことが多いのだが。
そんな浮気相手である所のユキちゃんは、奥さんを目の前にしてもまだハルの傍を離れるつもりは無いようだ。再び腕をぎゅっと取ってくる。
……よほど不安にさせてしまったらしい。ハルも特に何も言わずこのままにしておく。
メイドさんを呼ぶと、静かに入室してきて、何も言わずとも二人の為にお茶とお菓子を用意してくれる。
そんな優秀すぎるメイドさんに感謝を告げ、ハルは部屋の一角のソファーへ、腕を拘束されたまま腰掛ける。ユキも素直にそれに続いた。
「……怖かったでしょ、エーテルネットの無い世界。落ち着いた?」
「まだ、ちょっと。でも、ハル君助けなきゃって思ったら、居ても立っても、いらんなくて……」
「それであんな無茶を」
「無茶したのはハル君だよぉ……」
「……あーうん、ごめん」
ハルにとっては大した無茶にも入らない、などという理屈を口にする場面ではないだろう。
彼女にこんなにも心配させてしまった。その時点で、大いなる無茶なのだ。反省しなければならない。
「ユキは良く僕を化けモンって言うじゃない。もっと信用して良いんだよ、僕の化け物度をさ」
「でもでも、ハル君は化けモンだけど、でも人間で……、人間はちょっとしたことで、死んじゃうし……」
「死なないんだなーこれが。一度、実際に見てもらった方が良いかもねその辺」
「やだよぅ、そんな怖いとこ見たくない……」
随分と気弱だ。これは本当に止めておいた方が良いだろう。ハルが致命傷から余裕で復活する場面など見せては、ユキの心臓の方がショックで危なそうだ。
やるにしても、プレイヤーとしてのユキの時が良いだろう。
……そういえば、今回ハルのエラーを受け取ったのは、当然ながらプレイヤーのユキだ。彼女の行動基準では、ハルが多少危ない事をしても特に気にしないと思ったのだが。
さすがにエラーは看過できなかったのか。それとも、最近は活動の多い肉体のユキに影響されて、少しずつプレイヤーの方の行動も変化しているのだろうか。
別に、彼女は二重人格ではない。お化粧をして気分が切り替わるように、性格のスイッチをオンオフしているだけである。どちらも、同じユキの意識。
肉体と、プレイヤー、その間の壁は曖昧で、相互に影響を及ぼし合うのかも知れなかった。
「じゃあハル君は、私がこの体で、一人で外に出て行こうとしたら……」
「止めるよ、もちろん。行かせはしないさ」
「だったら、ハル君も……」
「それはちょっと理由が違うんだよね。どっちかってと、僕の独占欲によるところが大きい」
「独占……、ハルくんが、わたしを……」
腕を掴む力が強くなる。当たり前のようにユキのその大きな胸が、むぎゅう、と押し付けられるが、今はそういう事を指摘する場面ではない。ハルは思考の一つにその感触を押し込んで、煩悩を封じ込める。
まあ、自分は例外、自分だけは大丈夫、という話など納得されまい。今後は、一人で無茶をするのは控えよう。
「となると、巡りめぐって元の位置に戻って来たわけだ。……何をやっているのだろうね、僕も」
「どゆことハル君?」
「いやなに、ここの所は色々考えてたじゃない? それで、ユキ達と足並みを揃えすぎるのが仇になってるのかな? とこうしてみれば、それこそ逆効果だった訳で、僕も迷走してるなぁってね」
「あぅ、私が変なコト言ったからだ……」
「ユキのせいじゃあないよ」
これは定めきれないハルの行動指針に全て責任があるだろう。ユキは、そこを気遣ってハルを引っ張って行こうとしてくれたのだ。
それを無視して一人で行動したのはハルである。
実のところ、錯綜する思考が纏まりきった訳ではないのだが、心配をかけてしまうよりはマシだろう。セフィに言われたように、しばらく時間をかけて考える事にした。
その後もぽつりぽつりと、不安を漏らすユキを安心させるのに時間を掛けることにするハルだった。
◇
そうして過ごしていると夜明けも近くなり、うっすらともう外も明るくなってくる。
そんな時間に、日本へと戻っていたルナもログインして合流してきた。夜明けのズレた日本では、もうすっかり朝が来ている時間のようだ。
「おはよう二人とも。……どうしたの、ユキ?」
「おはようルナ。捕まっちゃったんだ」
「ルナちゃん、おはよ。ハルくんがどっか行かないように、捕まえてるの」
「もう行かんて」
「……??」
当然、伝わる訳もないのでルナにも経緯を説明する。ハルがゲーム外の探索に行った事、そこでまたあの白い部屋に招かれた事、ユキが心配して追いかけてきた事。
それを聞いたルナは、心なしかジト目を深くして、呆れ顔だ。『何やってるんだコイツ等は』、といった感情がありありと伝わってくる。
「何をやっているのかしら、あなた達は……」
「正直申し訳ない」
「ごめ、ルナちゃ」
「ユキ、そういう時は、旦那様を信じて待つのが妻の務めよ?」
「私、奥さんじゃ……」
「お黙りなさい? もう半分奥さんよ、あなたの状況」
「ふえぇ……」
「なんか知らんがユキが怒られてる」
苦情はハルに来るものと身構えていたのだが、ルナはルナで特殊な思考回路を持っているようだった。
どうやら嫁論について、一家言持っているようだ。
もしくは、自分が責められて場を収めようというハルの考えを良しとしなかった、という事かもしれない。ルナは何だかんだ言ってハルに甘い。
「まあいいわ? 結果的に、状況は進展したようだし」
「??」
ルナはハルの腕を放さないユキを見て、そう結論付ける。
彼女はずっと、なかなか進展しない二人の仲にやきもきしていた。これを機にユキの感情に変化がある事を望んでいるのだろう。
「ハルからも、もっと動きなさいな」
「ハ、ハル君はもう動いちゃ駄目なの……!」
「……いえ、そういう事ではなくてね?」
ユキがまた、ぐいぐいとハルの身を引き寄せてくる。勝手に何処にも行かせない、のポーズのようだ。
……さっきからずっと腕を取ってくるのはそういう意味だったのか。胸の感触を頭の隅に追いやる事に必死で気がつかなかった。そんなハルの動揺を察したルナが、ハルにだけ伝わるようにこっそりと邪悪な笑みを送ってくる。
「まあ、僕は日和見主義なので、ユキの感情を優先するよ」
「うんうん、ハル君は出掛けちゃだめ」
「……まだイマイチ噛み合わないみたいね、この子は」
ハルとルナの二人と、ユキの差している言葉は微妙にずれているのだった。
「ところで、そんな日和見主義のハルが、今回は何で急にそんな行動に走ったのかしら?」
「行動そのものは衝動によるところが大きいんだけど、最近は状況が停滞しすぎてる気がしてね」
「停滞大好きなハルでしょう?」
「停滞を謳歌する為には、必死で場を整えないといけない事もあるものさ」
停滞したくとも、周囲がそれを許してくれない事だってある。砲火の吹き荒ぶ中、のんびりする事は出来ないだろう。
ならばその環境を、のんびりとするのに相応しい状況へと整えてやらねばならない。『楽する為に努力する』、と似たような物だ。
「理想の開発状況を整える為に、死ぬほど忙しいフローチャートを序盤でこなして社長レベルをマックスにするようなもの」
「クリヴィレなんて、エンドレスモードがあるんだから地道に適当にやっていれば良いじゃない」
「私の知らんゲームだ……」
ルナとやるのは開発系のシミュレーションゲームが多い。それらはユキの趣味ではなく、置いてきぼりになりがちだ。
「それで、進展はあったのかしら?」
「まあ、それは大分ね。明確な事は分からず終いだったとはいえ、かなりの新事実が判明したよ」
「聞きましょう?」
ハルはルナとユキに、ゲーム外にあった謎の壁について語り始める。
その外については隠し通されてしまったが、あの壁、結界とでも言うべきか、その存在を知る事によって、見えてくるものは非常に多かった。
残念ながら、更なる調査はセフィによって封じられてしまったが、それが無くてもハルは深入りはするつもりは無い。……叶う事なら、何があるか確認だけはしたかったが。
「じゃあ、やっぱりこのゲームは巨大なシミュレータだった、とか? その壁は限界範囲で……」
「ユキ、それはありえないわ? ……その考えの方が、現実的に納得の付きやすい結論ではあるのだけれどね?」
「ルナちゃん、なして?」
「ハルの存在があるからよ。ハルは、日本でも魔法を使えるわ?」
「……そか、アイリちゃんも、連れ出してしまえる」
「そうだね。僕もそう思う。ワールドシミュレーターなら、非可逆のはずだ」
……実は、ハルは現実に影響を及ぼすシミュレーターが絶対に無いとは言わない。それでも、そんな強力な干渉を及ぼす世界にしては、あそこまでしか存在が無いなど範囲が狭すぎる。
それこそ宇宙全てを詳細に模倣動作した世界でなければ、強度が足りないだろう。
故にここは、宇宙の何処かの別の星か、もしくは平行世界のような別の宇宙、そういった場所のはずだ。
「……どこか別の星、って可能性も今のところ当てはまらなくてね。黒曜がいつも星座を見てくれてるんだけど」
「《はい。データにある宙図とは、一致する並びは存在しません》」
「でもさ、その壁ってのが偽者の空を映し出してたら……」
「そうだね、ユキの言うとおり、その可能性はある」
「……そんな事に本当に意味が? ……いえ、つまり壁の役目は、その先の何かを覆い隠すため、という事かしら?」
「推測だけどね。でも、地面がそこまでしか無い、って可能性よりずっと高そうだ」
空の星を偽装しているとは限らない。しかし、何か見せたくない物があるのは確かなのだ。きっとあの先には、見えない壁に覆い隠された何かがある。
それは、いったい何なのだろうか? もしや、人類はまだ生き残っており、外の世界で虎視眈々とこの世界の魔力を狙っているのだろうか。
それともやはり人類は滅んでおり、その絶望的な光景を見せない為の、神々の優しさなのだろうか。
いずれにせよ、ハルの身にかけられた誓約が解けない限り、その探索は不可能になってしまった。
だが“何かがある”事はハッキリしたのだ。ならば何があっても良いように、十全に準備を整えよう。
「まあ、怪我の功名と言うか、今後の方針は決まったのは良かったよ」
「そのセフィって神様をぶっとばすんだね?」
「いや、力を蓄えようって事だけど……、まあ、ぶっとばせる位に準備を整えようって意味では、同じか」
「レベル上げだ!」
「そうだね」
方針の定まった時のユキは頼もしい。キャラクターの体に入れば、またぐいぐいとハルを引っ張っていってくれるだろう。
まずは今イベントとして進行している戦艦騒動、そこから順番に片付けて行く事になるだろう。
「という訳でもう暴走はしないから、そろそろ手を離さない?」
「……まだ、安心できない」
……どうやらしばらく、ハルは彼女に捕まったままで居なくてはならないようだった。




