第220話 彼は彼女を信ずるか
ログアウトする。確かに、非常に簡単な解決法だ。この部屋に精神を捕らえられているのも、元居たあの場所で謎のエラーが出るのも、プレイヤーとしてログインしているからだ。
普通のユーザーであればログアウトすれば地球に戻ってしまうが、ハルは肉体ごとこの世界へ来ている。ログアウトすればあの場所で意識を取り戻し、謎の壁が、そしてその先がどうなっているか徒歩で確認しに行けるだろう。
「……いや、どの道、ログアウトする訳にはいかない。ログアウトすれば、カナリーとのリンクが途切れ、再度<降臨>するレベルも確保出来ていない」
《でもハルは今、選択肢としてすらログアウトの存在を思い浮かべなかった。聡明なキミとしては、ありえない状況じゃあないかい?》
「……何が言いたいのさ。僕だって割と凡ミスはするっての」
思い込みが強すぎたり、常識に囚われすぎたりして、簡単な発想が出てこない事もよくある。
それどころか、最近は最適解を選び、最善手を打てたと思っても、思わぬ展開に翻弄され慌ててばかりだ。ハルを過大評価しすぎではないだろうか。
《意図的に、キミの思考が誘導されてるって事さ。心当たりは無いかい?》
「くっそ、あからさまに疑心を植えつけてきやがった! 双方向とか言うんじゃなかった」
もっと一方的に、神の如く問い詰めてやればよかったのだ。色々と聞き出してやるはずが、いつの間にか会話の主導権を握られている。
双方向である事の弱点を、ハル自ら証明してしまった。
「……まあいいさ、心当たりっていうなら、カナリーちゃんしか居ないだろうね。セフィ自身が思考誘導してマッチポンプしてる、っていう情け無い展開を除けばだけど」
《うーん、挑発してくるねえ。オーケー、宣言しよう。僕は君に洗脳じみた特殊な思考誘導はかけていない》
「ただし言葉での誘導はする、ってかい?」
《その通り》
であるならば、やはりカナリーだろう。ハルにログアウトを意識させないよう干渉しているのは。
「……まあ、カナリーちゃんなら良いか。それだけ僕を必要としてくれてる、って事だし」
《……おやおや、随分とあっさりと受け入れる。もう少し、動揺するものだと思っていたのだけど。君達に信頼関係があるとして、いや信頼しているからこそ、ショックは大きいんじゃない?》
「信用するって設定したからね。彼女への信託は、既に済ませた。それに、こんな頭してるからかね、深刻にはなり難いんだ僕は」
延々と思考のループに陥るのを、別の並列思考が許可しない。
それに、味方と定め、裏切らないと宣言した彼女と、まだ味方とは言えない目の前の彼の言葉、どちらを優先するかなど分かりきっている。
《残念だ。疑心暗鬼に陥ってくれるかと思ったのに》
「それで時間稼ぎできるって? 趣味悪いなぁ……」
あわよくば、カナリーを問い詰める為に屋敷へ戻る選択をするだろう、といったところか。
そもそもカナリーが何かを隠しているのは今に始まった事ではない。今更の問いだった。
「でも、その話題は少し興味が出てきたね。その思考誘導って、どうやってるの?」
《ええぇ……、メンタル強すぎじゃない? まあいいか。この世界の、このゲームの成り立ちについてはもう知っているんだよね》
「うん。モノから、大よその事は聞いたよ。詳細な歴史はまだ講義の最中だけど」
《お茶の席での語り草だから、進行が遅いんだね?》
「堂々と覗き見するなっての……」
《ごめんごめん。……それでだ、重要なのはそれ以前の歴史、古代にあたる部分の情報が一切語り継がれていない、という部分だね》
「神の国の住人となる代わりに、それまでの文化を語り継がないと民に誓約を課した」
《その通り》
ここまで言われれば理解できる。つまりはハルにも、同じ要領で誓約がかけられているという事だろう。
“暗示”、のようなものだろうか。ログアウトの事を考慮に入れないように、思考に制限をかける。今は普通にログアウトについて考えられているし、普段も違和感は無い。
つまり“ログアウトについての記憶を消す”、といった処理ではなく、“なんとなく選択肢に上がり辛くする”、というものだろう。そう推測できる。
「アベル王子にかけるように頼んだ強制効果と似たような物か。あれは強すぎたというか、梔子の国自体に干渉できなくしちゃったせいで、出国すらおぼつかなくなってたっけ」
《それよりは弱いね。さすがに『ログアウト禁止』は規約違反だ。そんな事をすれば、このゲームが日本の警察に目を付けられちゃうからね》
……要は、『やろうと思えば出来なくもない』、ということだ。なんとも背筋が薄ら寒い話である。そんな事件が起こらないよう、お願いしたい。
ハルに掛かっている暗示も、ごく弱いものだろう。精神の不調は常に別の思考同士で相互にチェックし合っている。
もし仮に、重度の精神干渉を受けたとしても、その思考を凍結、最悪の場合は削除して干渉を切り離せるのが、複数の思考を持つハルの強みだ。
カナリーを擁護する気持ちも入っているだろうが、問題にするほど重大な干渉では無いと取れる。言ってしまえば、『ずっと私の傍に居て』、という事だろう。可愛いものだ。
「でも、何の許諾もせずユーザーへ暗示が掛けられるのは気になるね。……元々、そういう規約が盛り込まれていた?」
セフィが先ほど語っていた、ログインした時点で同意した規約。ここに強制的に精神を閉じ込めるのと同列か。
となれば、運営に必要な機能として、最初から盛り込まれていた事になる。そこで思い当たる物と言えば……。
「NPCへの攻撃禁止や、犯罪禁止。あれも同じ誓約を使った制限か……」
《本当に鋭いねえ。カナリーも苦労するよねこれじゃあ》
「……褒められてるのに僕が悪いみたいになってる」
NPCに対する攻撃不可、あれも既存のプログラムで判定するにはかなり難度が高い技術だ。
プレイヤーからの“害意の判定”などというものは、個人差も含めれば非常に曖昧で多岐のパターンに渡り、それをリアルタイムで判定するとなると、それだけでゲーム一本分の処理能力を食うだろう。
そこは、どうやら誓約によって解決していたようである。
「まあ、何にせよ、僕が違和感を抱いていないなら、僕にとって害が無いって事だよ。揺さぶるネタとしては少し弱い」
《……本当にそうかな? もしかしたら、違和感はあったのかも知れない。それすら、君が認識できていないとは考えられない?》
「だろうね。違和感はあったと思うよ? だけどきっと、その違和感を消したのは僕自身だ」
《というと、どういうこと?》
「記憶を消したんだろうね。自分で。原因の究明よりも、違和感を消すことが重視されたんだ、きっと。それは恐らく、利害が一致してたんだよ」
ハルとしても、この世界を離れたくない気持ちは変わらなかった。そのため、『何故かこの世界を離れてはいけない気がする』、という謎の違和感からくるストレスを消すために、自分で記憶を弄ったのだろう。その気持ちは、自然な事だと。
その時から、アイリの傍を離れる気は一切なかったのだ。
《……まいったよ。本当に規格外だね、君は。これは僕の負けだね。……渾身の一枚だったんだけどなあ、今のカードは》
どうやら、疑念を植えつけるのは諦めてくれたようである。
しかし、これによってハルの方も気がついた事がある。セフィの手番が終わったというのならば、今度はハルからそこを突かせてもらうとしよう。
◇
「反撃に移る前に、確認しておくか。黒曜、この世界に来てから、僕が自分の記憶を消した、ないし書き換えた記録は?」
「《はい、ハル様。一件の該当がございます。ちょうど、ゲームを開始してすぐの頃になりますね》」
「やっぱり」
《うわ本当に自分の記憶弄ってたよ……、ドン引きです》
「うわって言うな。AIが引くな」
やはりハル自身で違和感を削除していたようだ。逆にこれは、セフィの語るようにカナリーが思考誘導をかけていた証左ともなりえる。
カナリーに対する文句は今は良い。後で本人をおしおきしよう。そして、少しばかり感謝も伝えよう。引き留めてくれて、ありがとうと。
今すべきことは、彼女が何を目的としてハルをこの世界に繋ぎ止めようとしたか、それを考えること。
「アイリの結婚相手として……、は違うね。そこはきっと、この世界に居させる理由作りと、僕への報酬のためだ」
《本当にドライな判断をするね君は。普通なら怒らない? 『アイリをダシにしやがって!』、って》
「さて? 普通じゃあないもので」
どのような理由があったとて、彼女に引き合わせてくれた事には感謝しかない。その部分の感情も、既に整理してある。
そして今はハルのターンだ。聞き流させてもらおう。
「普通に考えれば、僕が滞在することで何かメリットがある。魔力の増加、は別に僕じゃなくても良いよね」
《そこは個人の才能によって左右されないからね。君の世界のナノマシンと同じだ。大事なのは、使い方》
どうやら、個人ごとに生み出すエーテルの量は大差ないようだ。気軽に情報提供してくれて助かる。彼にとっては、常識中の常識なのだろうけれど。
では何だろうか。時間経過によって、魔力以外にも何かが増える。その可能性を探って行く。
「カナリーが僕にべたべたとくっ付きたがるのも、それが理由だったり?」
《どうだろうね? 単に君の事が好きなだけかも》
それはそれで有り難いことだが、その可能性は低いだろう。……いや、ハルが嫌われているという事ではない。他にも何か理由がある。
考えられるのは、やはり<神託>と<降臨>のような特殊スキルだ。彼女は特に用の無い時でも、<神託>による通話を繋ぎたがった。
「僕が傍に居ると、経験値みたいな何かが増えるとか。増える、増えるか……、それがもしかして、さっき言ってたタイムリミット? 何かが増えて、一定量まで溜まれば、何かが起きる」
《そうやって、『何か』ばかりじゃ推測とは呼べないねー。何が増えるのかまでハッキリさせなくっちゃ、何も分かっていないのと変わらない》
「……増えてる事は否定しないんだね」
《おっとまた口が滑った》
随分と滑りの良い口だ。そのせいで、翻弄される事も多いのだが。
しかし確かにセフィの言うとおり、これではまだ何も分かっていないに等しい。これまでのカナリーの行動を鑑みて推測するか、もっと彼に口を滑らせるように仕向けるかせねばなるまい。
《悪い顔だなあハル。仕返ししてやろうって顔に出てるよ》
「実際に思ってるからね、仕返ししてやろうって」
彼女との絆を揺さぶろうとした分の対価は吐き出して貰わねば。
考えられるとすれば、関係の有りそうなのはやはりハルへと渡した彼女の神気だろうか。あれもハルの為であったのは確かだが、やや強引だったのは否めない。
しかしながら、彼女の望みについて考えるときに常に枷になるのが、カナリーは『現状に満足している』、と語っている事だ。
額面どおりに捉えれば、カナリーは特に企てを、自分からアクションを起こさずとも目的が達成可能になる。つまりは神気の譲渡については必須条件とはならないということだ。
「どこまでが自動進行の範囲なんだろう。本当に、ただ僕が突っ立っていればそれで良いのか。それとも、僕の性格からくる行動予測まで含めての計算なのか……」
ハルが一人で唸り始めると、会話相手の居なくなったセフィも視線を外して虚空を見上げる。何らかのデータを参照しているのだろう。
いや、それ自体はこの体の動きに関係なく常に行えるはずである。ならばこの仕草は、ハルへと見せるための動作だ。要は、何か伝えたいということか。
「……どうかした? 何か見えるの?」
またこちらの思考を邪魔するための罠かも知れないと思いつつも、ハルは律儀にそれに乗る。
何だかんだ言って、彼との中身のあるのか無いのか分からない問答も楽しかった。
《ああ、考え事してるところ申し訳ないけどね。どうやら迎えが来たみたいだよ》
「迎え? まだ朝には早いはずだけど……」
気になってハルも外に意識を向ける。時間の経過は特に外と変わらず、やはり夜のままだった。この部屋だけウラシマ現象が起きているということは無い。こんな殺風景な竜宮城はお断りである。
ハルの肉体の周囲に迎えの姿は見えず、続いて意識は<神眼>へ。アイリの様子を確認するが、彼女はまだ夢の中だった。
アイリが気づいて駆けつけて来た、という訳でもない。ハルの精神状態が落ち着いているからだろう。彼女の安眠を妨げる、有事を表すような精神波は出さなかったようだ。
であれば、誰が? そう思いパーティメンバーを検索してみると、ユキがヴァーミリオンの国境沿い、この地へと至る、“ゲームの出口”までやってきていた。
《中々面白い事をするよね彼女。思い切りの良さではハル、君以上だ》
「あの子、自分の肉体をストレージに入れて持ってきやがった……!」
国境、魔力圏ぎりぎりまでたどり着いたユキは、いそいそと倉庫空間から自分の肉体を取り出すと、その場に横たえて躊躇う事無くログアウトする。
そうして起き上がると、今度はおろおろと暫くうろたえた後、意を決してドレスを身に纏うとゲーム外へと一歩踏み出した。
「うん。帰る。すぐ帰る。セフィ、先に進まないと約束するから、ここから出して?」
《オーケイ。……“誓うかい?”》
「“誓うよ”。……やれやれ、ちゃっかりしてる」
恐らく今ので誓約に縛られたのだろう。ハルがこの力を理解した途端に交渉材料にしてくるあたり、やはりやり手だ。今は時間が惜しい、飲むしかハルに選択肢はなかった。
《じゃ、またね。楽しかったよ》
そう言うが早いか、ハルが挨拶を返す前に、一切の余韻無く白い部屋は消え去った。迅速なのは嬉しいが、挨拶くらいはさせて欲しい。
しかし、今はユキが心配だ。ハルは全速で来た道を<飛行>して戻るのだった。
ハルが自分の記憶を弄っていた部分は、もう少し詳細にした方が分かりやすかったかも知れませんね。ただ、記憶が消えた事を詳細にしすぎるとホラー感や、それこそ読んでいて疑心暗鬼が出てしまいそうなので、さらっと流すに留めました。
どちらが良かったのでしょうね。ちょっと考える部分です。




