第219話 この世界の最果ては
「……やっぱりここか。だと思った」
一瞬意識が途切れたと思えば、ハルは再び白い部屋に招かれていた。
自分の身を確認してみれば、キャラクターの体を用意されてそれに入れられているようで、肉体は外に置いてきたのだと理解できた。
だが外にある肉体に意識を向けても、そちらはぴくりとも動かなかった。
「脳の信号が全部こっちに来てる。強制ログインってとこか。……大丈夫か、これ?」
主に法とか。あと倫理とか。
《今キミはこのゲームにフルダイブしてるんだから、体は動かないのが普通じゃないかな?》
ハルが愚痴っていると、また何の前触れも無くこの部屋の主、ハルと雰囲気の似た、線の細い少年が姿を現した。
彼と顔を合わせるのはこれで何度目だったか。図らずも、この空間に再び侵入するという予定の一つは果たせた事になる。
「……建前はともかく、キミが敵意ある存在だったら致命傷だ。これ、体にキャラクターのコアを埋め込んでるのが原因かな?」
《そうだね。更に言えば、ログインしているのが原因だよ。ログインした時点で、こちらの規約に同意しているからね》
「もはや誓約みたいな規約だこと……」
これがゲームであり、彼らがゲームマスターであると改めて実感する。
運営である神様たちの事は信用しているが、一応、こういう事も出来るのだという事は常に念頭に置いておいた方が良いだろう。
《少しぶりだね、いらっしゃい》
「こんばんは。またお邪魔するよ。……今回は、GMに呼び出された感が余計に強いね。なんだい? あのエラーコード」
この部屋に呼び出される直前の事をハルは思い出す。表示されたエラーコード、そして謎のエラーメッセージの羅列。
ゲームとして、かなりよろしくない状況のようだった。『貴方、何をしたのですか? 不正行為ですか?』、と運営に呼び出され説明を求められる状況。普通のゲームのそれに近いとハルは感じた。
《それを『ユーザーの皆様にご説明する事は出来ません』、というのは、キミも良くわかっているはずだけど。……納得しなさそうだね》
「そりゃあね」
《あの先に行かせる訳にはいかない。何としても。……そういうことだよ。だから、強行策を取らせてもらった》
つまりは、今日はここに迷い込んだのではなく、ハルは彼によって招き入れられたのだ。そこも、今回の異常性を表している。
「あの先には何が有るの?」
《さあ? どうだろうか。もしかしたら、あの先には何も無いかも知れないよ?》
「む……」
この感じも、久しぶりだ。この世界が確固たるもので、この地は地球のような広大な惑星の一部だ、という半ばハルの中で確定事項となった部分を揺さぶられる。
やはりこの世界は神様が作ったゲームで、あの見えない壁の先には、“先の世界”なんて存在しないのかも知れない。
天の星も、美しく輝いていた月も、スクリーンに映し出された偽者で、広大に見えた海の先はどことも通じていない。球状に切り取られた、フラスコの中の模型。
……そんな錯覚が、ハルの脳裏をよぎる。
「…………いやいやいや。この世界の魔法が地球にまで影響してるんだ。そんな小さな世界のはずがない」
《おや、揺れないね? しばらく会わない間に、この世界に、確信が持てたかな?》
「確信は無い。でも、疑念は持たない事にした」
《なるほど? キミは確固たる意思でここに来た、という訳だ》
……そう言われると、少し弱いハルだ。
確かにここを目指した意思、最後の行動決定のそれ自体はハルの意思によるものだが、そこまでの経緯はブレブレだ。仲間達に言われるがまま、二転三転している。
確固たる意思で来たというよりも、何か確固たる指針が欲しくてここに来た、と言えそうだ。
《あはは、目をそらしちゃった。……でも大丈夫、時間はまだまだあるさ。己の心なんて、じっくりと定めれば良いよ》
「時間、ねぇ」
まだ時間がある、ということは、逆に言うと『明確なタイムリミットがある』、ということにもなる。そんな意味深な事を言われて、じっくりなどという気分にはならない。
どうにか、“この先”についての情報が得たい所だった。
「そもそも、魔力がある場所がゲーム内なんでしょ? なんでこんな先に陣取ってるの?」
《さて、何でだろうね? もしかしたら、ここまでが本当のゲーム内なのかも知れないよ?》
「……なるほど。魔力は増える物だものね。いずれ、魔力圏はここまで到達する、そのために先んじて、引いておいたパーティションライン。……って事か」
《頭の回転が早いねえ》
別に、今この場で全て考えた事ではない。前々から、気になって考えていたことだ。
決定的なのは、マゼンタがゲーム外に埋まった遺産を起こしてNPCを襲わせた時だ。物騒ではあるが、あれも一種のイベントとして考えられる。であれば彼は、ゲームの外にイベントを仕込んでいた、ということだ。
潜在的な、将来的なゲームの建設予定地。そのために確保した、未だ空白の領地。
《ならば、本当の限界点はここ、って事になるね? それなら、そこで話はおしまいだ。『どうか、定められたゲームの範囲内で遊んでください』、ってことになる》
「それでも出たいって言ったら?」
《出すわけにはいかないよ。何度でも、止めさせてもらう》
「だったら、せめてこの先はどうなってるのか教えて欲しいものだけど……」
今までの、『ここは危ないんだけど、仕方ないなあ』、といった雰囲気は無い。絶対に、ハルを出さないという、それこそ確固たる意思を感じた。
出せないと言われてしまえば、気になるものである。どうにか出てみたいとハルが思ってしまうのも仕方ないだろう。
「……ところで、今回は追い出しはしないの?」
《優先順位の問題だね。ここから意識を戻せば、キミはまた壁の外に出ようとしてしまうだろう? そうしないと確約が得られるか、誰かがキミを迎えに来るまで、時間稼ぎをさせてもらう》
「む、確かに、朝になっても戻らなければ迎えが来ることも考えられるけど……」
その場合は、彼女らに危険が及ばないようにハルは自分で帰宅するだろう。ハルの性格をよく理解していると言えた。
だが逆に言えば、これもタイムリミットまではこの部屋で自由に活動できるということだ。普段なかなか来れないこの部屋。それを探索できる絶好の機会だ。
……運営としては、非常に嫌な客だろう。
ハルは期せずして訪れたこの白い部屋、その解析に意識を向けるのだった。
◇
<神眼>で魔力の流れを見ると、相変わらず視界を真っ黒に埋め尽くすほどのデータの奔流がこの部屋には渦巻いている。
データの出所はプレイヤー達の活動か、はたまたゲーム内の環境の制御か。ダンジョンやモンスターの魔法的プログラムを一手に引き受ける部屋、という線も考えられそうだ。
「キミは、この部屋で何の仕事を?」
《答えられませーん。社外秘の情報になります》
「いいじゃん、ほぼペーパーカンパニーなんだから」
当然のように教えてはくれない。だが、これは規約だなんだというよりも、彼の意思で開示しないといった印象が強い。
この運営、神様たちは、日本にある運営会社としての実態は殆ど重要視していないようだ。この前も現地、日本側の経営担当であるアルベルトが、最近はゲームの売れ行きが中々好調で、いくらいくらの資金が集まった、などと雑談交じりに機密情報を教えてくれたくらいだ。
「そうだ。……アルベルト!」
《増援を呼ぼうとしないの。来させないよ?》
「ちっ」
呼べば来ることに定評のあるアルベルトも、この領域には気軽に転移して来れないようだ。やはりここは、制御室のような、神界の中でも特殊な空間らしい。
怒涛の勢いで流れ込むデータの解析、その補助にアルベルトの助けがあれば作業も捗ると思ったのだが、そう上手くはいかなかった。
「さっぱり分からん。これはまいったね、どうも」
《キミが規格外とはいえ、人間に処理できるデータじゃあないからね》
彼はそんな膨大なデータを、変わらぬ姿勢のまま、部屋の中央に軽く腰掛けたままで表情ひとつ変えずに処理し続けている。
きっと二十四時間、毎日休むことなく。ブラックにも程があるだろう。
彼もAIだ、それもきっとこの作業の為に最適化された。辛いとか疲れたとか、ましてや飽きたなどという感情は持ち合わせていないのだろう。
なんとなく、現地で信仰されている七色神、見える部分の運営とは様相が異なるAIであるようにハルは感じる。
これがカナリーならば、きっと三日で投げ出すだろう。
「そういえば、キミの名前って何なの?」
《ん? 名前か……、そうだね、セフィって呼んでくれれば良いかな。よろしく》
「ハルだよ。よろしくセフィ。……もしかして今決めたの?」
名前を呼ばれる事すら、今まで無かったのだろうか? そう考えると、少し寂しい。
彼がこの部屋で仕事を始めたのはいつからなのだろう。このゲームのサービス開始からか、この世界をゲームにすると決めてからか。あるいは、この地へと人を集めた百年以上前からずっと……、なのだろうか。
ハルは自分も床へと腰を下ろすと、セフィと目線を合わせる。まだ、ハルの方が少し視線は高かった。思った以上に小柄な少年だ。
そして印象が薄い。カナリー達は見た目もキャラクター付けも印象濃く設定しているのに、セフィにはその気はまるで無いようだ。
《僕からは情報は得られないよ? これでもデータ処理を司る神様だ。プロテクトは誰より強固だよ。……少なくとも、モノをくすぐったがらせてるウチはまだまだかな?》
「うあー、やーめてー。……ってか、あれって、くすぐったかったのか」
ハルが解析しようとするたびに喘ぎ声を上げる、やっかいなモノのセキュリティを思い出し恥ずかしくなる。
セフィが言うには、あれはモノに体を探られている感覚を与えてしまうから駄目らしい。進入されている事にすら気づかせず、静かに情報を入手する手腕が必要なのだとか。
「……でも、解析出来ないからといって情報が得られないとは限らない。見えて、言葉を交わせている段階で、そこが進入経路になっている」
《完璧に、“神の如く在る”ためには、干渉は一方的でなくてはならない》
「双方向である時点で、神を地に落とす手段があると同義であるね」
いかに、その神が地を割り天を裂く力を持っていたとしても、言葉を交わすことが可能である時点で付け入る隙がある。
交渉し、篭絡し、欺瞞にあざむく。故に力が強いだけでは絶対の神にはなり得ない。
絶対である為に必須なのは力の強弱ではない。常に一方的であることだ。一人用のゲームをプレイする時の、プレイヤーのように。
《……それでも、ハルは僕と本当の意味で言葉を交わす事が出来てはいないかも知れないよ? 会話が成立しているように見えるのは上辺だけで、君の言葉はどこにも届いていないのかも》
「……まーた意味深なコト言ってはぐらかそうとするー」
AIに感情があるのか否か、人間では判断できない理由として有名なものだ。相手が意思を持って発言しているのか、単なる反射行動なのか、明確にする術は無い。
だがそれは、なにもAIに限った事ではない。人間同士であっても同じことだ。故に彼のこの発言は、ハルを煙に巻こうとしているに過ぎなかった。
「僕に情報を与えたくないなら、出てこなければ良かったのは動かないよ。……そうだね、さっきの、タイムリミットは何のリミットなのか。さしあたって、それが知りたいかな」
《まいったねえ。口が滑ったかな?》
全然まいっているようには思えない。表情は変わらず余裕そのもの。注意しなくてはならないのは、わざと口を滑らせた事も十分ありえる事だ。
双方向ということは、当然そういう危険性もある。相手をあざむく権利は、当然向こうにも存在するのだった。
その中から自分にとって有益な情報を吟味し、また論理的に絶対に動かない情報を探り出さねばならない。
《このまま会話を続けていたら、本当に情報抜き出されちゃいそうだ。化かし合いは苦手なんだよね、僕》
「どの口……」
絶対得意だ。百歩譲って化かし合いは苦手だとしても、一方的に化かすのは絶対に大得意だ。間違いない……。
だがこの場は、一時的にハルが有利である。セフィは以前のように、ハルを時間切れで追い出して会話を打ち切る事が出来ない。ここから出してしまえば、ハルはまた世界の果てを踏み越えようとしてしまうからだ。
なら姿を隠してしまえば良いのだが、そうする気も無いようだ。それは何かの制約か、それとも彼の矜持か。
であるならばこの機会に、セフィから何かしらの情報を引き出しておきたい。ハルはそう考える。
《……ハル、どうしても君があの壁の向こうを見たいというなら簡単な方法があるのに、どうしてそれをしないのかな?》
「簡単な方法? いや、思いつかないけど……、悔しいけどこの部屋の強制力は絶大だ。僕の知識と技術じゃ、抜け出せるとは思えない」
《いいや簡単だよ。本当に、単純なコトだ。ログアウト、してしまえばいい。それだけでハルは僕らのゲームの、全ての影響から自由になれる。あの壁に遮られる事も、無くなるだろうさ》
そんな、どうやって会話を組み立てて行こうかと思慮していたハルに向け、不意打ち気味にセフィから提示されたのは、本当に簡単な方法。
ログアウトしてしまえばいい。ゲーム開始以降、ハルが一切行ってこなかった、その提案だった。




