第215話 彼の内面とその葛藤
相反する自身の感情を含めて、情報が錯綜している感がある。少し整理しておこうとハルは思う。
まずは事の始まり。シルフィードとミレイユが、ハルを訪ねてきた。
これは、どうやら彼女たちがそれぞれ属する二つの国、青色の瑠璃と、紫色の藤。この両国が協調路線を歩むために、どちらの国とも程よく距離を取っている、黄色の梔子、ハルの国に調停役をして欲しいとのことだ。
両国は断続的に戦闘状態にあり、直接対話に臨んでも触発は必至。それで間に立つものが必要という訳だ。
これは彼女らが接触可能な権力者、それぞれの国の王子の意向も含んでいるようだ。
さて、ではそもそも対話が必要になった理由は何か。
それは両国の隣、この国とは逆側の東に位置する藍色の群青の国と交渉する必要があるからだ。
群青の国は、この七色の国の東端に位置し、海に面した国である。国力はさほど大きくないものの、その独自性を生かし、両国と渡り合ってきた。
その海上へ突如出現した戦艦。円盤状をした、神話の時代の遺物だ。この利権に関わる問題が、今回の発端となった理由であった。
普通なら、その国の領土に出現した物だ、その国に権利があるだろう。
だがその船は、信徒の持つ神殿の鍵を介して、どの国でも乗船可能だとの神託が降された。
その神の言葉を理由に、両国は群青の国への介入を目論んでいる。
理由は当然、自国の戦力増強の為、それがまず一つ。そしてもう一つ、ここで指を咥えて見ていれば、敵国の戦力増強をみすみす承認してしまう事と同義であるからだ。
「そもそも、この三国の力関係ってどうなってるの?」
席を同じくするアイリとカナリー、そしてモノ。ハルよりもこの世界の情勢に詳しい彼女らに、そのあたりの事情を聞いてみる。
確か、三つ巴と言うほどには、パワーバランスは拮抗してはいなかったはずだ。
「はい! 軍事力では、当然ながら瑠璃の国が一歩抜きん出ていますね」
「ですねー。あの戦闘馬鹿のセレステが居る国ですからねー」
「ですが、いかに強大な軍を保持しているとはいえ、それを全て外部に回せる訳ではありません。他国への侵略はそこまで苛烈では無いようです」
「ですねー。セレステも、特に統率を取るつもりは無いようですからねー」
「カナリーちゃんとは違った方向で、放任主義なんだね」
青の国、瑠璃は軍事国家。武神であるセレステが君臨する戦闘国家だ。
やはりと言うべきか、軍事力のグラフはトップのようだ。ここ梔子の国にも、このゲームの開始直後に早速ちょっかいをかけてきた。
だが、その血の気の多い性質上内乱も多く、全ての軍事力を有効には使えていないようだ。
「南に位置する藤の国は、軍事力では劣りますが、魔法技術において優勢です。その優位性を持って、侵攻を食い止めているといった感じですね」
「ぼくの戦艦が沈んでた群青の国は、海に面してるという利点からの経済力や輸送力の高さが売り、だね? まあでも、隣の二国から比べると総合的には少し劣る、かな?」
「そうなのですね! わたくし、群青については詳しくありませんので、教えていただけると嬉しいですモノ様!」
「任せて、ね? でもアイリ。ぼくに敬語は要らないって言った、よね?」
アルベルト同様、人の上に立つ気は無いらしいモノだ。何度かアイリにこう言っているが、なかなか慣れないらしい。
明確にへりくだっているアルベルトには、メイドさんと同じようにと意識する事で何とかなっているようだが、友達感覚のモノにはそうはいかないらしい。
神話の時代、まだ七つの国が制定される前の出来事を語って聞かせてくれる生き証人でもあるので、先人として無意識に敬ってしまう所もあるようだ。
「じゃあ、交渉すると言いつつ、パワーバランス的には青が優勢なのか」
「そうなるのでしょうね。ですが、さすがに二国同時には相手に出来ない。連合を組まれたら今度は一方的に不利になってしまう。それ故の、事前協議でしょう」
「じゃあ、交渉が実現しても青が有利かな? いざという時に力押し出来る、という武力を背景にした威圧はどの世界でも有効だろう」
対等、などと語っても、前提条件まで全て平均にして会議に臨むなど不可能だ。脳裏には必ず、実際の国の背景がちらつく。
強気に出たくとも、『もし全て反故にして武力で来られたら』、という懸念は消せはしない。
「それはどうでしょうねー? ハルさんとの友好関係、それを盾にむしろ藤の国が強気に出るかも知れませんよー」
「僕の? なんでさ。……ああ、結婚祝いに来たって縁かな?」
「ですねー」
カナリーが、軍事力のパラメータだけではなく、政治的な感情値まで含めた見地での補足を入れてくれる。
確かに政治的に見れば、『贈り物をしてやった』、という貸しの面があるのだろう。ハルの心情は、また別として。
「それに、瑠璃の国は、わたくしへの求婚を断られた事からの関係悪化が存在します。我が国も含めて考えれば、総合的には藤の国優位とも言えるでしょう」
「正直、僕はその辺を考慮してあげるつもりは皆無なんだけど……」
「調停者の鑑、だね?」
「いや、単純にあの関係に特にメリットを感じてない」
「あの国の策略に巻き込まれただけですからねー。でも、政治なんてみんなそんな物ですよー?」
「そんなもんかね」
「はい! そこを一切気にすることなく、個人の好悪を優先できるハルさんが特別なのです!」
そう言われると、なんだか自分勝手に振舞いすぎているように感じてしまうハルだった。
無論、アイリは純粋にハルの事を褒めてくれていると分かっているが。
「それなら、ハルは望みの国に肩入れして、どちらかを贔屓する事だって出来る、ね?」
「アドベンチャーゲームで、どっちと共闘するか選ぶ選択肢みたいだね」
「わたくし知ってます! 選ばれなかった方は、イベントが消失してしまうのです!」
「二周目で回収だね。……この世界は、二周は出来ないけどね」
「肩入れするならセレステの居る瑠璃の方ですかねー? あの国を傀儡として、世界の覇権を取りに行きますかー?」
「行かないが……」
だが、そういった選択も取れる機会でもある、ということだ。
折衝役は空気であるに留まらず、二つの国の力関係に無視できない影響を及ぼす。それが何となく分かってきたハルだった。
◇
さて、外の事情の他にも考えるべき事はある。己の、ハル自身の心情だ。
ある意味流されるまま、国政に深く関わる事を是とするか否とするか。その定義はそろそろ付けておいた方が良いだろう。
ここが、相反する感情が出てしまっている部分だった。
アイリのため、そしてカナリーのため。役に立てるのならば首を突っ込むのも吝かではないと感じている。
一方で、流されるままにカナリーの代理となり、国政を左右する立ち位置へと登らされるような今の状況に不満を覚える自分も居る。
ハルが、人の上に立つことに対する野心に燃える、言うなれば“支配欲求”のような物を強く抱いていたならば、ここで何ら違和感など覚える事は無かっただろう。
これを足がかりに徐々に国政へと介入してゆき、ゆくゆくはアイリと共に国王の座へと上り詰め、国の実権の全てを握る。輝かしい、栄光への架け橋だ。
ハルと似た立場を得たプレイヤーが居たならば、それを目指す者は多いだろう。ミレイユもそうかも知れない。
だが、ハルにその気はまるで無かった。
支配欲が無いわけではない。むしろ人よりもハルは強い方であろう。
だがその対象は個人へと向かう所が大きく、アイリやルナ、ユキなどの女性達を、己の伴侶として独占していたいという部分が強い。王として国民を率いたい、という欲求は希薄であった。
これも、まるで無い訳ではないのだが、『絶対に正しくは導けない』、という事から来る自己矛盾、そのストレスの方が大きい。そのための忌避だ。
「ハルさんは相変わらず、覇道には興味が無さそうですねー」
自身の内面について、思考を巡らせていた意識を、カナリーの言葉が浮上させる。
この覇道という言葉、カナリーはよく使用するように思う。彼女は、ハルに覇道を邁進して欲しいと、そう誘導したいのだろうか?
「カナリーちゃんは、どうして僕をそんなに覇王にしたいのさ?」
「それは勿論、ハルさんにNPCの管理を全部任せちゃえば、私が楽できるからですよー?」
「忌憚の無い率直なご意見をどーも……」
身も蓋もなかった。面倒なら始めなければいいものを、と思うが、そう思ってしまうくらい大変なのは確かだろう。
いや、そんなに大変な物を人に押し付けないでもらいたいのだが……。
嘘をつかない彼女たちだ。これ自体は偽らざる本音なのだろうけれど、恐らくはまだ語っていない理由があるのだろうとハルは感じている。
それが分かれば、素直に誘導に乗ってやる部分もあるのだが。
「良いですよー、覇王はー。攻め落とした国のお姫様、お嫁さんにし放題ですよー」
「定番だね。その手のは大好きだよ僕も」
「むむっ、それにしては反応が薄いですねー?」
「お姫様は、アイリ一人で十分間に合ってるからさ」
「ふおっ!? ふ、不意打ちでしたー……」
「アイリ、愛されてる、ね?」
「はい! わたくし、幸せものです! ですが、ハルさんが各国の美姫をご所望とあらば、わたくし、反対する事はいたしませんよ?」
「アイリ、せっかくカナリーちゃんの陰謀を跳ね除けたのに、軌道修正しようとしないの」
ハルがズルズルとカナリーの誘導に乗ってしまっている理由の一つに、アイリの存在があることは大きい。
彼女はカナリーの信徒、その崇拝の度合いは非常に大きい。無意識に、カナリーの意に沿うようにと話を進めてしまう所があった。
「むー。陰謀じゃないんですけどねー?」
「陰謀じゃないなら、きちんと説明して欲しい……」
そろそろ、ここに踏み込む頃合いだろうか。カナリーが、神々がこの世界とNPCの彼らに何を望んでいるのか。
それを探るにも、世界全体を巻き込んだこのイベント、戦艦を中心とした騒動は良い機会だろう。
「……戦艦の話にもどろっか。結局、カナリーちゃんは何で今回、神託を降ろさなかったのさ?」
「それって、わたくしとこうしてお話できるから、ではないのですか?」
「ちょっと違いますねー。アイリちゃんとのお話は、システム的な神託とはまた別です。アイリちゃんも、私とのお話、全部を国に報告しなきゃいけなかったら大変でしょー?」
「大変なのです!」
「……そもそも国に上げられない話ばっかだよね」
その辺の報告はどうしているのだろう。国とのやりとりは、全てアイリに任せたままであるが。
ハルがそう考えると、その心を読んだアイリからすぐに答えが返ってきた。
「カナリー様とのお話で、必要だと思った事は、わたくしの方で選別して報告しています。と言っても、そう多くはありませんよ? プレイヤーの皆様に関わるお話は、伏せておりますし」
「カナリーちゃん、お菓子食べてだらだらしてばっかりだもんね?」
「むー! アイリちゃんはそんな中から、国政に対する重要部分を汲み取ってお手紙書いてるんですよー?」
「それ、アイリが凄いだけ、だよ、ね?」
「モノちゃんまで、もー」
まあ、さりげなく雑談の中にもヒントを混ぜて発しているのだろう。汲み取るアイリも凄いが、カナリーもカナリーで仕事はしているらしい。
「だから戦艦の話は、特別にするまでも無かったってこと?」
「というよりもー、さっき言ったようにイベントの現段階は、もうハルさんが片付けてしまってるんですよねー」
「あの球体作るやつ?」
「それは次の段階ですねー。まだ開示されてない情報になりますー。つまり、次も神託無しですねー」
「ふむ?」
どうやら情報は、段階的に開示されるらしい。今は、各国が鍵を持ち寄って、内部の扉を開いていく段階か。
それが済めば、次はそれぞれの国が動力炉のビットを作成し、戦艦の動力を供給する。そして、最後に浮上操舵。動力に火を入れ、再び空中へと浮かび上がらせる。
ハルは既に、その全てを実行してしまっている。それ故に、伝える事は無い。ここに戻ってきてしまう。
少し喉の奥に引っかかる物を感じるも、理屈は通っている。
信徒へと与えてた神託の内容は、確か他の神にも筒抜けだという話だ。神託を送らずに事を進められれば、それに越した事は無いとも言える。
「まあ、神託については今は考えるのはよしておこうか。主題じゃないし」
「それがいいですよー」
「……だから君自身が言うなと」
であれば、後は関わるか無視するか、ハルの気持ち次第という事になる。
……ここは、踏み出すしかないのだろう。状況を進める事によるメリットは大きい。カナリーの思惑についても、状況の進展が無ければ見えてこない。
考えが纏まった、とは言い難いし、何だか戦う相手が身内になっている気もするが、ハルの方針は定まった。
後は雑念を捨て、それを意のままに進める為の準備へと入ろう。




