第213話 導く者の不在
「そういった経緯で、ハルさんにご協力をお願いしたいんですの」
「なるほど? しかし僕に見せていいのかね、これ」
ソフィーの家よりアイリの屋敷へと帰宅した翌日のこと、この地、神域へと再びミレイユが訪ねてきた。
用件は当然、例の戦艦に関する事。それに携わり、中心的に動いているであろうメンバーの相談の様子を、自分のウィンドウを用いてハルへと見せてくれている。
それはコミュニケーション機能の一つ、個人サイトのようなページに付随したコメント欄で行われていた。登録制であり、部外者は閲覧不可となっている。
表示されたのは一ページ目だけとはいえ、部外者であるハルに勝手に見せて良いものなのか。
「平気ですよ、そのくらい。なんでしたら、ハルさんも登録なさいますか?」
その疑問に答えたのは、もう一人の来訪者。今日もメルヘンで可愛らしい衣装に身を包んだ、シルフィードであった。
彼女は基本的に妖精ルックがお気に入りであるようで、大きく開いたドレスの背中から、妖精の羽をはためかせている。今日は蝶の羽のようだ。そこへストレートロングの金髪を流す姿は、可愛らしい中にも色っぽさがあった。
「登録はやめておこう。参加すると思われても何だしね」
「ハルも隅に置けない男ね? あえて登録しない事で、シルフィードやミレイユと頻繁に会う口実を作りたいのね?」
「ル、ルナさん……、からかわれては困りますよ?」
「このページを見るために、私達と直接会う必要がある、という事ですわね」
「いや単に面倒なだけなんだけど……」
そんな二人と、そしてハルをからかうルナも隣に居る。会談の場となるカナリーの神殿に、三人のお嬢様が集まった形となった。
「相変わらずこちらのお菓子は美味しいですわ」
「ええ。それに、日本人好みに調整されていますね。仕事が丁寧です」
「メイドさんも日々がんばって修行してるからね。きっと喜ぶよ、褒めてもらってさ」
テーブルにはメイドさん謹製のお茶菓子が並び、堅苦しい会議というよりもお茶会の華やかさ。
珍しく来客とあって、メイドさん達も気合を入れて腕を振るったようだ。日本から取り入れた様々な手法、それを披露するチャンスであった。
「お屋敷には、呼んでくださらないの? ここが不満という意味ではないですけれど」
「そうですね。私も興味はあります、正直なところ」
「あのお屋敷は、ハルの嫁になる覚悟が無ければ敷居を跨げないわ? 嫁入り準備が出来たら、言ってちょうだいな」
「ルナ、適当言わない。申し訳ないけど、警戒のためだよ」
更に言うならば、線引きのためだ。シルフィードに警戒はしていないし、ミレイユも、もう敵対する意思は皆無なのは分かっている。
だが、あまり歓迎して、戦艦の攻略に乗り気であると思われても困る。期待をさせてしまっては、それを裏切る事になってしまう。
「さてと……、協力を求めているのは理解したよ。それで、具体的にはどんな事なんだろ。前もシルフィーには伝えたけど、戦艦の動かし方とかは教えられないよ?」
「ええ、それは理解しています。それに私も、戦艦そのものについてはさほど興味がある訳ではありません」
「そうなんですの?」
「ええ。もちろん、関心は持っていますが」
「なるほど。それによって動く国の情勢、そこが最優先って訳だ」
シルフィードの立ち位置、それはアベル王子のファンクラブ、そのリーダーである。
ハルがアベルと色々と因縁があり、それによる縁で彼にシルフィード達を紹介する事になった。今は、アベルの下で彼に協力して動く、そういう遊び方をしている。
そのため、国政の動きには敏感だ。なにせ王子のお付きプレイヤーである。影響が直接的。
アベルの国、瑠璃の隣国である群青、戦艦はそこに現れた。敵国だ、当然手は打たねばならない。
そこに、事情を知っている使徒であるシルフィード達が居れば、当然協力の要請が飛ぶだろう。
今彼女が動いているのは、そういった内情であるらしい。
「なので、ハルさんには国同士の橋渡し、その役どころをお願いしたく思っています」
「私達の国と、シルフィーさんの国、足並みを揃えないといけないのですけども。やっかいな事に、この両国も敵対関係にありまして……」
「会談のはずが、そのまま会戦となりかねないって訳だ」
「ですの」
まあ、言いたい事は分かる。群青の国へと調査の名目で両国が踏み込み、そこで鉢合わせでもしたら一触即発は必至。
群青の国に抗議するはずが、逆に抗議される材料を与えてしまう。事は慎重を期さなければならない。
だが睨み合っているだけでは彼の国に先を越されてしまう。その為の協議が必要だった。
まあ、正直、何ヶ月にらみ合っていようとも、戦艦の開かない扉を開く事は適わないだろうが。そこは実際に開いたハルにしか分からない事だろう。
「まあ、別にそれは良いんだけどさ」
「良くないわ、ハル。あなたにメリットが無いのでなくて?」
「隣の国同士で火花散らすのが防げると考えれば、まあ良いんじゃない?」
「ダメよハル? マイナスがゼロになっただけだわ、それでは。もっと要求しなくっちゃ。この子達の体とか」
「……ルナは僕のサポートをしたいのか邪魔したいのか、どっちなのか」
シルフィードもミレイユも、赤面して反応に困っている。相手はルナのようにスレていない生粋のお嬢様だ。セクハラ発言はあまりさせないようにせねばならない。
「体はともかく。僕ら、国として公に動ける身分を持ってる訳じゃないんだよね。国同士の折衝なんて出来る立場じゃない」
「そうね? かといって、この国、梔子の国自体へ要請を入れるとなると、今度はこの国にはそんな力ありはしないわ?」
「大国に挟まれた哀れな小国だ。『そっとしておいてくれ』、ってのが本音だろうね」
「……難しいのですね」
ハル自身は好き勝手しているが、あくまで個人としての行動だ。
国として、王族であるアイリと、その夫としての責任ある行動ではない。アイリはそういった権力の行使からは半ば切り離されている。
まあ、アイリが権力を振りかざしたところで、面と向かって文句を言える人間もあまり居ないだろうから、問題ないと言えばないのだが。ただせっかく静かな生活を送れているので、いたずらにそれを崩すような真似も避けたいところだ。
だが、世界が戦乱に染まってしまえば静かな生活も何も無いので、今回は多少は積極的にハルも動くべきなのだろうけれど。どうする事が最善か、まだ微妙に読みきれないでいる。
「そうですわ! ハルさん、信徒であるアイリ様に降った神託、それによって貴方も国へ口出し出来ませんこと?」
「神託?」
「ですわ」
「ええ、どの国にも、神の信徒へと神託がくだったらしいですよ。アベル王子も、以前行動を共にしていたという信徒の方から詳しく話を聞いたとか」
「ああ、彼女か。僕もあの時に会ってると思うよ。何だか懐かしいね」
「ハルさんと決闘した時ですね」
なるほど、ミレイユに見せてもらったチャットでも神託の話は出ていた。
情報通信の未熟なこの世界においても、一瞬で戦艦の噂が世界中を駆け巡った理由がそれだ。信徒へと神が神託を与え、信徒が権力者にそれを伝える。
群青の国が戦艦出現の情報を事前に得ていたのもこの為だ。マリンブルーが、自らの予定を伝えていたのだろう。
さしずめ、今回のイベントを動かす為の、NPC向けの『運営からのお知らせ』と言ったところか。
だが、ハルやアイリにとって、その提案は少し問題があった。
「来てないんだよねー、神託。うちはさ」
「はい……?」
「そう、なんですの?」
「うん、来てない。だから伝えるも何も無い」
そう、その神託は他の国の事情だ。この国、梔子の国を守護する神である、カナリーからはそういったお知らせは一切無かった。無いものは伝えようが無い。
「それは、何故なのです? もしや、何か問題がありまして?」
「もし私でお力になれれば、何なりと言ってください。協力します」
気持ちはありがたいが、別にそういう事ではない。シルフィードの『何なりと』、に反応しそうになったルナの口を、事前に手で塞ぎつつ、もう片方の手で深刻な顔になる二人を制す。
「別に何かの問題とかじゃなくて、一緒に暮らしてるから、わざわざ神託使う必要が無いんだよね」
◇
「カナリーちゃん」
「はいはーい」
「一緒に暮らしてるよね」
「同棲ですねー。らぶらぶですよー?」
証拠という訳ではないが、ひと目で分かるように本人を呼び出す。何時ものように、後ろから手を回してくっついてきた。
目の当たりにした二人の表情は対照的で、驚愕の色を隠せないシルフィードの隣で、ミレイユはなにやら納得している様子だ。以前、カナリーと共にこの場で戦っているのを見ているからだろう。
「……びっくりです。その、一緒にというのは、アイリ王女のお屋敷で?」
「そうですよー? 毎日、お菓子が食べ放題なんですからー」
「あ、はい。それは良かったです、ね?」
「まあ、こんな感じで一緒に居るから、聞きたいことは口で聞けば良いんだ。……良いんだけど」
ここに来て、少し疑問が生じてきた。神託というのは、単に状況説明というだけでなく、それ自体が特殊な効果を持つ言葉なのではないか。
例えば、信徒がそれを為政者へ伝える事で、国策を強制できる程の効果を。
「カナリーちゃん。信徒に与えた命令って、そんなに強制力を持つものなの?」
「そうですねー。基本的に、あんまり逆らわないんじゃないですかー?」
「ですわね。国によって形態は違うようですけれど、信徒は重役として重用される場合が多いようですわ」
「ミレイユのとこも?」
「ですの」
なるほど、雑談交じりにカナリーは色々と重要な事も教えてくれるので、特に気にしていなかったのだが、どうやら“神託によって伝える”ことそれ自体に、大きな意味があるようだった。
どうやってそれを判定しているかは知らないが、“神の言葉”として信徒から伝えられた内容は、この世界において大きな意味を持つ。
国政すら左右し、民を導くための指標となる。
「その、なんか重要っぽい神託だけどさ、カナリーちゃん一切やってないよね? 僕がこっち来てからさ」
「やってませんねー? サービス開始のあの時が最後になりますねー」
ハルとアイリを引き合わせるため、運命的な出会いを演出するために降ろしたあの神託だ。
その事は感謝しているが、これも政治とは何ら関係が無かった。
「……平気なの? ほったらかしで?」
「もともと私、放任主義なのでー。あんまり神託は多い方じゃないですよー?」
本人は特に問題視している様子は無い。国に混乱が起こっている様子も無いので、実際に平気ではあるのだろうが、ハルとしては何となく責任を感じてくる。
会話の全てが神託であるも同然なので、アイリが必要だと思った事は国へ伝えれば良い。その程度に考えていたが、神託として、力ある言葉として語られる内容はまた別であるようだ。
当然、今回の戦艦の件も公式には王宮へ伝わっていないことになる。他の国が必死になって色々と動いている中、この国だけは我関せずののんびりだ。
まあ、それが平和で良いとハルも思うのだが、放置され、蚊帳の外になっている感は否めないだろう。
カナリーを慕う民の手前、彼女を独占してしまっている事が少し申し訳ない。
「……これって僕のせいだよね」
「そうですよー? ハルさんのせいですよー?」
「いえ、カナリー。あなたのお仕事でしょう?」
「むー。ルナさんが珍しく厳しいですねー」
「その、ハルさん? 詳しい事情は分からないのですが。つまり今回の戦艦騒動では、こちらの国は動きようが無い、という事なのですか?」
「どうだろう? まったく動けないなんて事は無いんじゃないのかな。現に、騎士団勤めの彼に打診が行ってるみたいだし」
「ですわ。神の命令が無い時は、国はそれぞれ独自の判断で動きます。単に、神託はそれらの命令系統の更に上位に位置している、というだけなのですわ」
王子の相談役として、政治に深く関わっているミレイユが補足してくれる。
神の方針が出ていないときは、国はある程度自由に動いて良いらしい。カナリーはどうやら、その軌道が大きくそれた時のみ、その修正のために口を出す、その程度に留めているようだった。
とはいえ、今は彼女をハルが独占してしまっているのは事実だ。少なくとも今回の戦艦騒動、この国だけが置いてけぼりになっているのはハルが原因だろう。
これは、『国政に関わりが無い』、などと言って無視してしまっては、無責任であるのかも知れなかった。
※誤字修正を行いました。(2021/8/28)
疲労するチャンス→披露するチャンス。い、嫌過ぎるチャンスだ……! 苦労は買ってでもしろ、という事です、きっと。




