第200話 艦長
細くなった縦穴の中、水中を潜るように部屋ごと下降していく僕たち。たどり着いた先は、ドーム状の待ち合い室がすっぽりと入る大広間、その上部スペースだった。
ここは下部構造における各ブロックの接続ロビーのようで、再び四方へと扉が開く。その先、階下はもう水中からは出るようで、大きく弧を描いた階段を下りて行くと、空の代わり水を戴いた天井が見上げられた。
エレベータとなった待ち合い室の下は、シャンデリアのごとく大型照明となっているようだが、今は点灯していない。
藍色を通り越し濃紺をたたえるその水の夜空には、魚達の放つ紋章の光が瞬いて星と飾っていた。
「なんか豪華な所に出たねハル君。ダンスホールか何かかなここは」
「……ダンスホールには良い思い出が無いねえ」
「あはは、披露宴のやつだ。私も窮屈だったかも」
「目的地は、ここなのかしら?」
「何か、イベントが起きそうですね!」
アイリの言うとおり、なにやら曰くありげな場所だ。だが、少なくとも僕らの目的地ではないようだ。
もしかしたら、通常のプレイヤーや、NPCの部隊などが正規の手順でやってきた時などは、実際にここで何かイベントが発生するのかも知れない。しかし今は、その広々とした空間は静寂を守るのみだった。
「先ほどの部屋もそうだったけれど、四つのブロックを中央で合流させる作りなのかしらね、この戦艦は?」
「ピザの四等分だね」
「食べにくそうですね!」
「まあ、今はピザをゆっくり味わってる時間も無いしね」
各ブロックの詳細な調査はまた今度にしよう。今は、この戦艦の中央部、管制室となる場所を探す。
幸い、今の僕であればそれも容易い。地層のように組み合わされた板材の隙間に染み込むようにして、先ほど見た液体コンピュータの支流とも言うべき末端が流れ込んでいる。
それらは微細な信号を魔力によってやりとりしており、それを辿れば分厚く形ある物体に閉ざされた位置の透視も可能になる。
それに注視して<神眼>の視点を合わせると、まるで人体を巡る血液の流れのように、水の通り道も明らかになっていった。
僕らは、しんと静まり返ったホールを足早に後にして、手近な扉をハッキングし、先へと進む。
魔力の流れの束、血液の集まる心臓部は、このホールの真下、中央ブロック内に存在することを示していた。
*
そこからは、長く険しい道のり……、となるのだろう、普通ならば。
中央の管制室、心臓部となるその部屋には、そこへ至る道という物が存在しない。いや、正しくは存在しないように見せるべく、巧妙に隠蔽されていた。
前提知識が無ければ、部屋そのものが存在しないと思ってしまう。そもそも長い道のりが発生しないかも知れない。
「まあ、僕自身、動かしてるのが神様だと分かった後は、部屋なんて存在しないかもって思った事もあったけど」
「神々であれば、常に現界している必要はありませんものね!」
何の変哲もなさそうな通路、廊下の壁の一部に話しかけるように僕らは足を止める。
ここが、その場所への入り口だった。本当に何の変哲も無い。継ぎ目すら無い。これがゲームなら、注意して見れば薄っすらと継ぎ目なり汚れなり、はたまた壁の色が一部だけ違うなり、そういった違和感が見て取れるものだ。
それらヒントが一切無く、この入り口は見つけさせる気が皆無であった。
「イベント中にヒントがあるタイプかね? 部屋の構造を調べて行くと、明らかに怪しい隙間が見つかり……、それがここ」
「ユキ、この船はそもそも隙間だらけよ?」
「しまった! 中は水だらけだもんね!」
セキュリティも随分と厳重で、プログラム知識を持っている人間でも、それこそ僕であっても、意識拡張による思考力の増大無しには解けていたかは分からない。
ここからも、ふとした拍子に発見させる気が無い事が分かる。
「好感度、ではないかしら? 船の神様と仲良くなって、彼女に導いてもらわないと入れないの」
「ルナちー。神様をナチュラルに女の子にしてる……」
「そういうものよ?」
「ぎゃるげーですね!」
「エロゲーよ?」
「まあ……」
普段は僕に、アイリの教育に悪いと言うルナであるが、彼女も彼女で色々と教育に悪かった。教育方針のズレ、育成方針の乖離、そういったものが心配される所である。
「……よし、開いた」
などとくだらない事を言っているうちに、その廊下の扉は音も無く開いた。
開く、というよりは、まるで最初からそこにあったかのように、ぽっかりと穴を開けている。
「どうなっていたのかしら、これは? 実は立体映像だった、ということ?」
「幻覚だね! コケたドジなヒロインが転がり込むんだ!」
「ですがそれだと、何かの拍子に見つかってしまいますよね?」
見つからないように、この壁を意識しないように、暗示のような処理を施す等だろうか?
しかしそれでも、何かの拍子に、ということは起こりえる。暗示がかかったり、記憶が消えたりする事からくる違和感は、実は結構強烈だ。僕もよく身をもって経験しているので、そこは保障できる。
その違和感が何なのか、気にされてしまったらアウトだろう。
「ちゃんと壁はここにあったよ、実際にね。まあ、入ろうか」
僕らがその通路をくぐると、入り口は再び音も無く閉じられた。
「まるで魔法で出し入れしているような唐突さね? 現代の科学でも、あそこまで自然には出来ないでしょう?」
「ルナさん、正解なのです!」
「だね。あれは実際に存在した廊下を、<魔力化>みたいに一時的に消去してたね」
「……トリックとしては反則にも程があるわ」
「ハル君が悪いよー、液体コンピューターだとか、科学的な話ばっかするから」
「僕の話はともかく、その辺も思考の罠なのかもね」
見た目、科学的な様を前面に押し出しているこの船内だ。全ての仕組みは化学的である、と無意識に思い込んでしまう所がある。
そんな、非常に意地の悪い扉の先を僕らは進んで行く。
通路は今までに増して薄暗く、赤い非常灯の光が、ここが隠し部屋であるという雰囲気をこれでもかと演出していた。
なんだか、物陰からモンスターでも出てきそうな不気味さが感じられる。
そんな非常通路を抜け、僕らはついにこの戦艦の心臓部へと足を踏み入れる。
*
「いらっしゃいませ。ようこそ、艦橋へ。非常に、お早いお着きですね」
「あれ? マリンちゃんじゃん?」
「はい、マリンブルーですよユキさん」
通路の先の小さなエレベータで上った先は、様々な計器やモニターが立ち並ぶ、船の艦橋部を模した部屋だった。
位置的には艦橋というよりも、中央司令室か。
そのブリッジの中に、僕らを出迎える神様の姿があった。僕が会うのは初めてとなる、マリンブルー、この戦艦を海底から浮上させた張本人だった。
「ずいぶんと、イメージが違う……」
「はじめまして、ハルさん。いつもご活躍は拝見しています。今は、アイドルモードはオフなのですよ?」
「はじめまして。……『彼女は表裏の一切無い、真のアイドルと言えるのかも』、って僕の感心はどう処理したものかね」
「あらあら。……ですが、アイドルとは表裏がある存在だ、と認識していますので」
「別にわざわざ、人間なんて真似なくっても良いと思うけどね。そんなとこまで」
あえて表裏を作っているらしい。律儀なことだ。
そんな彼女は口調と共に、いつもの快活な水着姿も封印中のようだ。まあ、ブリッジに大胆な水着で待ち構えていられても、反応に困るのだが。
普段と間逆、と表現しているのか、露出のまるで無い落ち着いた和服姿。普段は確か、左右にツーサイドで結っていた深い青の髪も、今はポニーテールのように後ろへ流しているようだ。
全体的に涼しげなその印象が、ブリッジの窓から見える水中の風景に映えている。
「でもなんか、『マリンちゃん』って感じじゃないね」
「なら、こっちはブルーちゃんね?」
「あら、素敵です! オフの時の愛称みたいで、良いですね♪ 素敵な呼び名、ありがとうルナさん♪」
落ち着いたお姉さん、といった感じのこちらのマリンブルーだが、喋り方の端々に『マリンちゃん』の名残が見える。そのあたり、やはり同一人物なのだろう、と感じられた。
「でだ、それはともかく、マリンブルー。ここに居るって事は、この戦艦について、何か説明してくれるって事で良いの?」
「…………」
「……分かった、ブルーちゃん。なんか教えて?」
「はい! 教えちゃいますね♪」
……やはり彼女の根っこは、あのマリンブルーなのだろう。むしろ、こちらが演じている方なのではなかろうか? そんな気もしてきた。
「その前にまず、もう一人ご紹介させてくださいね。この船の、艦長さんです」
「ブルーちゃんが兼任じゃないんだね」
「一応私の管轄でもあるのですけど、ちょっとそのへん複雑でして、」
「モノです。よろしくね?」
「うわびっくり!」
ブルーの口上の途中で、唐突にブリッジ中央の椅子、司令官の座る場所だろうか、そこへ小柄な少女の姿が現れる。
ブリッジの内部をあれこれ見て回っていた最中のユキは、目の前に不意打ちで登場されて肝を冷やしていた。
「もー、モノちゃん、前触れも無く出てこないの。人間は、そういうの驚いちゃうんだから」
「ごめん、ね?」
「いや、だいじょぶだいじょぶ」
「ハルだよ。よろしく」
「モノです。よろしく、ね?」
二回目の挨拶だった。何だかたどたどしい。あまり“人間慣れ”していない様子が、端々から見て取れる。
まあ、それもそうか。彼女がこの戦艦の艦長さんで、この施設の担当なのだとすれば、それは二百年近く海の底へ沈んでいた事になる。壮大な引きこもりだ。
黒い髪をショートに切りそろえて、肌は逆に抜けるように白い。
おどおどと伏せがちな視線のわりに、その黒目には射抜くような力強さが宿っていたりと、アンバランスさが際立つ印象の彼女だ。
服装は艦長らしく、軍服のイメージのある白い服。しかし、その小柄な体系にはサイズが合ってなく、袖はぶかぶかで手が隠れてしまっていた。
「人間と会うの、すごく、すっごく久しぶり」
「そうなんだ? 会えて良かったよ」
「うん。よく来た、ね? マリンブルーが言うより、ずっと早かった」
「まさか正規の手順で来られるとは思ってませんでした。ハルさんは不法侵入で来るものとばかり」
「……いや、十分、不法侵入だったと思うけど。もし不法侵入で来たらどうなったの?」
「特別にどうこう、は特に致しませんが」
「マリンブルーやぼくは出て来なかった、と思うよ」
それならば、破壊活動や<転移>で強引に入って来なかった甲斐があったというものだ。
しかしハッキングは、まるで正規の手順だとは言えないと思うのだが、彼女らが良いと言っているので、そこはまあ良いだろう。
この施設について深く理解する事が、重要なことなのかも知れない。
「それで、何が知りたい、のかな?」
「そういえばそんな話だったか。……何だか、モノの存在を知って満足してしまった」
「それは良かった、かも?」
「良くないでしょう……、何の為に来たのかしら、ここまで」
「あはは。ハル君らしいかも」
このブリッジに至るまでの道中、この戦艦の作りを観察し、中に使われている技術を吟味し、これを作り上げたのはAIであると仮説を立ててきた。
それが今、モノの存在によって証明された形だ。僕としては、どうもそこで答え合わせが済んだかのような、そんな満足感を覚えてしまったのだ。
「ハルの隣の女の子は、大人しい、ね? 人見知り?」
「あ、ひゃ、ひゃい! ご挨拶もせず申し訳ありません! わたくしアイリともうひましゅう!」
「落ち着いて、ね?」
「しゅみませぇん……」
「アイリは緊張してるんだよ。神様が一度に二人も出てきたから」
「マリンブルーの事情は分からないけど。ぼくの事は気にしないで、ね? ぼくは神様じゃあ、ないからね?」
「そう、なのですか……?」
立ち位置の問題だろう。恐らく、存在としてはブルーやカナリー達、七色神と同一の存在だ。性質に大差は無いと思われる。
だが、彼女、モノはこの地の人々の上に君臨していない。立場としては、アルベルトの方が近いのだろうか。
「ハルはつまり、ぼくの存在を証明するために、ここに来たの、かな?」
「まあ、結果的にはそうなったけど」
「嬉しい、ね? じゃあ、ぼくが居なかったら、何をした?」
「そうだね。……ここはデータの流れが全て集まる場所だ。その内容を、理解できる形に出力できるコンソールはあるだろうと踏んでいた」
「正解。あるよ? これが、そう」
モノは目の前にあるパネルを指で、つい、と流すと、僕の目の前まで飛ばして送ってくる。
「どうも。……で、ここから内部に侵入することで、水の中のデータを好きに閲覧出来るだろうって。まあ、それで全部見れば、知りたい事も中には載ってるだろうってね」
「わあ、大雑把、だ」
「だから、何が知りたいかって言われると少し悩むね」
「全部が知りたかった、んだ、ね?」
そういう事になるのだろうか? 『女の子の全部が知りたい』、という響きに、アイリがときめき、ルナがえっちな想像をしているが、今は彼女らは放置しよう。
魔力を使ったデータである以上、<神眼>でまるごとコピーし、それを解析する事も出来なくはないが、この施設の作りの都合上、それは非常に困難だ。間に入る物質が多すぎる。
それに、データを複合する為の管制室がある以上、そこで行った方が作業は楽に決まっている。そう考えて、僕はこの部屋を目指していた。
「なら、やって見る、かな? ぼくのセキュリティ、厳重だよ?」
「神様からの挑戦状って訳か」
手渡されたコンソールを、モノは指差す。挑戦を受けたなら、応じなくてはならないだろう。
僕は意識をパネルの内部、そこに走る魔力へ落とすと、システムへの侵入を実行する。
※誤字修正を行いました。
「ユナちー」→「ルナちー」。……誰だ!? ルナの新しいあだ名でしょうか? 人名は間違えると違和感が凄いですね。なるべくやらないようにしないといけません。注意します。




