第2話 女神の刻印
意識の行き着いた先は白い部屋だった。
初期設定の場面としてはよくある事だ、そう一緒くたにしつつも観察する。
白で統一された部屋ではあるが、見渡せば白を基調とした柱やレリーフが壁を飾り、繊細さを感じる装飾が施されている。足元には床と一体化したような白い絨毯が敷かれ、台座のような物も鎮座しており既知感が巻き起こる。
「神殿……?」
この様式は何と言うのだろうか。ネットを参照しようとして、違和感に気づく。
──遮断されている?
ほとんどのゲームはフルダイブ型であっても汎用部分のネットへはリアルと同じように接続できる物が大半を占める。例外は新鮮な体験をテーマにしたネタバレ厳禁の作品くらいだろうか。
全く宣伝されていない事もあり、これもそういった特殊な作品なのかと思考を始めたあたりで、ハルにかかる声があった。
「はい、こちら私の神殿となっておりますー」
いつの間にか目の前に羽の生えた女性が立っていた。今まで見逃していたという事ではないだろう、鮮やかな黄色の髪がよく目立つ。
微妙に間延びした声だ。ほんわか系とか、ゆるふわ系というのだろうか。ただ、間延びしつつもハッキリした発音で、口調のリズムも遅くない。聞き取りやすさを重視しているということだ。
つまりはチュートリアル用のガイドAIだろう、とハルは当たりをつけた。
「あなたはガイドの人?なら初期設定とかさせてもらえるかな」
それなりにゲーム慣れしているハルだ。説明が長くなる前に先手を打つ事にする。簡単な世界観やゲーム進行の流れは頭に入れてきた。
「その通りでございます。あなた様のお手伝いをさせて頂くカナリーと申します。設定上は幸運の神様なんですよー」
設定と言った。堂々と設定と言った。
「……こちらは何を設定出来るのかな」
努めて気にしないようにしながらハルは先を促す。カナリーというのは公式説明で見た名前だ。最初に降り立つ国を守護しているらしい。だからチュートリアル役をやっているのだろうか。
「プレイヤーの皆様の設定は私達が遣わす神の使徒ということになっていますねー」
その設定の事ではない、と傍目にも分かるように渋い表情を作ってみると、すぐに軌道修正して話を続ける。これを見てハルはなかなか出来るAIだと素直に感心する。
「皆様の体は神の使徒として与えられたものですので、能力的な設定はほとんど手を加える事は出来ません。可能なのは顔や体型の変化くらいとなっておりますー」
キャラ作成時の方向付けは最小限に、実際のプレイスタイルによって方向付けがされるという事のようだ。
「あなた様のお名前をお聞きしてもよろしいですかー」
ここで初めて名前登録だった。会話の流れにも融通が効いている。
「ハルで」
「承りました。どうぞよろしくお願い致しますハル様ー」
その後も簡単に説明を受けるが、種族や職業を選んだり、ステータスを割り振ったりといった作業は一切存在しなかった。
というかステータスそのものが無かった。
「ステータスが無いのは結構珍しいね」
「無い訳ではないのですが、詳細なステータスは見ることが出来ません。皆様は我々の魔力によって編まれた体で活動して頂くことになるため、そこは一律同じなのですー」
先ほどと同じ話のようで、言い回しが変わった。見ることが出来ないということは内部では判定がされているのだろう。リアルで肉体の筋力値や敏捷値などが可視化できないようなものであろうか。可視化出来なくていいからリアルにも魔力値が欲しい、などとハルは益体のないことを考える。
──やっぱりリアル志向なゲームって事なのかな。
「見ることが出来るパラメータは、体を維持する魔力の総量であるところの<構成力>、つまりHPです。1000/1000のような数字で表され、コストに使用したりダメージを受けると減っていきます。ゼロにならないようにご注意下さい」
語尾の間延びがなくなった。重要な事だと示しているのだろう。
差し出された彼女の手中のウィンドウに数字が表示され、現在値を表す左側の部分が減っていく。0/1000になると表示が真っ赤になってゲームオーバーを表した。
「もう一つは<制御力>、魔法を扱い、体外の魔力に干渉する、つまりMPです。こちらは多い時ほど強力になり、使用し減るほど弱くなっていくのでご注意下さい。この制御力はプレイヤーの皆様の技量も重要になりますので、色々と試行錯誤してみて下さいね」
今度は数字の他に光の玉が現れる。1000/1000の時点では大きく輝いていた光は数字の減少と共にしぼんでいき、1/1000の状態ではほぼ見えなくなった。
──MPでありながら魔法攻撃力も兼ねるって事か。HPよりもMPの管理が重要そう。
有利にゲームを進めたいなら高い数値でMPをキープする必要がある。ハルは体外の魔力に干渉すると聞いて、巨大な電磁石の強弱が変化する様を思い浮かべる。
……同時に、手持ちの資産が多い人間ほどより多くの現金を呼び込むイメージが浮かびそうになったが無言でかき消した。
「そしてそれらの強さの基準となるレベルと経験値です。様々な経験を積むことでレベルが上昇し、HPとMPが強化されますー」
そこからは一般的なRPGと変わらない。それぞれの目的のためレベルを上げ、スキルを強化し、アイテムを集め、称号を求める。
ただしレベルの恩恵は小さいようだ。HPMPの初期値が1000、レベルを一つ上げるごとに10ずつしか強化されないらしい。表示可能になったステータス画面は非常に簡素だった。
ハル:Lv.0 Exp.0 称号<>
HP1000/1000
MP1000/1000
「ステータスが無い代わりにスキルは非常に多くの数をご用意させて頂いているんですよ。このような感じですー」
ウィンドウに一例が表示される。その時点でかなりの数だ。画面一杯をスキルの文字が埋め尽くし、ゲーマーの心を刺激する。
「これは確かに」
スキルは多くが魔法に関わる性能をしているようで、使い手の工夫次第で幅広い応用が可能である事がうかがえる。
ここにきてハルは、にわかにこの世界に興味を惹かれていく。
全て魔力で編まれた肉体。体外の魔力(奇しくもエーテルと言うらしい)の操作に重点を置いた仕様。そしてどうやら魔法関係のスキルが大量にあるらしいこと。
──魔法重視の世界か、楽しくなってきたかも。
「スキルは任意のものを即座に取得する事は難しいですが、その動作を繰り返していれば自然に習得できますよー」
「例えばどんなのかな」
「剣を振り続けていけば<剣術>スキル、錬金術の本でお勉強すると<錬金>スキルといった具合となっておりますー」
──魔法の事が知りたかった。
「魔法は?」
食い気味に、つい思ったままに聞いてしまう。日ごろ常に冷静を自称する姿は何処にもなくなっているが、自覚しつつ本人にも止めようがない。
魔法を自由に使う事への憧れは人一倍大きかった。ましてこの世界の魔力がハルの得意とする所に一致しているらしい事も後押ししている。
同じ名前を冠し、同じように大気を満たす二つのエーテル。どちらもそれを制御し超常の現象を引き起こす世界ということだ。
ネットワーク分野以外にも様々な革新をもたらしたナノマシン『エーテル』。ついに科学が魔法を再現する時代が来たともてはやされた。
だがリアルのエーテルは、どんなに緻密に制御しようとファンタジーのような魔法を再現するには至っていない。
高い親和性を持ちながら理想を叶えられないハルは、無意識のうちに不満や虚無感を溜め込んでいた。
「基本的な魔法スキルは最初から幾つか設定されております。それらを鍛えていくと他の種類に派生する事がありますよー」
「おおー!」
他にはやはり本で勉強するなどしても取得出来るようだ。早く試してみたいと明日からのサービス開始に思いを馳せ、一回り若く、いや幼くなったかのように瞳を輝かせる。自称する常の冷静さなど、もうほとんど意識に残っていなかった。嘆かわしいことである。
「なるほど、よく分かった。開始が楽しみになってきたよ」
「そう言って頂けるのは運営冥利に尽きるというものです。ただ、まずはー」
「どうかした?」
「まずは先にキャラクターの外見を設定してしまいましょうー」
すっかり頭から抜け落ちていたハルなのだった。
◇
浮つく気分を押さえながら、ハルはキャラクター設定を完了する。
メニューのかなり隅のほうにリアルマネーを使う設定もあったので、美月に促された通り、課金も絡めて有用そうなスキルを取得した。それ以外に開始前から習得する方法は無く、なかなか深遠の淵に手をかけるような金額設定に躊躇させられた。ここで収益を上げる戦略なのだろうか。
──たぶん美月は話の流れを作りたくて提案しただけなんだろうけどね。
身長と手足の長さを扱いやすいように伸ばす。顔は特に弄らない。
プリセット、つまり用意された基本の形があるわけではなく、リアルの自分を元にしながらそれを弄るような作成方法だった。ならば変に手を加えるよりそのままの方が自分で自分を見た時のイメージが崩れないという判断だ。
普通はプライバシーを気にする所だが、ハルは既にゲームの世界ではかなり顔が売れてしまっている。逆にそれを生かす場面も来るだろう。
ハルの髪の毛はもともとかなり色が薄く、手を加えなくてもファンタジー世界にマッチしているということもあった。
本人を基準にする方法だけではユーザーに不評だろうとカナリーに尋ねると、明日までに用意しておくと返事が来た。迅速な対応で結構な事だが、今まで一つも不満が出なかった、すなわちそんなに人が居ないのかと少し心配になってくる。
「ご友人の方から訪問要請が入っております。お通ししてもよろしいですかー?」
「いいよ、通して」
ハルの心配をよそに能天気な声がかかる。このスペースは個人用で、リアルで紐付けがされたアカウントであれば行き来が出来るとのことだ。
訪問者はもちろん美月の事だ。プレイヤーネームが普段と変わらないなら、こちらでは『ルナ』であったはずだ。
ハルとは違い、ルナは容姿を変更したようだ。髪は黒から薄く輝く金色に変わり、顔は少し幼くなって背も縮んでいる。ただし胸は縮んでいない。年齢を下げようともそこは譲れない要素なのか。
初期装備がゆったりしたワンピースなこともあり、愛らしい妖精のようだと形容される見た目と言えよう。しかし彼女の持つ大人びた雰囲気が、ルナはやはり美月なのだと強く主張していた。
「こんばんは。あまり変わらないのね。似合わないわ」
「こんばんは。……いきなりだね、そんなにかな?」
出会い頭にダメ出しであった。それなりに調整を重ねて決めた会心の出来だったので少し落ち込む。
ハルとしては似合う似合わないというより、格闘などがやりやすい身長や手足のバランスにしただけなのだが。
「そんなによ。それなら顔も変えましょう」
「顔は俯瞰した時にイメージの齟齬が……」
「普通は自分の顔を俯瞰しないわ」
ごもっともである。
エーテルを介し自身を俯瞰する事を日常的としているハルだが、普通の人間はそんな事はしない。それどころか体のバランスが変わる事の方が違和感が大きいという話が一般的には普通であった。
童顔ぎみであるハルの顔がそのまま高身長の体に張り付いているのは似合わないということだろう。
初期装備が普通の服や鎧などではなく、神の使いを表す神秘的な服なところにも原因があるかも知れない。これも種類を用意するように運営に要請しておく。
単にルナの好みに合わないだけの可能性もあるが、共にプレイする相手のイメージも大切だと割り切って仕方なく全て元に戻す。結局キャラクター設定は初期状態のまま終了となった。
なんとも設定し甲斐の無いゲームである。
「私も今の方が好みですかねー」
意外な事にカナリーからもそういった声がかかった。ガイドがプレイヤーの決定に対して、しかも好みで意見を挟む事にハルは興味を覚える。
「好みとかあるんだ」
「もちろんですよー」
事務的な話ではないからか、何となく砕けた調子になり楽しそうにカナリーは続ける。
「お仕事はきっちりやりますけどー、その他の裁量はそれぞれ自由に任されてるので、みんな好みに合わせてやってますー。他にも神様は沢山いるので、好みも色々ですよー」
「私の担当は別の人だったわ。武の神みたいな感じだったかしら。今日ログインしたらまた違っていたし」
「へぇ、何種類もパターンがあるんだ」
ルナも会話に入ってくる。最初は必ずカナリーではなかったらしい。
多数の中からランダムに変わるのだとすれば、そういった楽しみ方も出来るゲームということだ。評価点にする人も居るだろう。
「基本的には相性の良さそうな者が担当しますが、たまーにこちらの好みで選ぶことはありますねー」
「それでいいのか……」
それで良いのかはともかく、まあ相性は大切だろう。カナリーを見るだけでも合う合わないは大きそうだ。
それよりもハルが気になったのは好みで選ぶという部分だ。話の流れを考えると恐らくハルは好みで選ばれた。
多数存在する神がユーザーを選別する理由はなんだろうか。
──自分の担当が活躍するとポイントが付く? いや人間じゃあるまいし。何かあるとすれば神って設定のとこか。信者の獲得? ならばいけるか。
「もしかして信仰する神様も設定できるの?」
「おー、鋭いですねー。ありますよ、初期設定では選べないですけどねー」
あるようだ。だが少しハルの目論見と違ったのはこの場で設定出来ない事だった。話を出せばカナリーの方から信仰するか否かの選択肢が提示されると踏んでいたハルだが、読み違っていたようだ。
カナリーは感情豊かで応用の利くAIだ。そうしたAIが配置されるのは大抵が攻略に関わる場所、つまりここでいえばカナリー自身が攻略対象であると踏んでいたのだが。しばらく待っても提案はないようだった。
だが切り替えていこうとしたところで、思わぬところから援護射撃が飛んできた。
「そうなの? 私の時は信仰の選択みたいのが来たけれど。なんだか高圧的で嫌だったから断ったけど」
「えっ?」
それにカナリーは渋い顔をする。
「……あんにゃろめー、規定違反じゃねーですかー」
「……」
「……」
規定違反であった。
──中に人が入っているんだろうか……。
「大変申し訳ありませんでしたー。不快な思いをさせてしまいましたー」
「いいのよ。担当替わったみたいだし」
ログインのたびにランダムではなかったようだ。世知辛い背景を知ってしまった。
「……ま、まあ、それより。カナリーは信仰対象に設定出来ないの?」
「信仰というより直属の使徒になる感じですねー。出来なくはないですが、よろしいのですか? 冒険して色んな神様を知ってからの方が良いかと思いますけど」
「構わないよ、やっちゃって」
「ではー」
そんなお互い軽い調子の中で契約が交わされる。いや、カナリーの方は落ち着こうとする中にも喜びを隠せないといった雰囲気も出ているだろうか。
光る指先をくるくる回して右手に触れるだけのかなり適当な儀式が行われ(微妙に離れた位置にある祭壇が寂しく光を放っていた。本来はそこでやるのだろう)、右手にカナリーを表すと思われる紋章が刻まれる。
「規定とやらはいいのかしら」
「追求はセレステに投げますのでー」
ルナの元担当が責任を取らされるようだ。契約そのものは問題なく出来たという事は、神の側から提案する行為、すなわち『ネタバレ』が問題になるのだろうか。
“初期設定では選べない”と言っていたが、まあ嘘は言ってない。選ぶ余地は無かった。
であれば時間経過でユーザー同士の情報の共有が進めば、最初から契約を結んでゲームを開始するユーザーも多くなっていくだろう。そこは問題視されていないのか、単に想定不足であるのか。
《称号・<幸運神の使徒>を獲得しました》
《スキル・<幸運>を習得しました》
《スキル・<神託>を習得しました》
「称号獲得だって。ユーザーで初獲得なんじゃない?」
「少なくとも二番目ね。私の方が先」
ルナが言う。その顔はとても得意げであった。
「そっかー、流石だね」
いつも通りあまり表情は動かないが、普段よりも幼く設定されたその容姿がその自慢げな姿を強調している。つい頭を撫でたくなる。
そんな衝動と戦いながら、つまり他にもこの空間で出来る事があるとを知らされたハルは、まだ滞在を続けるかを考える。
思いのほか隠れた要素が多いようだ。ステータスが無いこと、中からネットを参照出来ない事からも情報収集能力が要求されている事が伺える。
好きな人には堪らない作りだが、運営が上手く立ち回れなければひたすらに格差だけが助長されて終わる。失敗した作品の割合が多くを占めたはずだ。
──開始は明日だ。しばらくこの空間で色々やってみるか? いや、気になるのはカナリーの存在だな。隠し要素の中には『神の好感度』が入っていてもおかしくない。普通のゲームでやるような変な事はしないでおくか。
変な事とは例えばこの白い壁に向かって攻撃を繰り返したり、壁どころかカナリーに向かって攻撃を繰り返したり、部屋の装飾を片っ端から引っぺがしたりとかである。きっと怒られる。
余談だが各種メニューを無意味に選択したりキャンセルしたりといった行為は前時代から変わらず続いているが、壁の隅に向かって体当たりを繰り返すような行為は廃れている。……いや、代わりに壁に攻撃になったので廃れたとは言えないのかもしれない。
◇
「じゃあ設定も出来たみたいだし今日はもう上がろうかな」
「そうね、お疲れ様。明日は時間からやる?」
ルナからも何もないようなので、やはり今日はこのまま終わりとなる。
「そうだね、開始からやろうかな。大丈夫?」
「平気よ、楽しみね。じゃあ明日ね。ごきげんよう」
「うん、ごきげんよう」
そんな普段しないような挨拶を交わしてルナはログアウトしていった。ルナもそれだけ楽しみにしているのか、それともハルが思いのほか期待しているのを察して楽しんでいるのか。
──なんにせよ楽しそうなのは良いことだろう。
「そういえばお姫様が出るって話について聞きそこねた」
「お姫様ですか。アイリ第一王女の事ですかねー」
「たぶんね。僕が公式説明で見て気になったのもその子だし。まあいいや、また明日」
──仕込みは済ませたし、今日は一気にリアルを片付けてしまおう。
「私も明日を楽しみにしてますね。お持ちしてますー」
「ありがとう。じゃあさよなら。……あ、最後にひとつ」
「はい! なんでしょー」
「スキルの<幸運>ってアイテムドロップとかにも影響するの?」
「いえ、残念ながら。ゲームバランス周りにはあまり影響しない設定にされてしまってますー……。カードゲームの引きがほんの少し良くなるくらいでしょうかー」
「んー、そっかー……」
なんとも締まらない気分で、ハルもその日はログアウトするのだった。