第199話 海の中の一滴の水
「正しくは、エーテルの普及前、前時代の技術なんだけどね」
すっかり水族館と化した戦艦の内部、そのガラス張りの奥を魔法で照らしながらハルは語り始める。
電気文明時代、まだ情報の処理やネットワークへの接続は、機械を間に通して行っていた時代。だが当時にも、今に繋がる発想の技術は存在した。
「わたくし、知ってます! パソコンを、使うのです!」
「えっ、なんでアイリちゃん知ってるん……? 私も機械については詳しくないんだけど……」
「……この人の影響よ。一緒にゲームしてるし」
古いゲームには、当然ながら当時の世相が反映された物もある。
説明無く、当たり前のように『パソコンを操作しろ』というイベントの流れもあり、それもあってアイリは最近、コンピュータについて詳しくなった。
「そのパソコン……、コンピュータだね。その発展系として、液状のコンピュータを作る事による、処理の高速化の研究がされてたんだ。まあ結論から言うと、この水槽はそれの完成系だろうと思われる」
「まじか」
「まじ。魔法を使うことで、諸問題を解決したんだろう。今も魔力でデータのやりとりがされてるよこの中で」
「……まるで発想がハルのそれね?」
「確かに、ハルさんは魔法を使って、日本の凄い物を次々に再現しちゃうのです!」
主にエネルギー不足、素材不足が課題となり、現実的ではないと棄却されていた理論。それに魔法の力が加わることにより、途端に化ける事は多い。
ハルと同じく、神々もそこに目を付けたのだろう。
思うに、これは当時の最先端。電気文明が現役だった頃の技術の再現だろう。どうやら時間の流れもリンクしているようだ。
この戦艦が作られたのは二百年近く前。その頃は、まだ地球にはエーテルは存在しなかった。
「でも何で液状? 電気とは相性悪そうだけど」
「主に増設の容易さと、演算と記録が同時に出来る事による優位性、だったかな」
「演算って情報の処理だよね? 普通の事では?」
「エーテルネットではね。でも昔は、情報を処理する部品と、それを記録しておく部品がハッキリ分かれてたんだよ」
「効率悪そう……」
「当時は一緒にやる方が、逆に効率悪かったんだね」
「それを可能にしたのがこの水槽ってことかー」
コンピュータについてイマイチ実感が沸かないユキに、現代との違いを噛み含めて説明して行く。とはいえ、この中で最も理解が進んでいるのは実はユキだ。
パソコンについて最も詳しいのはアイリであるが、彼女は情報処理についての基礎知識がまるきり存在しないので仕方ない。
さて、実は情報の記録と演算の分業、現代のエーテルネットにおいても完全に統合されているとは言いがたい。
全ての処理はエーテル、大気中にあまねく存在するナノマシンが行っているので、感覚の上では統合されているように感じるが、実は厳密にはエーテルが行っているのは記録のみだ。記録し、それを伝える。それだけがエーテルの持つ機能。
それが人間の体内へ入り、人間と接続することで、初めて演算機の能力を獲得する。つまりは、情報処理を担当しているのは人間自身である。
乱暴に言ってしまえば人間一人ひとりがパソコン一台に相当し、接続された人間が増えればそれだけ処理能力も上がる。
ほとんどの仕事がエーテルによって代用可能となった現代、自身の社会貢献や存在価値についての悩みを抱える者は多いが、実はこの事情により、どんな人間も生きてエーテルに接続しているだけで存在価値があると言える。
なおこの仕様については、一般的には広く伝えられてはいない。
「じゃあこの水、増やせば増やすほど無限にあたまよくなるん?」
「記憶容量は増やしたぶん増えるけど、処理速度はそう簡単に上がらないみたい。ボトルネックがあるんだってさ」
「水だけに?」
「水だけにね」
それでも、頭打ちに悩まされていた当時の演算回路の限界を超える画期的な発想であったらしい。
小型化して高速化する時代は終わり、大型化して高速化する時代に突入だ、などと言われたそうな。
残念ながら、実用化に至る前に時代が変わってしまった訳なのだが。
「じゃああの魚も、何か機能あるんだ?」
「多分、そうなんだろうね?」
メンテナンスか、データの整理でもしているのか。内部を泳ぐ魚からも、何らかのデータのやり取りが魔力を使って成されており、この液体コンピュータの維持に一役買っていることが<神眼>によって見て取れた。
魚もまたエーテル結晶で作られており、存在としては遺産と同質である。
そのため、魔法の行使の際に使う式は見通せず、どのような役割であるのかは一目では分かりそうにはなかった。
「つまり、ハルさんなら、この水の中で行われている、その、処理? が何だか分かるのですね!」
「……いや、期待した目で見て貰ってるとこ悪いけど。そこまでは無理かなー」
「あはは。記録キューブを光に透かして見たら中身のデータが読めるでしょ、みたいな無茶振りだ」
「得意げに解説なんか始めてしまうから、そうなるのよ?」
確かに、面白い物を見つけた嬉しさのあまり、語りたくなってしまったのは否めない。
中身が知れなかったのは残念がっていたアイリだが、そんなある意味はしゃいでしまったハルの様子を知って、それはそれで満足したようだ。微笑ましい目で見られてしまった。
少し恥ずかしいが、アイリが嬉しそうなので良しとしよう。
「内容はともかく、この事実からは何か分かって?」
ルナがそうしてハルの講義を打ち切り、本題、この施設についての話に戻してくる。
当然ながら、分かった事は多い。まずは、この戦艦はやはり地球の知識を基にして建造されたという事実。
プログラムが地球産だということも合わせて、より真実味が増したと言える。
そして、この水中に記録されているであろう膨大なデータ、それを統括する存在、つまりAIが搭載されている可能性だ。
「この戦艦、今も神様が乗ってるかもね。まあ、それはマリンブルーが兼任してるかも、なんだけど」
「おー。艦長だ」
「それでさっき、このベンチやら何やらは慌てて用意したのかも、って言っていたのね?」
「うん。この水、どうやら船中に張り巡らされてるみたいだし。各ブロックの情報もリアルタイムで取得出来そうだ」
「管制室を抑えれば、お風呂も覗き放題ね?」
「覗かないが」
ルナはすぐにえっちな事を言う。
それはさておき、最初は壁に阻まれ意識が向かなかったが、ここの水を基点として視線を通してみると分かりやすい。
水が隙間に染み込むように、いや実際に染み込んで、船の各地に毛細血管のようにこの液体コンピュータを行き渡らせている。
それはエネルギーラインであり、情報の送受信を成す回路であり、またカメラでありマイクの役割も果たしていた。そういう意味で、役割はエーテルと近い。
「そしてその統括をするのはAIである、と考えるのが妥当だ」
「これだけの施設だもんねー。AI、つまり神様が乗ってるってことかぁ」
「すごいですー!」
「何処に居るかは、分かるのかしら?」
何処に居るかと言えば、目の前の水槽の中にも居るし、それこそ船内の何処にでも居るのだろう。
だが、ルナの聞いているのはそういう事では無いだろう。問題は何処に行けば会えるのか、といううことだ。何処でなら出てきてくれるのか、とも言い換えられる。
それについては、やはりこの水を基点にして魔力の流れを追って行けば分かりやすかった。単純な話、データ流の束が最も太い道を辿って行けば、そこが本体である可能性が高い。
ここからだと、更に下、この待合室の地下へと下って行く方角に、それはあるように感じられた。
「この下、だとは思うんだけど。どうやって行くんだろうね」
「周りのエレベーターはー? どーなん?」
「あれはどれも、階段が付いているわよユキ? どれも、方角別の上部ブロック行きではないかしら?」
「うーむ、行き止まりか。……にしても、このエレベーター乗った後だと、なおさら階段で行きたくないね」
「階段の柱、まっくろです! 景色が見れそうにありません!」
「何で見えなくしてあるんだろね……」
水の中に潜って、データの流れそのものに乗って行ってしまえば早いだろうが、そうする訳にもいかない。
ハル達はおのおの、このドーム状になっている部屋を見て回ると、どうやらこの部屋の下部は大きな空洞になっていること、そしてこの部屋は水の中を浮かぶように、独立したブロックとして浮遊している事が分かる。
となると、考えられるのは地下からエレベータが接続されてくるか、この部屋自体がエレベータの役割を果たし、移動するかだ。
しかしながら、それを操作するパネルなり何なり、そういった操作ユニットの存在がどこにも設置されていない、ということも同時に分かってしまった。
「どうするよハル君。あ、もしかして一時間に一本しかエレベーター来ないとかだったりして!」
「地下鉄ですね! あれも、確かに待合所がありました! また乗ってみたいです!」
「カプセルですしね。……でも違うわよね?」
「違うだろうね。軍事施設がそんな僻地の駅みたいなのんびりさじゃ、やってられないし」
ならば自分で動かしてやらねばならないのだが、困った事にハル達は今までも正規の操作方法でここまで来た訳ではない。
ならば当然、今回もハッキングしなければならないのだが。しかし今回は、一目で用途が分かる扉やエレベータと違って、この部屋の役割から解析しなければならない。難易度としては難しい部類になってしまうだろう。
「仕方ない。意識拡張しよっか」
「また、あなたはそんな軽いノリで……」
「まあ、どの道やる事になると思うし。アイリもついてるしね」
「お任せください! 全力でサポートいたします!」
このゲームを始める前の、割と無理をしていた時代の記憶が大きいルナが不安がる。
とはいえ今は、精神の同化しているアイリのサポートや、アルベルトが間に入ることによる補助が利いており、以前ほどの負荷は無い。ルナには安心してもらいたい所だ。
……だが、そうなると耐えられるレベルまで無茶をしてしまうのがハルなので、ルナの心配は容易くは払拭できないのだが。
ルナの頭を撫で回しつつ、半ば強引に納得させたハルは、意識をエーテルネットへと深く接続し、もうひとつの小さなエーテルネットとも言える水槽に、解析の手を伸ばしてゆくのだった。
◇
「《ハル様、接続帯域は2%の開放でよろしいのですか?》」
「戦闘する訳じゃないしね。とりあえず、十分でしょ」
「《御意に。限定2%、維持いたします》」
意識を拡張し、この部屋に入出力するデータの流れを精査する。そこから逆算し、この部屋の持つ機能自体も明らかにする事が狙いだ。
意識拡張に伴い統合したした自我は客観性を失い、“僕”の視界自体も少々見え方が変わってくる。
この体は本体だ。平時に、肉体でもって意識統合したのは久々かも知れない。
僕がそんな感慨にふけりつつ、部屋の観察を続けていると、その様子に興味深そうなユキから質問が飛んできた。
「ねーねーハル君。前から気になってたんだけど、その何%っての、なにかな? あれか、シンクロ率みたいの」
「わたくしとハルさんは、100%ですね!」
「夫婦ですものね?」
「夫婦ってそういうものだっけ……、まあいいや。それともあれ? エネルギー開放率的な」
「今のは我の全力ではない。たかだか2%の力だ、なのです!」
「強すぎじゃんそいつ……」
単純計算で本気はその五十倍だ。つよい。
だが別にそういう数値ではない。開放率が上がるごとに、情報処理の精度が上がるのは確かだが。
意識拡張の他に筋力のリミッター解除では、僕はそういう使い方をしたりもする。
「データの入出力の度合いだよ。値が高いと強くなる、でまあ間違ってはいないかな。特にこの世界ではね」
「魔法の理解と発動が詳細であればあるほど、強くなりますものね。単純な話、早いだけでも!」
「なるほど? でも絞ってるって事は、デメリットあるんだよね」
「まあねえ。単純に僕の脳が情報量に耐え切れないというか、負荷で焼き切れるというか」
「……思った以上に危険物だった」
「後は逆に、100%開通させちゃうと、僕の意識が全部エーテルネットに流れ出て行って、そのまま拡散して帰ってこれなくなりそうだね」
「どんな感じなのです? それは」
「ここの水が、外の海と混ざっちゃう感じかな?」
「薄くなって、消えてしまうのです!」
「うわぁ……、ルナちーが心配するわけだ」
「そうよ? 気が気ではないのだから」
「ルナさんも、ハルさんとひとつになれば良いのです!」
ルナに心労をかけてしまっていることを心苦しく思うも、便利なので止められないのだった。負荷も少し休めば良くなる事であるし。
そんなルナは、アイリのように僕と精神を同化させる事を想像したのか、少し顔を赤らめていた。そんな珍しい彼女の表情を愛でつつ、部屋の解析を完了する。
使用しているプログラムが既存の物であるので、処理能力を増やせば加速度的に分析力も増加する。この水槽で言えば、水を何倍も注ぎ足して強引に計算したようなものだ。力技ばんざい。
「この部屋、どうやらそのまま移動するみたいだね。今起動プロセスを実行したよ」
「お、なんか準備してる気配あるね?」
「相変わらず反則的に早いわね? さっきまで『全くわからん』って言ってたのに」
「一滴の水が考えるのと、海そのものが考えるのじゃ段違いって感じかね」
「わたくしもお手伝いしたので、二滴なのです!」
「ありがとう、アイリ」
二滴になったところで、海の前には誤差には変わらないだろうが、なんとなく二人居るだけで無敵になった気分だ。
アイリはいつも僕が欲しい言葉をかけてくれる。
そんな僕らを乗せて、エレベーターシャフトを切り離したこの部屋は、新たなカプセルとなり、更に下へと水槽の中を潜行して行った。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2025/4/19)




