第196話 開錠の呪文が違います
「もっと、ゆらゆらしてるかと思ったけど。意外に、いや、完全に平衡感覚が保たれてるね」
「意外、なのですか?」
「うん。船だからね」
「確かに、馬車も揺れますものね!」
少し違うが。まあ、実感が沸かないのだろう。移動装置は揺れる、という認識でもそれなりに間違ってはいないか。
アイリは海の無い国で生まれ、ずっとそこで育った。王女様ゆえ、川を船で移動する経験も浅そうだ。
一夜明け、ハル達の降り立ったその船上は、予想に反してかなり安定した場所になっていた。
この円盤の構造が船体として優れているというよりも、何らかの魔法的な要因が働いていると考えるべきだろう。
「この船の動力は停止してたんじゃなかったっけ? 波のエネルギーを打ち消すのなんて、かなり力掛かりそうなものだけど」
「そうね? ハルのように魔法には明るくないけれど、それでも仮説は立てられるわ?」
「どゆことルナちー?」
「この船体を浮かべているのも、揺れを押さえているのも、船の効果ではなく、神の力によるものだということよ?」
「おー、そっか。用意したのマリンちゃんだもんね! 運営的な視点って奴だねルナちー」
ユキとルナが話す内容も最もだ。この船は、マリンブルーが用意し浮上させた物だ。それはある意味、プレイヤーに探索してもらう為のダンジョンを新たに一つ増やしたとも言える。
そんなダンジョンが常に波に揺られて船酔いするような場所では、主催者のサービス能力を問われるというもの。
乗り物酔いとは縁遠くなった現代人にも探索してもらいやすいように、船体の環境調整をしっかりと管理している、と考えるのはおかしくない。……プレイヤーの体は酔わなそうだが。
そんな船体上部を、アイリたちと歩きながら見て回る。
表面は凹凸が少なくつるりとしており、やはり魔力結晶によって覆われているようだ。
長年、百年二百年の間、海底に沈んでいたというのに、劣化も起こらず堆積物も見られない。建造当時の、きれいなままだ。
「普通は二百年も経てば半ば自然の一部になるもんだけどね」
「フジツボひとつ付いてないねー」
「フジツボって……、まあ、侵食を完全に跳ね除ける材質のようだし、浮上時の圧力でそういう物は全て洗い流されてしまったのかも知れないわね?」
「海底の環境は激変だね。大変そうだ」
「よく分かりませんが、突然巨大な穴が開いたに等しいですものね!」
そんな、見ごたえの無い遺跡を観光する。
上部構造に突起のような物は少なく、平坦な地平が続くのみだ。少なくとも、通常のドアのような出入り口は存在しないと一目で分かる作りだった。
突起物と言えば、三つの浮遊ビット、イベントにおける『戦艦』が主張するように頭を出している。直系は十メートルほどで、その半分が身を晒している形だ。
空いた他の五つの格納部は窪みとして口を開け、覗き込んでみると海水が溜まっているのが見て取れた。
その唯一とも言える自然の侵食も、じきにこの夏の太陽に照らされてその痕跡を消してしまうのだろう。
「端から端まで、一応歩いてみはしたが……」
「何とも見応えの無い観光地ね?」
「何も無いのです!」
「こりゃ苦労して見に来た人はガッカリだろうね。あ、一応イベントで戦った戦艦てかビットが見れるか」
「それだけじゃん……」
そのビットも、直接対峙したハル達以外は、別に思い出深くも何とも無いだろう。
移動に関しては、<飛行>や<転移>で割と自由に各地に飛べるハル達と違って、まだ普通のプレイヤーは海を越えるのは一苦労だ。
そんな苦労をして見る景色が、この平坦な大地と、申し訳程度の丸いでっぱり。散々である。報われないのである。
「ですが、わたくし、海という物を間近にするのは初めてです! 本当に、見渡す限り水ばかりなのですね!」
「あー確かに。私らでも、こう360度、どっち向いても海ばかりってのは」
「そうね? なかなか経験が無いわ?」
「そうなのですね! みんな揃って、初めてですか!」
「……この中で未経験はユキだけね?」
「もー! ルーナーちー! 誰も居ないからってー!」
初めて、という単語に敏感にルナが反応する。あまりの何も無さに、探索ムードが薄れてきたようだ。
「まあ、確かに遺跡としては見応え無いけど、海は雄大で見応えあるよね」
「はい! わたくし、端っこで海を見ているだけで一日過ごせそうです」
「……ビーチパラソルでも立てて、みんなでご飯食べて過ごそっか」
「はい!」
「はいではないけど……」
「そうね。そこの夫婦は来た目的を忘れないように」
アイリとのんびり過ごす提案をしていると、ユキとルナに窘められてしまう。まあ確かに、今はそんな事をしている場合ではないだろう。
とはいえ、ハルとしてはそういう気分にもなる。何せ内部に入れる気配があまりにも無い。
一応、入場部を果たすだろう構造をした床はいくつか見つけたが、そこが開く気配は特に無かった。やはり何か、鍵のような物が必要らしい。
それとも扉の前で、何か認証キーでも唱えるのだろうか。
「開けゴマって奴だね」
「何かパスワードを入手するイベントを、先にこなさんきゃならないって事?」
「おもむろに、壁に数字が書いてあるのですね!」
「謎よね? 秘匿性ゼロでしょうに」
鍵を持っていなければ、もしくは前提行動が成立していなければ、入り口に来れるだけで入場不可能なダンジョン、というのもまたお約束だ。
何か、曰くありげなクエストでも受けて情報を貰うか、各地の無関係なダンジョンに“何故か”存在するパスワードの断片を集めて来て、それを組み合わせたりするのだ。
『何故』、と気にしてはいけない。そういう物なのである。
「でも、悠長に探してらんないよねハル君。他のプレイヤーもすぐ来ちゃうだろうし」
「そうなんだよね。現地の人らが来たら更にやり難くなるし」
「こんなに安定した土台ですもの。きっと、野営地を作られてしまうのです!」
「……それはそれで、よくやるわね?」
実際、拠点を建てる可能性は高いだろう。そうなったら、オーラの主張が激しいハルはおいそれと近寄れなくなる。少なくとも、NPCがここに到着する前に事を済ませておきたい。
「……入れなそう?」
「いや。入るだけなら入れるんだけど。……そんな期待した目で見ても、ユキの考えてる方法はとらないよ?」
「てへ」
「?? ユキさんは、何を考えていたのです?」
「きっと、暴力はあらゆる鍵を粉砕するマスターキーだという事よ?」
ルナの予想通りだ。扉が施錠されているからといって、ゲームのように正当な鍵を探してくる冒険者は少ないだろう。
物理的に、扉ごと粉砕してしまえばいい。古今東西、あらゆる鍵はその野蛮な解決法に屈してきた。
まあ、中には“扉を壊せる爆弾を作ってくる”事が鍵代わりのクエストになっているゲームもあったりはするが。
「それに身も蓋もない話だけど、この程度の薄い扉、<転移>で越えちゃえばいいし」
「あ、薄いんだ?」
「このくらい見通せない<神眼>じゃないよ」
「ユキさんもスキルで透視してみましょう!」
「む、ちょっと難しいぞ……」
といったように、入るだけならばいくらでも方法はある。ハルが入らないのは、正当な開錠方法に拘っているだけだった。
それは別に、ゲームとして鍵探しイベントを正当にこなすべきだという理由ではない。このゲームに関しては、ゲームとして見ることを止めたハルだ。
ではなぜ不法侵入しないかといえば、それを検出する機能が無いとは言い切れないからだった。
例えば、扉を破って進入すると警報が鳴り響き、休眠状態は解除され、暴走状態となる。戦艦は再び空へと浮上し、付近の街へ無差別攻撃を敢行してしまう。
例えば、転移で内部に侵入すると機密保持機能が働き、全てのデータを消去した上で十分後に自爆してしまう。進入者もろとも海の藻屑と消えるのだ。
……さすがにそれは無いと思うが、内部に格納されたモンスター代わりの遺産が襲ってくる、程度はあるかも知れない。
「という訳で、進入には慎重になってる」
「律儀だねハル君は。あれか、後の人の事も考えましょうってやつ」
「まあ、後続が正当な手順で入ったら警報が鳴っていた、では、やるせないわよね?」
「痕跡は残さないのが怪盗の流儀なのですね!」
怪盗ではないが。まあ、似たようなものだ。自分の行動が原因で、何も知らぬ後続の物が被害をこうむるのは抑えたい。
「でもハル? それこそあなた、<神眼>で全て見えているのではなくって? 魔法の仕掛けならば、あなたのお手の物でしょう?」
「見えてはいるんだけどねー……」
「これは魔法ではなく、結晶化したエーテルなのです!」
「そか。あの地下から出てきた変なのとおんなじだ」
ユキの言う地下から出てきた変なの、ヴァーミリオンで襲ってきた遺産兵器だ。
あれも周囲の魔力を吸収し、魔法式を解さずに魔法のような現象を行使していた。その理屈についても解明は進めているが、最近はイベント続きでそれも思うように進んではいない。
そっちに集中していれば良かった、となるが、言っても詮無い話だ。この世界の事はどれも初めてのことで、またどれも重要だ。どうしても目移りしてしまう。
「まあ、幸いというか、ヴァーミリオンのアレと同じ技術水準だとすると、使われてるプログラムは単純だろうから」
「頑張ってここでハッキングするんだ?」
「そうなる」
幸いといえば、入力に使われる信号も幸い魔力によるものだ。
これで未知の波動による波形を信号代わりにしている、などとなればお手上げだが、入出力結果が詳細に観察できる物であれば後は容易なものだ。
その程度の原始的なプログラム、さほどの時間もかける事無くたやすく開錠してみせよう。
◇
「……わからん」
「だめじゃん!」
ユキの突っ込みが心地いい。そう、駄目だった。
ハルは手始めに、自分の魔力を扉へ流し込んで反応を見た。すると扉は開くことはせずとも、その魔力に対し反応を見せたポイントが存在した。そこが情報の入力部になるのだろう。
後は、入力されたデータに対しての反応を探って行くだけだ。そう思っていた。
「反応といっても、わたくしには分かりません……」
「安心してアイリちゃん。私も分からん」
地面にしゃがみこみ、扉に手をかざすハルの後ろから、アイリが覗き込むように覆いかぶさってくる。
甘えるように体重をかけ耳元から響いてくる声が心地良い。
「またナチュラルにいちゃいちゃを」
「あ、ユキさんもなさいますか?」
「なさりませぬ……」
アイリとふたりで、ころころ変わるユキの顔色を楽しみつつ、再び扉へと視線を向ける。
ハルが何をしていたか、だった。今のところ、特に複雑な事はしていない。単純に、送ったデータに対する帰りをチェックしているだけだ。
「鍵穴に針を通して、どの深さまで押し上げれば反応があるか、って探ってる様子に近いかな」
「ふむふむ?」
「底の見えない穴に石を投げ込んで、石の大きさによる反響音の違いを探っている様子、とも言えるかな」
「ふむ、ふむ……?」
「ハル君、それ人間の耳じゃ普通わからんわ」
そうだろうか? 一流の冒険者ならそういう技能も身に着けていそうであるが。
まあともかく、様々なパターンのデータを飛ばして見て、『当たり』、の反応を返すパターンを探っている訳だ。原始的なプログラムならばこれで容易に突破できると踏んでいた。
「でもこの扉、エラー検出の制度が高いね。飛んできたデータに一つ一つ解を返さずに、ある程度精査して処理する頭を持ってる」
「扉のくせに生意気だね」
「まったくだね」
「……うちの玄関と、どっちが優秀?」
「ユキの家なら秒で侵入できるからこっちが優秀」
「それハル君があっちのエーテルに慣れてるだけじゃんさ!」
腹いせにユキをからかって遊ぶ。そもそもユキの家の防犯を組んだのはハルだ。比較にならない。
当然、プログラムの難解さで言えばユキの家の方がずっと上だ。
そうして、ハルが扉と格闘することしばし、ようやく正しいデータを洗い出す事に成功した。それなりに難儀し、結局作業が終わったのは昼を過ぎたあたり。
女の子達は最初に冗談で語ったように、ビーチパラソルならぬ巨大な日傘を作り出し、その下で海を見ながらお昼ご飯を済ませていた。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2025/7/1)




