第18話 二人の巫女
お菓子を食べ終わると、ユキはそそくさと出かけて行ってしまった。
ハルの戦いに触発されたのか、皆に向かって軽く挨拶だけ済ませログアウトしていく。
結局、帰りも直接ここに転送で戻ってきたハルはまだ未経験なのだが、ログアウトにはどうやら二種類あるらしい。
まず直接ログアウト。これはそのままゲームを終了して現実に帰る。ルナはどうやらこれで上がっているようだ。
ログアウトした場所は記録され、次はその近くへ戻って来れる。
次にログイン画面とでも言うべき、最初の小神殿への帰還。これは厳密にはログアウトではない。そこから各地の大神殿へとワープしてゲームを続ける事も出来る。ユキはこれだろう。
一度神殿ワープするとログアウト地点へは戻れなくなる。だがハルと、その仲間である彼女らは、拠点として登録されたこの屋敷もワープ場所に選べるようだった。
それを知ったユキの行動は迅速だ。用があればすぐ戻るとばかりに武者修行の旅に出た。
彼女は常に旅をしている。旅人だ。例え家から一歩も出てないとしても。
「行ってしまったけれど、共有すべき情報はもう無かったのかしら」
「あるけれど、ユキはあれでいいよ。後でまとめて知らせればいい」
話し合うよりも、力を付けてもらった方が結果はプラスに転がるだろう。
在野のユーザーと接触する事で、何か化学反応もあるかもしれない。
「それに、ユーザーとNPCは仕様上、交わらない存在だ。無理に付き合わせる必要は無い」
「付き合ってくれるわ。彼女は」
「……そうだね、感謝しなきゃ」
「……」
ルナの言うとおり、ユキは付き合ってくれるだろう。それが例え自分のプレイの効率を下げる事になっても。
ゲームに対してひたすらに求道的な彼女にとって、それが持つ意味は大きいことはハルも理解している。
「ハルさん、他にも何かお話があるのでしょうか」
「ああ、もったいぶってごめん」
「順を追って話そうとして時間が無くなるのは、あなたの悪い癖ね」
のんびりしている、というよりも無頓着と言った方がいいのだろう。
ハルは眠らない。それを差し引いてもゲームにはログインしっぱなしだ。無意識に、いつでも話せる、という感覚を持ってしまっている。
「私達はともかく。アイリちゃんにも予定があるわ」
「そうだね、注意するよ」
当然、アイリを支えるメイドさん達にもだ。
いや、そう言うルナにだって予定はあるだろう。それでなくても今日は待たせてしまっている。
「さて、ここまでもったい付けておいて確証が無いのが申し訳ないんだけど。王子の側にも神の信徒が付いていると思う。王子本人じゃなさそうだけどね」
「……考えられる話ではありますね。皆様のことをよく知っているような口ぶりでした」
「うん。それに、これ」
ハルは黒いカードをつまみ上げ、指の先でわざとらしくクルクルと回す。
アイリの視線が興味深そうに釘付けになる。
「かすかだけど、目で追った人がいた」
◇
「ここだね。ほらこの人」
「わかりません!」
「そうね、見分けが付かないわ」
再び録画を再生して確認する。
残念ながら、距離を引いた撮影のため上手く確認する事は適わなかった。
動画越しではAR表示が出ない事が悔やまれる。出ればアイリに確認してもらって一発だったのだが。
ハルは王子を相手に、ウィンドウが見えていないかを露骨に試していた。
王子の視線はそれに微動だにせず、彼は恐らく見えてはいなかったのだが、彼の従者達の中にかすかな反応を示した者が居た。
非常に僅かな反応だった。見えている事を悟られてはいけないという意識で必死に自制していたのだと思われる。
これは思ったところですぐに実践できるものではなく、そのための訓練を重ねたであろう事も同時に示唆している。竹を割ったような性格の王子よりも、ある意味こちらの方が警戒に値するかもしれない。
──最初のメイドといい、向こうの人は暗躍が好きなのかね。
「人間、こうやって目の前をふらふらされると、どうしても目で追っちゃうでしょ。王子にそれを仕掛けてたんだけど、この人が反応した気がしてね。で、王子と雑談してる時とか、気が抜けた瞬間に急に動かしてみたりしてね」
「ハル。意地が悪いわ」
「目で追っちゃいますねー」
アイリは目どころか、顔全体でカードを追いかけている。
かわいいので、ついハルはぐるぐると動きを大きくしてしまう。
楽しそうに顔の上を飛び回るカードを追いかけるアイリの姿はまるで猫じゃらしを追う猫のようで、次の瞬間には、カードを捕まえようと素早く手を伸ばすのではないかという錯覚を抱かせる。
ひとしきり、その姿にルナと二人癒された。
「目が回りましたー」
「アイリちゃん、とても愛らしかったわ」
「えへへ、お恥ずかしいです」
ひとしきり楽しんだ。
お礼代わりにカードを手渡すと、それをつんつんし始めて、また癒された。
「と、こんな風に、動かされるとつい反応しちゃうんだよ」
「本当ですね!」
「……そうね」
普通はアイリほどには反応しない、という言葉をルナは飲み込んだのだろう。
アイリも、ハルやルナが相手でなければこうはなるまい。突っ込んでやるのは野暮というものだ。
彼女がこうして子供っぽい態度を取るのは、誰かに甘えるという行為に慣れていないせいかも知れない。メイドさん達も、まぶしいものを見るように目を細めている。
ただ、いつもはっきりと言うルナにしては珍しい事だ。
「それでこの方が目で追ったという訳ね」
「うん。少年のような装いしてるけど女性かな。王子もアイリのことを巫女って言ってたし、信徒って女性がやるものなのかな?」
「いえ、特にそういった決まりはありませんよ。こちらでは巫女という呼び方はしていませんし、男性の方もいるはずです」
巫女という言葉は、公式説明には載っていなかったはずだ。
王子は特に考える事無くその言葉を口にしており、彼にとっては常識なのだろうと感じられる。
「まあ、ミコって響きだけなら神の子とか、他にもあるからね」
「さすがにそんな不遜な事は言わないのではないでしょうか」
「ハル。ここで議論するより女神カナリーに直接聞いてみてはどうなのかしら?」
「そうですね! カナリー様は何もおっしゃっておられなかったのですか?」
勿論、何も言わない。
彼女が口を開かない時は大抵が言えない事だ。なのでハルは半ば選択肢から除外していた。
それに以前、信徒を見分ける方法についての質問を曖昧に流されてしまっている。
「そうだね。まあ、“聞かれなかったから言わなかった”って事もあるし。確認はとっておくべきだよね」
◇
──<神託>
「お呼びですかー」
「お呼びですよ。こんにちはカナリーちゃん」
「こんにちはー。何か問題がありましたかー。あ、無くてもどんどん呼んでいいんですよー」
「そっか、ありがと。いくつか質問があるんだけど、まず、さっきの神殿の連中に他の神の信徒は混じってた?」
「居たかも知れませんねー」
やはり教えてくれなかった。
以前の話を総合すれば、見分ける方法はあるが、初期状態ではプレイヤーにそれは備わっていない。ということはつまり、自分で攻略法を探しましょうという事なのだろう。
普段なら『その通りだな』、と納得し攻略に戻るハルであるが、今回はアイリに関わる事だ。もう少し聞いてみる事にする。
この神様、つつけば案外喋るかも知れない。
「じゃあ、彼らがアイリの事を巫女って言ってたけど、信徒は女の子しかなれないのかな」
「特にそんな決まりはありませんよー。老若男女、区別はないです。まあ、中には女性しか選定しない神が居る、ということもあるかもですねー」
「カナリーちゃんは?」
「私は特にそういうのはー。そもそもアイリちゃん以外に居ませんしねー」
「身に余る、光栄でしゅ」
アイリはまだイマイチ慣れないようだ。噛んでしまう。
自分達相手には、こうならずに接してくれて本当に良かったとハルは思う。ただし、噛むのはかわいいのでやってほしい。
そして地味に、神はひとり一信徒という制限は無かった事が分かる。
当然と言えば当然なのだが、今までアイリしか見ていなかったので、そういうものか、と思い込みそうになっていた。
「では女神カナリー? 私たち使徒に関する情報を教える事は許可されているのかしら」
ルナが聞く。王子らがこちらの情報にやたら詳しかった件だ。
自分達のようにプレイヤーと接触したのかとハルは考えていたが、信徒が傍に控えてるということは、神様から直接仕様を教わったという事もあるのではないか、という話だ。
「それは問題ないですー。現に私もアイリちゃんにいくつか教えていますしね。どこまで教えるかはその神の裁量とか状況次第になりますがー」
「神は信徒を使って、何かしようとしてるのかしら」
「ええ色々と。私もアイリちゃんに指示を出してお二人と接触させましたよね。そんな風に自分の手足となる存在なのですー」
その割にはカナリーは他に何も指示を出していない。
今はハルが手足となる存在となったからであろうか。いや、ハルも特にカナリーからは指示を与えられてはいないか。
「カナリーちゃんも何か目的があるの? それ以外は何もやってないみたいだけど」
「私は現状にわりと満足していますのでー」
教えてはくれなかった。身持ちの固い神様である。
◇
《スキル・<神託>のレベルが上昇しました:Lv.6》
そろそろ<神託>もレベルを上げていった方がいいだろうか。
ハルはそう思い、ストックしておいた回復薬を潤沢に使いカナリーをこの場に留める。
<神託>を使って欲しい、は数少ないカナリーからの直接の頼みだ。
消費が大きく、今まではおいそれと使えなかったが、王子との接触も済んだのだし上げる事を考えても良い頃だろう。
まだこの場に居られる事を察したカナリーは、これ幸いにと、にこにこ笑顔で遊び始める。普段より二割増しではしゃいでいる様子だ。おおげさに喜びを表現している。
神殿で見せたように大きな姿に戻り、恐縮するアイリの頭を撫で回したり。
自分の姿が見えないメイドさんの周りを飛び回ったり。
その姿は女神というより、いたずら好きの妖精のようだった。ちょうど羽も生えている。
いや、妖精の羽はカナリーのような天使の羽ではなく、もっと薄い羽だっただろうか。
無邪気なその姿は可愛らしいのだが、メイドさんが少し気の毒なので止めた方がいいだろうか。
メイドさん達にはカナリーの姿は見えないのだが、主人のアイリがおろおろする姿を見て、彼女達もちょっとおろおろしていた。
──やめて差し上げろ……。
「ま、まあ、カナリーに目的が無くて、僕らが自由に振舞えるのは良い事だけど。じゃあ向こうに信徒が居て、神から情報を貰っていたと仮定しようか」
「そうね。その方がいいでしょう」
見かねて、という程ではないのだが。あまりカナリーのいたずらが加速しないうちにと、話を再開するハル。
カナリーも定位置のハルの傍に飛んで戻ってきた。
「その場合、あの王子は傀儡という事になるのでしょうか?」
「それは断定できないかな。わりと我が強そうだったし」
「我が強い事と傀儡にならない事は、イコールではないわ」
「どういう事だろう」
ルナの言葉に首をかしげる。ハルにとっての我の強さ選手権の代表はユキだ。
彼女が誰かの都合の良いように動かされる姿は全く想像できない。何せ全て叩き潰される。
操り糸を絡めようとしたら、きっとそれを手繰って引き寄せられ、挽き肉にされるだろう。
「彼、国のため、などと口にしていたのでしょう? そういう正義感は利用しやすいわ」
「なるほど、“善意で兵器を安売りしてもらった場合”か」
それならハルにも分かりやすい。
にっくき敵国との戦争中、安く武器を卸してくれる同盟国があった時。
国境に陣取る巨大モンスターを攻めあぐねている時、その弱点のうわさが流れて来た時。
そして、魔力豊かな土地を欲している王子に、そこを手に入れるための情報が齎された時。
都合のいい状況に人は飛びつく。その結果、第三者にとって更に都合のいい状況になるかも知れないことは頭から抜け落ちる。
いや、分かっていても飛びつかざるを得ない場合もあるだろう。
「ハルも得意でしょう?」
「うん。……いや、人を悪役みたいに言わないで?」
「ハルさんは陰謀家だったんですねー」
「カナリーまで」
アイリに悪印象を抱かせるのは止めていただきたい。
幸いアイリは特に反応を示さなかった。彼女もまた、権謀術数に身を投じる事があるのだろうか。
「何の話だっけ……。そう、向こうの信徒の企みだった場合、すなわち向こうの神の企みだ。彼の国を守護している神は誰なんだろう」
公式紹介にはこの国の神の事しか記載されていない。
カナリーから答えを待つが、貼り付けたような微笑を一切動かさない。語る気は無いというサインだ。
その様子を見て、カナリーの手前、率先して答える事を遠慮していたアイリがおずおずと口を開く。
「守護を与えている訳ではなかったはずですが、国内に、戦いを司る神セレステの神域があったはずです。その信徒と考えるのが妥当ではないでしょうか」
「聞き覚えがあるわ」
ハルにも聞き覚えがあった。
最初、ゲームのサービス開始より前、キャラクター作成の時に出た名前だ。
「ルナの最初のガイドの神だよね。ねぇカナリーちゃん? それってさ……」
「そうなんですよねー。いやー、申し訳ない事に原因、私のせいなんですよねー」
あっさりと白状するカナリー。
自分でたどり着いた場合、それに関する情報は開示しても良いということか。
「いや、どっちかって言うと僕のせいだよね、多分……」
ハルは詳細を知らないが、ルナに勧誘をしたせいでペナルティを与えられた神。
そしてルナから伝えられたその情報によって、ハルとカナリーはちゃっかりと契約を果たした。
「逆恨みされるには十分ね」
全く持ってルナの言うとおりである。
《スキル・<神託>のレベルが上昇しました:Lv.7》
◇
「アイリちゃんにも予定があるでしょう。話して解決する問題でもないし。一区切りつけましょう?」
ルナからそう提案が入り、ひとまず解散となる。
ハルにはありがたかった。自らが原因の一旦である可能性が浮かび上がり、居心地が悪くなっていた。
アイリに糾弾される想像をすると、息が詰まる。彼女はそういう事は決してしないと理解していても、それを振り切れなかった。
「ハルさん」
そんなアイリから声がかかる。
優しい顔だ。やはり彼女は責める事はしないと安堵し、同時に申し訳なさがわいてくる。
「セレステ神との間に何があったかは存じません。ですが、わたくしがあなたとの出会いを悪く思う事など決してありません。どうか、お気に病まれませぬよう……」
「うん、ありがとう、アイリ」
ハルとしても同じ気持ちだ。
エゴだったとしても、迷惑になったとしても、出会いを悔いる事などしたくなかった。
「僕だってそうだ。君との出会いを後悔することなんてありえない。僕の招いた事であるなら、僕自身が決着をつけるさ」
ちょっとカッコつけた。
「ハル? 舞台の上のようなやりとりに、メイドさん達がキラキラしているけれど、それは大丈夫かしら」
「……あまり大丈夫じゃない」
「ふふっ」
ルナが居たのでイマイチ決まらなかった。見ないようにしていた現実を直視させられる。
アイリの方は慣れたもので、メイドさんに向けて得意げにしている。あのレベルまで達しなければならないのか。
「では、わたくし少し席を外しますね」
アイリとメイドさん達が退出していく。何人かは残ろうとしたが、ルナが下がらせた。
今は三時か、四時になろうという頃か。昼からずっと待機していたのだ、疲れも、仕事も溜まってしまっているだろう。
「ねぇハル。良い機会だから聞いておきたいのだけど」
「何だろう」
そんなタイミングを見計らって彼女が聞いてくる。
声が硬い。
冷たい印象を受ける彼女だが、ハル達と話す時はそれに反して意外と声はやわらかい。今はそれが無くなっていた。
いつも少し伏せられたその瞳が、今は一層鋭くなっている錯覚がある。
真剣な様子に、ハルも姿勢を正した。
「この世界の人間、あなたは殺す事ができて?」
それはつまり、この世界の人間をどのように見ているのか。
今後どう関わっていくつもりなのか。その核心を、ルナは真っ直ぐに突いてきた。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2025/5/21)




