第1790話 砕け細胞の一片までも
翡翠の怪樹に対しては有効だった疑似細胞への癌化攻撃。それがこの超巨大スラグには通じない。
ルシファーの新装備である黒い大剣の力は、傷つけた疑似細胞の細胞増殖命令を暴走させる。
しかしどうやら、今はそもそもが暴走じみた増殖状態にあるのでそうした介入が無効にされているらしいのだった。
「そんなのあり? 翡っすんでも防御しきれなかったじゃんこれは!」
「……まあ、むりやり納得するとすれば、翡翠は神とはいえ一人で全て操作していたのに対し、今の彼らは複数だ」
「それに、エリクシルネットの意識さんも協力しているのです!」
そうして得た潤沢なリソースにより、末端の各部位に至るまでスラグの細胞を制御できている。そう考えることも可能。
だとすれば、細胞をバグらせるプログラムを注入しても手動で排除する余裕があるのか。
「彼らの望む増殖の方向性が、こちらの増殖誘導を上回っているのね?」
「ですかねー。あとは、中に入ってるヒトたちの特性もありますかねー?」
「というと?」
「あれですよルナさんー。匣船さんたちってば、元々物を作るの得意だったじゃないですかー」
カナリーの言うのは、彼らが日本に居るうちから活用していた超能力。匣船家の持つ代々の能力特性は、<物質化>に似た無から有を生み出す物質生成。
そうした彼らの特性が、ダークマターを材料に疑似細胞を生成するスラグの特徴と相性よく噛み合っている可能性は考えられる部分であった。
「そう。彼らを狙い撃ちにして、この地に呼び寄せた理由の一つがそれさ。ボクのスラグと、能力的に好相性である可能性は高かったんだ」
しれっとこの場に付いて来た、頼んでない解説役のスイレンもそれを肯定する。
勝手に乗って来るなと言いたいハルであったが、一応仲間として支配した身ではあるので、文句を言っていいものか否か判断に迷う。なので、放置する。
そんなハルたちの冷たい視線にもまるでめげず、スイレンはマイペースに言葉を続ける。
その内容は、さすがに無視する事の出来ぬ致命的な問題をハルたちへと指摘するものだった。
「それに、効かないのはなにもその剣だけじゃないんだよ? 飛来するダークマターをかき乱すその光輪も効果は薄く、内部を侵食しハッキングを仕掛けるそのニードルだって思うように力を発揮できていないだろう」
「……そうね。さっきから何度か発動しているけれど、光輪のジャミングがきちんと働いているようには思えないわ?」
「悔しいですがこっちもそうですねー。侵入して細胞の命令系統を探っていますが、正直まったくちんぷんかんぷんですよー?」
「当然さ。翡翠の時は、同じ神としてまだ同系統の技術で戦っていた。しかし今は、まったく未知のラインを通じてこのスラグは動いているからね。実を言うと、ボクにも完全には理解できていない」
「そんな技術をいきなり実践投入するなよ!」
反応しまいとしていたのに、ついツッコミを入れてしまうハルなのだった。ソウシのありがたみが身に染みる。
「……いや、いい。君らのそういう部分は今さらだ」
「今問題なのは、みっつの追加武装でも決定打にならない、という部分ですね……!」
「そうだよアイリ。それに、根本的な問題として『勝利条件』がかなり厄介になっているという所だね」
「勝利条件。この、おおきなスラグさんを、小さく小さくバラバラにすること、でしょうか」
「当然それが一つだね」
「だが茨の道だぜぃ。エメっちょたちの黒い神器も役立たずとなると、直接戦闘で消滅させるのも余計に面倒になる!」
「《役立たずって言わないでくださいっすよお! 今、わたしたちもフィードバックを元に必死に改良作業中っす! とはいえ、間に合うかどうかは未知数としか言えないのも確かっす! 新装備の提供は、残念ながらお約束できません!》」
「しゃーない。現地の戦力でどーにかすっさ」
そうやって物理戦闘で撃破出来るなら、特に言う事は何もないだろう。しかし、それが難しいのがこのスラグという存在。
無尽蔵な再生を繰り返すこの相手には、どうしても搦め手で労力をかけずに勝利したくなる。
「とはいえー、前回同様ハッキングで勝利も難しいですー。さっきも言ったようにー、正直どこをどうしたもんか。まるで学部の違う教科書でも眺めてるみたいですよー」
「カナリー、教科書なんか眺めた経験ないでしょうに……、とはいえ、きつそうなのは分かるわ……?」
「……それに、今回の相手は翡翠様のように神ではありません。“はっきんぐ”が成功して居場所を見つけても、支配して勝利とはいかないのです!」
「そうさ。彼らは、ハルくんに触れれば問答無用で従ってしまうボクらとは違う。性能的には脆弱な彼らではあるが、ことキミと対峙するならば恐ろしい敵となる」
そう。翡翠の場合はコントローラーである彼女まで辿り着いてしまえばそこで勝利が決まったが、今回はそれは出来ない。
まずどのような経路でスラグに意識を飛ばしているのか全く分からない上に、仮に辿り着いたとしても、そこからどうすればいいのか見当もつかない。
神ではないので支配は出来ず、もちろん、彼らの意識を消失させて勝利などもっての外だ。
「……ならば残るは、やはりこの依代たるスラグを完全消滅させるより他にない」
「出来るかな? キミたちは翡翠のスラグも物理的に打倒することは不可能だった」
「やってみせるさ。翡翠の怪樹よりは、こいつの方がまだ小さい」
「大きさは問題じゃないんだ。こと“死なない”事に関しては、自画自賛になるがボクのスラグの右に出る存在はいないよ」
改めて、言われるまでもなかった。この疑似細胞と出会った時点から、ハルはこれを完全消滅させる難易度の高さを新たな頭痛の種としていたのだから。
「……まあ、いつものことだ。想定された無理難題を、実際に解くことになっただけ」
「その意気だ! やろーぜハル君!」
そう、やるべきことは最初から変わっていない。ただ楽な逃げ道が封じられただけ。
しかしスイレンのこの自信の通り、果たして正攻法で本当に、ハルたちに超巨大スラグを倒しきる事が出来るのだろうか?
*
「うわっ! なんか出て来た!」
攻撃を加えてもテレポートで一瞬で離脱してしまうその巨身。それを必死に追跡するユキが、進行方向に異変を発見する。
ユキの言うように、超巨大スラグの身体からは何やら小さな、といっても十分に巨大なサイズのスラグが分離し、本体を守るように陣形を組み周囲に展開して行ったのだ。
「む、虫ですっ! 虫の群れなのです! い、いい気分はしませんね……」
「あれは、最初に植物スラグを持ち上げていた飛行用の個体かしら? ずいぶんと数が出て来たわね?」
風を操るスキルを持つ蜂のようなスラグ。それが、本体から離れしかも分裂して襲ってくる。
先ほどまでは、必死に分離しようとしても不可能だったというのに、今は自ら切り離している。
このことからも、総体としての安定性が凄いスピードで増していることが察せられた。
「なんだなんだー! デカいブロックが鞄に入らないからって、無理矢理分割してきたか! だがデカい物をデカいまま収納するからこそ、出来たとき爽快なんだろーに!」
「ユキさん! 収納ゲームの事は今は忘れましょう!」
「そうね? この大きさだと、ソウシの妨害も無意味だわ?」
敵はソウシが空中に刻んだ『空間の焦げ跡』を巧みに避けながら、本体の入れぬ街の上空へと侵入する。
早くも状況に対応して来たこの応用力は脅威。しかし、同時にハルたちにとってはチャンスでもあった。
「愚かですねー。確かに小回りはききますが、デカいから大変だっただけで、こんなに細かくなってしまっては良い的ですよー」
「そーさね! よし! あんなかの一匹に取り付くぞカナちん! 息合わせて一気に仕留める!」
「はーい」
まるで近未来の戦闘機やヘリコプターといった流線形をしたその昆虫スラグへ、ハルたちの乗る天使は激しい空中戦を繰り広げる。
敵は動力兼攻撃手段となっているその風で、烈風のメスのようにルシファーを攻撃するが、その程度の攻撃が効くルシファーではない。
風は装甲板に弾かれて流れ、装甲を貫けたとしても大したダメージにはなりはしない。
ルシファーの内部はほぼ空洞であり、そこにはナノマシンであるエーテルがぎっしりと雲のように詰め込まれている。
ある意味スラグと似た構造であるこの機体には、切断による攻撃などまるで効果は及ぼさないのだ。
「とはいえ敵もナノマシンの集合体ー、切ったはったでは効果は薄いですからねー。じゃあ、“こう”ですよー?」
「やっちゃえやっちゃえ!」
そんなルシファーの内部の高濃度エーテルが、ついに捉えた敵の身体を包み込んでいく。
激しい追跡の末に追いつかれ後ろを取られた蜂はそのまま、黒いケーブルに絡め取られて身動きを封じられる。
そのまま、直でエーテル分解により全身を溶かされて、それこそ細胞の一片すら残さず消滅していった。
「撃破ですよー?」
「よっしゃ! このまま他のも、各個撃破じゃ!」
「そうね? このまま体積を減らしていければ、勝てるのではなくて?」
「果たして、そう上手くいくかな?」
「スイレンうるさいですよー。黙っててくださいー」
だが、スイレンの不吉なつぶやきも実際無視はできない。
仮にこの対処法が上手くいったとしても、果たしてどこまで、どこまで敵の体積を減らせばそれは勝利となるのだろうか?
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




