第1760話 路地裏から誘う、彼女
ハルたちが不思議で愉快で美しい通りを進んでいると、ふと進行方向の路地の脇から気配を感じた。
さすがにメインの通り以外には、煌びやかなハロウィンの装飾は行き渡ってはおらず、小さな脇道などは一歩踏み込むと暗がりが広がっている。
とはいえその程度は、猫の通り道として残しておいてもいいだろうと手つかずのままでいた。時間もなかったことだ。
しかし、今はその落ちくぼんだ闇の中かに潜み、じっとこちらを窺う怪しい気配が感じられるのだった。
「……うーん。やはり防犯上の観点から、潰しておいた方が良かったか」
「大丈夫だよ! 猫王国の細い道は、秘密で素敵な冒険の世界だもん! ねこの案内に付いて行って、飛び出た広場はねこの集会場になってるんだぁ~」
「すてきですー……」
「いつだったか、お正月に皆で細い路地を歩いたときの事を思い出すわね?」
「あったねー。あんときも、メタ助の案内に付いて行ったっけー」
「ふみゃーご♪」
「秘密基地でおやつをたべましたよー」
のんびりカレーを作って食べたりもした。懐かしい話である。
今年も気が付いてみればそんなお正月がそろそろ目の前で、月日の流れというものをひしひしと実感するハルだ。
とはいえ悪いことばかりではない。今回の正月は、ハルたちのこうした話を羨ましそうに聞いているヨイヤミにも、そうした探検を楽しんでもらえばいい。
こうしてすっかり元気に遊び回れるようになった彼女だ。来年の始めは、少し遠出して冒険してみるのもいいだろうか。
「……とりあえず、無視は出来そうにないね。このまま引き返したい気分ではあるけど」
「だめだよハルお兄さん! 冒険から逃げたら、物語が進まないんだから!」
「開始しなくてもいい物語もあるんだけどなあ……」
嫌な予感をひしひしと感じつつも、ハル一行はそのまま怪しい路地の前へと到達する。
薄暗がり特有の不気味な雰囲気にアイリが怯えるが、安心していい。幽霊がそこに待ち受けているなんてことはあり得ない。
……まあ、待っているのは、ある意味そんな幽霊よりもずっと怖ろしい怪異かも知れないのだが。
「ひゃあっ! ……って、おや、アメジストさんでした。びっくりしたのです!」
「アメジストちゃんそんなトコに隠れてなにやってんのー?」
小道に潜み、その瞳を猫のように不気味に輝かせていたのはアメジスト。宝石のように特徴的な紫の髪の毛が、闇の中に浮かび上がる。
そんな暗い路地の中から浮き上がるように、その幼い姿を塗りつぶすような妖艶な仕草で、ゆっくりとアメジストは現れたのだった。
「ねぇ、お兄さん? どうかわたくしを、買ってくださりませんこと?」
「えっ。なにやってんのお前。何その恰好……」
「えっちだ! アメジストちゃんがえっちだ! あっ、元からか」
「攻めてんねー、ジスちゃん。奴隷コスってこと? すけすけじゃん!」
「これは仮装なのかしら……」
「見ての通りこっちはハーレムなんですー。お前なんてお呼びじゃありませんー」
「あら? ハーレムなんだから、いまさら一人増えたくらいで問題ないのではありません?」
「問題あるのはお前の思考ルーチンだよ。許されると思ってるのか、猫王国でそのレーティングが」
今にも透けてしまいそうな薄いキャミソール一枚だけを纏って、首と手足には頑丈な鉄の輪で拘束されている。
奴隷や娼婦を思わせるその姿は、仮装だからと、ヨイヤミが治めるこの健全な猫王国のイベントで許される範囲を越えているとしか思えなかった。
……困ったのはそのヨイヤミ本人が、何故か大喜びではしゃいでいるという部分だが。
「……だって、仕方ないじゃありませんか。この首輪も手足の鎖も、解除して貰えませんでしたもの」
「あはははは! それで仕方なく、鎖に合わせたコスプレにしたんだねー」
「お前は普段から仮装してるようなものなんだから、そのままでいいだろ……」
「嫌ですわ。わたくしだって、皆さまと一緒に遊びたいですもの!」
「それはいいけどさあ。もっと他にあったろ……」
「何がありまして? 半裸の剣闘士とかでしょうか? それはルナさんと被りますわ?」
「……一緒にされるのは不本意ね」
「半裸と奴隷から離れろ。ほら、あるじゃん。フランケンシュタインとか」
「あー確かに拘束されてそ」
「嫌ですわ? かわいくないですもの」
奴隷や娼婦は可愛いのだろうか?
ハルとしては、出来れば拘束された怪物にでもなって欲しいのだが。実情にも即していることだし。
「……まあいいや。身内の祭りだ。人前には出るなよアメジスト」
「もちろんですわ。わたくし、見せびらかす趣味はありませんことよ? ささ、どうぞこちらへハル様。ベッドの準備も出来ていますの」
「さっすがアメジストちゃん! 小物の準備もばっちりだね!」
「残念ですがヨイヤミちゃん。そちらは、わたくしの手配ではありませんの」
「こいつの馬鹿に協力したバカが他にもいる……、だと……?」
「頭アメジストですかー。神の世も末ですねー」
そんな変神が他にもいたことに、ハルは驚きと恐怖を隠せない。だがどこの馬鹿だとばかりに、怒りでそれらを隠しながらハルは彼女の後を追う。
それがアメジストの術中であることに、気が付かないハルだ。
そうしてまんまと連れ込まれた怪しい小部屋に、果たしてそのベッドは存在した。
「ベッド。私が」
「……なんだ、こいつ」
「もすもすじゃん!!」
「どうですハル様。ベッドでしょう?」
「ん。私自身が、ベッドになった。どう?」
「非常に頭がおかしいとしか思えない……」
「おお~~?」
「わたしは止めたんすよ!」
連れ込まれたその怪しい部屋には、アメジストの宣言通りにベッドが、正確にはベッドの仮装(??)をしたコスモスが存在した。ついでにエメも。
この一発ネタをしたいがために、どうやらわざわざ裏路地の客引きのマネまでしてハルたちを連れて来たようである。
企みが成功して実に満足、ご満悦といった笑みを浮かべるアメジストの隣で、ベッドに扮したコスモスは微動だにせず、一切その場を動く気はないようだった。
「ベッド」
「うん……、それは分かったから……」
「一緒に広場で遊びましょうって言っても、テコでも動く気ないらしいんす、この子。なにしに来たんすかね……」
「ま、まあ、こうして参加する意思を見せてくれただけで、ありがたいとも言える……、のか……?」
「ベッドは自ら動かないー」
「まあ、そうだね……」
「コスモス様なりの、美学のようなものを感じるのです!」
「怠け者なだけですよー」
そんな、枕の中から顔だけを出した、頭のおかしいコスモスの仮装。それを見た者の反応は脱力し呆れかえるか、爆笑するかの二択だった。
一応、そんなお腹を抱えて笑うユキも今は同じように顔だけ出した着ぐるみなので、似たようなものという事も出来る、のかも知れない。
「それでエメ、お前はずいぶんと懐かしい格好をしているね」
「あっ、そうなんすよ。気付いてくれましたか!」
「これは確かあれね? エメがまだ、人間に混じって現地に溶け込んで隠れていた時の、冴えない研究員としての格好ね?」
「冴えないは余計っすよルナ様ー!」
なので一見すると、どこにでもある普通のローブ、こちらの異世界の普段着だ。
その時点でファンタジー世界の衣装なので、ハルたちからすればそれだけでもギリギリ仮装として成立するか。
まあ、そうした前提があって初めて成立する、『身内ネタ』のようなものである。
「とりあえず、こんな場所でずっとじっとしてても仕方ない。エメは悪いが、このベッドを表に運び出しておいてくれ。アメジストも手伝うんだよ」
「はぁい」
「了解したっす!」
「うごかすなー。外の喧騒の中では、寝つけぬ……」
「いーから行くっすよコスモス。アメジスト、そっち持つっす」
「どうせ寝られないんだから、観念なさいなコスモス?」
「う~、お~~っ」
二人に両端を持ち上げられながら、喧騒の中に連行される哀れなベッド。
まあ、こうして来てはくれたのだ。参加すればそこそこ、楽しんでくれることだろう。
「……なんだかどっと疲れた」
「妙な出し物だったわね……」
「いやーウケたねぇ」
「体を張ったギャグ、見習わなきゃ!」
「見習わなくていいですからねー?」
奇妙な寸劇に付き合わされたハルたちは、一同それぞれの感情を抱えながら、元来た路地へと戻るのだった。
*
「よーし、でかいねこ。お前は今日から、ここに住むといいよ!」
「《ぶみゃ、ぶみゃーん》」
街の喧騒から離れ、静かに佇む丘の上の城へと辿り着いたハルたち。その城の一角にある大きな扉を、ヨイヤミがその小さな体で精一杯開いてゆく。
ケットシーの巨体も通り抜けられるその門は、彼の家となる条件を備えた唯一の施設として成立するようだった。
それにより安住の地を得たこの巨大な猫は、どうにか路地に寂しく寝っ転がる事にならずに済んでほっと安堵の息を吐いているようだ。
「あれ? でも先客が居る! でかいねこ。残念だけど、ここは使えないみたいだよ?」
「《ぶみゃあ!?》」
そんな礼拝堂のような大広間には、既に先客としての神の姿が存在した。
彼女はどうやらこの城の各所に花を植えて回っているようで、心配しなくともここに住むことはないだろう。
「あら? あらあら? ハル様に皆さま、それに小さな女王様。お邪魔してしまったらごめんなさい?」
「んーん、大丈夫! マリーゴールドちゃんはお祭りには行かないのー?」
「いえ、いえ。きっともうすぐ参加させてもらいます。それでも、もう少しあと少しだけ、このお城の飾り付けをしておきたいんです」
「おー、真面目さんだ」
「マリーちゃんも、お花が大好きなんですよっ」
彼女を手伝いに走る翡翠と共に、文字通り花を添えて行くマリーゴールド。
そんな作業を見守りながら、ハルたちはこの新しいケットシーの家で、少しばかり休憩し先ほどの疲労を抜いていく事にしたのであった。




