第176話 人魚になる彼と彼女とまだ見ぬ彼ら
このダンジョンの名称は『藍の水中洞穴』というようだ。他のダンジョンとも見比べてみないと分からないが、『藍』の名を冠している以上、何か代表的なダンジョンなのかも知れない。
位置的に、ここが中心的な存在という線は薄いだろう。所在地は国境沿いであり、一番最初に開放されるはずの場所、という可能性が高いとハルは踏んでいる。
中はアリの巣状に入り組んでおり、通路には行き止まりが多く存在する。とはいえ通路自体は広めに作られており、こういったダンジョン特有の窒息感は薄くなっている。
ハルとユキは、その通路を一つ一つ念入りに調べながら、少しずつ地下へと下って行った。
「ハル君ってば探索はマップ全部埋めてからゴールに着くタイプだよね」
「ん、おおむね。ただゲームにもよるかな」
「コピペして意味の無い迷い道で水増ししたり、制限時間を無駄に消費させる為なタイプあるもんね」
「ユキはまずゴールに着いちゃうタイプだね」
「そうそう。まずガーって行って! なんか必要な要素あったら戻る」
「ガーって行ったら橋が落ちて、一品物のアイテムが回収不能になったら?」
「そんなクソゲーは記憶から消す」
中にはそんな、一周目完全にお断りで、二周目でそれらの要素を回収していくのが楽しいゲームもあるかも知れないのだが。残念なことだ。
だがハルも、初回は罠に嵌めようとするゲームはあまり好きではなかった。ユキも、そんなハルに影響されて好みを変えていってくれているのだろうか。
「そんなユキちゃんが感じるに、正解ルートはどっち?」
「んー? 左かな。あっ、ハル君の正解は右」
分かれ道の行き止まりに、アイテムが落ちていたりする。それを余さず回収するようなプレイにおいて、行き止まりへ向かう方の道を『正解』、ゴールへ直行したら『不正解』と揶揄したりするものだ。
この場合ユキの直感は正しく、右側に進むと行き止まりながら、そこには採取ポイントが配置されている。
「今日もユキの直感は冴え渡ってるね」
「えっ、当たりなん? ハル君この先のコトもうわかるん? いやわかったぜ、魔法でソナー飛ばしてるんだ!」
「不正解。この施設、全部魔力だからね、やる気になればマップ全部<神眼>で見通せる」
「うおぉ。ぜんっぜん分からんですわ。それって、私のでも出来るのかなー」
「出来た、と思うよ? 僕も<精霊眼>の時代は、そこまで詳細に見通した事は無かったから、少し自信ないけどね」
「やってみる!」
お勉強は嫌いなユキだが、実地訓練には積極的だ。<精霊眼>の使い道を、次々にマスターしてゆく。
しかし、このダンジョンは水没している関係上、初めてのユキには少々難度が高かった。
何せ、壁の他にも、周囲の水も全て魔力だ。それが構造の読み取りを邪魔している。だがユキは、柔軟にもその環境下でこそ奮闘し、経験を積んでいた。
「なんとなく見えてきたけど……、水と壁の違いがだんだん分かんなくなってきた……」
「このダンジョンの場合、水だけ見てもいいかもね。いっそ壁は無視したままで」
「そか、水が詰まってるところが、そのまま容器の形だ」
「ゴールらしき広間は何層下に見えるかな?」
「よんそうー」
「せーかい」
流石に順応性が高い。透視を交えた遠隔視は、ハルもそれなりに慣れを必要とした気がする。
というよりも、<神眼>による視点自体の遠隔操作を先にやってしまったため、ユキよりも簡単な環境、すぐに答え合わせが出来る環境だった。
そんな、高難度モードでの修練を終えたユキが、大きく伸びをしながら提案してきた。
つい、伸びに合わせて強調されるその胸へと吸い込まれる視線を、ハルは振り払いつつそれに応える。
「うー……、お勉強つかれちった。ハル君、体動かさない? ゴールも見えた事だしさ」
「競争するん?」
「そうそれ。ゴールの広間まで先に着いたら勝ち。負けたら勝った方の言う事を聞く」
「えっちな命令もかな」
「いまのなし」
えっちな命令はともかく、面白そうである。
現在、全体の半分程度までは来たが、ここまではずっと普通に泳いでやってきた。
ユキも何だかんだ言ってこうした水中も慣れたもので、難なく海中遊泳にも対応していたが、やはりそのゆったりとした進行にストレスを感じているようだ。
ハルとの競争という形にして、高速を出し発散したいようである。
「ふっふっふー、今のハル君なら条件は互角」
「レベルが低い分、僕が不利まであるね。基本能力外の力も使わないよ」
「……使うと?」
「僕の周りだけ水が無くなる」
「やめよう!」
興醒めだ。勝利はしたいが、そんな事をしても何も楽しくない。
えっちな命令も無しになったのだ、今はユキとの真剣勝負を楽しもう。
「スタートの合図は?」
「互いの呼吸」
どちらが先んじるか、それとも譲るのか。そこから、相手の戦略を読む。ハルは論理によって、ユキは直感によって。
そうして、互いの心が半ば同調した二人のスタートダッシュは、ほとんど同時となった。
◇
「お先っ! ハル君っ!」
だが、互いのスピードまで同じではない。先行したのはユキだ。
ユキの戦略は、泳ぎを放棄する事だった。
ここは洞穴、広めに作ってあるとはいえ、丸く閉じた通路だ。いつぞやに、ハルとふたり演じたように、壁から壁へ、跳ね回るように反射し駆けめぐる。
当然、空気中とは違い水の抵抗は強力だ。しかし、それならばと超高倍率の<加速魔法>を使う事によって、空気中に迫るスピードで弾けるユキが通路を飛び回る。
ユキの周囲には、強引に水を押しのけた際に発生した気泡が真っ白に軌跡を描く。こういった振る舞いも実物の水と同じなのか。
あれでは彼女自身もまるで視界が利かないだろうが、そこは<精霊眼>の視界が補助していると思われる。流石はユキだ、応用が早い。
水流を大いにかき乱し、ユキは進む。その彼女の背を追うハルは、普通の泳ぎで追従する。
「いやいや、強引だが速いね。ゴールが近かったらこのまま負けていた」
もはや、声は届かないほどに差をつけられている。その差は歴然、誰もがこのままユキの勝利だと疑わないだろう。
だが、これからだ。ハルは魚のように身をくねらせ、ユキの乱した水流に逆らわず掻き分ける。
ハルも<加速魔法>を使用している。これの本質は、物へ作用する力の強化。体全体が反作用を生む水泳においては、十全に力を発揮してくれる。
「バーニアは小刻みに噴射するよりも、出しっぱなしの方が速いに決まっている!」
あまり通じる人は居ないだろう謎の理屈を発しながら、ハルは徐々にその速度を上げてゆく。
急加速と急制動は、現実では御法度である場合が殆どだが、ゲームにおいては非常に制御のしやすい操作方法だ。
移動経路を線で捉え、一瞬、速度の落ちた位置で次の判断をする。
一見、判断に要する時間の短さに難しそうに見えるが、判断はその一点のみですれば良い為に処理する情報量は低く済む。
常時、周囲の空間情報を精査しなければならない加速軌道の方が、事故が多い。
だが性能は保証書付き。ユキの軌道のように足場を必要ともしないので、通るルートも最短を維持できる。
次第にその差は縮まり、ゴールの広間に着く頃には通路一本以上の差を付けて、得意顔でユキの到着を待つに至った。
「うっわ大人げな! よゆうのひょうじょう! くっそう……、てっきりハル君も同じ戦法で来るから、レベル差と強化差で私が勝つと思ったのに……」
「僕は負けるだけの試合はしないって」
「だわねー。ハル君、人魚みたいだった」
「男が言われても微妙に感じるタイプのセリフだね。……ユキが人魚やれば? 似合いそうだよ。髪長いし、胸大きいし」
「おお、おっぱいは関係なくない!?」
そして貝殻の水着が定番だ。ユキにそんなものを着せれば、恥ずかしさのあまり岩陰に隠れてしまいそうだが。
「まるで水中を飛んでるみたいだった。魚雷」
「……前半だけならメルヘンチックだったのに。……見た目的には、ユキの方が魚雷だったね」
「あれはいかんね。あぶくで前が全然見えない。いや、もっと泡発生させて、水の抵抗落としたらどーだろ」
「それなら、頭に気泡発生用の奇妙なオブジェかぶらないとね」
「……やっぱいいや。普通の人じゃ視界と速度に対応できないし、ハル君式のがいいのかなー?」
「なに? 魔道具の話?」
「うんそう」
最初に水に入った時の、水中用の魔道具開発の話をずっと考えていてくれたようである。
ハル達のように、水中慣れして、すぐに魔法での応用の利くプレイヤーばかりではない。だが彼らもいずれここに到達し、その洗礼を受けるだろう。
ならば、前もって水中用の魔道具を開発しておくことで、商機を逃さず最高のタイミングで儲けが出せるというユキの提案だった。
「戻りながら考えてみよっか。レアモン、何処にいると思う?」
「あ、それが目的だった。……んー、一層上の意味深な小部屋」
「僕もそう思う。いこっか」
ユキと二人、『不正解』のゴールから、『正解』ルートの行き止まりへと引き返す。レースの中無視していたモンスターも、きちんと討伐する事にした。
「ダイビング用の推進機を作れば楽にいけると思ったけど、戦闘があるんだよねえ」
「だね。両手塞がっちゃうのはいただけないや。私ならっ! 足でやれるけどっ!」
ユキが機械を両手に握ったポーズでモンスターを蹴り飛ばす。
ここのモンスターは、まだ移動速度の遅いクラゲ型や、動かずに遠距離から魔法を放ってくる二枚貝型といった、対応のし易いタイプばかりだ。
これならば、不慣れな水中戦闘においても何とかなるだろう。その辺は最初のダンジョンらしかった。
だが、この先に魚タイプが出て来ないとは限らない。いや確実に出てくるだろう。
そうした動きの速いタイプのモンスターと事を構えるには、両手をフリーにして武器を構え、なおかつ水中を自在に移動する必要性が想定される。
「あ、ハル君のパワードスーツ。最初はダイビングスーツみたいにする予定だったんでしょ? そうすれば?」
「アルベルトみたいなやつだね」
「…………来ないね?」
「そうそう来てたまるか! ……まあ、ここ藍の領土だしね。自重したと思われる」
「そか。それで、出来そう?」
「いや、防御力はともかく、あれって別に水中特化してる訳じゃないんだよ。何より、あれは物質であって『防具』じゃない」
「あー、アイテムとして売れないかー」
「ゲーム性変えすぎるから、普及は見送りたいしね」
確かに、人間がこの中を探索するには有用だろう。呼吸が出来ないからだ。NPCが水中探査をする必要がある時ならば、ハルもスーツを貸し出そう。
だが、プレイヤーは元々水中呼吸に支障がない。身体能力は強化されるが、別段、泳ぎが上手くなったりはしないのだった。
「こーゆーとこのポイントなんか、自由に泳げないと難しいもんねー」
ユキが天井の窪みの影になるように配置された、隠れ採取ポイントに頭を突っ込んで、足を可愛らしくバタバタさせながら言う。
お尻が無防備である。スカートを履かせて人前に出せないだろう。
それはさておき、水中ダンジョンにはそういったポイントも数多く用意されている。単に、地上と同じスペックで行動出来ればそれで良いという問題ではない。
地上であれば<飛行>を持っていないと入れないようなポイントも、水中ならではの操作で入って行ける。普段は出来ない、さまざまなギミックが予想された。
それに対応するためにも、なるべく体は全身がフリーになっている方が良い。
「やはりここはスーツを……、着ると<飛行>が使えるようにでもして……」
「むしろ地上でばっかり使われそうだからだーめ。……ユキ、スーツ好きなの?」
「ん……、かっこ、いいし……」
「ユキちゃんの男の子趣味だね」
「やーめれー」
変身ヒーローのような物も意外に好む彼女だ。ハルともそうした話題で盛り上がる事がある。
ユキと二人で探索に来る時には、そうした遊びを入れるのも良いかも知れない。ドレスではなく、アルベルトのもののように、全身を覆うタイプのスーツにヘルメットを付けて。
さて、完全に脱線していつもの彼女との雑談になってしまう前に、方針は固めておこう。ハルとしては商売は別に良いのだが。せっかくユキが提案してくれた話題だ。軌道に乗せたい。
「やっぱり無難なのは足ヒレとかかね。ヒレに、推進用の魔法を組み込む。……ちと操作が難しいか?」
「かもねー。泳げない人は、基本動作が出来ないし。それに、たぶん足ヒレはルナちーから待ったがかかるよ」
「ダサいって?」
「そう。ダサいって」
その問題もあった。ハルブランドとして売り出す以上、ルナお嬢様の審美眼に適わなければ商品化は認められない。
安易な足ヒレは、彼女に却下される可能性が高かった。
「そだ、いっそ人魚にしちゃおう。人魚ヒレのズボン! 履いてジタバタすると進むの!」
「それってさっきの、僕が人魚みたいだったから? まあでも、面白いかもね」
足が封じられてしまうが、先にそういうものと制限を割り切れば、その調整も面白そうである。
何より、確実にルナの許可は出るだろう。彼女も結構あれで可愛いものが好きだ。嬉々としてアイリに着せて楽しみそうだった。
「女性人気は出そうだね、確実に」
「シルフィーちゃんとか真っ先に買いに来そう。ぽてちゃんも」
「男性は、男性は……、どうなんだ?」
「んー……」
別に、格好悪い訳ではないし、武器を構えたりすれば意外と様になるかもだが、どうしても人魚=女の子といったイメージがある。
ならば男は頭を魚にするかと言えば、それも違うだろう。……少し楽しそうだが。
「ひとまず、デザインよりも魔道具として機能を付与できるか確かめてからだね」
「あいあいー。机上の空論で広げすぎると、ポシャった時ががっくり来るからねー」
「他人の転移先には空間振動を先置き出来ないとか」
「あれはキツかった。それありきで戦略立ててたんだもん……」
ふたりの話が何時ものように思い出語りになってきたあたりで、お目当てのモンスターが出現した。
海底に広がる七色の海藻に、隠れるように出現する真珠貝。だが己の放つ光が輝かしすぎて、その身を隠しきれていなかった。
「ハル君! 出た! めっちゃ光ってる!」
「見るからにレアだね。……ん、良いよー。“スクショ”した」
「うりゃあ!」
ハルが構成情報をコピーし終わると、ユキがその輝く貝をすかさず踏み潰す。
そうしてこのダンジョンへ来た目的は全て終わり、後は広間に居るだろうボスの顔でも見て、次に進もうという流れになった。




