第1752話 日本へ送るその理由
「うーんっ。どんなのにしようかなぁ~?」
北のゲームフィールド、大樹の根ざす国境付近へとやってきたヨイヤミは、ハルに見守られながら受け取ったスラグを捏ねたり引っ張って伸ばしたりしながら何を作ろうかを悩んでいた。
その姿は、粘土遊びをする子供そのものであり、見ているぶんには微笑ましい。
しかし、その正体は疑似細胞スラグであり、決して子供の遊びに使っていい代物ではない。
ハルはこの無邪気な少女のお遊戯がどう転がるのか、ハラハラとした態度を隠せぬまま見守っているのだった。
「……まったく。余計な事を。適当に理由をつけて、断ろうとしていたってのに」
「そんなに可哀そうな事を言うものじゃないよハルくん。そもそもボクが居る状況で、『スラグが入手できない』なんて無理があるだろう?」
「まあそうだけど。ヨイヤミちゃんは賢い子だ、無理な理屈と理解していても聞き分けてくれる」
わがままな子供に見えて、そうした大人の言い訳もきちんと理解を示してくれる子でもある。
まあ、『ぶーぶー』言われるのは避けようがないだろうが。
「それでも最終的に結局、キミが折れたんじゃないかい? 甘いからね、ハルくんは」
「うるさいぞスイレン。それよりも、大丈夫なんだろうな、アレは。少しでも危険があるようなら、すぐに取り上げなきゃ……」
「やはり過保護……」
自覚はしている。いや、これはべつに過保護ではなく、当然の対処なのではないだろうか?
いや、ハルにより支配されたスイレンが、ハルたちに害をなす物を与える事など出来ないと理屈では分かってはいるのだが。
「安全だよハルくん。あれは、これから日本へと送ってもらうつもりのスラグと同様の物であり、その安全性は徹底的にチェックしている。不安ならばエメにでも聞いてみるといいよ」
「不安だ。エメ、大丈夫なのか?」
「《即答っすね……》」
「少しは信用してくれよー」
「《まあ、そっすね。まだ完全に理解した訳じゃあないんすけど、渡された仕様書を見るに特に問題はないように思うっすよ? エーテルほどじゃないっすけど、自己増殖機能にはしっかりセーフティが掛けられてますし、無限増殖の心配も薄いかと》」
「ふむ……」
日本に送ったが最後、無限ともいえるダークマターを材料に爆発的に増殖、世界を灰色の泥で埋め尽くしてしまいましたでは笑えない。
そうならないために、外部から命令の無い場合はそもそも一切の自己増殖が出来ないよう、『日本版』にはきっちりロックがかけられていた。
「とはいえ、エメの言ったようにエーテルほどじゃない」
「それは認めるしかないかな。材料となるダークマターは、供給を断つ事が物理的に非常に難しいから」
日本で文字通り『空気に等しい』社会インフラとして普及している、ナノマシン・エーテル。
そちらも普及当初は、全てを食い尽くし爆発的に広がってしまうのではないかと懸念されたものだ。
しかし、実際はエーテルは専用に調整された材料でしか増殖できない。
それは自然界に存在せず、完全に人間の手で総数を制御できるという理由で安心感を担保したのであった。
「この違いが、国民に受け入れられるか否かの大きな障害となるだろう。もし、何かバグがあり制御が狂ったらどうすると、確実に言われるはず」
「《そっすねえ。でもそれって、実はエーテルも同じなんすよね。もし空気中を漂ううちに突然変異して、専用の餌以外でも増殖できるようになったエーテルが出た場合、それを考えればバグの危険度は同等と言えるっすから》」
「そうさ。だから、そこは誤魔化すか甘言でメリットを強調することで、どうとでも言いくるめればいい」
「お前な……」
「得意だろ、キミのお母さんはそういうの」
「また奥様の事を言うのやめろ……」
まあ、嫌になるほどに得意だが。
もし本当に月乃が裏で計画を進めているというのならば、既にそうした一般向けのプレゼンも用意していたりするのだろうか?
「……まあ、奥様の事は今は無視して考えよう」
「《無視したら泣いちゃうっすよ?》」
「実際に本人を無視する訳じゃないから……」
本当に泣きそうなのが嫌だ。しかも、泣きながら必死に絡んで来るに違いない。
「今のところ君は、日本人のメリットばかりを強調しているがスイレン。君たちがこいつを日本に送ろうとする理由はなんだ? 神になんのメリットがある?」
「《あれじゃないんすか? 日本の方々の生活を、より豊かにするためっす。そこは特に、疑問に思わないっすよ?》」
「まあエメはね……、本気でそれだけの理由で、やりすぎな混乱を起こしたんだからね君は……」
「《その節は、っす……!》」
「ボクらだって別に、その理由で不思議はないだろ? 国民に奉仕するという、プログラムの根底に根ざした存在意義さ」
「それも程度によるだろう」
エーテルネット管理用の、補助AIとして生み出された彼ら。その出自は確かに彼らの在り方に大きな影響を与えているが、全ての神の行動理由まで一律ではない。
エメのようにあくまでそれのみを目指し邁進する者もいれば、カナリーのように自分の目的が第一の者もいる。
そして何となく、スイレンたちはエメとは違うと、ハルの勘が告げているのであった。
「まあ、確かに。ボクらの目的全てが無償の奉仕という訳ではないかな」
「だろうね」
「けれど、だからといって逆に完全に自分勝手な都合でもない。少なくともボクはね?」
「《他の連中には自分勝手なのもいるんすか?》」
「それは言えないかな。契約で縛られているからね」
「毎回都合がいいこと……」
これがあるから、ハルの支配を受け入れたからといって油断は出来ない。
最初からそれを見越して計画していたとしたなら、毎度いろいろとよく考えるものである。
「まあいいや。言える範囲で、どういう目的があるんだい?」
「まず、このスラグがエリクシルネットに渦巻く意識の器だという話は既にしたね?」
「そんな話だったね。ダークマター活用は、むしろ副産物だったとか」
「《無意識とダークマターなんか関係あんすかね?》」
「どうなんだろうね。ともかく、ボクにとってはその、意識の入り込みやすい人形という部分が、そこが重要だったんだ」
言いつつスイレンは、今まさに粘土遊びで捏ねて形を作りながら、簡単な人形を組み上げているヨイヤミへと目を向ける。
ヨイヤミは大人の話などどこ吹く風で、ひたすらに目の前の粘土遊びに熱中していた。
「ふんふんふーん。とうっ、しゅばばばばっ! ……うーん。やっぱ人型じゃない方がいいのかなぁ?」
その手の中でぐねぐねと人形を操り遊ぶヨイヤミを、ハルも目を細めつつ暖かく見守る。
しかし、一方のスイレンの視線は、ヨイヤミ本人ではなく完全にその人形へと集中されていた。
「……意識が入り込みやすいということは、魔力に代わり、ボクらの肉体の役目も果たせるということ。少なからず、その可能性があるんだ」
「《あー。つまりあなたがたはスラグを地球に送って、それを自らの肉体とすることで本来突破不可能な次元の壁を越えたいんすよね? だからこそ、ここまで必死になっている。まあ、我欲って意味でも納得っすよね?》」
「そうだね。故郷への回帰も、また君たちの深い部分に根ざした渇望だ」
「こうして口にするのは、恥ずかしいものだけどね」
今のところ魔力の身体では、向こうに依代を作ったとて、そこに入り込む事は出来ない。
神々をこの異世界に隔離する世界の強制力は強大だ。
しかし、その法則の理由がモノリス由来なのであれば、つまりはエリクシルネットに関わる物ならば、ネット内の意識と親和性の高いボディを用意する事で解決する可能性はあった。
「既に、こちらの世界ではアレに入り込めることは確認できてるよ。こんな風に」
「あっ!! こいつ、いま勝手に手を上げたー! おのれー、逆らうかーっ!」
「おっと……」
スイレンが悪戯めいてヨイヤミの人形遊びに介入してしまったせいで、創造主に逆らった人形は哀れその小さな手に握りつぶされて圧壊した。無慈悲。
まあそれはともかく、同じことが<転移>した日本でも可能となれば、あとはこのイケメンの姿を、そっくりそのままあちらで成形してやれば計画成功だ。
それにより神々は、かねてよりの悲願である故郷への帰還が叶うのだ。
確かにそう聞くと、計画への賛同者が多くなるのも頷けるというもの。
「まあ、あくまでそれはボクの考えであって、必ずしも全てのメンバーが同じ考えを持っているとは保証しかねるけどね」
「《まーそうでしょーね。我の強い連中っすから》」
「お前が言うな」
「実際翡翠などは、あまりそこに興味はなさそうだ。あとで本人に聞いてごらんハルくん」
彼女はもう一つの大目的である、この惑星の環境改善の方が重要そうな気配がある。そのためにスラグを活用している。
アレキも、なんとなくそちら側か。事実二人ともこのゲーム以前に、ハルと共にあの重力異常地帯での実験に参加してくれていた。
「アルベルト方式じゃだめなのかな?」
「《ハル様。私もそれはあくまで、ロボットの遠隔操作と変わりません。どうしても自分が、その場に居るという感覚にはなれないでしょう》」
「そうなんだ」
「《不謹慎ながら私も、その計画に興味が無いとは言い切れないのが現実で……》」
「構わないさ」
そう聞くとハルも、なんとなく『手伝ってやってもいいか』という気になってくるものだ。やはり甘いのではないだろうか?
しかし、とはいえだ、その言葉を聞いたところで全ての懸念点が解消された訳ではない。
……特に、目の前のこの状況を見た状態であれば。
「うーん。粘土が足りないなぁ。伸びろー、伸びろー、増えろーっ! あっ、増えた!」
「……スイレン、これ、セーフティが掛かっていようと、こうして使用者が際限ない増殖を望んでしまった場合はどうなるんだい? その制限は?」
「いやぁ、その、はははっ」
……どうやら、もう少しばかりの調整は、やはり必要になるらしかった。




