第175話 水没洞穴へようこそ
ユキと共にダンジョンへ向かうことになったハルは、まずセレステの神域の中に分身を作り出した。
こう言うと彼女は不機嫌になるだろうが、別にセレステに用事がある訳ではない。今から行こうとしているダンジョン、ここから行くほうが近いのだ。
だが一応挨拶はしていくか、とハルが考えていると、探す必要は無く、すぐにセレステがハルの居る場所まで姿を現した。
「やあ、どうしたのかなハル。私に会いたくなったのかい?」
「まあ、会いたくもあったけど、残念ながら今日は本題じゃないんだ。ここを、足がかりにさせてもらおうかと思ってね」
「戦争だね? この地を橋頭堡にして世界征服に乗り出すと。どれ、私も手を貸そうじゃあないか」
「違うわ」
「つれないね。せっかく来てくれたというのに。それで、何処に行こうというのかな?」
セレステに対し、ハルは大まかにことのあらましを説明する。
ユキに魔力視のスキルを渡した事、それを試すためにダンジョンに探索に赴く事、そしてその場所の候補が、まだハル達が行ったことが無い藍色の地域だという事。
「なるほどね。それでここを経由して行くのだね?」
「ああ、藍色に隣接してるのはここ青と、あと紫だから。プレイヤーはまだ、到達してないしね」
「ふむ、攻略状況は、いま一歩といった所だね。だが、次はそちらになるだろう。彼らが到達する前に、用事を済ませてしまおう、といった所かな?」
「まさしく」
現在の攻略状況は、ハルの開通させた青に続き、紫、緑と、スタート地点の黄色を取り囲む三色が攻略され、世界の広さが一回り広がった状態だ。
その三色の攻略状況はまちまちで、各プレイヤー、好きな地域をおのおの攻略しているような状況である。
だがその中でも最初に開通したここ青色は達成度が埋まりつつあり、更に西隣の藍色に手が届きそうだった。藍色を守護する海洋神マリンが、イベントを企画しているのも効いているだろう。
逆に、東に位置する緑色の攻略は少し遅れがちだ。
そんな中、ハルとユキはプレイヤー達の目を盗みつつ、各地のレアモンスターを“捕獲”して回っていた。
当然、未攻略の地域の方がその作業はやりやすく、セレステの言うように、攻略の波が到達する前に藍色も片付けてしまおうという事である。
「君の体もやっかいだよねえ。転送は常にお姫様と一緒になるのだから」
「まあ、神殿が開通してる場所は、たまにアイリを連れて堂々と行ったりするけどね」
「見つかれば大騒ぎだろう? 今の達成状況は、どうなっているんだい?」
「黄色はなんだかんだで100%達成。あとはユーザーが居ない赤も、制覇は楽だったね」
「マゼンタを下して、自由にヴァーミリオンの国内に飛べるようになったものね」
「うん。それと赤と隣接する橙色も同様にほぼ終わり。後は藍色だね」
「中央の三大国は、ユーザーの多く居る都合上、後回しか」
「この周囲は、なんだかんだ、気づいたら終わってるでしょ」
このゲームの世界地図は、分けるとしたら四つの区画に分類出来る。
一つは、スタート地点である『黄色』。我らがアイリの居る、梔子の国だ。
二つめ、その黄色を取り囲む、三つ巴の三大国。北西の『青』、北東の『緑』、南の『紫』。黄色からスタートしたユーザーは、この三つのどれかへ向かう。ハルの影響もあり、青が最初となった。
三つめ、その三大国の東西に位置する、『橙色』と『藍色』。三国を攻略した後に到達する地域であるため、まだユーザーは未到達だ。
四つめ、最後は『赤』の国ヴァーミリオンである。東に位置する橙色とだけ隣接し、その更に北東にある。地理的にも国政的にも、他とは一風変わった立ち居地に居た。
その中でハルは外周の三国、分類の三と四からダンジョンの収集を進めていた。『攻略』ではない。『収集』だ。
ダンジョン内のモンスターや、採取ポイントに採掘ポイント。そういった魔力で作られた、アイテムを発生させる設備、それらを片っ端からコピーして回っていた。
外周が終われば、残る一と二、中央の四地域は折を見て少しずつ進めれば良い。始点である一つめ、黄色のようにいつの間にか終わっていることだろう。
「実質、最後の収集という事だね。意外に時間が掛かったようだ」
「セリスの襲来イベントとかあったからねえ。宴の準備やら何やら、そっちに時間取られちゃった」
「貴族の務め、ご苦労様」
「面倒なものだ」
本来ならば、対抗戦の前に全て終わらせて、ユキの、あわよくばルナの強化にあてようと思っていた。
しかし、ミレイユとセリスの策略により、それは一時中断を余儀なくされ、今に至る。
結果的に対抗戦は勝利を飾る事ができたが、中々良い妨害だったと言えよう。ミレイユの策士ぶりは本物だ。味方になって弱体化しない事を願うばかりだ。
「……たまに居るよね。敵の時は死ぬほど厄介なのに、味方になった途端に弱キャラ化する奴」
「唐突にどうしたんだい。マゼンタの事かな?」
「いや、最近仲間が増えてね。マゼンタの評価は、まあ保留中」
「保留する事はない。奴は弱キャラだとも」
「君ら本当に他の神には辛辣だよね」
本気で仲が悪い訳ではないようだが、互いにライバル関係のようだ、仕方がない。
「他の神と言えば、セレステはマリンについて、む……」
「何かあったのかい?」
「ユキが焦れてる。早く行きたいそうだ」
「ははっ。王子様は大変だ。沢山のお姫様のご機嫌を取らないとならない」
「王子様って……、じゃあセレステ姫、続きはうちの屋敷でどう? 今日は日本のお菓子があるんだ」
「おっと、自分に帰って来てしまったか。だがそうだね、有難くお呼ばれするとしよう」
セレステとお喋りに興じてしまっていると、屋敷に待機したままのユキ姫様が痺れを切らしておられた。
ハルは位置を交代するようにセレステを屋敷へ招き、ユキはこの神域の端へと<転移>させて、そこから隣国へと飛び立つのだった。
*
ユキと共に、国境沿いのダンジョンへと到着したハルは、その扉を開いて内部へと侵入した。
このダンジョンは、地表に大きく口を開けた地下洞穴のようだ。目視(といっても<神眼>だが)で探しているので、見落とす所だった。
「入り口がデカかったから良いけど、目立たないような所だと見逃しかねないね」
「マップに位置が表示されてる訳じゃないもんねー。ハル君はどうやって探してんの?」
「ダンジョンはその性質上、ほぼ全て魔力だから。魔力で出来た構造物を探してる。ユキも今なら<精霊眼>で同じ事が出来るはずだよ」
「うげ、いきなり実地試験か。出来るかなー私に……」
むしろ、こういった探し物はユキの方が得意だったりする。
視界に入った情報を、逐一精査して正の条件が発見するまで総当りで探すハルに対して、ユキは視界内の僅かな違和感から、無意識で正解を導き出す。
一言で言えば、勘が鋭い。
「あー確かに周り全部魔力だわこれ。コレだと逆に分かり難いんじゃない? どうなのかなハル君」
「壁やなんかの凝縮された魔力は、脳内で半ば除外するデータとして判断するんだ」
「んなハル君じゃあるまいし……、ん、なんとなく分かった」
そこで分かってしまうあたり、ユキである。やはりこういった部分は天才のそれだ。理屈じゃない。
どうやらダンジョンを構成する材質は、風景、背景として意識に入れないように処理しているようだ。
これは実際の風景でも、人間が日常的に行っている処理である。だがそれを、初めて目にする光景でも行えてしまう所が、ユキの突出して優れた部分だった。
「空気中の魔力はっと、薄く、はないんだね?」
「普通だね。薄くなってるのはセレステの所くらいかな」
「あの魔法禁止ダンジョンねー」
魔法に頼らず、己の肉体のみで攻略する事を強要されるセレステの試練だ。
後で彼女に聞いたところによれば、あれは他の二国、紫や緑の開通試練よりも難しく、突破は最後になる予定だったとのこと。
紫は魔法中心の試練のため、基本的に魔法で遊んでいるユーザー層には容易。緑はそもそも戦闘の無い物納クエストで、時間を掛けてアイテムを集めれば必ず達成可能だった。
「ここに来る為には、本来どんな試練を突破しなきゃなんないんだろ」
「さてね。僕はやる気は無いから。……とはいえ、ここの様子を見れば想像は付くかな」
「あはは、言えてる」
この地下洞穴、入り口を入って少し進むと、階段状の通路が下へ下へと降りて行った。
その通路は途中から浸水し、階下は完全に水没している。この先は、完全な水中ダンジョンとなっているのだろう。
さすれば、ここへ到達するための試練も、おのずと水中に対応するための試練であると想像が出来る。
「私好きじゃないかなー、水中ダンジョンは」
「ゲーマー程そうなるよね。ああいう雰囲気が好きだって人も多いけど」
「そいつらは『湖底に没すメトセラの都』周回を日課にしていないから、そういう事が言えるのだ」
「あれは苦行」
「苦行」
窪地に作られた古代の都が、そこに浸水して廃都となったまま保存されている、といった設定のダンジョンの登場するゲームがあった。
そこに、いちプレイヤーごと一日一回だけ登場するアイテムがあり、それが複数個必要になるため、日課として攻略を繰り返さなくてはならない。
なぜ一日一回なのかといえば、ハルやユキのような廃プレイヤーが一瞬で必要アイテムを収集してしまうのを防ぐためである。例えば三十個アイテムを必要にすれば、確実に一ヶ月、コンテンツを長持ちさせられる。
だが毎日必ずそれをやらなければいけない、という強迫観念も発生し、最善の手とは呼べないだろう。
そのダンジョンは、水中での移動がほとんどのため操作性が悪く、移動速度も低減するため見た目以上に時間が掛かる。
更に、水中に入ったままだと呼吸が出来ないという理由で、専用の酸素ゲージが減って行く。水上に飛び出た塔や、屋根の上などに上がって呼吸を整えなければならなかった。
そんなこんなで、水上、水中共に違った輝きを見せる美しいダンジョンなのだが、プレイヤーからの評価は劣悪の一言であった。
それを代表に、水中ダンジョンは制限のある物が多く、水中と聞くだけで忌避感を示す者はそれなりに多い。
「とりあえず入ってみよっか」
「ハル君、水着になる?」
「ダンジョンをナメてるよね……」
「ハル君なら何着てても敵無しだし」
ハル達には関係ないが、そもそも、公序良俗になんとかの制限でダンジョン内で水着にはなれないだろう。
悪鬼はびこるダンジョンに、柔肌を晒して挑むのもどうかしていることだし。……いや、ゲームではそういった事もよくあるのだが。
ハルとユキはそのまま水中へと足を踏み入れる。頭まで完全に没するも、呼吸が阻害されて酸素ゲージが表示されるといった事も無かった。
「“息が出来る”ねハル君。あ、会話も出来る。変な感じだ。……ハル君の水中神殿みたいなものなのかな?」
「いや、ここの水は実体がある。これはプレイヤーの体の機能だろう。“実際には息をしてない”よ。まあ、その辺は別に意識する必要は無いさ」
「そか。じゃあ、この水は本物なんだ」
「本物かというと、それもまた微妙かな。魔力で出来た、実体のある水」
「水の幽霊だ」
「言いえて妙だね」
魔力で出来たプレイヤーが幽体なのだから、ユキの言う例えは最もだ。
そんな水の幽霊の中を、ハル達は泳いで進む。ご他聞に漏れず、水中は非常に雰囲気の良い仕上がりになっている。陰気な洞穴は水中に入った途端に様相を変えて、発光する水草が辺りを照らし出していた。
「ハル君は、本体で来たときはどうすんの? 当然、息は出来ないんだよね?」
「まあ、僕の肉体も、実は息する必要無いし……」
「やっぱバケモンかな?」
「自覚はある。……それはさておき、環境固定装置を使えば、問題は無いだろうね。ついでのようにモンスターの攻撃も全部無効化しちゃうから、チートくさいけど」
「どうせハル君、攻撃なんか食らわないじゃん。存在自体がチートなんだし構わないっしょ」
防御用として活用しているが、元々は環境固定装置はバリアではなく、宇宙服として活用するため設計されたものだ。水中に入った時も、薄皮一枚を空気の膜が覆い、問題なく呼吸が出来るようになる。
そんなこんなで、呼吸に関しては問題なく進むハル達であったが、やはり水中特有の移動制限は立ちはだかった。
水の抵抗が移動を阻害する。有り体に言えば、泳がなくてはならない。
「やっぱ水中はダメだなハル君」
「こればかりは仕方ないよね。このゲーム、リアルさの追及が売りだしさ」
「カナヅチの人とかどーすんだろコレ」
「何か水中用の魔道具とか作った方がいいのかねえ?」
「いいねそれ、楽しそう!」
ひとまず、このダンジョンは普通に泳いで攻略しよう。そう決めて、ハルとユキの二人は洞穴内部へと潜って行くのだった。
※誤字修正を行いました。報告、ありがとうございました。「データして」→「データとして」
データする。ハルたちの場合、なんとなく意味が存在しそうに感じてしまいますね。もちろん間違いです。(2022/1/27)




