第1749話 密室への通信手段
遅れしてしまい申し訳ありません!
既に懐かしいかつての学び舎を進み、ハルとルナは秘密のエレベータに乗り学園の地下施設へと踏み込んで行く。
息が詰まるような薄暗く狭苦しい通路を抜けると、一転し明るく視界の開けたホールへと二人は出る。
再びの、巨大な黒い石の板、モノリスとの対面の時だった。
「やあ。待っていたよ、ハル。呼び立ててしまって、すまないね」
「いえ、天智さんこそ。わざわざ足を運んでもらってすみません」
その場には既に、『待っていた』の言葉の通りに御兜家の現当主、御兜天智の姿があった。
小柄な老人の姿だが、モノリスを背に立つその存在感には何故か妙な迫力を感じさせられる。
張り巡らせた魔力による探知で知っていた通り、既にハルたちよりも先に、天智はこの地下に到着し待ち受けていたのであった。
「いいや。盗み聞きを避けるなら、やはり此処が良いことは確実だろう。とは言ったところで、当の君を相手にするならば、もはやそのセキュリティも、意味を成していないのだろうけれどね」
「いえ、僕も別に、この地下の全てを常時監視している訳ではありませんよ」
嘘ではない。現に、今も天智の周辺の空間には監視用の魔力は存在していない。
まあ、とはいえそれは天智のプライバシーに配慮して配置を避けている訳ではなく、モノリスの周囲には念のため魔力を通す事は避けているだけなのだが。何が起こるか分からない。
なのでこの部屋だけは、エーテルネットによる盗聴からも、ハルの魔力による解析からも切り離された、完全な中立地帯となっている。
……しかし結局この施設の入り口は限られているので、内部へ侵入する存在は丸わかりなのだが。
「今日は少し、君に相談があってね」
「なんでしょう? 天智さんがわざわざ僕に相談するなんて、ただ事じゃなさそうですね」
「そうでもないさ。許されるなら、私は常に君に助けて欲しいと思っているよ」
「だからあなたは自分の特別さをもう少し自覚なさいな……」
まあ、天智やルナの言うように、自身の力の特異性についてはハルも自認がない訳ではない。
ただそれを踏まえても、彼の立場上、自分からハルを頼るということは少々やりにくいはずだった。
「……それで、相談というとやはり、例のゲームの件ですか?」
「ああ。あの異なる世界について、それを教えて欲しいんだ。孫から報告は受けてはいるが、どうにも要領を得なくてね」
「天羽君……」
「優秀そうではあったけれど、確かに感性が独特そうでしたものね……?」
「そちらのお嬢さんのように、もう少し落ち着いてくれると良いのだけれどね」
「お褒めに預かり光栄ですわ、御兜翁。褒めても何も出ませんけれど」
「ルナもあまり威圧しないの」
物腰の柔らかな天智と落ち着いたルナだが、やはり互いに相性はそう良くないらしい。
どうしても、家同士が直接対立している間柄だ。ルナは月乃の方針とは一線を引いている事を自認しているが、どうしても完全に影響からは逃れられない。
叩き込まれた彼女の教え、行動の指針から、目の前の老人を『敵の首領』と認識してしまう。
……いや、その事以外でも、天智がハルを自身の陣営に取り込もうとしている事が大きいだろうか。
今日こうして付いて来たのも、お人好しのハルが彼の甘言に惑わされないようにと、そうした心配によるものもあるようだった。
まるで子供扱いである。いやむしろ、まるでお母さんのようであるといった方がいいか。
「では天智さんも直接参加してはどうでしょうか」
「……馬鹿な事を言わないの、ハル」
「尤もな話だね。ただ、私の立場では、なかなかそうも出来なくてね。匣船のやっているように、家の者を多く送り込めば良いと思うかも知れないが、それは天羽がしたがらない」
「そうなんですか?」
「確かに、彼はずっと単独で行動しているわね? 彼が招待を送れば、いくらでも手伝いを呼べるでしょうに」
そう、参加者は無条件に、自分の知り合いをあのゲームに招待できる。
しかし天羽は、その恵まれた立場を活かすことなく、御兜家の者をゲーム内に呼び寄せる事をしていなかった。
そのため、御兜家の天羽が参加したにも関わらず、ゲーム内の勢力図は今もほぼ匣船一色である事に変化はない。
「それじゃあ、相談というのは彼が何かよからぬ事を考えていないかの確認でしょうか?」
「いいや。そこは心配はしていないよ。あの子は優秀な子だ。必要ないと判断したなら、そこにはやり遂げるための根拠が何かあるのだろう」
「では、何を?」
「匣船の事だ。最近の、彼らの動きが気になってね」
やはりそうなるか。ゲーム内ではそれぞれの派閥に分かれて競っているとはいえ、元を辿れば一つの家。
その一家が(ハルを除くと)ほぼマップ上の土地を独占している現状は、御兜にとっては面白くない状態だろう。
しかしどうやら、様子を見ていると天智の懸念はそうしたゲーム内の勢力図とは少し異なるらしい。
そこは孫の天羽に完全に一任し、気になっているのはむしろ、こちらの現実の彼らの動きのようだった。
「ここのところ、少し妙な動きがある。それは私たちにも、気取られぬようにした動き方だ。あまり良い印象ではない」
「だったら、直接聞いてみればいいのでなくて? 『三家』と言っているほどですもの。連携は強固なのでしょう?」
「そうなのだけどね、お嬢さん。そう何でも協調するような間柄ではないのも、また当然だ。そうでなければ、家が分かれたりはしていないよ」
「ごもっともなことね?」
「まあ、織結の現状が物語っているよね」
完全に三家が協調路線を取っているならば、織結が勢いを落とす事もまたなかったはずだ。
結局は自分の家が最も実権を強く握れるように、どの家もそれを考えて動いている。そういうことだろう。
とはいえ、積極的に蹴落としたいという訳でもなさそうだ。もしそうならば、織結が没落した際に一気に止めを刺している。
しかしそうする事もなく、今もこの目の前のモノリス管理の一員として、『三家』の体裁は保っていた。
それは、各家の超能力の性質がそれぞれ替えが効かない事に起因しているのであろうか?
「話は分かったけれど、やっぱりハルが協力してやる義理はないのでなくって? 完全にそちらの事情でしょう? ずいぶんと都合の良い話ね?」
「結論を急ぐものではないよ。お嬢さん。たしかにこちらの勝手な事情だが、君たちにもまた、関係がないとも限らない。話を聞いてからでも、遅くはないさ」
「……というと、僕らにとっても脅威になる可能性があると、そう貴方は言うんですか?」
「かもね」
やはり、ルナの威圧は軽く受け流されてしまった。食えない相手というのはこういう人物のことだろうか。
とはいえ内心では、ルナ、というより『月乃の娘』に頼る事になるのはあまり良く思っていないはずではある。
彼らが三家で牽制しあっている以上に、その三家の勢力図を脅かす月乃の存在を脅威に思っているのは間違いないのだろうから。
「さて、そんな感じなのだけれど。君たちにはなにか、心当たりはないかな?」
まるで、『心当たりがあるだろう』と見透かすように、天智はゆっくりと語りかけてくる。
まあ、彼の言うように、ハルとしても匣船の動きについて情報が得られるなら、それは願ったりではあった。
ハルは情報交換のため、先ほど月乃にも話したその『心当たり』を、天智へ語ってゆくのであった。
◇
「へえ。なるほど。そんな存在が」
「ヘルメス・スラグというらしいですよ。僕としてもそれが、匣船の力でこちらに生成されるのではないかと、警戒しているのですけど」
「確かに。あり得ない話とは、言い切れないね?」
やはり、可能ではあるようだ。原理は分からないが、匣船の超能力は好きな物質をこの世界に生み出す力。
しかし、天智の様子を見るに、彼もまた半信半疑。スラグのような複雑な物はやはり、そう簡単に生成は出来ないらしい。
「ただ気になるのは、そのスラグとやらの設計図、こちらへ送る手段がないということだ。何かあるのかい?」
「いえ。ほぼ無い、と思いますが」
「そうね? あの世界でのゲーム中は、通常と異なりエーテルネットからは完全に遮断された状態よ? 『エーテルの夢』でもそこは、内外でデータをやり取りするのに皆苦労しているわ?」
「そうだね。まあ僕らとしては、こちらの先進技術を下手に持ち込まれなくて助かってるけど」
「プレイヤー本人が記憶して、その記憶を頼りになんとか再現するしかない。そのはずよ?」
「そうだったね。だから、天羽の話も、要領を得ない」
そのはずだ。本人の見聞きしたことを、口頭で伝えるしか方法がないのだから。
物質生成においても、スラグの構造をそれこそ分子配列の一つ一つに至るまで、完璧に記憶力だけでこちらに持ち込み再現するのは不可能と断じてもいいはずだった。
「……本来ならば、原理的には可能というだけで、警戒には値しない。しかし、彼らにはそんな中でも、設計図を持ち込む方法が二つほどあるね」
「二つもですか」
「ああ。一つは、匣船と織結が協力する事。織結の力は、記憶を直接引き出せる」
「それでも、そもそもあちらでスラグを詳細に解析しなければならないという前提があるわ?」
「そうだね。だから、危険度の高いのはもう一つ」
そちらは、ハルとしても懸念していた。その方法はもう、可能なのが既に実証されているのだから。
それは、例のブラックカードを利用した特殊な通信。彼らがあの世界に招かれるきっかけを作った、神からの漏洩であった。




