第1747話 人形に魂の宿る理屈と再現実験
一息に語ると、スイレンは一転し落ち着いた態度で、非常に洗練された仕草でお茶を口にする。
見惚れるような優雅な仕草だが、それよりもそのカップの中身が気になってしまうハルだ。
しかし見れば、いつの間にか中身は普通のお茶に入れ替わっており、別の意味でハルを驚かせるのであった。いったいどんな手品だろうか?
「……まあいいや。しかし、なんだって? 疑似細胞は元は、エリクシルネットに集う意識達の、依代となるべく作られたと?」
「そう言ったよ、ハルくん」
「こんな不気味な物に、どうして人間由来と目される意識を宿そうと? エリクシルネットのあれらは、異形願望のある変態ばかりだとでもいうのでしょうかね?」
「まあ元々、ドロドロに溶けあっていそうだったしね」
「確かに。お似合いの身体という訳ですわね」
「酷いねキミたち」
「いや適当に言っただけだよ。続けてくれ」
「今のは冗談ですわ?」
とはいえ、今のところピンときていないのも確かなハルだ。
不定形のまるでスライムのようなこのスラグの中に、エリクシルネットの意識達が好んで入りたがる理由も分からない。
まあ、便宜上ハルは『意識』と呼んではいるが、あれらはそもそも通常の人間の意識とは程遠い。
むしろ『無意識』と言った方が実態は近く、胎児へと還るが如く原初の先祖返りを起こしていてもおかしくない。
人間として進化する前の、アメーバのような単純な姿の方が、相性が良いということも考えられた。
「別にドロドロの形は関係ないんだ。重要なのは、コレはそれこそ泥を捏ねて遊ぶように、好きな形に出来るって部分さ」
「ぜんぜん違った」
「何を想像してたんだい?」
「いや、いいから続けて……?」
無意識の中で進化の系統樹を逆行する、そんな想像はまるで関係がないようだった。
的外れが少し恥ずかしいハルは、少し赤面しつつ無言でスイレンに先を促した。
「これは、言うなれば人形効果を活用したものだ。人が人形を愛で、本来単なる無機物であるはずの人形に、“魂が宿る”というあの現象。それを任意で発動するための触媒だ」
「だから、『依代』と言ったのですわね?」
「その通り」
「……人形に心が宿るって、そういう現象だったの?」
「分からない。しかしそういう解釈もでき、実際一部ではそうした例もあるだろうと、ボクは判断した」
「あなたもまた、妙な研究をしていたものですわねぇ……」
本日何度目かの、『お前が言うな』である。アメジストもその辺は大概だ。
「しかしそれなら、人形職人さんにでもなればよかったですのに。わたくし、出来が良ければ注文しますわよ?」
「キミだって知っているだろう? ボクらに、そうしたデザインセンスは期待できないことに。それに、形は自由に決められるからこそ意味がある」
「エリクシルネットの意識が、自分の入りたい身体を自分で決められるから?」
「いいや? 少し違う。決めるのは彼らではないよ。『人形』だと言っただろハルくん? 自分の人形のデザインを選ぶのは、人形自身ではなくその持ち手なんだから」
「ふむ……?」
つまりは、あくまで主導権は人形のオーナー、ここではプレイヤーにあると言う訳だ。
ここで、スラグ生物達がプレイヤーの超能力の増幅器だという話へと繋がってくる。
プレイヤー各人はスラグ生物を使役し、それらをお気に入りの人形として愛着を持ち育てることで、その身に“魂を宿らせる”プロセスを踏む。
そして入り込んだ魂、すなわちエリクシルネットへと直結した意識たちによって能力発動を補助し、また増幅するという事か。
そのシステムこそが、スイレンの組んだスラグの本質。
なるほどそう聞くと、不定形の構造にも意味が見えてきそうに思う。
「しかしそうなると、翡翠のやり方はその『本来の使いかた』とは相反するものになるんだね」
「ですわね? お人形さんとして念を込めるのであれば、そこに本物の生き物の細胞が混じっていては、きっとノイズにしかなりませんもの」
「そうだね。だがあれはアレで、ボクの想定外なれど非常に画期的で面白い使い方だ。ボク一人では、あんな活用法には至らなかっただろう」
「けれど、それはそれとして今後は君の計画が主流になる」
「世知辛いですわ?」
だからこそ、翡翠も最後のチャンスとばかりに強引に自分の計画を推し進めたというのもあるだろうか?
今後は動植物の細胞を混ぜ込み、共存する形でのスラグの活用は廃止されるか、少なくとも下火となる。
用が済んだら容赦なく切り捨てるようで無慈悲に思うが、確かに現状その必要性は薄くなってきたかも知れない。
フィールドに街が、文明が行き渡り、マップ全体がある程度成熟した。実りの秋となり作物も無事収穫されそうだ。
今後は作物もその文明のNPCが自ら種を蒔き、スラグによる超、促成栽培の必要性も減っていくだろう。
……さて。そんなスイレンの話と、彼らの事情はハルもなんとなく分かったが、やはり解せないのは今回の彼の行動だ。
そんな組織としての節目になぜ、わざわざ単身ハルの元へと乗り込んで、あまつさえ自ら支配されるような手段へと出たのであろうか?
◇
「……それで君たちは、そんな危険物を僕にわざわざ日本へと送り込めって言ってるの?」
「うん。悪くない話だろうハルくん」
「どこがだ! えっ? どうして僕が納得すると思ったの? そうはならないでしょ、普通!」
「まあ、面白そうなお話ではありますわね? その超能力のブースト作用があちらでもしっかり作用するのであれば、中々興味深い反応が見られそうですわ?」
「そう思うだろう? いけるよこれは。ダークマターの活用という餌に釣られ、きっとスラグは日本でも爆発的に普及する」
「ですわね。そうして日本中どこでもスラグが配備された環境となれば、労せずして全ての人間をその影響下に置いて実験が出来ますわ?」
「おい。さっきまでいがみ合ってたくせに急に協調し始めるなこのマッドサイエンティストども」
勝手に話を進めないでほしい。特にアメジスト。
スイレンとは違い、やらかして強制捕獲されたという自覚が薄いようである。
「けどハルくん。こいつの実験にはハルくんも賛同しているんだろ? 学生たちを使った超能力開発。それはハルくんがじきじきに、正式に許可したと聞いたよ?」
「……まあ、それは、まあね? ただ、あれは既にプロジェクトが止められないレベルで動き出してしまっていたから仕方なくというか。ならばせめて僕の管理下に置こうというか」
「わたくしは、ハル様の特別という訳ですわ? 泣いて悔しがりなさいスイレン」
「誇るな誇るな……」
むしろ不名誉な称号である。『やらかしの女王』である。
「君らの場合は、まだ事前に止められる。ならそこであえて、僕が計画を進めてしまう意味はない」
今回はハルが鍵となっており、ハルが動かねば話は先へと進まない。
やりすぎを何とか押し止めるためという、アメジストの時とはまるで逆なのだ。
その状態で、わざわざ計画の針を進めてやるメリットは薄い。
……一応、メリットは皆無ではなく、彼らの言うように日本の人々の為になるのも事実ではあるのだが。
「……いや。うん。やっぱり無いな。人間としての変革の面でも、アメジストで十分じゃないか? 学園のゲームを使って、超能力関係は少しずつ進めればいいじゃないか。むしろあれでも性急なくらいだ」
「どうです! これがハル様の答えなのですわ! わたくしこそが唯一、ハル様にふぐおぅっ……!」
「さっきまで同調してたかと思えば、またそうやって急に煽り始めるんだから君らは……」
「ハル様ぁ、だんだん女の子の扱いが、雑になってきてませんことぉ……?」
それは違う、アメジストの扱いが雑なのである。女の子には優しいハルなのだ。
「じゃじゃ馬の扱いに苦労していそうだね、ハル君も」
「そう思うなら新たな苦労の種を送り込んでこないでくれる……?」
「とはいえね? 良い落としどころだとは思うけれどね」
「何処がだか……、明らかに絶対送っちゃいけないヤバい物だろそれ……」
今回の説明を聞いて、なおさらそう思うハルだ。ダークマターだけならまだしも、一気に二方面への革新など事態が手に負えなくなる可能性大。
単純に、『危険度二倍』なだけでは済まないに違いない。むしろ相乗効果でどんな想定外が生まれるか。
「だからこそ、ボクがこうして来たんだよ。仕様を開示し、必要とあれば地球用には専用に調整を加える。その想定される危険が無いようにね」
「まあ、そこは信用はしていいんだろうけど……」
「そうだよ。ボクらは“決して嘘をつかない”し、こうなった今のボクは“決してキミを裏切らない”。ハルくんはただ、ボクに命令してくれればいいんだ。何を心配する事があるんだい?」
強いていうなら、この状況そのものの怪しさだろうか?
確かに仕様上、スイレンはもう決してハルを裏切れない。『なにも裏で企んでいない』というその誓いにも嘘はないのだろう。
しかし、どうしても脳裏にチラつくセフィの姿が消えなかった。
彼の思惑が分からぬままな以上、その協力者であるスイレンの話も、『はいそうですか』と聞く事は出来ないのだ。
しかしながら、そうでもしないと今回のゲームに落としどころが見えないのもまた事実。
ハルが動かなくても、当事者の匣船家がそろそろ何か動きを見せるかも知れないのだから。
そして、ゲーム本編の進行も気がかりだ。これから一気に荒れることになるだろう。
……さて、そんな中でハルの取るべき行動は、いかに?




